一九八〇年七月、富士見産婦人科病院事件が発覚した。組織的な乱診乱療で、病巣のない子宮や卵巣を摘出。被害女性の数は千人を越えるという。
この事件に特別の感慨があるのは、当時神戸に住んでいた私も同様の被害に遭いそうになったからだ。司法試験の論文式受験に万全を期すべく簡単な薬を貰おうと、近くの某産婦人科病院に行ったら、内診をという。そしてすぐに、「ああ、子宮筋腫ですね。大きいので全摘かも」。茫然自失の私に医師は明るく付け加えたものだ。「子宮なんて付属器官ですからね。手術は簡単ですよ」。
アドバイスしてくれる人があり、別で受診したら異常なし。二つ目も同じ。安心したとたん高熱が出て寝込んだ。その翌月の事件報道だ。幸い試験には合格。聞けば、件の病院は病棟を建て増ししたばかり。医業に名を借りた金儲けとはゆめ思わず、手術を受けた女性も多かったのではないか。
一般に、医療行為の当否は証明が難しい。富士見病院事件では傷害罪での起訴が見送られた。一方、元患者らが起こした民事訴訟が昨年ようやく勝訴で確定。それを受けてこの二日、厚生労働省医道審議会が医師五名を処分した。うち一人が最も重い医師免許取消し。医療行為による免許取消しは七一年以降初めてという。
だが、これが朗報のはずがない。軽い処分。二十五年という歳月。それに、どれほどの謝罪や償いがされたとしても、失われたもの、人生は戻らない。不適格な医師を排除すべく講ずべき施策はいくつもある。
東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)