先日、自民党の埼玉県連青年部で、「少年非行・犯罪」について、講演をした。
その後、会場から手が挙がる。公民館が中学生のたまり場となり、苦情を受けた学校が「警察に通報して下さい」と対応するのだと言う。教師の質の低下、権威の失墜は嘆かわしい……。
それは私も痛感するところである。
三年前、出身高校に講演に行き、その後校長と話した時のこと。「生徒が何で国語やらなあかん聞くから、国語出来んと憲法読まれんやんか、答えてます」。思わずえっと顔を見た。まさか。あぁ。
だが権威の失墜は、ひとり教師だけにはとどまらない。日本全体を覆う問題なのである。
かつて「地震・雷・火事・親父」。親父はとうに脱落。社会に目をやれば、官僚、政治家、警察官……あらゆる権威が失墜する中、教師ひとりが立派であれるはずもない。権威の消失。それは懼れがないことを意味する。その結果が言いたい放題、したい放題となる。
外国ではこの点、事情が違う。神が存在するからだ。
とくにユダヤ教、キリスト教、イスラム教の一神教。天地創造の主は何でもご存じだ。地上での裁きは逃れえても神の裁きは逃れられない。その宗教が、日本にはない。では何で国民を規律しているのかと問われ、新渡戸稲造が英語で著したもの。それが『武士道』である。加えて、日本には神の代わりに世間様がいた。すなわち「恥の文化」である。
その国体を、敗戦が変えた。史上初かつ決定的な敗戦に自信を喪失し、拠って立つ精神的基盤を捨てたのだ。伝統、文化、歴史。GHQが一週間で作った憲法を受け容れ、昭和二十七年、独立を回復した後も見直さず、安全保障はアメリカに任せ、経済一辺倒でまっしぐらにきた。「経済大国日本」。バブルが吹き飛ばしたのは経済だけではない。膨れあがった、実体のない自信を木っ端微塵にしたのである。もはや何の基盤もないのだから、途方に暮れて当然だ。
治安の悪化が顕著になったのはバブル崩壊後である。犯罪件数は十年で倍。低年齢化、凶悪化も進む一方だ。会社はリストラを進め、終身雇用をなくし始め、もはや「第二の家庭」ではなくなりつつある。本当の家庭も、学校教育も、崩れる音が聞こえてくる。
戦勝国が敗戦国を徹底的に打ちのめすのは歴史の必然である。かつて世界を震え上がらせた日本兵の強さの源、大和魂。それがここまで荒廃しようとは、さすがのアメリカも予想だにしなかっただろう。戦後六十年、日本を取り戻すところから始めなければならないと思うのだ。
自由民主党月刊女性誌
『りぶる』