執筆「後半生の春」

 異動の時期だ。

  私は、検事十五年余で七回異動した。その後参院議員に転じて二年が巡った三月、議員会館事務所にいて、妙に落ち着かなくなった。理由は……異動だ。二?三年毎の習性が体に染みこんでいた。

  うち地方への異動は三回。松山、津、名古屋。二十代から三十代半ばの時だ。引っ越しは面倒だが、それを遙かに上回る期待。未知の地。新しい仕事・事件。公私にわたる人との出会い。松山の親しい女性弁護士が言う。「いいよね、嫌な事件も人も捨てて出直せて。私らはずっと同じ」。どの地も懐かしい。人生がただ未来に向かって伸びていた頃。何をしても何があっても、将来の糧になると思えた。

  その後いつしか十年が経ち、徐々に老化を意識するようになった。そうなって初めて、分かった。人は必ず死ぬ。であればその前に、老いて弱っていく必然がある。ずっと誕生後からだった人生が最期からに切り替わる。残り、どれだけ。

  今、思う。家庭の事情や人事への不満からではなく、もう落ち着きたいからと辞めていった先輩検事たちも後半生を意識したのだろうかと。五十歳での転身を予め決め、渉外弁護士に転じた検事がいた。地縁血縁のない津が気に入り、開業した人も。それぞれに第二の人生だ。

  経緯は異なるが、私も一所に落ち着けて、本当によかった。桜の名所、千鳥が淵近くの閑静な通り。テラスからは緑が望める。大いに気に入っていて、長く居るだろう。ここで初めて迎える春。

  桜がひとしお待ち遠しい。

東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

カテゴリー: 執筆 パーマリンク