総裁選が終わり、いろいろ思うこと

27日党本部9階で行われた総裁選は、テレビで終始見ていた。ときにドキドキしたけれど(かつては私もここで同じように名前を呼ばれて、候補者の名前を書いていた…)、結果としては良かったのではないかと思っている。積極的に是非この人に、というわけではなく(もしそうであれば、今回5度目の立候補になる前に当選していたはずである)、他に上回る適任者がいないという消極的な理由であるが。

派閥の解消を背景として9人もの候補者が立ったが、それでも全体に小粒のように思われた。私が国会にいた四半世紀前と比べてもそうだし、ましてその以前と比べると間違いなくそうだろうと思う。国のトップどころか、大きな会社のトップどころか、(失礼ではあるが)中小企業のトップでも大丈夫…?と感じてしまう人さえいる。基本的に国会議員、特に自民党国会議員の供給源は、世襲か官僚か地方議員が三本柱である。小選挙区制導入以降、故人の子息はよほどのことがない限り後継者に選ばれ、そのまま当選を重ねることになる。小選挙区を倣ったイギリスは、世襲による選挙区の後継はないし、もし本人が能力的に的確だとしても他の選挙区が党によって割り当てられる。比例復活などもちろん、ない。日本は都合の良い所だけいいとこ取りをしたわけである。ということは結構知られているが、現職にとって都合の良い制度は自ら改正はなかなかされないものである。

まだ首相にも選ばれていないのに今後の国会日程、解散・総選挙日程が発表されて、あれっと思ったら、やはり野党から非難されていた。当然であろう。野党が望む予算委員会審議を経ることなく党首討論のみで解散・総選挙に踏み切るとのこと、総選挙は10月27日(日)実施、すぐである。いわゆる裏金議員の扱いをどうすか、新選挙対策委員長(党4役の一人)の手腕が問われるところである。おそらくそのまま公認してしまうだろうと思うが、選挙民の目は厳しいので、落選の憂き目に遭う議員も一定数出ると思われる。それでも自公合わせてまさか過半数を割り込むことはないだろうが、今後を考えると、来年の参院選まで支持がもつのかどうか、である。現職参院議員はそこを一番案じている。

組閣についてはいろいろ言われているが、党3役筆頭の幹事長には森山裕(ひろし)さんが初めて就任した。彼は平成10年、私が参議院議員になったときの同期の一人である。22人中私が最年少(43歳)で唯一の女性。最年長男性は67歳であった。同期全員で集まって「十年会」を作り、最年長者が会長、私が事務局長に就任した。会長職は順繰りに年がすぐ下の人に移り、だいぶ前に私が会長になったまま、ほとんど実動はない。半数位の方がすでに亡くなられた。森山さんはその後衆院に転じ、農林大臣、国会対策委員長、選挙対策委員長、総務会長と要職を経た後、今回石破総裁の下で幹事長に選ばれた。祝意のショートメールを送ったらすぐに返事が来た。ずっと変わらず、マメな方である。

彼は鹿児島の市会議員出身である。全国最年少の市会議長だったと聞く。中学卒業後、働きながら夜間高校に通った。「私は皆さんと違って勉強をしていないので、ずっと勉強をしていないといけない」と謙虚に語っておられた。地元からの電話に出たとき、「何を言ってるか、分からんでしょう」と笑っていたけれど、たしかに分からなかった(青森などの言葉もそうである)。常に腰が低く、居丈高になったのを見たことがない。体質なのだろう、お酒は一滴も飲まない(というわけで、森伊蔵と魔王の黄金セットなど何度か私に回して下さった。感謝)。人格者であり、与野党を問わず調整能力が高く、得がたい人材になっていったようである。仲の良かった同期何人かがすでに鬼籍に入り、「寂しいですね」としみじみ言っておられたが、今彼らがいたら、今回の彼の大出世を大いに喜べたのにと残念である。同年代どころか皆私より10~20年上の方たちなのだから、先に亡くなられるのは仕方のないことではあるが。森山さんも79歳(私より10歳上)、激務なので、とにかく無理はされないようにと願っている。

ところで、今回総裁選への立候補は見送ったが、法務大臣・経産大臣を歴任された齋藤健さんの、御著書『転落の歴史に何を見るか──奉天会戦からノモンハン事件へ』(ちくま新書)に目を通した。齋藤さんは直接存じ上げないが、東大→経産省で、官僚最後の頃にこの本を出されたのである。私もなぜ、「坂の上の雲」を目指して日露戦争にまさかの勝利を得た日本がその後坂を下りながら第二次世界大戦での大敗に至ったのか、答えを見いだせないままである。そもそも日本史では近代史を学ぶ時間がない。教えてもらっていないのだ(教師も知らないであろう)。本は読むのだが、薄っぺらな断片的なことしか分からない。陸海空軍の軍部がセクト主義に陥り(特に陸軍が暴走した)それを政治はどうすることもできなかった、その結果厖大な民が犠牲になった…。

この著書は力作で、本当に理解するには読者にもかなりの力量がいると思われるが、最初のほうにあっと思われる記述があった。日露戦争以降の日本の歴史が、明治の元勲たちがしだいに歴史の舞台から立ち去り、かわって陸軍大学校、陸軍士官学校、海軍大学校、海軍兵学校などで専門教育を受けた軍事エリートが台頭してくる、世代交代の歴史だったとの指摘である(34頁)。封建社会の武士は単なる武人ではなく、政治、経済、社会、教育、価額といった様々な面において責任を有するジェネラリストの統治者、つまり政治家であった。軍事は常に全体戦略の一手段として考えられていたのが、戦略・戦術のみのスペシャリストが輩出されるようになった…。たしかに。ジェネラリストが政治を行い、軍事にも入り込んでいないと、危ないということはよく分かる。日本の悲惨な顛末については、予測している人たちも少なからずいたと思うが、誰かが何とかして止められなかったのだろうか。暴力で言論を制圧する空気が醸成されるとともに、無理が通れば道理が引っ込むことになったのだろうか。自らの負の歴史にきちんと目を向けなければ、今後同じことを繰り返す危険があるのではないかと考えると、歴史を知らないことが本当にこわい。

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ようやく涼しくなり衣替えをしました。不動産価格について思うこと

石川能登地方の記録的な大雨被害。年頭の地震に続いて、本当に気の毒過ぎる。寄付などをする以外何も出来ないのだが、どうか切り抜けてほしいと願うばかりである。地震を筆頭に自然災害は今やどこにでも起こりうると思うほどだ。地球温暖化というけれど、日本は完全に亜熱帯地方となっている。我が家でも毎夜のごとく大雨と雷が突如としてあり、まるでスコールだわと思わされている。長く厳しい残暑だったが、さすがにようやく昨日少しだけ涼しくなった。で室温を見ると早朝なのに28度もある。ずっと32度位あったのである。

まだまだ暑い日はあるが、もう真夏のワンピースは着ないし、手持ちの秋冬物をチェックして人に差し上げるなり捨てるなり整理すべきものはしないといけないので、昨日思い立って衣替えをした。例年秋と春に大がかりな衣替えをする。靴も付属品も多々あるし、全体にもともと数が多いので、大変な作業である。体力が徐々に落ちてきたし、これもいつまでちゃんと出来るのかなあと考えてしまった。思い立ったが吉日で、ついでに着物も長襦袢その他中に着るものを、夏物から単衣・袷用に変えた。今月末に単衣を着るつもりだが、はてさてどの程度暑いものだろうか。昨年を振り返ると、たぶん10月一杯は単衣で済みそうだ。衣食住。お料理は幸い好きで助かっているが、凝ったものは面倒になり、軽くて簡単なものばかりになっている。凝った料理をしょっちゅう作り、お客さんもよくしていた昔の私が、魔法の杖で料理人で出てきてくれたら、どんないいいだろうと思ったりする(笑)。ただ周りにはいくつになっても衣食住をさぼらずきっちりされておられる方も少数ながらおられ、心から尊敬する。それこそが生活(=人生)の基本だと思っているからである。

料理を作るのが面倒になって介護施設に入ったとはよく聞く話だが、確かにそうすれば、三度三度の食事は出てくるので献立も買い物も洗い物も要らず、あとはただ食べるだけである。部屋のスペースも小さいので掃除の手間も片付けも要らないだろう。洗濯もやってもらえるのかもしれない。24時間が完全に自由になれば、しかし寝る以外は何をすればいいのだろう。散歩? 読書? テレビ鑑賞? 音楽鑑賞? それだけで一日が過ぎるだろうか。一日はいいとして、1週間、一月、一年、それが翌年も続いていく…長いなあ。暇であることは忙しいよりずっとか苦痛である(と私は感じる)。大体家事をしなければ、ぼけるのではないか。家事はまずは体を使うし、献立を考えて余り物をうまく使うし、掃除の手順や整理片付けと、頭も結構使うものである。これからどんどんしんどくはなってくるだろうけれど、やっぱり、人に頼らず、出来る限り自分でやろうと思う次第である。

さて、不動産のチラシが毎日のように入っていて、買うつもりも引っ越すつもりもないが情報として眺めている。都市部のマンションの値上がりは半端ないことがよく分かる(港区など10年前の3倍だとか?!)。1億などは安いほうで、2億、3億は当たり前(5億、10億も驚かない。一体誰が買うのだろう)。もちろん土地も当然ながら値上がりしている。先日も神戸の知人から相談?を受けたのだが、東京に住んでいる息子がマンションの家賃25万円は高いので一軒家の購入を検討しているとのこと。聞いてびっくり、その額なんと1億円! 不動産屋は買えると言っているらしいが、そんな話は決して信じてはいけない。支払うのは自分であり、不動産屋は彼らの利益(仲介手数料)のために仕事をしているだけである。買えばおしまい。売ればおしまい。売主からも買主からもそれぞれ価額の3%を徴収する(両者を共に代理するのは双方代理ではないかと思うのだが)。不動産価格が高くなれば仲介手数料もそれだけ上がるのである。

その物件、都心ではない、東京の外れである。その分土地が広いのかと思いきや、20坪だと。狭すぎる! 建坪率ぎりぎり建てての3階建てはもちろん階段である。ああしんど。隣とも接して建っているから日当たりも悪かろう。あのね、ローンを組むのは年収5年が限度だよ。息子さんの職業からして年収は良くて1000万円(妻は働いていない)。今40代前半だと定年まで20年。それまでにローンは払い終わっていないとまさしく老後地獄が待っている。頭金をどれだけ払えるのか知らないが、30~35年ローンなんて、結局金利分で元金の倍払うことになる。仮に定年までの20年ローンを組んで金利合計1億5000万円を払うとしたら、年750万円である。ほぼ年収分を住居費に充てるって、どうやって生活するの? 35年払いで1億7000万円払うとして年500万円弱。それでも年収の半分を住居費に充てることになるうえ、20年後には無職で年金暮らしとなるのだから、以後払える当てもないのである。退職金をすべてローン支払いに充てる人も多いけれど、それで払いきれるはずもないし、そもそも退職金は老後のために必要なお金のはずである。子供の教育費もバカにならない。医療費その他、急な出費もあるだろう。ローンを払えなくなってやむなく自宅を売る人は多いが、ローン残で相殺されて何ほども残らないどころか損になるのは普通のケースである。そのあと家はどうするのか。年を取ってくるとなかなか貸してはくれなくなる(近年は自動更新のない定期借家が主流になっているし)。

片や、マンションを借りている場合は管理費・修繕積立金は不要だし固定資産税も不要である。不具合が生じれば大家に言ってなんとかしてもらえる。変な隣人が来たり周りの環境が悪くなったりすれば引っ越せばよいのである。この点、賃料を払い続けても自分のものにはならないし勿体ない、それくらいなら買ったほうがよいと言う人は多いけれど(私も勿体ないことをしているとよく呆れられる…)、そもそも住居は住み賃、つまり使用の対価であって、所有は副次的なものにすぎないのである。子供はリフォームが必要な古い家よりお金のほうを喜ぶし、そもそも子供に相続させる必要もない。教育を受けさせてあげればそれで十分である。皆が考え方を変えないと、不動産価格は上がるばかり、不動産屋を喜ばせるだけになってしまうのではないだろうか。

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『妻に全財産を残したいです。遺言書の注意点は何ですか?』

自由民主党月刊女性誌『りぶる』2024年4月号

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私が朝日新聞の取材に応じた選択的夫婦別姓に関して…『〝保守派〟の諸兄姉に捧げる一文』

青木理の「飛耳長目」月刊日本2023年7月号

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総裁選その後…選択的夫婦別姓も絡めて

 次々と推薦人を揃えて、候補者が出てくる。明日告示、27日総裁選(自民党本部)である。うち1人からパンフが送付されてきたが、もし党員110万人?全員に送るとすると、郵送料だけで1億円になる。もちろんそれだけでは済まないので、通常の選挙同様、お金がかかるのは否めない。

 先週のこと、某テレビ局から電話があった。テレビには出ないことにしていますので、とまずもって言おうかと思ったが、一応話は聞いたら、私がかつて推進していた選択的夫婦別姓について、総裁選に絡めてテレビ取材をしたいとのことであった。しかし、私は本当にテレビには出たくない、顔は売りたくない、できる限り匿名でいたい──との主義でこの20年間弁護士をやってきた。最初からテレビで顔を売るつもりであれば、ワイドショーのコメンテーターなどの話もいくつかあったのだ。不特定多数に知られるようになったらどんなにか生きにくいだろうと私などは思ってしまう。もし自分の顔が電柱に貼られていたりしたら…想像するだけで怖いので、選挙に出るなど無理である。

 取材に応じる場合、活字媒体であれば内容チェックを条件にすればよいが、映像は作り手の意図でどうなるか分からない。夫婦別姓は当事者にとっては大事なことだが、総裁選(次の総理を選ぶことになる)にとっての最重要なテーマとは思えないし、別姓推進の候補者を支持しているように受け取られても困る。自民党党紀委員としてもまずいだろう(もっともそれは付け足しの理由であり、そもそもテレビに出るつもりがない)。とはいえ、別姓に反対する候補者には党員としての一票を投じるつもりはない。

 選択的、なのである。同姓にしたいカップルはどうぞ、である。それになぜ反対するのか全くもって理由が分からない。普通の日本人が姓を持てるようになったのは明治以降であり、姓(氏)を持っていたのは武家だけである(でない者が苗字帯刀を許されるのは特別な栄誉であった)。その武家は夫婦別姓である(北条政子は源政子にはならない。日野富子も足利富子にはならない)。だから、夫婦同姓が日本の伝統文化である、というのは完全な誤りなのだ。明治政府は家制度を取り入れ、妻を家に従属するものとしたが、日本国憲法の下、男女は平等となり、婚姻は当事者同士のものとなった。婚姻の際の姓については憲法に定めはないので、あとは民法及び戸籍法の改正をすれば済む。とても簡単なことである。

 もはや3組に1組が離婚する時代である。どちらの姓でも選べるので男女平等だというのは建前で、たいていは妻が夫の姓を名乗るため、離婚の際は自分及び子供の姓をどうするか、悩むところである。自分は旧姓に戻す場合(そうしておかないと再婚してまた姓を変え、次に離婚したら、前夫の姓に戻るだけで娘時代の旧姓には戻れない)、親権を持つ子供と姓が違ってきてしまう。子供の姓を変えるのに、学期途中に変わるのも…というので、新学期が来るまで、新学年になるまで、出来たら学校が変わるまで…と相当に気を使っているのが現実である。学童期に入る前の子供であればその心配がないので、ああ、良かったということになる。もともと親の姓と子供の姓が同じとは限らないということであれば、この悩みはなくなる。

 子供のための家族一体感、同姓をというのが反対派の理由なのであれば、子供を産まないカップルについてはそれは全く意味がないことになる。40代以降に結婚してそもそも子供を持たないという人たちにとって同姓強制の積極的意味はあるか。ないだろう。今は熟年離婚も増え、それから再婚をする人も多い。それまでに長年親しんで、その名前で生きてきて、人格そのものになっている姓を変えなければいけないのであれば、法律婚を選べない人も多いと思われる。事実婚で通してもよいが、それでは相続の際、あるいは入院などの手続きの際、大変に困るのである。姓をどうするかなどはおよそ形式的な問題に過ぎず、まさかこれに反対をしておいて、同性婚は認めるなどというのであればバランスを欠くにも程があると思う。欧米では認めている国が多い、というのは結構だが、彼らの国では婚姻の際の同姓など全く求めていない。夫婦同姓を強いているのは日本だけだという現実にきちんと目を向ける必要があると思うのである(韓国・中国はもともと夫婦別姓の国である)。

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