4月から大学で週1回、刑法と刑事訴訟法を教えている。
昨今の学生は静かに聞かせるのが大変だろうと覚悟していたが、思いのほか熱心だ。中には、
「刑法総論は昨年履修して単位も取っているのですが、また受けさせてもらっていいですか」
と言う学生もいて、とても嬉しい。
若い時は、とにかく勉強をすることだ。遊ぶのは仕事を引退した後でもできる。
世の中には、家庭の事情で進学を断念せざるをえない人がいる。世界を見渡せば、平和な環境で勉強に専念できることがどれほどの幸せか。たとえ法律を仕事にはせずとも、法的思考のいくばくかを身につけてほしいと思う。それは長い人生で、必ずや役に立つことだから。
「千里の道もまず一歩から」
私自身、2回生で初めて法律を学んだときは、ちんぷんかんぷんだった。その後、基本書を最初から丹念に読み直し、繰り返し繰り返し勉強をした。地道な努力の積み重ねである。
司法試験の受験科目は「六法」。
憲法を頂点に、民法、商法、民事訴訟法(民事法)と、刑法、刑事訴訟法(刑事法)、合わせて6つの基本法だ。
「皆さんに、私が長年かけて会得した勉強のコツを教えます」
目次を重視するのが私流だ。
法律でも基本書でもまずは全体像を頭に入れる。そのうえで細かく勉強をする。でなければ、今習っていることがどんな意味を持つのか、どれほど重要なのか分からず、遠回りになる。おぼろげでも全体像が掴めていれば、入ってくる知識や情報をうまく整理することできるのだ。
つまりは物の整理整頓と同じである。きちんと分類できる棚や抽出しを持つこと。法律に限らず、学問なり勉強はすべて同じだと、私は信じている。
講義の出席はいちいち取らないが、
「相手が誰であれ、人生の先輩の言うことは聞くものです。法律の実務経験が長い私の話を聞くよりもっと有益なことが他にあるのなら、来なくて結構です。そうでないのなら、来て、聞くこと」
500人が静かにしている。
振り返って子どものとき、質問をして、はぐらかす大人はすぐに分かった。相手が誰であれ、真っ向から答えてくれる大人は本物だ。子どもも若者も、本気の大人を求めている。
どれほどITが発達しようとも、教育の基本は、太古の昔から変わらない。必要なのは、教科書と紙・鉛筆。そして、熱血教師。
教育は人と人との真剣勝負であると思う。
自由民主党月刊女性誌
『りぶる』