執筆「嫌なら変えよう」

 七年前、現職検事の時に自民党にスカウトされ、参院議員に転じた。慣れない中、私なりに精一杯やっているつもりだったが、検事上がりはやはり頭の下げ方も知らないと、あちこちで言われていたと後で知った。

 無我夢中で二年が過ぎ、ほぼ慣れた頃、突如やめたい症候群に陥った。今思えば一種の適応障害だったのだろう。検事を十五年余、これが最後の法廷立会いだとの覚悟もないまま急に辞職する形になったので、気持ちが吹っ切れていなかったのだと思う。

 幸い半年後には立ち直った。と分かったのは議員会館に行くのがとても楽しくなったからである。何といっても同僚先輩はみな、私とは違い、あの熾烈な選挙を勝ち抜いてきた人たちである。並外れたエネルギーなくして大勢の支援は得られない。実際間近に接してみると、実に個性的、魅力的な人が多いのだ。

 先日、新しい職場に替わった三〇代のキャリア女性が、周りの人がみな嫌いと言うので、この経験を話した。「人は変わらない。でも自分は変われる」。面白いもので、互いの好悪の感情はたいてい一致する。良い関係を築くにはまずは相手を好きになることだ。狭い世界や価値観に閉じこもっていては何より自分が成長しない。

 六年の議員生活は得難い経験の連続であった。懸案だった少年法の改正にも携われたし、歴史教科書問題などを通じて歴史を初めて真剣に学び、国のあり方について思いを巡らせるようになった。最大の財産は、処世術。「嫌なら変えよう。変えられないなら楽しもう」。ユダヤの格言だという。

東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

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