秋の気配…国葬問題,そして高槻保険金殺人容疑者自殺について思うこと

夜の寝苦しさがだいぶ軽減した。着実に秋が来ている(湿度が高くて蒸し暑くはあるけれど)と感じるこの頃である。

昨日自民党各種女性団体の理事会が党本部であり,久々永田町に行ってきた。国葬ありですかねえ,法的根拠はないでしょう? そもそもこういう形で突然亡くなることがなければ国葬にはしなかったでしょう? そうなのである。在任期間が最も長いという事実自体は変わらないが,もし普通に病気などで亡くなったとすれば,もちろん国葬という話にはならなかった。同様に在任期間が長くノーベル平和賞まで受賞した佐藤栄作氏ですら国葬にはなっていない。ひとり吉田茂氏のみで以後はないのだ。国葬は全額国費負担である。それが統一教会絡みの銃撃死故であるとすれば,その国費は被疑者及び統一教会に求償しうるのか,という理屈にもなってこよう。

岸田さんの支持率が急に,かつ大幅に落ちたのも,むべなるかな。実行力をもって(?)人の話に耳を傾けて(?)すぐに決めたのは国葬と早々の内閣改造のみ。国葬は外交に資すると考えたのだろうが,そうなのか? 葬儀を利用して海外の首脳陣と外交問題を話し合うわけにはいくまい(そもそもそんなに出席者がいるのか?)。統一教会を払拭するための内閣改造だったらしいが,改造後に閣僚たちの関わりがさらけ出されてきた。極めつきは,夏休みをきちんと取って,ゴルフや会食を続けてのコロナ感染である。自然災害が続いていることもあり,首相たるもの,遊びも休養も二の次にして視察に行けばよいのだが,国民と共にあるという姿勢がそもそも欠如しているのだろうなあ。残念。民意が離れるのはあっという間のことである。

ところで,私的に最近の一番のがっかりは,高槻の資産家女性殺害事件の被疑者が亡くなったことである。高槻の女性50代前半は一人娘で独身,一軒家に住んでいた。被疑者20代後半は関西の名門大学を卒業後保険関係の仕事に携わっていた。そこで接点が出来,彼は彼女を顧客にして総額1億5000万円の生命保険を結ばせた。受取人は母親だったが,母親が亡くなった後であろうか,受取人を自分に変更させている(書類は偽造らしい)。彼は彼女と養子縁組届を出していて(これも偽造だそうだ),姓を変えている。なぜ婚姻届ではなく養子縁組届だったのかといえば,すでに結婚していたからであろう。

養子縁組を出したり,保険の受取人を変えたり…もちろんその意図は遺産を受け取ることであり,保険金を受け取ることであり,相手が死ぬことが当然の前提となる。余命幾ばくもない女性が相手であればいざ知らず,普通の50代が死ぬのは何十年も先になるので,事故を装って殺害する予定なのである。それで,殺し屋を探しているとあちこちに声をかけていたらしい(ずいぶん頭も口も軽い男である)。それが見つからなかったからか,結局自分で変装したうえ東京の住所から新幹線に乗って被害者宅を訪れ,風呂場で殺害した。被害者が会社を無断欠勤したので,親族が訪れて発見。被害者は全裸で水に浸かっており,死因は溺死だったという。右手には結束バンドが巻かれ,殺害が強く疑われた(なぜ外さなかったのだろうか?)。不審な男が防犯カメラに映っており,何より養子縁組届が出ていては(遺産の総額1億円程度をせしめたらしい)第一容疑者に挙がるのは時間の問題であった。さすがに保険金は下りていない。

大阪府警はまずは偽造で逮捕し,別件の詐欺でも逮捕し,そして肝心の殺人容疑で逮捕したが,男は黙秘していたという。そして留置場で首つり自殺をした。自殺を匂わせるメモがあったというし,破って首を吊る布切れにしたTシャツは他の場所で保管中だったというから,警察の大失態もいいところである。捜査において,被疑者の自殺は最も避けなければならないことである。被疑者を勾留するのは「証拠隠滅」と「逃亡のおそれ」を避けるためなのに,自殺はそれだけでそのどちらをも直ちに満たしてしまう。捜査はそれなりに続けるし,送検のうえ,検察は「被疑者死亡」として不起訴裁定をするけれど,それで終わりである。被疑者が被告人として法廷に立つことは永久にないし,その口から何かが語られることもなく,事実認定もないし,判決もない。

保険金殺人は,認定されれば死刑必至ではあるが,とにかくこれで真相が藪の中になってしまった。もちろん本人が生きていても喋らなければ真相は分からないし,喋ってもそれが真相とは限らず,どころか,自己弁護の虚偽だらけのことはよくあるが,しかし被害者はいない,被疑者もいないとなれば,この先未来永劫,この事件は完全に闇に包まれたままである。全くの部外者である私ですら残念で仕方がないのだから,被害者に近しい人はどんな気持ちであるだろう。

「国民が刑事司法に「真相究明」を求めることへの一考察」なる論考を書き,このブログにもアップしたが,書いた後に閃いたことがある。そうだ,忘れていた…。「世間様」「ご先祖様」に申し訳ない,恥ずかしくないように,という日本人独特の感性があることを。これはおそらく,事件の真相究明要請に結びつくものなのであろうと。

カテゴリー: 最近思うこと | 秋の気配…国葬問題,そして高槻保険金殺人容疑者自殺について思うこと はコメントを受け付けていません

安倍元首相襲撃事件及び認知症について考えること

7月終わり、と書いた前回から1ヶ月近くが経っている。例年の盆休みと同じく、尾道の実家に帰省していた。その前日には本社が広島にある顧問先の計らいで、マツダスタジアムで初めて観戦した。カープ(九里投手)対ヤクルトは、4対1の完勝。クローザー栗林投手の完璧なピッチングも間近に見ることができ、大満足だった。ちなみに先月のマリーンズ観戦も対西武8対4の良い試合であった。

安倍元首相襲撃事件について、彼の統一教会との関わり自体は犯人の動機と大きな関係はないのだろうと書いたが、どうやらそれは誤りで、安倍さんの祖父との深い関係に始まり、ことに安倍派議員は深い関係であったことが日々明らかになっている。そもそも私自身の理解としては統一教会=合同結婚式どまりで、霊感商法やら壺を高く売りつけるという悪徳商法はもちろん一般論として知っていたが、それがすなわち統一教会とも思っていなかったし、少なくともそれら商法自体は犯罪ではないとの認識であった。その点オウム真理教とはまるで違うのだが、今回、分不相応の多額の寄付やら家庭崩壊やら破産やら自殺やらの問題が出てきて、それが犯人の強固な殺意・殺害行為に至ったことが明らかになってしまえば、もはや国民の代表たる国会議員が関わることが許されないのは間違いがないことと思える。警察庁長官の引責辞任はさることながら、奈良県警本部長まで引責辞任となり(キャリアだからまだ50歳と若い)、今後の警備体制を抜本的に見直すといったとんでもなく大きな社会的影響をもたらしたことについて、犯人は自分の復讐は報われたと思うだろうか。

さて私の母は91歳(昭和6年生)。最近白内障の手術を受けて成功、緑内障の心配はないと言われ、新聞を眼鏡なしで読めるようになったと喜んでいる。私がいたときも午前5時には起きて畑仕事、8時に家に戻って以後、洗濯・料理その他、常に動いている。最後2日は、穴子と海老粉で、尾道名物巻き寿司を作ってもくれた。パソコンを開いて検索しゲームをし、テレビも見るけれど、読書にも勤しむ。とにかく「勤勉」である。私もこの資質を受け継いだと思うし、食べても太らない体質(=基礎代謝率が高い)も有り難いことに遺伝しているようである。私はこれまで手術をしたことはないし、願わくばうんと年を取って白内障の手術くらいで済めばと思っている。

母に要支援1でも取ればヘルパーさんに来てもらえるのでは?と投げたところ、「要らない」の一言。他人が来ると気を遣うからとのこと。たしかに。母のように元気で自立した老人ばかりであれば医療費も介護費も要らないのだから、健康で長生きをしてもらうことが国がいちばん目指すべきことだと思われる。ところが、びっくり。日本女性の健康年齢(平均)は75歳なのだとか。とすると、平均寿命が88歳なので13年間は何らかの介助が要ることになる。認知症なり体が不自由にならないよう、できるだけ気をつけたいものである。

読書癖はずっと続いていて、主に図書館で借りて、いろいろな本を読んでいる。「母さん、ごめん」という介護本が良かった。著者の松浦晋也さんという人は科学系のノンフィクションライターで50代独身。80歳の母親の「預金通帳がない」に始まる認知症の発覚からの奮闘記を、読みやすい筆致で生き生きと描いている。法律などもよく調べている。この母親は昭和9年生まれ。日本女子大学英文科を卒業後三菱電機でOLをしていたという、当時珍しいエリート女性である。それが認知症になり、どんどんと症状が進む。体も弱っていく。筆者も追い詰められ、結局2年半後にはグループホームに入所させる。こちらはパート2で、ここでは、後で入所してきたダンディな男性と恋に落ち、結婚すると言い出すなど、まるで小説のような展開だ。何度か病気になり骨折もして手術もし、要介護5になり、施設長から「みとりに入ります」と言われても、しぶとく生きて、今月88歳の誕生日を迎えたらしい(平均寿命)。胃腸が強く体が強いと、どれだけ頭がぼけようが歩けなかろうが、生命は続くのである。

インテリ女性だったのに、コロナで窓越しに面会すると「あんた、誰?」「息子だよ」「子供産んだことない」と否定される。亡くなった父親の写真を見せても「知らない」と言うばかり。それを施設の職員に言うと、「最近よく、「妹が待っているから帰らないと」と言っていて、子供時代に戻っている」と(妹は実際にいる)。それでも母親が生きていることは素晴らしいことだと著者は言う。「今は母親が死と自分の間に立ってくれているが、母親が死ねば自分自身で死に向かわねばならない」と。よく分かる。「認知症の者を生きさせておく必要はないという意見には大反対」というのも当然である。役に立つかどうかで生きている意味を問うならば、もともと重大な障害を持って生まれた者は最初から生きている意味はないということになる。家族にとっては、同じ記憶を持った者は(それを忘れてしまったとしても)存在しているだけで意義があるのである。

「母さん、ごめん」と謝罪になっているのは、母親は自分の実態をばらされることを、認知症になっていなければ反対したことは間違いがないからだろう。誇りを持って生きてきた人だから、下の処理の失敗その他、ばらされたくないことばかりのはずだからだ。著者もきっと躊躇したのではないか。だが、同じく介護に困っている人、これから困るかもしれない人のために、著作をものにしたのは大きな意義があることだと思える。

「東大教授、若年性アルツハイマーになる」(若井克子)も一気に読んだ。認知症の内訳の半分はアルツハイマー。65歳未満で発病したのを若年性という。定年前に辞職し、結局75歳で亡くなった。もともと自分が若年性アルツハイマーになったことを明らかにしていたので、これを出すこともご本人が承知のうえということで奥様名で出されたのであろう(ご夫妻は共にクリスチャンである)。老人の認知症は普通にいるが、若年性の人はいないよねえと考えていて、ひとり思い当たった。弁護士の方である。自分がどこにいるか分からなくなり、奥さんの付き添いが要るようになったと同じ事務所の方が言っていたが、その後どうされたのだろう。

認知症を治すことはできないが、進行を遅らせる薬はかなり開発されていると思う。原因が分からないと根治薬は出来ないはずだが、今後この分野の医学も進んでいくことと思われる。長生きについて回る症状でもあるので、生活の質を減殺させないためにも、そうなるよう心より願う。

カテゴリー: 最近思うこと | 安倍元首相襲撃事件及び認知症について考えること はコメントを受け付けていません

『遺産分割に不満があります。遺言書通りに分割しなければならないのでしょうか』

自由民主党月刊女性誌『りぶる2022年9月号』

カテゴリー: 執筆 | 『遺産分割に不満があります。遺言書通りに分割しなければならないのでしょうか』 はコメントを受け付けていません

異様な暑さが続きます,7月は終わり

言っても仕方がないのだが,本当に暑い。「熱中症警戒」のテロップがずっと流れている。避暑地で有名な軽井沢も最近はあまり涼しくはないそうで,千葉県の勝浦市が涼しいと聞くようになった。実際30度を超えることも滅多になく,夜は窓を閉めないと寒いくらいだそうだ。一度行ってみたいと,勝浦に窯を構えて久しい陶芸家の知り合いに電話をしたら,明日から九州に帰り(老母が施設で一人暮らしをしているので毎年恒例だという),戻るのは1ヶ月後とのこと。避暑検証が目的なので是非暑いうちに行ってみたい。

この暑いのに,考えたら,私は滅多にタクシーを使わない。運動目的でせいぜい歩く,のはいいのだが,暑いときや雨のときや荷物の多いときにはタクシーを使えばよさそうなものだ…で思い出した。10年以上前の猛暑の夏,通勤の行き帰りはもちろん,裁判所に行くにもどこに行くにもタクシーを使ってほぼ歩かず,その額たるや月20万円にもなった。毎日1万円ほど使ったわけである。後にも先にもそんな額はないので覚えているのだが,なぜあのときはずっとタクシーで今は違うのか。その理由を思い出した。汗をかくとクリーニング代がかかるからである。すっかり忘れていたが,その頃私は猛暑でもスーツを着ていたのだ。他の季節と同様,マックスマーラかアルマーニ。高価なだけにクリーニング代も高い。それ以上に,クリーニング店に毎日持参し,取りに行くなど大変な手間である。比べればタクシーを使うほうがよほど合理的だったのである。

徐々に夏のスーツは,麻やサマーウールではなく,ポリエステルなど家で洗える類のものに代わっていった。素材の開発が進み,数年前からは冬のスーツですら家で洗えるものが主流となった。それに拍車を掛けたのがコロナである。オンラインでは良い物を着ている必要はなく,猛暑の夏はワンピースで十分である。昨年は今年ほど暑くはなかったので,薄手のスーツも着ていたが,今年は暑すぎるので日替わりワンピースである。もちろん家で洗えるものしか買わず,毎日洗う。すぐに乾いてアイロンも不要だから,便利このうえない。家事のうち料理と洗濯はとても好きである。

という次第で,クリーニング屋にはもう3年以上,行っていない。年に20万円位は浮いたかもしれない。美容院もカラーとトリートメントを止めてグレーヘアのカットだけになって1年半,これまた年に20万円位浮いたように思う(何より時間が浮いたのが有り難い)。ブランドの服も買わなくなり,どころか通販ばかりになって3年,アパレル代がまさに桁違いに安くなった。その分着物に使っていたはずが,これも嵌まって8年が経った今年,バタッと,熱が醒めてしまった。着付けのコツがマスター出来,一応すべての着物が揃い,TPOでの選び方・コーディネートの仕方も会得したのが原因と思われる。

着物は極端だったが,熱が醒めることはよくある。例えば,一時盛り上がった『鬼滅の刃』もすぐに醒め,映画も行かずじまいだった。そもそも映画自体,もう何年も行っていないし行きたいとも思わない(映画祭などの情報にはついていっているが)。一時嵌まってよく行っていたミュージカルもオペラもさっぱりである(コンサートはもちろん,歌舞伎や芝居は今でも行くが)。グルメ熱もない。珍しいものはほぼ食べてしまったし,有名なお店も,遠い所にある店は別として,たいてい行ったように思う。料理や店の記事があっても味の予想はついてしまい,食べたい行きたいとの熱が起こらない。健康のためにも,太らないためにも,自分で体にいいもの,美味しいものを作って食べるのが一番良いと思っている。

寒いのはどうにかなるけれど,暑いのはどうにもならない。あまり無理せず,体を大事にして,やり過ごしたい。

カテゴリー: 最近思うこと | 異様な暑さが続きます,7月は終わり はコメントを受け付けていません

秋葉原死刑執行,改めてウクライナロシア戦争に思うこと

秋葉原無差別殺傷被告人の死刑が執行されたという。14年前の事件だというが,衝撃的だったのでそれほど経ったように思えない。39歳,ということは25歳の時の事件であった。職場を解雇され,誰にも必要とされていないという絶望感・孤独感から,トラックで歩道に突っ込み,通行人を刃物で刺してやると,ネットに書き込みまでしていた。7人死亡,10人重軽傷。刑事責任能力には問題がなく,であれば死刑しかありえなかった。

安倍元首相襲撃事件が起こったとき,秋葉原襲撃事件を思ったが,犯人の孤独感絶望感には共通するものがあり,共にその怒りが攻撃的に他に向かったと思われた。前者の容疑者は母親を大変恨んでいたと述べているとか,それは当然であり,母親を殺害したのであればよくある身内間の殺人事件に留まったのである。やはり鑑定留置(4か月)にかけられたので(妄想に囚われていたわけでもなく,責任能力自体はおそらく問題がないはずである),統一教会ないし母親への恨みが安倍元首相に向かった理由については何らかの説明がなされるものと思われる。

ところで,ウクライナ戦争はすでに5か月になる。そして,終わりが見えない。先般某誌の専門家投稿に,戦争は人員武器資源など,つまりは国力の強い所が結局は勝つ,おまけにロシアは独裁国家だから戦争に負けることは指導者が自らの命を失うことを意味するからロシアは決して負けない,ただしウクライナにアメリカが加勢すればウクライナが勝つこともありうるとあった。これは武器投与だけではなく当事者として加勢するということであり,これをやれば第三次世界大戦も見えてくるし,バイデンは昨年来アメリカは荷担しない旨明言している。この戦争,図式としてみれば実は,ロシア対アメリカなのである。もともとロシアが危惧していたのは,アメリカが先導するNATO拡大であり,ウクライナのNATO加盟をやめさせ,すでに事実上ロシアが実効支配済みのクリミア併合及びウクライナ東部のロシア自治区を認めさせていれば,この戦争は起こらなかったと思われる。

そんなことは出来ない! それらはもともと自分たちの国である。力による国境変更は決して許されない。ウクライナはそう言うであろう。またそれは近代の民主主義国にとっては当然のことなので,欧米も,そしてその価値観に従う日本も右に倣えをしてきたのだが,しかし,理想や理念を追い求めていても戦争が続く限り,どんどん人は死に,被害は拡大する一方である。もういい加減停戦協議をするべきではないのか。いくらロシアが悪いと叫んだところで,それはもちろん理論上はそうだろうが,ロシアが手を引かない以上,戦争はずっと続くのである。

世界を見渡せば,欧米やそれに従う日本など,民主主義の国のほうがずっと少ない。反対に,ロシアや中国,インド,トルコ,イスラム諸国,アフリカ諸国など,独裁国家や専制国家などその他の国のほうがずっと多いのである。そして彼らはロシアを批判していない。ネオコンばりに,絶対にこちらのほうが正しいと主張しても,では,アメリカはイラクを制圧してどうなったか。部族国家でのまとめ役だったフセインを抹殺してばらばらになっただけであり,アメリカはイラクを放り出した。アフガニスタンもベトナムも結局そうだった。アメリカが民主主義という,絶対的な近代価値だと信じるものを植え付けるべく壮大な企図をして,成功したのは日本だけである。

そして日本は今やアメリカの言うとおりに動く。日米同盟が安全保障の要であり,それ以外の保障は皆無なのだから,アメリカの言うことを聞かなければならないのである…。そのためにロシアを一方的に非とし,一切の国交を断ってしまったのだが,本当にそうすべきだったのだろうか。せっかくこれまでに積み上げてきたものを切った例はこれまでなかったと思われる。第31代アメリカ大統領ハーバード・フーバーが出した回想録『裏切られた自由』(草思社,2017年刊)によれば,「ルーズベルトとトルーマンは(悪魔のような)スターリンとヒトラーに対処するに当たって大失敗をした」「ルーズベルトが犯した壮大な誤りは,1941年7月,つまりスターリンとの隠然たる同盟関係になった1ヶ月後,日本に対して全面的な経済制裁を行ったことである。これは弾こそ撃っていなかったが本質的には戦争であった」「ルーズベルトは,近衛文麿の和平提案を(駐日米国大使も駐日英国大使も受諾を促していたのに)拒否。近衛提案は,満州の返還を除き米国の要求を全て受け容れるもので,満州の帰属にすら外交交渉の余地を残していた…。」

「1943年1月,ルーズベルトが米軍とチャーチルの助言も聞かず無条件降伏を要求したため,日独伊が徹底抗戦して結局戦争を長引かせた」「1945年2月のヤルタ会談で,スターリンの横暴を追認したばかりか,助長する秘密協定を多数結び,日本が5月来何度か白旗を揚げても,同年4月に大統領になったトルーマンは拒否。7月に完成した原爆を日本に投下するよう命じた」…すなわち「日本は繰り返して平和を求めていたのにもかかわらず,原爆を投下したことは,米国の全ての歴史の中で,他に比較するもののない残虐な行為であった。米国の良心に永久に重くのしかかるであろう」。恥ずかしながら,この回想録を私は知らなかった。大部であるが読むつもりである。

日本人は是か非か,善か悪か,どちらか綺麗に決まるのが好きである。だが,人間同士でもそう簡単にはいかない事件があるように,まして幾多の歴史を背負った国同士であれば,そう簡単にいくはずもない。追い詰められた日本は最後,天皇制の維持のみを死守して無条件降伏に至ったが,ウクライナも停戦交渉をすべきではないのだろうか。そのために仲に入ってくれる国も人もいるはずである。最初は英雄に見えたゼレンスキー大統領が徐々に,ただ意固地で,自らの地位名誉に固執する人に見えるようになった。ウクライナの戦死者もすでに1万人は越え,国民にも厭世観が増してきているようである。価値や理想だけでは人は生きてはいけない。

カテゴリー: 最近思うこと | 秋葉原死刑執行,改めてウクライナロシア戦争に思うこと はコメントを受け付けていません