早や11月…なんとなく慌ただしい毎日です

来る12日(土),事務所近くのホテルで,東京自彊会(明石高校同窓会)の総会・懇親会が催される。昨年来会長に就任している私は(来年母校は100周年を迎える),冒頭挨拶に,ピアノ演奏(ショパンのノクターン遺作の予定。「戦場のピアニスト」で知られる),皆で歌おう2曲の伴奏(選曲したのは「いい日旅立ち」と「花は咲く」)及び校歌(旧制中学・現高校)伴奏とフル稼働(?)の予定。お日柄も良いのに,ピアノを弾くので着物が着られないのが残念である。

その翌週20日(日)には数年ぶりに?神戸大学附属明石中学の学年会が神戸で開かれる。1学年3クラス,140人位だったが,亡くなった人もいてフルで130人位であろう。うちどれだけ集まるだろうか。幹事の強い誘いもあり,私は今回は出席の予定である。せっかくなので前泊して,親しい人たちと夕食を摂ることになっている。久しぶりの神戸!!!! よくぞまあ飽きもせず,学生時代から修習時代,元町・三宮間を歩いたものである。日本中で最も懐かしい通りだから,その懐かしさも半端ではない。次がいつになるか分からないし(いつもこれが最後かもしれないと思うようにしている),噛みしめながら歩きたいと思っている。

大学の同窓たちとは親しいが,高校中学の同窓と未だに繋がっているのは,本当に嬉しいことである。対して小学校(垂水小学校)の皆はどうしているかなと時々思うことがあるが,地元で誰か中心になって動いてくれる人がいなくては無理であろう。学校や職場その他でたくさんの人と知り合うが,その出会いが後まで続くには互いの相性ないし努力が必要である。長年仲が良かったつもりでも,実は本当の人間性まではなかなか分からないもので,何かの拍子に隠されていた本質が露呈することがある。

長い間一緒にいれば人間同士は分かり合えて親しくなれるのであれば,親子関係の断絶もないし,離婚もない。長く付き合って相性が良いと見極めて結婚したはずが,暴力傾向なり自己中心性なり金銭感覚のなさなり,が見えてきて,果ては泥沼離婚になったりもする。最初から本当のところが分かっていれば,誰も結婚などしないし,ましてや子供を設けたりなどしないはずだが,うまく隠されていたのか,恋にくらんでよく見えていなかったのか。いずれにして人間の本質はなかなか見えないのは事実である。怖いことだが,何か事が起こって発覚し,大の親友が一気に疎遠になったりもする。

15年程前の事件で「夫はモラハラです」と該当一覧表を見せてくれた依頼者がいた。夫の自分への仕打ちがあまりにひどいので,パソコンを検索していて,ぴったりなのを見つけたのだという。たしかに妻への連日の誹謗中傷,思いやりのなさ,自己中心性,嘘つき,すさまじい金銭欲とどれもが半端なかった。モラハラ(モラルハラスメント)は当時新しい概念だったと思うが,その後パワハラやセクハラはもちろん,アカハラ(アカデミックハラスメント),マタハラ(マタニティハラスメント)やら盛りだくさんになっている。

モラハラはもうすでに定着している感があるが,最近私は,これはその人の人間性の表れ方であり,本質的には(人格障害でなければ)発達障害といったものがあるのではないかと感じている。発達障害も注目されるようになったのは比較的新しく,自閉症,アスペルガー症候群を含む広汎性発達障害(自閉症スペクトラム),学習障害,注意欠陥多動性障害などを含むとされている。子供の時からこの特性が明らかな人もいれば,(知能とは無関係で優秀な人も多いので)大人になって,とくに他人との密接な関係を必須とする結婚生活を送るようになって,人とうまく折り合えない欠陥が顕著に出てくる場合もある。発達障害の夫に悩む妻を「カサンドラ症候群」と呼ぶそうである。

癌の研究は進んでいるが,精神病(統合失調症や躁鬱病)に代表される脳の研究はあまり進んでいないように感じる。人格障害や発達障害も脳のどこかに何らかの症候があると思われるし,それが分かるようになれば,人間関係の処し方も少しは易しくなりそうな気がするのだが。

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『私と妻、それぞれの実家のことで悩んでいます。…』

自由民主党月刊女性誌『りぶる2022年11月号』

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人生について、つらつら思うこと

昨日は季節外れに暑くて、仕舞わずに少しだけ残していた夏物(色とか生地とかデザインとかで初秋でも着られるもの)を着た。今日は一転すっかり秋(雨は余分だが)なので、迷ったが、グレーでも紺でもなく茶色のスーツにした。グレーや紺は春でも良いが、茶色は秋の色である。

このところ来し方を振り返ることがある。全体として悪くなかったなと思えるのは幸せなことであろう。一番大きなことは職業選択を誤らなかったことである。司法試験は必ず合格すると周りの教授達は言ってくれたし、自信もあった。もし合格できる能力がなければ、早々と別の道にしただろう。結婚とかではなく、とにかく自活して精神的に自立することは、私の育った家庭環境下では至上命令であった。別の道も悪くなかったかもしれないが、法曹資格を得たからこそ、珍しい検事(15年のうち訟務検事もアジ研教官も経験できた)になれたし、その後自民党参院議員の声もかかって、得難い6年の経験が出来た。そのあと弁護士として定年のない仕事が出来ているのも、すべてがあの出発点からである。

自分は法律に向いていると思うが、それはきっと持って生まれたものであろう。もっとも父も母も法曹に向いているとは思えないし、親戚一同どこまで見回しても誰一人法曹はいないので、本当に偶然なのであろうが、私がひたすら努力出来たのも、適性あればこそだ。向いていないこと、好きでないこと、やってもちっとも上達しないことには時間もエネルギーもかけられない。なんでも、好きこそものの上手なれである。法律家になったことをただの一度も悔やんだことはないし、来世があるとすれば、また法律家でも構わないと思っている。自分に向いたことを職業に出来たことは、本当に幸せなことである。

こんなことを最近よく思うのは、ちょっとした相談を受けたのがきっかけである。その方は70代後半の男性で、早くに亡くなった息子さんの遺児2人の学資を見ているという。下の子は医者になりたいと言って、国公立大医学部に現役合格したとのこと。立派なことである。しかし上の子は某私立大学法科大学院2年に在籍中で、この度進級試験に不合格だったというのである。私の時代には法科大学院はなかったが、今は大学卒業後法科大学院(日本版ロースクール)に進学し、2年(法学部既修者の場合。その余は3年)修了後に司法試験受験資格を与えられ、5年間受けることができる。もちろん合格者の多くは1年目に合格し、2年目以降合格率は減っていく(小室圭は2度不合格で、おそらく3度目も不合格であろう)。全体に合格率は4割程度、合格者数は年約1500人である(私らの頃はずっと年500人以下で、日本一難しい試験と言われたが)。

医学部が厳しい進級試験を設けていることは知っていた。卒業後医師国家試験に合格しなければ医者になれないし、合格率は直ちにその大学のランキングに直結するからだ。そういうのが日本版ロースクールにもあったとは。彼の場合、さらに1年履修して合格すれば修了でき、晴れて司法試験受験の資格を与えられるというわけだ。聞けば、進級試験不合格者はほとんどいないとのこと。そりゃそうだろう、大学院としては落第者を抱え込まずに卒業させ、あとは司法試験を受験させたいはずである。冷静に考えて、彼の大学院での成績はビリないしその周辺と思われる。身内としては、不合格だった1科目だけが悪かったと思いたいのだろうが、合格点が各50点と低いのであれば、他の科目は80?90点で1科目だけそれほど悪かったとはとうてい思えない。根源は法的センスなので、多少の得手不得手はあるにしろ、科目によってそれほど変わることはない。そして、その大学院修了者の司法試験受験者の合格率は3割だという!(全国平均以下) つまりその大学院で上位3割に入っていないと合格は望めないのである。

他人である私には言いにくいことであったが、親切にも進言した。法律に向いていないと思うと。大学1年生から法律をやって6年目、今後どんな改善が望めるのか。今24歳。すぐに地方公務員の受験資格年齢をオーバーするだろう、司法試験を何度も受けて30歳はあっという間だ。となれば、なんのキャリアもなく、一体どこに就職できるのか。人生を誤ってはいけない。そもそも弁護士=バラ色の人生ではない。司法試験合格者を増やしすぎて弁護士が供給過多になり、就職先もなく、イソ弁の給料も私の時代から上がるどころか下がっているくらいなのだ(そういう当たり前の情報を、相談者も孫も知らなかった)。大学院に進学するときに相談をされていれば、私は止めたと思う。今からでも遅くはない。いち早く方向転換すべきである…。

ところが孫からは、まだ勉強を続けさせて下さいとの返事が来たそうである!? 自分の金であっても壮大な人生の無駄でしかないと思われるのに、細い祖父の脛を囓ることに、良心の呵責を覚えないのか? そんな人間はそもそも法律家に向いてないよ。自分の能力も将来も分からない者が、他人の人生にどう関わっていけるというのだ。相談者も、父代わりを自認するのであれば、今なんとしてでも方向転換させなければ。ただ言うことを聞く、お金を出す、本人の思うとおりにやらせるではなく、苦言を呈して甘ったれの生き方を変えることこそが親としてやるべきことだと私は思う。

日本版ロースクールを設けた理由は、司法試験合格者を増やすからであった。合格者を増やす以上、きちんとした教育をすべきである、で大学法学部の上にさらに屋上屋を重ねる大学院を設置した…。ところが、大学院通学にはお金がかかる。働きながらも無理である。かつての司法試験は働きながらでも受けることができたが、今はそうはいかない。ではそういう人たちはどうするか? というわけで予備試験が設けられた。こちらに合格すれば、大学院に行かなくても司法試験を受験することができる。まあいわばバイパスのようなものである。ところが今やこちらが本流のようになり、優秀な学生は予備試験に在学中に合格して司法試験にも合格する…その合格率たるや100%近いのだ! 裁判官の子弟には法曹組が多いが、予備試験合格者がエリートであり、くっきりと色分けが出来ているという。

司法試験浪人と称して、40歳の今も親(弁護士)の脛を囓ってプラプラしている男を知っている。医学部浪人?か、これまた30歳も優に過ぎて医者の親の脛齧りをしている男も知っている。各同級生は皆それぞれにキャリアを持ち結婚もするから、友人も皆無のはずだ。社会的孤立で、いわば引きこもりに近い状態になる。本人も悪いが親も悪い。親が亡くなれば遺産がたくさん入ってきて困らないと思っているのかもしれないが、そんな考え方自体がもう堕落である。職業は何でもいい、とにかく普通に働いてこその真っ当な人生である。

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『夫に浮気された娘。やり直すための条件を出して…。』

自由民主党月刊女性誌『りぶる』2022年10月号

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エリザベス女王ご逝去;ある祝賀会に思うこと

敬愛する君主であった。エリザベス2世。伯父エドワード8世が離婚歴のあるアメリカ女性シンプソン夫人との結婚を選んで退位し,父がジョージ6世として戴冠したとき,長女エリザベスは10歳。自分が次期女王になることを自覚し,勉強を重ね,常に勤勉で,何事にも前向きに取り組んだという。13歳の時に5歳上の軍人フィリップ(ギリシア王室出身)に恋をし,それを一途に実らせて8年後に結婚。父が56歳で亡くなったため,弱冠25歳で女王になり,以後実に70年もの間イギリスは,イギリス連邦は,そして世界は,彼女と共にあった。

美人である。彼女こそがイギリス美人だと言う人もいた。知的で気品に溢れていた。親しみやすさもあり,穏やかで毅然とした人柄そのままの外見であった。帽子とのトータルファッションも楽しみだった。公務を離れて自由にしたいと願ったことは,おそらくなかったのではなかろうか。人々に奉仕することこそが自分の人生だと,それが神に与えられた自分の使命だと,潔く達観しておられたに違いない。4人の子供のうち長男チャールズ(3世),長女アン,次男アンドルーはそれぞれに離婚した。いろいろあった1992年の末,女王が国会で恒例の演説をした際「アナス・ホリビリス(恐ろしい年だった)」と風邪声で述べられたシーンをよく覚えている。

次々と起こる様々な王室不祥事や問題を,女王は常に的確に,正しい感覚で乗り切ってこられた。同じく国民に人気の高かったお母様は101歳まで生きられたので,女王もきっと100歳までは生きられるのだと思っていた。この6日には新首相トラス氏と立って面会し(普段着ではあったが),そうしたら8日には「医師団の監視下に入った」との報道があり,あれっと思う間もなく,安らかに亡くなられたとの報道に,耳を疑った。ほぼ全く寝込むことはなかったのだ!老衰ではないはずである。昨年,70年以上連れ添った王配が亡くなり,誰にも迷惑を掛けないよう,意思の力で後を追ったのだろうか。宮殿には虹がかかったそうだ。イギリスを長く,全身で体現していた女王が亡くなり,スコットランド初め独立を模索する地域もまたぞろ出るだろうし,連邦を離脱して共和国にしたいとの国もきっと続くだろう。次の国王が同じようにやれるとは思ってはいない。

ほんまものの国葬が19日,ウェストミンスター寺院で挙行される。逝去から11日後,ご遺体を存置して行われるのである(吉田茂氏の国葬もそれくらいで行われた)。女王は元首だから国葬だが,日本の首相は元首ではないし(元首は天皇),しかも元職だし,かつまた2ヶ月半もの後に行うのはやはりおかしいであろう。海外にも招待状を出してしまったし,今更止めるわけにはいかないのだろうが,イギリスに行くので日本には行けないという首脳も出てくるだろう。日本からは天皇皇后両陛下が出席されるとのこと,良いことである。

9日夜,私はニューオータニにいた。勲一等(旭日大綬章)受勲祝賀会で会費2万円(政治資金パーティと同じ)だったが,コロナ禍でどこも飲食を取りやめているし,お腹がすくだろうと軽食を済ませて行ったところ,着席フルコースだった。各7名65テーブル=500名超え。素晴らしい料理で,これだけで2万円以上だ!! おまけに洒落た記念品まで頂戴し,完全に持ち出しだと思えた。ご本人(医師)は44歳で国会に初当選後,70歳になったら辞めようと決めていたとのこと。なんと立派なことだろう。反対に,周りは辞めてほしいと思っているのに,「私は辞めたいのだけど,周りが辞めさせてくれないので…」と言う議員を多く見てきた。「惜しまれているうちに辞めるのが花なので」と,にこやかに挨拶される。著書もたくさんあって,今流行りの神経内科が専門だし,政治の経験が豊富で,人徳ある方なので,これからも様々に活躍してくださることと思う。

もうずっと前になるが,同じく前代議士の勲一等受勲祝賀会に行ったことがある。会費は書いてなかったが,まさか手ぶらで行くわけにもいかず,2万円を包んだが(この場合領収証はくれない),立ち席で飲み物のみで食事はなく,来賓らの挨拶を聞かされ,最後1000円程度の記念品?を渡されただけだった。これって,祝い金は所得とせず,会場設営費のみを経費にしてボロ儲けするの!? 後味が大変悪かった。現役時代良いことをたくさんされたはずだし,その後も何度か見かけることがあるが,声を掛ける気にはならない。やはり金銭感覚は人の生き方そのものだと思うことしきりである。

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