亀井静香の政界交差点「佐々木知子」

週刊現代2020年6月27日号所収

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『夫と離婚して、お金を返してほしいのですが・・・』

自由民主党月刊女性誌「りぶる7月号」

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『子供らに入れられた施設を出て、自宅で暮らしたい』

自由民主党月刊女性誌「りぶる6月号」

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ようやく緊急事態宣言解除である

2日前(25日)遅く、残る首都圏もようやく解除になった。ああ、長かった…。4月7日夜の緊急事態宣言で翌日突如としてデパートが閉店となり、多くの店が一斉に閉まった。どこに行くにもマスクが必須。すべての行事会合が中止となり、会食もない。生活のこれほどの激変を、的確に予想した人はどれほどいただろう。

この間1ヶ月半もあったのに、まとまった本で読めたのは、残念ながら2冊程度かもしれない(うち1冊の読後感想は少し前にアップした)。ピアノもこの際リストの難曲に挑戦するぞと意気込んでいたが、どれも中途半端に終わり、仕上がったといえるようなものは一つもない(情けない)。いわんや、片付けなどはもう、全然。時間があっても人間、あまりやらないものである。ぼうっとしていた分、体は休めて、よく眠れた。健康で家におれるのは、それだけで十分に幸せなことなのだ。休日の午後、窓から心地良い風など入ってくると、なんともいえない気持ちになった。思い出に残る、5月。人との関わりがなくても、十分に人生は楽しめるではないか。

私はおおむね暦通り事務所に出勤していたが、通勤電車が座れるのでとても楽だった。宣言解除で一気にまた混み出すのではないかと恐れていたが、拍子抜けするほど、混んではいない。未だに自宅勤務の人が多いのだろうし、テレワークスタイルがある程度確立した故だろう。となると今後もきっと以前のようには混まないのではないか。満員電車で長時間、通勤だけで疲弊する人が、ことに首都圏では多かったことを考えると、働き方を変える良い契機になったのではないか。それでももちろん、テレワークでは駄目な職種もあるし、でなくても、たまには出勤して人と触れ合わなければ寂しいし、組織も活性化しないだろう。要はそのバランスの取り方、効率的なテレワーク法をどう進化させていくか。それこそが個々の企業の戦略であり、今後、生き残りをかけて、激しい競争になっていくように思われる。

ただ、サラリーマンとは違い、大学生が最初からキャンパスライフを味わえないのは不幸なことである。常より開始を遅らせ、結局5月の連休明けからとなったが、遠隔授業は教員にとっても初めてのことである。大学によってやり方は異なるが、帝京大学では音声録音とPDFファイルのアップロードを行う(いわゆるテレビ授業ではない)。1時間、反応もないのに喋るのは、結構難しい。3回分の録音は済ませたが、すぐに次がくる。週2コマしか持ってなくてこんなに大変なのでは、6コマ持っている正教員の方々はどうされているのだろうか? 6月8日から対面授業が始まるが、受講者100人以上だと、ソーシャルディスタンスをきちんと取るためには、300人収容の教室が必要となり、物理的に自ずと限られてくる。というわけで、とりあえずはゼミなど少人数授業からの対応となり、どうやら少なくとも前期はずっと遠隔授業が続く感じである。学生の顔を一度も見ないまま試験になるのかあ…とにかく誰にとっても初めての経験である。

昨年来利用している区立図書館は、緊急事態宣言前の3月27日来突如閉館となって以来、実に2ヶ月。一部業務を再開したとネットで知ったので今朝行ったら、受付のみ開いていて、本を返却し、予約していた本を受け取った。当面予約しか扱わないとのこと、早速また予約を入れた。一度しか読まない本が多いので、図書館は本当に有り難い。すっかり生活の一部になっていたので、これで少し普段の生活が戻ってきた感じがする。あとデパートが再開されれば(高島屋と大丸は再開したが、三越伊勢丹は30日からと遅い)、会合や行事がないままでも、生活にさほど困りはしないだろう。これまでごく当たり前に受け取っていたことがいかに有り難いことだったか、それが身に染みて分かったことが、私を含め多くの人の収穫だったのではないか。

デパートが急に閉まったので化粧品を買えなくて困っている女性がいるのでは?と人に言ったら、今は外に出ないし、出てもマスクをしているから化粧品が要らない、と言われた。化粧品しかり、衣料品しかり、コロナ禍で売れなくなったものは多いだろう。ご馳走にも縁遠くなって全体に生活が質素になり、贅沢品や美術品、高級雑貨などはこれからもあまり売れないのではないか。全体に、飲食業、観光業、運輸業、エンターテインメント業、百貨店業界など、多くの業界が大幅な赤字となっている。倒産も増えるし、破産の憂き目にあう人も出るだろう。それでもきっと再生するものはするし、えっというような斬新な商売方法もきっと編み出されるだろう。何であれ、嘆いていても始まらない。努力でどうにか出来ることなら、努力をすればよいし、しなければならない。反対に、自分ではどうにもできないものならば、甘んじて受け入れ、その環境を楽しむくらいの気持ちをもたないと、きっといけないのだろうと思う。

今日は本当に久しぶりに、仕事の会食があった。法務委員会の質疑が…、ああ、それ気分が悪くなるので私は聞いていない…。でも答えられるものには答え、説明もした。皆さん、興味津々だ。それはそうだろう、キャラが立った登場人物に、紆余曲折の後、漫画のようなオチで急に幕引きなのだ。特異なキャラを直接知っているというのは、珍しいことではあるだろう。検察がこんな形で関心をもたれて良いことは全くないのだが。まだ渦中にあるので、そのうちに整理して、また書きたいと思っている。

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なんということだ、この処分の軽さと検察人事は…!

20日、文春電子版に、「黒川検事長は賭け麻雀常習犯(現場スクープ撮)」が踊った。5月1日、産経記者の自宅で3密6時間半。これでアウト、は自明である。18日の検察庁法改正案見送りも実はこれが直接のきっかけだったのではないか?

彼の公式趣味?は「犬の散歩」。だが実は、ギャンブルである。韓国のカジノによく通っていたし(知り合いのマスコミは、あの人、大丈夫ですかね?と言っていた)、麻雀ももちろん大好きである。最近どこも麻雀をしなくなったが、かつて検察庁では皆がしょっちゅうやっていた(私はしない)。同僚先輩らが賭け麻雀をしていたことも知っている。ただし身内でやる分には、ばれない。ネタで釣る(もちろん、そんなことはしてはいけないのである)マスコミ相手に賭け麻雀では、相手があえて負けてやることになるし、飲食も相手がもつし、そのうえハイヤーまでもたせているのではたちが悪すぎる(国家公務員倫理規程違反である)。この人、自分のお金を払わないことは徹底している。悪いことをしている気などさらさらなかったであろうことは想像に難くないのである。

緊急事態宣言が出てからも4月に2回、5月1日と13日に集まっていた(13日といえば、担当の武田大臣が答弁に四苦八苦していた頃である!)。その数年前から月2、3回の頻度で続いていたのを、最近は黒川氏のほうから強引に誘っていたらしい。緊急事態宣言中に、そんなことをするのは誰だって、気が引けるし嫌である。だがこれまで世話になったので(ネタをもらっていたので)無下に断れなかったらしい。そう愚痴っている?のが知れ、新聞社の別の派閥の者が文春に垂れ込んだらしいのである。「緊張感を欠き」(黒川氏コメント)には笑える。それはたまさか一度やってしまった者が言う台詞である。常習だし、別に悪いとも思わないから、何がどうあっても構わずやっていただけである。ばれるとも思わず、自分がマークされているとも想像しないのは、脳天気すぎ、とうてい上に立つ者の器でないのは明らかだ。しかも、まるでお笑いのようだが、それが検察トップの実像なのである。

そう、改めて、なんでこの程度の者を東京高検検事長にまで昇進させ、あろうことか法律違反まで犯して定年延長させたうえ、7月に勇退するであろう稲田総長の後任に据えようとしたのか。内閣サイドとしては、政権に有利に動いてくれる黒川氏を何が何でも昇進させ、検事総長にしたかったのだと分かる。そして昨年11月には、稲田氏に早めに退いてもらい黒川氏を総長にとねじ込んだが、拒否された。であれば、今年2月の定年で黒川氏はいったん退くが、7月の勇退時に黒川氏を内閣が総長に任命するのではどうかと言ったが、それも拒否された(在野からの総長任命が前例になると困る)。ならば、いい案を考えろと言われて、出してきたのが国家公務員法定年延長規定の適用のようなのである。条文を読んだだけで検察官に適用するのは無理だと分かるはずだが、さらに、それが検察官には適用されないとの国会質疑がなされていることも調べていなかった。それ故のお粗末すぎる、どたばた委員会は、まだ記憶に新しいところである。

今回の検察庁法改正案にしてもそうだが、結局のところ、法務検察としても、決して積極的な同意ではないにしろ、大見得切って異論を唱えていたわけではないのである。そう、なすがまま…きわめて情けない話である。稲田氏、7月に辞めずに居続けて、黒川氏の総長就任を拒んでよと願っていたが、どうやら、稲田氏が遅くとも7月には勇退して官邸が黒川氏を総長に任命するのは既定事実だったようである。万が一勇退せずに居座っても、官邸はその意中の林氏を任命せず、在野に下った黒川氏を任命すればいいだけの話なのである(世論が怖くさえなければ、もともと任命権は内閣にあるのだ)。文春砲がなければ、こんな善悪の区別もつかず、規範意識のない人間を検察トップに据えるところだったのである。あな恐ろしや。まったくもって、文春様々ではないか。

そう、内閣はもとより検察にも自浄能力が、明らかに欠けている。賭博は犯罪だし、国家公務員倫理規程上も国家公務員法上も呆れきわまる行為である。しかし、今回の騒動に一躍寄与した辻事務次官による、通りいっぺんの調査で済ませ、送り迎えのハイヤーは大したことないって? まさか、それ一般常識から遊離しすぎでしょ。でもって訓告(戒告までが懲戒処分なので懲戒処分ですらない)で、さっさと辞職を受理したのである。高額の退職金はそのまま支払われることになるから、黒川氏はにたついていることだろう。1回数千円程度の掛け金では一般的に立件しないというが、1回数千円?2万円と供述しているらしいし(供述はたいてい少なめにするものである)、そのうえ検察トップの犯罪なのである。一般人と同じ基準を、甘めに適用して、誰が納得する? 例えば万引きは普通は起訴猶予だが、はい、だからいいでしょ、というわけにいかないのが分からないだろうか。捜査機関が自ら及び身内に厳しくせずにおいて、どうやって人に訓示を垂れ、言うことを聞かせるというのだ?!

今までも検察不祥事はいくつもあったが、今回はトップの不祥事(犯罪)、しかも前例のない定年延長に定年延長特例法案審議中と、検察の長い歴史の中でそれこそ前例のない、その浮沈の大きくかかる特殊な事態の中、その渦中の人間による無自覚な不祥事なのである。であるのに、組織として空気が全く読めていないのにはもう言葉もないほどだ。黒川氏の後任は林名古屋高検検事長との報道がすぐに流れた。かつて官邸に蹴られた人事に戻したのであり、そのまま(まるで何事もなかったかのように)7月に勇退して林総長を誕生させる腹である。これでは、林対黒川、35期ライバル対決の話が戻ってくるだけである。

検察は内閣に屈したまま黒川総長誕生だったのが、文春のお陰で、元通り林氏になって良かったね…そんな矮小な話。しかし、検察は大激震に襲われて新生させないといけないのである。35期は飛ばして、この際一気に36期の総長誕生で良かったのだ。と検察を憂える我々はメールを交わしていたのだが。これであっさり終わりか?! まさか。きっちり事実の推移を検証し、黒川氏の退職金は払われないようにしなければ、国民はとうてい納得しない。検察への信頼などもうすでにないように思えるが、もしあったとして、再生させるには10年はかかるはずだ。本当に、この激動の4ヶ月、皆のエネルギーを徒に奪った4ヶ月は何だったのだろうか。深い虚脱感に襲われる。

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