執筆「国会野次合戦の理由」

 通常国会が始まった。テレビで映し出される本会議場。昨年までの六年間、私はここに座っていた。

 当初、野次怒号の凄まじさに圧倒された。発言者のマイクを通したテレビ音声と比べ、実際はもっとすごいのだ。それでも我が参院はまだ大人しく、衆院では発言者の声すら聞こえないほどだという。なぜ静かに人の話を聞けないのか。と尋ねた私に、大先輩がにこやかに答えてくれた。「だって、静かにしてたら退屈で、寝てしまうじゃないか」。事は、予算委員会以外あまり放映されることのない各委員会でもさほど変わらないだろう。少なくとも与党議員にとってはそうである。

 理由は、日本の立法過程の特色にある。少数の議員立法を除けばあと政府法案。これは他の議院内閣制の国も同じだが、日本では政府法案が国会に上がる前に与党が法案審査に決着をつけてしまうのだ。その中心は、党政務調査会及び各部会。非公開のこの場で、激しい議論を経て了承した後は、その決定を党議拘束の基準とし、以後ひたすら原案通りの成立を目指す、それが日本の与党である。従って、国会はもっぱら野党の論戦場だ。戦後、アメリカの影響で国会審議の中心が委員会に移されたこともあり、委員会で可決されれば、その後の本会議はおよそ儀式でしかない。

 小学生からファックスを貰ったことがある。「なぜ静かに聞けないのでしょうか」。教育に悪く申し訳ないことに加え、右の理由を書いて、返信した。野次も飛ばさず居眠りもせず、行儀良く座っているのはたしかになかなか難行ではあった。

東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

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