自民党の迷走,メディアの迷走

  自民党の迷走が止まらない。まさに目を覆うばかりの体たらくだ。
 「いい時にやめましたよねえ」と会う人毎に言われるのだが,5年前にやめたとき,近い将来まさかこんなことが起きようとは想像も出来なかった。まさに「事実は小説よりも奇なり」。ふざけすぎた漫画のような感がある。

 辞めて翌年(2005年)の郵政解散で,反対派は公認を外され,静香先生などが離党した。小選挙区制の特徴を生かして党は「刺客」をばんばんと擁立(中選挙区制であれば派閥主導だからこんな芸当はできない),メディアは小泉劇場と仮し,83名もの小泉チルドレンが一挙に当選,自民党は歴史的圧勝をして衆院の自公勢力は3分の2を超えた。
 翌年,人気の安倍さんが首相になったがバンソウコウ大臣など閣僚辞任が相次ぎ,その翌夏の参院選は大惨敗,参院での与野党が逆転した。筋としてはその時に辞任するしかなかったのに,9月,所信表明を行った後に「小沢さんが話し合いに応じてくれなかった」とか何とか訳の分からない理由を述べて,辞任。
 その総括もないまま,自民党は首相に意欲満々な麻生さんを排して福田さんを選んだが,福田さんも翌年9月にはまた投げだし。今度こそ「人気者」の麻生さんを選び,解散をかけて総選挙に打って出るはずだったのが,せず。そのあとの度重なる迷走(まいそう?)は周知のとおりである。漢字が読めないのはもちろん,筋を通せない,決断力がないといった,リーダーとしての根本的な資質が欠如していることが明らかになった(そもそも国民の代表者である国会議員としての資質も欠いているというべきである)。

 さはさりながら,そうした人を選んだのは自民党である。国民ではない。
 麻生さんの不平不満を発信してどうだというのか。自分は選んでいない,自分は(麻生さんと違って?)上等な人間だというのか。ああそうですねと人が納得してくれると考えているとしたら,笑止千万だ。そもそも内閣不信任案を否決しておいて,麻生降ろしなど,ありえない。大体が総選挙を経ずに看板を3度も4度も取り替えること自体国民を愚弄している。人はすべからく筋を通すことが肝要であり,それなくして信頼は得られない。一連の出来事を通して見えてくるのはみな自分のことだけを考えているということだ。本来国民のことを考えるのが国会議員であるはずなのに。

 振り返って,このどたばた劇は小泉さんの時から発している。「自民党をぶっ壊す」と小泉さんは宣言していた。郵便局や医師会など従来強固だった自民党の組織が離れていったことで,自民党は無党派層を狙わなければならなくなった。つまり首相=人気者であることが必要になったのだ。人気を出すためにメディアを活用する。これはタレントの世界であり,もともと地道に政策を考え,実行する政治家の資質とは異なるものであった。

 今回つい馬脚を現した東国原知事。以前から思っていたが,なぜこの程度の人間をメディアは取り上げ,持ち上げるのか。メディアが一挙手一投足を競って追うから,本人も自分が大物であるかと勘違いをする。キャパシティの狭い者ほど容易に勘違いをするのだ。メディアの罪も大きい。

カテゴリー: 最近思うこと パーマリンク