先日、知り合いの国会議員(自民党)から電話があり、代表選で興奮している。
国会議員枠、サポーター枠ともに「小沢さんはよく面倒を見ているから」強いという。まさか。小沢と鳩山は引責辞任したばかりだ、おまけに小沢は刑事被告人になるかもしれない身、でなくても直属の部下はすでに刑事被告人である、そんな人がまたぞろ表舞台に出てくるなんて、日本は間違いなく世界の嗤い者だ……。
だがどうやら、そんなまっとうな感覚が麻痺しているのが永田町であるらしい。
「これで政局が面白くなってきた」と言うその人に、私は思わず怒っていた。
そんなことを平気で言うこと自体、世間と遊離している証だ。ずっと選挙、誰が代表だ総理だ、そんなことばかり。今、日本はどんな状況にあると思ってるの! 円高は止まらず、株安はひどいのに、まったくの無策だ。完全に国民不在の政治である。
と言うと、さすがにしゅんとしていたが、これが永田町では普通の感覚なのだと思う。でなければ政治はもっとずっと前から、もっとずっとまっとうだったはずだから。
小沢も小沢なら、管さんを支持した翌日にはころっと小沢さん支持に変わった鳩山さんに呆れ果てている向きが多い。だが、彼の無責任さ、朝令暮改の言葉の浅薄さは、8か月の総理の間で十分に実証済みである。小さな会社の経営さえ出来ない、いや、会社員さえ勤まらないような人が国家という最も大きな会社を運営する立場にいた恐ろしい事実。まさに一貫性があるのは「一貫性がないことだけ」であり、そんな人にマイクを向けて真剣に?コメントを聞いているマスコミの姿勢をこそ私は疑う。
政治とマスコミ、二大権力の日増しに募る陳腐さはどうだろう。もちろん政治家を選ぶのは国民だし、つまらない番組の視聴率を上げ、雑誌を購買して質を悪くしているのは国民自身ではあるのだが、一方で、まっとうに国を憂えている人も多いのだ。
たまたま映画『氷点』(三浦綾子原作)をテレビで見た。
意地悪なお母さん役の若尾文子の美しさ、気品はどうだろう。津川雅彦も若い時にはこんなに凛として誠実感溢れ、素敵だったのだとびっくりした。日本語が非常に美しく聞こえる。
やはりテレビで再見した映画『白い巨塔』にも打ちのめされた。私が当時好きだった田宮二郎(43歳で猟銃自殺)は撮影時32歳だったというのが信じられないほど、40歳代であるはずの国立大学医学部助教授、天才的な外科医を演じきっている。医学界重鎮役滝沢修の、圧倒的な存在感。どの役者も実在感に溢れている。こんな映画はもう作れない。
今は軽い。例外ももちろんあるが、役者は軽いし、脚本も作りも軽い。全体に顔が軽くなったと感じるのは、政治の世界だけではないのだ。世界を見ても、かつてのような存在感ある男優女優はほどんといない。どこにでもいそうな俳優がどこにでもありそうなストーリーをこなしている感じ。電化製品と同じように、あるいは人と人とのつながりのように、軽薄短小の時代、使い捨ての時代になったのだと思わされる。
記録的な猛暑が続く。夕立も降らず、雨がないままである。熱帯夜がすでに47日。寝苦しくて体力的にもきつい。涼しくなるまで、体調を壊さないように気をつけたい。