執筆「職業を持つこと」

 父は普通のサラリーマン。周囲に法律家は皆無であった。

  私がなりたかったのは医者である。ことに精神科医。だが、体が頑健ではないうえ、血を見るのが怖い。さんざ迷った挙げ句、「潰しが効く」法学部に入った。職業はあとでゆっくり考えよう……。

  実際いろいろ考えた。新聞記者、外交官、国家公務員。アナウンサーになろうと会社訪問したら、「関西弁ですし、よほどのコネがないと」。民間が未だ大卒女子への門戸をほぼ閉ざしていた時代、結局私は、司法試験に挑戦。裁判官か弁護士になるつもりだった。

  だが検事になった。司法修習で初めて接した検察は、大学で教わった「無辜の人を有罪にする悪役」とはまるで違った。どころか、犯罪者の更正を真に願う「公益の代表者」。私への勧誘文句は、行政官だからいろいろな部署に行けるよ、弁護士にはいつでもなれるよ。

  任官して十五年余、突然、参院選挙に比例区総理枠で出馬をとの声がかかる。名簿順位十一位での転身。その二年後、選挙制度が変わった。候補者名を書いてもらう、元の全国区に近い制度になったのだ。次は当然、過酷な選挙運動を覚悟せねばならぬ。後半生、私は何をしたいのか。真剣に悩んだ末、昨夏、一期限りで引退した。

  振り返って、私が堅く心に決めていたのは一つだけ、「職業を持つこと」。あとは偶然の積み重ねだが、どれも楽しく、得難い経験となった。弁護士業の傍ら、今春から週一回、大学で刑法と刑事訴訟法を教える。新たな職業が楽しみだ。

東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

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