『主人から離婚を切り出されました。どうしたらよいでしょうか…』

自由民主党月刊女性誌『りぶる2022年8月号』

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天候不順の毎日…、安倍さん襲撃死に思うこと

前回から1ヶ月以上経過していた。最近、公私ともに何かとやることがあり、3連休真ん中の今日は朝から事務所に出ている。夜もよく入るし、週末も何やかやと入る。気温が日替わりで10度位も変動するので、着る物も夜具も温度調節も変わり、以前ならばてきめんに風邪を引いていたと思うが、コロナ対策の嗽・手洗い・マスクの効果故なのか、大丈夫である。この商売(というか何であれそうだろうが)健康でないと頭も働かない。時間をかけさえすれば何とかなるということは全くないので、健康維持がまずは欠かせない。

6月下旬以降いやに猛暑が続くし雨も降らない、梅雨明け?まさかね、例年7月20日頃だからいくらなんでも早すぎると思っていたら、だいぶ経ってその旨の気象庁発表があった。このままお盆過ぎ(近年は9月一杯くらい)まで猛暑が続くんだなあと覚悟していたら、この1週間ほど気温が下がり、雨模様である。雨不足は困るので、雨は有り難いけれど、梅雨の「しとしと」はもはや死語状態。時にバケツをひっくり返したような土砂降りになったりもする。地域によっては川が決壊したりして、大災害である。まさに災害列島──地球温暖化で、日本も亜熱帯気候になって、久しい。たぶん地球が悲鳴を挙げているのだろうなあと感じることがある。

7月8日昼間、奈良で安倍さん襲撃事件が起こる。銃で撃たれ心肺停止とのテロップが流れたとき、とても現実のものとは思えなかった。だがまもなく悲しいことには現実となり、すでに10日近くが経った。芝の増上寺で葬儀が行われ、世界中から弔意弔問があり、自民党本部では献花記帳の長い列が雨の中延々と続いたそうである。15日(金)午後5時まででは、私は行けなかったが、ご冥福を心より祈っている。享年67歳。早生まれの私と同学年である。お父上と同じ享年だったと後で知ったが、誰かによって突然に命を奪われるほど無念な死はない。

日本は、平和と安全が一番の売りである。銃が厳しく規制されているこの国で、よりにもよってその銃で(手製銃であった)、白昼の人通りの多い駅前で、選挙演説中に背後から易々と近づかれ、至近距離で20発も撃たれ、ほぼ即死の致命傷を負った。ありえない現実が惹起したことには、いくつかの偶然が重なっている。まずは安倍さんに強い殺意を持つ人間がいたこと(後述)。たまたま急遽、犯人の住む奈良に選挙遊説で来訪したこと(当初長野の予定だったが、長野の候補者に不倫の文春砲が出たために変更になったのだ)、普通は遊説者の背後には選挙カーがあったりするのだが、道路事情のせいで(?)何もなく、がら空きだったこと(前方の聴衆も数十人程度であったらしい)。そしてSP(警視庁から2人ついてくると思っていたが1人だったという)も奈良県警も不審人物をチェックするなど、警備を尽くしていた節がまるでないこと…である。世界一安全な国で、元首相を銃で襲撃するなどありえないとの「油断」がここには通奏低音のように流れている。

当初、森友事件などで安倍さんを恨んでいる人物の仕業かと思ったが、そうではなく、恨みは統一教会に対してあったそうである。父親が自殺したことで(?)母親が統一教会に嵌まり、1億円とも言われる多額の献金をし、母親は自己破産に至った。そして、自分は大学を中退する羽目になり、その他諸々、人生がメチャクチャになったと。その恨みが統一教会に向かうのであれば、たとえそれが20年近く前のことであったとしても一応「了解可能」ではある。

だが、なぜかターゲットはいつからか安倍さんになっていて、動機に飛躍があると思われるが、確固たる殺意ではある。爆弾を作り、手製銃を作り、試し打ちもしている。安倍さんを追って新幹線で岡山にも行ったが、そこでは警備が厳しく、手製銃を持って会場に入ることはできなかった。そこに安倍さんが急遽奈良に来ることをSNSで知る。時間をかけて入念に下見したが、変な形の手製銃を隠し持ったこの男は誰からも咎められることはなかった…。

了解不能な大事件の場合、必ずや公判廷では責任能力が問題となる。物事の是非善悪を弁識し(事理弁識能力)、それに従って自己の行動を統御できる能力(行動統御能力)のことである。うち一方でも完全に欠けていれば「責任無能力」であり、著しく欠けていれば「限定責任能力」として概ね半分の刑罰になる。その原因として「精神の障害」(精神保健福祉法5条が定義)が必要であるが、そこに列挙されている「精神病質」(ドイツ式)は今は「人格(パーソナリティ)障害」(アメリカ式)と言われるが、責任能力は大丈夫とされている。報道に接している限り、統合失調症などではなさそうで責任能力には問題がないのではと感じているが、とにかく公判廷で争われるのは必至なので(犯行自体を争えない以上、弁護人の争い方はそこに尽きると言ってよい)、検察は予め鑑定を済ませておく必要がある。そこで、起訴前に奈良地検は数ヶ月の鑑定留置にかけると思われる。任された精神科医は、犯人だけでなく関係者に事情を聞いて、鑑定の一環として、犯行の動機を解明していこうとするはずである。

私は、この人は自分の人生への不満を他に転嫁したのではないかと感じている。自衛隊を3年で辞めて以降(自殺未遂をしたとの報道もある)、定職には就かず派遣社員などをし、人間関係もうまくいかず(恋人はもちろん友人もいなかったと思われる)、今年5月からは無職で生活に困っていたことが確固たる殺意になったのではないだろうか。もし彼がきちんとした人生を歩んでいたならば、なぜわざわざ事件を起こして、自らを貶め、輝いた将来を捨て去ることがあろう。罪を犯す者は、まずもって自分ないし自分の人生に満足していない。それがただ自分の努力のなさ故だと自覚できれば怒りは自分に向かうだけだが、自分のせいではなく周りが悪いと思う限り、怒りは他に向かうことになる。

犯人はもともと頭が良く(でなければ爆弾も銃も作れまい)地元の進学高校に進んだ。大学は(父親の出た?京大ではなく)同志社大学?だったが、そこも親の破産で中退せざるをえなかった。本来の自分は真っ当な学歴・職を得て、社会で認められる存在になっていたはずである…。「(不運なことがなければ)当然あったはずの人生」と「実人生」との差が激しすぎて、とうてい許容できない。それは自分のせいではなく、社会のせいである。社会に復讐をするのだ…その手段として、エリート小学校に襲撃して多数の児童を殺すのも、秋葉原の歩行者にトラックで突っ込むのも、その他いろいろな手段がありうるが、復讐は目立つ方法でやらなければならない。安倍さんは目立つ政治家である。統一教会との関わりもあるだろうが、それが直接の動機付けではないのではないか。

社会から孤立をしている者が自暴自棄になって、恐ろしい事件を起こすことは、世界中どこであれ、起こりうることである。この事件は政治目的がないのでテロとは言わないが、自国生まれの(ホームグロウン)の孤独者(ローンウルフ)によるテロがアメリカで問題になるようになって、久しい。真似る人間は多いので、爆弾や銃作りに勤しむ者も出てくるのではないか。ターゲットとして有名な人間が狙われる可能性も増えるだろう。この事件の衝撃は多大である。

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『国民が刑事司法に「真相究明」を求めることへの一考察』

帝京法学 第35巻第2号(令和4年3月31日発行)

元検事の立場から、ふと疑問に思ったことをまとめたもの。

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『再婚相手が亡くなり、婚姻無効確認の調停を起こされています…』

自由民主党月刊女性誌『りぶる』2022年7月号

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梅雨に入りました…読書に嵌まっています

今日日曜は朝から事務所に出ている。雨予報で傘を持って出たが、晴れてきたようだ。このところ関係団体の行事・会合を主にして、外に出る用事が多いので、どうしても事務作業が溜まっている。週末に2時間でも3時間でも出てこなしておけば、その分仕事は片付き、月曜朝から能率が良い。趣味であればだらだらでも良いだろうが、仕事はてきぱきとこなすべきである。

つい先日、ランチをご一緒した知人から「何中毒ですか?」と聞かれて、咄嗟に出たのが「読書中毒」だった(まさか「アルコール中毒」を期待していたわけではあるまい(笑))。「それはいいですね」で話は終わったのだが(その人はゴルフ中毒で、読書は全くしていないと思う)、たしかにこのところ毎日、読書を欠かさない。以前は月にせいぜい何冊という程度だったのが、多くなった理由は自明である。通勤に本を持っていないとついスマホ検索を始めるので(電車内ほとんどの人がスマホを弄っている)、通信費が嵩むからである(通話は掛け放題契約にしているが)。本は図書館で借りて読み、よほど気に入ったり必要性を感じない限り購入はしない。本が増えすぎて、そうでなくても大変なのである。

本にもマイブームがある。一つは、『鎌倉殿の13人』に触発された鎌倉もの(大河番組自体は見るのを止めてしまったが)。ずっと以前から、北条政子は長男頼家(2代目将軍)を見殺しにし、次男実朝(3代目将軍、享年26歳)は頼家の遺児公暁に殺害されて自らの血筋は途絶え、以後は北条家が執権となって、夫頼朝が築いた鎌倉幕府が続いていくことにどういう感慨を持っていたのか、非常に関心があった。この度の読書三昧で結論したことは、頼家を嫌っていたということである。頼家は、乳母の出所である比企家(当時は乳母及びその一族が大きな権限を持っていた)及び長男一幡を産んだ比企の娘若狭局に牛耳られて、実母や北条を蔑ろにし、政治を顧みず蹴鞠と女色に溺れる体たらくであった。その点、10歳近く年下の次男実朝は政子の妹が乳母になり(その夫は頼朝の異母弟全成)、自分たちで育てたので、可愛かったのである。

実朝は素晴らしい歌人であったが、自らが所望した貴族出身の妻との間に子供が出来ず、兄とは違って妾も持たず、政子としてはすでにその子供は諦め、代わりに、天皇の子を将軍として貰い受けたいとの交渉を始めていた(それはうまくいかず、結局は頼朝の遠縁に当たる貴族の男児を貰い受けてくる)。あとは鎌倉幕府が恙なく継続すること。3世紀下った下克上の時代であれば、北条が将軍になる選択肢もあったかもしれないが、あの時代はまだ身分がものを言い、北条は執権に留まっていたのである。

頼朝の血筋が続かなかったことについては、頼朝が弟らをほぼ抹殺したことも大きいと、改めて思わされた。いざというとき、やはり一番頼りになるのは近い血族であろう。頼朝の同母弟希義は伊豆ではなく土佐に流されて非業の死を遂げた。異母弟義経の話は有名過ぎるので割愛するが、平家滅亡に当たって義経と共に陣頭指揮を執った別の異母弟範頼は40歳過ぎて、頼朝に謀反を疑われ、これまた誅殺されてしまう。そして、誰も居なくなった……頼朝の死亡時に残っていたのは上記全成(義経の同母兄)のみ(その10年後、彼は比企に殺害される)。頼朝は武人としてはさっぱりでも天才的な政治家であったと思うが、非常に猜疑心が強かったようだ。自分を生かしたばかりに平家は滅亡に追いやられたことを反面教師としたにしても、せめて兄弟うまくやっていけなかったものかと思えてならない。

『ベルリンは晴れているか』(深緑野分著)は、出色の小説である。第二次世界大戦後の連合国占領下のドイツベルリンが舞台。ヒロインは17歳のドイツ女性。何度か過去に戻りながら、ユダヤ人、ナチス、普通のドイツ人、外国人…と様々な登場人物が現れて、それぞれの生活・苦悩が浮き彫りになる。よくぞまあ、40歳にもならない日本の女性がなぜこれほどリアルにこの時代と人物が書けるのだ…!? 驚嘆すべき才能というほかはない。伏線に殺人事件があって、その動機は結局よく分からないままなのだが、ミステリーでもある。感激したのであちこちに勧めていて、村上春樹よりよほど面白いといった感想も届いている。

あと短歌の本もいくつか読んでいる。短歌をしばらく作っていないが、そろそろまた作りたいなと思う。

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