毎週火曜は大学の日だ。
東京郊外の八王子キャンパスまで、片道1時間半。授業は、昼を挟んで、各1時間半を3コマ。文字通り一日仕事である。
昨今の学生には1時間半はとうてい無理との先輩教官の助言あり、講義は1時間にとどめ、あと30分を質問タイムにしている。これが当世若者気質を反映して、実に新鮮だ。
とにかくやたらに多い質問は、以下。
「教科書が切れてるんですけど」(本屋に注文してください!)
「試験はどんな形式ですか」(穴埋め式じゃなく、「〇〇について延べよ」式です――えっー!)、
「試験に教科書の持ち込みはなしですか」(当たり前でしょ!)
極端にひどくなると、以下。
「今日初めて授業に出たんですが(もう8回目ですよ!)、教科書は何を使ってるんですか」
(シラバスに書いてあるでしょ!)
「寝坊して聞けなかったんですが(授業開始は午後2時半)、今日は何やったんですか」
(そんなこと、私にじゃなく、誰か友達に聞いてよ!)。
大学の大衆化に伴い、全体に幼稚化しているうえ、友達の輪が狭くなっていることに気づく。教科書が手に入らなくても、たまたま忘れても、ひとりぽつり。隣の人に本がないのに気づいて、見せてあげようか、もない。あるいは、いつも仲良し2人組もいる。
その昔、大学に入った時、先輩に言われた。
「とにかく本を読むこと。それと、サークルに入って友達を作ること」。
授業は出なくていい、は余分だったが、助言に従いESS(英語クラブ)に入った。そこで得た友人が今も一番の親友だ。何の損得もなく本音でつき合える友人は、社会に出た後ではなかなか作れない。人生を豊かにする3つ、「読書、友人、旅行」。だが、とうにすたれた麻雀を代表格として、群れなす行動は今、はやらない。それがとりもなおさずコミュニケーション力というか生きる力の衰えを示しているようで、ちょっと寂しい。
一方で、予想外の収穫があった。本当に真面目で熱心な、何人かの学生に恵まれたことだ。彼らはいつも最前列に陣取り、熱心にノートを取り、終わると必ず質問に来る。質問で大体のレベルが分かるが、中には即答できず、次回に持ち越す質問もある。礼儀正しく、学ぶ姿勢にあふれる彼らと会う毎火曜は、うれしい一日でもある。
時間に余裕のあるときは、お茶をしながら話すこともある。
世代を超えて、立場を超えて、やはり人と人。心と心。そう思う。
自由民主党月刊女性誌
『りぶる』