執筆「ピアノと指導者」

 縁あって先日、一流ピアニストのレッスンを受ける機会に恵まれた。CDを聴いて感激したのだが、実際、得難い教えをいくつも頂いた。

 クラシックは、楽譜通りに弾けて後が勝負である。体全体を使っての音の出し方、作曲家による音質の違い、曲想をどう作るか……。一つ一つの音にこだわって初めて個性があり、音楽の本分がある。

 ピアノを始めたのは四歳の時だ。当初嫌だったがすぐ好きになり、ずっと習っていた。ただ私が今、曲がりなりにも人前で演奏を披露できるのは、大学生になってついた先生のお陰である。ここで音の出し方を基礎からやり直したのだ。

 八年後検事に任官、転勤生活となって、やむなく独習になる。自然弾かないまま二十年が経過。すっかり諦めていたのだが、後半生を前にふと、またやろうと思い立った。幸いいい先生が見つかり、昨年二月来、月一回の割でレッスンを続けている。そして、冒頭のレッスン。

 そこで私の後に長身の高校生がレッスンを受けた。長い指でリストなどの超難曲を楽々と弾きこなす。だが芸大ではなく法学部に進み、法曹になりたいとのこと。いいなあ、最初からいい先生につけて。と母にメールを送ったら返信あり。定めだから仕方がないねと。

  戦前の庶民には高嶺の花だったピアノ。その夢を私に託し、父を説得し、ピアノの聞こえる近所の家に私を連れて行った母。内職の洋裁で、二十万円するピアノを買ってくれた。初任給一万円の時代。愚痴を零さず、練習しよう。

東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

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