「我々の国では絶対に、考えられないことです……」。
十年前、地下鉄サリン事件が起きたとき、イスラムの知人にそう言われた。神の言葉コーランが生活の隅々にまで浸透し、新興宗教が入り込む余地はないと。
ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教は一神教である。神は天地創造の主で同じだが、神の言葉を預かった人(預言者)がそれぞれ、モーゼ、キリスト、ムハンマド。中で七世紀に誕生したイスラムが最も新しい。神に造られた人間は、唯一絶対の神を懼れ、敬い、服従するしかない。汝、殺すなかれ。盗むなかれ。姦淫するなかれ……すべて神の言葉である。
もともと人類は自然を崇拝し、多神教であった。「八百万の神の国」日本は、多様な宗教を受け容れ、平和に共存してきた。勤勉で正直、かつ礼儀正しい国民性。確固たる宗教なしに社会をどう規律するのか。とアメリカで問われ、新渡戸稲造が英語で著わしたのが『武士道』だ。大和魂。あるいは「恥の文化」、世間様。これらが厳然と社会の規律を保っていたのである。
それが戦後、一変した。道徳的価値を顧みず、経済的価値のみを追求。バブルが崩壊し、ふと足許を見れば、拠って立つ基盤がない。社会不安が増す中、心の拠り所を求め、怪しい宗教に惑わされる人も増えるのではないか。
折しも、カトリック約十一億人の最高指導者、ローマ法王が亡くなった。八日の葬儀までに五百万を超える人が訪れたという。揺らぎないよすがを持つ人々が羨ましく見えてくる。
東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)