あんなに怖かったことはない。3月11日午後2時40分、事務所にいた時に俄かにがたがた揺れ出し、秘書と各机の下に身を隠した。揺れはやむどろこか徐々に激しくなり、本箱の上に置いていた時計、写真立て、人形などがばらばらと落ちてくる。本もばさばさっと落下。揺れが少し収まったところで、出る。水周りのロッカーに収納した本や書類も大量に落下、それらも片付けないとと思っていたら、秘書の声。「先生、大変です! 水が溢れています!」。流しの隣のキャビネットの奥から水がすごい勢いで流れ出してくる。
私方は最上階(6階)にあり、階下の様子を探ると、人っ子ひとりいない。みないち早く外に脱出したのである。私たちもまずは身の安全を確保しなければ。貴重品だけ持ち(私はノートパソコンも持った)、戸口の鍵はかけずに外に出る。落ちて壊れた物は仕方がないが、とにかく水を止めなくては。しかし管理会社に何度電話をしてもつながらない。他のフロアの人にも事情を話して、固定電話から連絡を取ってもらうがつながらないという。水はもうどうしようもないねという話になる。
事務所には入れないが、管理会社には連絡をしないといけない。近くの、日ごろ懇意にしているレストランに身を寄せる。固定電話を貸してもらうがやはり不通。そうだ、公衆電話だと思いだし、列に並んで連絡を取る。担当者が今東京にいないので帰ってこれない、などと寝ぼけた返事が返ってきて、激怒する。都の水道局はビルのタンクの水は止められないと言っているらしい。
話をはしょると、そのうちにやがて水は止まった。ビルのタンク(最上階にそんなものが置いてあることを初めて知った)に貯めてある水なので、一定量がなくなると止まるものらしい。夜8時頃に担当者もビルに来て、後に分かったことだがそのときにブレーカーを落としたという(漏電して感電する危険があるらしい)。11時を過ぎたころ、とりあえずパソコンを置きに事務所に行ってみたら、かなりひどい水浸し状態である。ただ物が落ちただけなら拾えばよいのだが、水浸しになった物はどうしようもない。電話は不通。何よりパソコンが使えるかどうかが気になって仕方がない。道路は車が数珠つなぎである。
幸いそのレストランの関係者が泊まる場所も確保しておいてくれていたのだが、最寄りの地下鉄半蔵門線は動いているという。駅員に田町まで帰りたいのだがと尋ねると、銀座線は再開後またとりやめたが、青山一丁目で大江戸線に接続でき、大門まで行けると言う。この一言で、決まった。帰る。大門(浜松町)から田町まではJR一駅だ。歩いたところで知れている。21階にある自宅がこの地震でどうなったのか。明朝までいたところでどうせ寝れはしないのである。
青山一丁目で乗り替えた。改札前で長蛇の列が出来ている。横に10人は並んでいる。私は背が高いからよいけれど、普通の女性たちは呼吸ができないのではないか。待っても待っても列は前に進まない。前のほうで駅員がアナウンスをしているが、マイクも使わないので内容が聞こえない。でも、誰も文句を言わない。日本人はおとなしいなあと感心する。そのうちに気分が悪くなったという人が何人か出てくる。私もだんだん気分が悪くなってきた。もうすでに1時間以上経つのに、列は1メートルも進まない。ホームにも人が溢れ、電車が来てもすでに満員、でちっともはけないらしい。時間は読めないし、そうこうしているうちに、電車が止まりましたとなれば目も当てられない。歩こう。午前1時すぎ。
外に出て、作業員に田町まで帰りたいのだが、と言うと、遠いですよと言う。しかしもう半蔵門にも戻れない。六本木方向を目指してひたすら歩く。数珠つなぎはやみ、でも空車タクシーは走っていない。どうやら方向を間違えて遠回りをしたらしく、青山墓地脇から新国立美術館に出て、ミッドタウンの前を通り、芋洗い坂から麻布十番に出た。午前2時。行きつけのスナックが空いている。スープを飲もう。そこで紅茶カルバドスも飲んだ。タクシーに連絡してもらうが、つながらないと言う。あと少しだ(タクシーで1000円程度の距離)。
歩いていると、空車が来たので、乗せてもらう。今頃になってようやくすいてきたという。自宅に辿りつくと、何もなかったかのようにエレベーターが動いている。自宅ドアを開けると、玄関に額や置物など様々な物が落ちている。食器棚はなぜか無事(あとでバカラのワイングラスが壊れていることが分かったが)。壁全体にしつらえた本箱がそのまま前方に倒壊し、たくさんの本が散乱状態だ(これは未だに片付いていない)。だがピアノも動いていないし、他にはこれといった被害はない。あちこちにメールを打つ。時計を見ると3時前。とにもかくにも無事に自宅にいる。チャンネルをつける。東北はすさまじい惨状である。
たまたま11日夜はパーティが入っていて、いつもより高いヒールの靴を履いていた。よくぞ捻挫もせず、こむら返りにもならずに歩けたものだ。火事場の馬鹿力。覚悟した筋肉痛も来なかった。土曜に管理会社と何回か連絡を取り、日曜朝から丸一日がかりで乾燥機を入れて事務所を乾燥してもらう。それでもまだ水が引かず、ブレーカーが落ちるという。電話とパソコンが使えなければ開店休業なので昨日(月曜)はおそるおそる出勤したのだが、ようやくブレーカーが上がり、電話も通じた。パソコンは立ちあがっがダメだったので、詳しい人に言って来てもらい、通じるようになった。散乱した物を片付け、水浸しになって使えない物は捨て、まだ使えそうなものは壁一面に立てかけて乾かし…いろいろ不自由ながら、でも被災地の方々に比べたらなんということのない被害である。
日が経つにつれ、未曾有の被害が明らかになってくる。マグニチュード9.0。1000年に1度クラスの大地震。行方不明者の安否が一日も早く明らかになるように、また災害に遭われた方々に心よりのお悔やみとお見舞いを申し上げる。ここまでは天災だから、誰も避けることはできず、全世界の同情を買う災害なのだが、しかし、原発事故は違う。人災なのだ。地震大国日本に原発は危険だ、絶対にやってはならないと周りの識者が言っていた。安全だと言うのはシミュレーションでの話でしかない。災害はいろいろなことが同時に起こるから、そんな風にはいかない、それほど安全だと言うのであれば社長以下幹部が行って近くに住めと常々言っていた。それが現実となった。
日本の技術力に世界が不信を持つ。また放射能被害がこれからどれだけの期間、どの範囲の人に及ぶか、誰も予想はできない。まさに弱り目に祟り目だ。馬鹿な政治だとあれこれ言っているうちに、どかっと途方もなく大きな天災にやられ、そして(予想していたとおりの)人災をも招いた。どうなるのだろう、この国は。もちろん、くじけていても仕方がない。みな助け合って、進むしかないのだ。いつも言われることだが、暴動も起きず、我先に略奪する者もなく、日本人の品位が損なわれていないことに光明を見る思いがする。