この10日、大方の予想どおり、無罪判決が出た。
もともとは偽の障害者団体に絡む郵便法違反案件であった。それが厚労省の偽証明書発行事件に発展し、昨年6月、現職局長が逮捕された。第一報は親しい社会部記者がくれた。「お金を貰ったの?」と思わず尋ねたのは、そんな人ではないと知っていたからだ(村木さんでなくても賄賂を貰う官僚は少なくとも日本にはそうはいない。)。それはないとのことで、では一体何が動機か不明であった。マスコミは政治家から頼まれた案件だった、障害者自立支援法を通すためにその要望を聞く必要があったと繰り返し流していたが(マスコミも名誉棄損の責めを負うべきである)、そもそもが不合理である。
つまり、当時課長であった彼女にはその文書を作成する権限があったのだ(故に、罪名は公文書偽造ではなく、虚偽公文書作成罪である。)。だから、もし本当にそうしたければ、まっとうな障害者団体であるとの書類を形式的に整えさせればいい。ぽんと印鑑を押して虚偽文書を作る必要などないのだ。
案の定、公判では次々と欠陥が露わになっていく。件の政治家が口を利いたとされる日にゴルフ場にいた明白なアリバイが出てくる(この裏付けを起訴前に取っていなかった!)。村木さんはじめ関係者を取り調べた検事はすべて、公判中でありながら、取り調べメモを捨てたという。裁判長が、関係者の供述調書の大半の証拠能力を否定して採用を却下するという大胆な訴訟指揮をしたとき、無罪は見えた(通常は、いったん採用はしたうえで、供述の信用性を否定する。)。
村木さんは真の意味で教養豊かな、強い人である。何もやっていないし、およそやるはずもないことを、巨大な権力が勝手なストーリーを作り上げて、連日過酷な取り調べをしてくる。それに耐え切り、長い勾留もその後の長い裁判も彼女は乗り切り、そして無罪を勝ち取った。大いに怒って当然なのに、「慎重に捜査をしてほしい」「私の時間をこれ以上奪わないでほしい」といった控えめなコメントである。山口県光市の母子殺害事件の遺族である本村さんを彷彿とさせ、私は、立派な人は世の中にいるものだと感心をした。
さて問題は、こういう杜撰な捜査がなされてしまう背景である。
前にも書いたが、特捜部が自らのレゾンデートル(存在理由)のために、地位ある人を逮捕して世間の耳目を集めることがまま起きる。特捜部は大阪にも名古屋にもあって、ライバル意識がある。この事件のとき、東京地検特捜部は、小沢代議士大久保秘書の捜査に失敗していた。2千数百万円程度の政治資金規正法違反で逮捕し、結局起訴もその容疑のままだったのだ。対して、「大阪はよくやったよね。現職の局長を逮捕して」とは上記社会部記者のコメントだ。これに現場の感覚が集約されていると私は見る。
検事は独任性官庁だから(一人一人が官庁という意味)自分の印鑑を使うのは自分のみ。その感覚で、今回の事件が扱われたとも聞く。なんという世間知らずなことであろう。功名心が逸り、人権感覚のかけらもなく、勝手な筋を決めて、下に流す。各取り調べ検事は決まった供述を取ってくる駒でしかなく、異議をさしはさめる雰囲気はない。副部長→部長→次席検事→検事正、その上の大阪高検と、幾恵もの決裁を経ながら誰も軌道修正をしなかったのか。組織としての問題の根は深いというべきだ。