平成16年に国会を通過した裁判員制がいよいよ来年5月からスタートする。
殺人など一定の重大な刑事事件について,一般市民が裁判官と一緒に裁判をする制度である。誰がいつ当たるか分からないとあって,講演依頼がときどき入る。昨日もそれで茨城に行っていた。
これは法曹増員やロースクール設置といった司法改革の流れの一つとして出てきた。要するに市民の司法参加形態であり,日本では現行「検察審査会」しかないのだが,先進諸国では陪審ないし参審制があり,日本でも導入をということになった。背景に,裁判官は世間知らずなので一般人を入れなくてはといった感覚もたしかにあった。
さて,アメリカ映画でおなじみの陪審制は,英米法の国がとる。
被告人が事実関係を認めれば,司法取引などをしたうえ有罪答弁をするので,証拠調べは一切不要,従って裁判官が量刑を言い渡すだけなのだが,事実関係を争うとなれば一般市民からその度ごとに籤で選ばれる陪審員(たいてい12人)が証拠調べをし,事実認定をする。裁判官は,証拠調べの説示,たとえば今のは伝聞証拠なので採用しないでくださいといった説示をするのみで,事実認定は陪審員の専権である。
歴史的にはもともと「お上」は信用できず,自分たちで裁判をする「権利」という発想がある。彼らにとって民主主義は血と汗で勝ち取るものなのだ。また事実認定は常識のある者であれば出来,法律的な知識は不要という実際的な考えもある。
ただ素人の裁判なので有罪か無罪の結論のみ,理由は一切付されない。従って原則として控訴はできず,一審のみで終わる。
ドイツやフランスなど大陸法の国は参審をとる。一般市民と裁判官が一緒になって事実認定と量刑判断をする。もっとも一般市民は労働者代表や団体推薦といった形で何年かの任期制になっている。日本のとる裁判員制は,参審をベースに,一般市民を事件ごとに籤で毎回選ぶという陪審制のやり方をとる。
裁判官3人に裁判員は6人。選挙権があれば誰でもなりうるが,法律関係者や一定の職業は就職禁止,あるいは70歳以上や学生,介護や育児,仕事などどうしても駄目な場合は辞退が認められうる(が決して広くは認めない)。
事件は殺人など一定の重大事件のみを対象とし,年間3000件程度。全刑事事件の3%程度だ。もちろん死刑対象事案も入る。一般市民が加わることで死刑宣告が増えるか,減るか,識者によっても考え方の別れるところだ。ちなみに被告人には選択権はない。事実を争わなくても裁判員裁判で裁かれることになる。
私は法制当時,導入に猛反対した。多勢に無勢で認められたが,今でも反対の立場は変わらない。市民が司法参加を「権利」とは考えず,義務としかなりえない国柄なのだ。また被告人にも選択権がない。ただ一つ,裁判が迅速化すること,迅速にならざるをえないことがメリットといえばメリットだが。さていざ始まってみると,どうなるだろうか。