政治が見えない

 民主党政治,早や3か月で正体見えたりである。
 梅原猛氏が鳩山首相を評して「宰相らしい人がようやく出てきた」と手放しで褒めていたのは1か月ほど前のこと。自民党の,とくにこの5代はひどかった,中には中学程度の教育さえ受けていないと思わせる人もいたと。これを読んだとき違和感がなかったということは,私もまだその時点で首相ないし新内閣に期待をもっていたはずである。
 鳩山首相の人間性の良さは認める。閣僚たちもそれぞれにいいと思う。だが内閣が何をどうしたいのか,そもそもどんな国家にしようとしているのか,何も見えてはこない。
 政治は国家の意思決定である。意思決定がどうなされたのか,プロセスが見えなければならない。リーダーたるもの,最終の動かない意思を国民に示さなければならない。それが政治である。

 安全保障は国の基本だが,今回の普天間問題に見る首相の迷走は目を覆うばかりである。国際的にどれほどの恥だろうか。連立政権を組む以上,基本政策の合意は不可欠である。日米合意を優先するのであれば社民党とそもそも連立は組めない。米国にいい顔をし(首相はオバマ大統領に「トラストミー(私を信用して)」と言ったという。),社民党にいい顔をし,沖縄も立てて,などといったことは出来ない。この甘さ加減には怒りを通して呆れてしまう。
 もちろん鳩山首相にはそもそも実権がないのであろう。小沢の傀儡との声は巷に満ち満ちている。党の幹事長が意のままに政治を動かす構図。だが,国家の意思決定はもちろん内閣でなされなければならない。党は国家の行政機関ではなく,私的な存在である。これでは党独裁のどこやらの国家となんら変わらない。
 日米同盟がこれまでになく動揺するなか,小沢幹事長は600名を引き連れて中国を訪問した。安全保障は現実問題である。現実に北朝鮮の脅威があるかぎり,日本は非武装というわけにはいかず,憲法を改正しないかぎり自ら武装するわけにもいかない。どこかの傘に入らなければならないのだが,であれば日米同盟を厳守するしかない。彼は国連の安全保障が好きなようだが,国連は幻想で,軍隊を発動するのはアメリカなど大国の意思であることは,一般民衆は知らないにしろ政治家にはイロハである。

 天皇と中国副主席の謁見問題も目に余る。
 これが純然と憲法の定める国事行為(第7条)に該当するにしても準国事行為にすぎないとしても,天皇のスケジュールは純然とした私的行為でないかぎりすべて「内閣の助言と承認」によるべきものである。だが──ここが肝心──彼は内閣の構成員ではない。これをどうやら理解していないとしか思えない「宮内庁長官は行政の一員にすぎない。言うことを聞け」旨の発言には唖然とさせられた。内閣がやはり傀儡にすぎないことを図らずも露呈した一件。天皇の政治的利用は許されないというのは現実には必ずしも通らないとしても党による政治的利用が許されないのは当然である。もちろん宮内庁長官がいったん受けておいてばらしたことも許されない。行政の在り方として上の指示に従えないのであれば辞任するしかない。
 まさにどこもここも……とにかく暗澹たる気持ちになる年の瀬である。

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