この週末は、(久しぶりに?)読書三昧をしていた。結局新書を6冊読んだのだが(速読である)、中で上記の3冊が良かった。人生を豊かにするのは「友人、読書、旅行」だと言う人がいて、私も同感だが、その理由は、自分一人では経験できない別の世界を経験させてくれるからであろうと思う。逆に言うと、読書をしない人はつまらない。友人のいない人もつまらない。というより、読書もしないつまらない人では友人もできないであろう。
貴重な時間だから、できるだけ、つまらない人とは関わりたくない。いつも同じ話を繰り返す人。過去の自慢話とか家族の話ばかり。人の言うことをまったく聞かず、自分の意見を上から押し付けてくる人。かつては地位のあった人に結構いるのだ。こちらが退屈そうにしても、生返事をしても、まるで気が付かない。世界は自分を中心に回っているからだろう。そんな人に限って、「どうだ、いい話を聞けてよかっただろう」なんていう態度だから、よけい嫌になる。こういう人には例外なく、友達がいない。何十年も生きてきて友達がいないなんて信じられないけれど、誰もこういう人を友達にしたくはないから仕方のないことである。寂しい人生だが、本人は気がつかない。滑稽でもある。
『知的余生の方法』(渡部昇一著)は定年後も知的な生活を送ろうと書いている。それには仕事を離れた所で興味を持ち、自分を高めておくことである。年を取ると、基本的に価値観の違う人と関わるのはしんどくなる。同感。かつてわいわいやってそれなりに楽しかった相手とも今会えば如実につまらなくなっていることは結構ある。友人は「基本的な考え方」「経済レベル」、そして「知的レベル」が同じであること。まったく同感。──といった風に当たり前のことが書かれてあり、読みやすい。
『武士の家計簿』(磯田道史著)は最近映画になったので、買ってみたのだが、実に面白い。文章も素晴らしくて、あっという間に読み切ってしまった。若干33歳頃の著作であるのに、驚く。加賀藩御算用者の猪山家は、代々の算術の才能により藩に重用され、落ちぶれた士族が多い中、維新後は海軍に登用され、高給取りとなる。歴史物だけでなく教養物としても十分に楽しめる内容だ。例えば、「〇石取り」の家というが、具体的に領地を支配して経営をし年貢を計算して…といったことは一切なく、藩がすべての代行業務をしてくれていたため、真の意味での封建制ではなく、それが故に領地を取り上げるときも抵抗が薄く、明治政府に移行できたのだという指摘など。対してヨーロッパでは貴族は領地に結びついていて、それが故に革命を経ても貴族が残っているのだとか。鹿児島もやはり領地と結びついていたので抵抗が強く西南戦争になったとか。歴史を考えるときにいつもあまり経済的な側面を考えずにいるが、実はそうしたことが大きいのである。女性の地位も実は高かったのは知っているが、それも数字で改めて認識した。
さて、『冤罪の軌跡』(井上安正著)。昭和24年に起きた弘前大学教授夫人殺害事件を当時取材していた読売新聞記者が綴ったノンフィクションである。冤罪事件といえば足利事件が有名だが、戦後のどさくさ期には相当に杜撰な捜査が行われていたのである。冤罪を背負わされた那須隆さんは那須与一の末裔。同じく近所に真犯人がいたのだが(しかもこちらは同時期に同種のわいせつ事犯を敢行していた)、警察は自らのメンツにかけて軌道修正することなく、ひたすら那須さんを犯人に仕立て上げていく。そのためにシャツの血痕もねつ造。動機も不明、凶器も不明。一審判決は無罪を言い渡してはくれたものの、まったく理由を書かない判決だったという(信じられない!)。それもあってか控訴審では有罪となり、懲役15年。出所後に、真犯人が名乗り出る。名乗り出た経緯も、いくつかの偶然が重なった僥倖としかいいようがない。それがなければ再審の申立ては認められず、ずっと濡れ衣を着せられたままであったろう。那須さん、その無実を信じて家屋敷を売ってまで戦った両親、弟妹たちのことを思うと、戦慄が走る。被害者の遺族にとってもそれは同じことであったろう。古畑鑑定は多くの冤罪事件で問題となり、信ぴょう性が否定されたが、冤罪作りに手を貸す鑑定とは一体何なのだろうと思わされる。
最近の冤罪事件といえば厚労省元局長事件である。証拠ねつ造も昔からあったのだと言えばそうだし、捜査機関のメンツが優先して、国民の人権はないがしろにされるという構図は同じである。ただしこの事件ではまだ真実が明らかになったわけではない。まさか係長が直接に頼まれて単独で偽造なんてできようはずがない。一体誰の指示であの偽造がなされたのか、国民は知らされないままだ。一方、前田検事を隠避したとして起訴された元特捜部長と元副部長がようやく保釈になった。検察としては起訴した以上有罪を取らなければならないが、しかし彼らが否認してくれていてその上は助かっているはずである。組織なのだから、彼らの一存でそんなことができたはずもない。検察にとっては大いなるジレンマだ。いずににしても明らかにしないといけないのは「真実」である。本当のことを言わないと、そのうえで反省をしないと、あなたは更生できないよ…捜査官はそうやって被疑者を諭しているのだから、自らこそ襟を正さなければいけない。