『大家から定期借家への切り替えを求められています』

自由民主党月刊女性誌「りぶる1月号」

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九州場所に行ってきました

先月、初めて九州場所に行ってきた。千秋楽前日。1敗の白鵬を2差で追う正代が敗れ、小結朝乃山も敗れれば、その時点で白鵬の優勝が決まりつまらなくなったのだが、緊張しただろうに、朝乃山は危なげなく勝ち切った。盛大な拍手が送られる。私も昨年から注目している、将来横綱になる力士である。体格に恵まれ、その佇まいには風格が漂う。本格的な四つ相撲力士だ。富山出身、近畿大卒、25歳(来年3月、26歳になる)。

四股名朝乃山英樹の、朝乃山はもちろんだが、「英樹」も彼の名前ではない(本名は石橋広暉、大変洒落ている)。指導を受けた、富山商業高校の相撲部監督の名前なのである。癌のため40歳の若さで早世した監督は、期待する教え子に、「一握りの人間しか横綱にはなれないが、君はなれる。富山の英雄になれ」と震える字で、認めた。朝乃山はその紙を大事に持っている。5月場所優勝(トランプ杯を受けた)、7月場所8敗、9月場所10勝(敢闘賞)、そしてこの度11月場所は小結に昇進して11勝を挙げた(準優勝。敢闘賞及び技能賞を受賞)。大関昇進は、三役で3場所計33勝が目安とされ、三役になったばかりの朝乃山は対象外という人もいるが、来年初場所で優勝ないしそれに近い成績を上げれば、3月場所では是非大関に昇進させてやってほしい。責任感に溢れ、相撲道に邁進する彼であれば、稽古に精進し、協会の看板である大関の役割を立派に全うしてくれると思うからだ。

大相撲は満員御礼が続いているが(客が入らないと言われていた九州場所でもそうである)、このまま大丈夫かなとの懸念が拭えない。世代交替と言われながらも、実態はまったく違う。横綱は依然、白鵬と鶴竜のみ。どちらもすでに30代半ばだ。鶴竜は怪我で休場が多いし、白鵬は出場すれば、卑怯な立ち合いに張り手・かち上げ(エルボー)と、とうてい横綱相撲ではない、どころか、相撲ではない異種の格闘技を繰り広げている。協会は反則ではないからと禁止にしないが、では、もしすべての力士が白鵬のような相撲を取るようになれば、客は来るだろうか。もちろんノーである。協会としては、白鵬に引退勧告を突きつけたくても、突きつけられないのだ。次がいないから、腫れ物に触るようにこわごわと遠くから見ているだけ。情けないといったら。

大関はどうか。一時4人いたが、初場所、栃ノ心は平幕に陥落するし、高安も関脇である(10勝すれば大関に復帰できるが、難しい)。豪栄道はカド番で、負け越せばこれまた3月場所、関脇に転落する。豪栄道はそもそも白鵬らと同年配で、長い関脇時代を経てようやく大関になったはよいけれど、カド番の常習であり、勝っても8勝・9勝が普通である。一度だけ優勝したが続かず、横綱昇進の目は限りなくゼロだ。つまり、この後大関にいるだろうと当てに出来るのは貴景勝ただ1人なのだ。その貴景勝、体格的に四つ相撲が取れない。突き押し相撲だけで横綱になれた力士はこれまでいないところを見ると、やはりハードルは限りなく高いと思われる。三役在位の長い御嶽海は、2度優勝をしたものの、ふた桁勝利はその2回だけ。稽古嫌いで知られ、むらが大きく、来年は久々平幕に転落する。彼と遠藤は、アマ横綱のほか学生横綱にもなり、大卒後幕下付け出し格で入門、スピード出世を果たしたが、上に上がるには何かが足りない。今のところ、将来を確実に期待できるのは朝乃山しかいないのだ(他に北勝富士や大栄翔といったところか?阿炎もいた)。

大相撲は、他の格闘技と異なり、完全な無差別級である。168?(私の同じだ!)、100キロもない炎鵬が大きな力士相手に互角の相撲を取って勝つのを見るのは、とても楽しい。すべての力士の中で、一番応援が大きいのが、炎鵬なのは衆目の認めるところである。おまけに彼は、歌舞伎の女形になってもよいほど端正な顔立ちであり、表情も喋り方もクールなのが格好いい。人気が出るのは当然である。どうか大きな怪我をすることなく、このまま相撲を取り続けてほしいと願うものである。

大相撲観戦歴が15年になり、その成果があって、今回も一緒に見た人たちに、解説が懇切丁寧ですごすぎると感心された。昨年は名古屋場所に行ったし、あと残すは大阪場所(3月)のみである。これもなんとかしてクリアしたいと思っている。坂東玉三郎が白雪姫を歌舞伎に翻案したという。今月公演。これも是非見たいと思う。

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新潟の女子殺害事件に思うこと

あの事件はどうなったのだろうか、と時々思うことがある。10年前に裁判員裁判が導入されてからというもの、起訴後第1回公判までの間に、争点と証拠を整理するための公判前整理手続が行われ、その間「事件」が我々の前から消えるのである。その期間はだんだん長くなっているとも言われ、1年はもちろん、2年かかることも珍しくない。

新潟で、小2の可愛い女児が、線路上で轢断されて発見された衝撃的な事件。昨年5月のことだ。近くに住む25歳の男が猥褻目的で女児に車をぶつけて自車に引き入れ、猥褻行為をしたうえ首を絞めて殺害した。そして轢死を装い、線路上に死体を置いた。事件後1年半経った今月に公判が開かれた。男は殺意はなかった等の弁解をしていたが、検察は死刑を求刑。裁判員裁判であるし、おそらくは死刑判決が下るであろう(裁判員は被害者・遺族側である。とはいえ、千葉のPTA会長がベトナム人女児を殺害した非道極まりない事件は、完全否認で、死刑求刑に対し無期懲役だった!)。その後、控訴審である東京高裁が無期懲役に落とさないよう、願っている。

殺人事件で被害者1人の場合、死刑判決はそう多くはない(被害者1人でも必ず死刑になるのは身代金目的誘拐殺人や保険金殺人である)。それ故、動機に情状酌量の余地がまったくないことや轢死に見せかけたことなど犯情は悪質極まりないものの、求刑は無期懲役になるのではないかといささか危惧をしていた。それで思い出したのだが、奈良の新聞販売店勤務の男による小1女児誘拐・殺害事件は、被害者1人だったが、やはり死刑だった。事件は2004年11月、当時は裁判員裁判ではなく、死刑判決は2006年9月。被告人は控訴を取り下げて死刑が確定し、すでに執行済みである。男は36歳で強制猥褻の前科があった。

無防備な子供を狙うこの種の事件は、一般予防の見地からいっても、最高刑をもって臨むべきだと常々思っている。とはいえ、刑罰を重くさえすれば防げるわけでもなく、この種の被害者が出ないことが一番なので、精神病理的な対応がもっと図られて然るべきだと思っている。窃盗を繰り返す者(いわゆる手癖が悪い人)の病理として「クレプトマニア」が昨今注目を浴びるようになっている。刑事司法に携わる者には精神医学も必須である。

ところで、これらの事件は違うのだが、昨今SNSが、加害者と被害者を結びつける手段としてずいぶんと幅を効かせている。これまでは接点がなかった人間同士が、一瞬にして知り合う。2年前に起こった衝撃的な座間の大量殺人事件もそうだったし、この度大阪の小6少女が栃木の35歳男に連れられてその家に匿われていた事件にも唖然とさせられた。親や学校の先生その他身近な人が信用できない、嫌いといって、では見も知らない人たちが信用できるのか? まさか。もしその家で殺されてもそのまま発覚しなかったであろうことを思えば、危ない目にも遭わず自ら逃げ出して助かってよかったねということなのだろうが、親たるもの大人たるもの、子供らに、見知らぬ人についていけばどんな危険が生じうるか(見知った人でも危なかったりするが)、ずっと小さなうちから教えないといけないと感じる次第である。

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『認知症になった母の遺言書を作りたいのですが・・・』

自由民主党月刊女性誌「りぶる12月号」

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皇室に思うこと

代替わりの一連の行事が、無事に終わった。皇后不在が心配されたが、えっと驚くほど元気なご様子だ。長く上皇夫妻に慣れ親しんできたので、みなが新天皇にどういう反応を示すのかいささか案じていたが、杞憂だった。とにかく何であれ、順応性に優れているというか、新しもの好きな国民である(熱しやすく冷めやすい?)と改めて認識させられた。

反面、上皇夫妻には実のところ、大変落胆させられている。自ら退位を願い出ること自体が象徴天皇として許されることではなかったことはこの際おくとして、まずは民意を味方につけて、前例のない生前退位を認めさせた以上、当然ながら、綺麗に身を引くべきであった。今年の5月1日付けの代替わりは昨年以来の規定路線だったから、皇居の引っ越しもそれに併せて当然しておくべきことであった。であるのに、未だに遅々として進まず、結局、来年3月になるという(その期限がまたもや延びるなんてことは、ないのだろうか‥?) 皇居に住むべき天皇がそこに通うといった事態は異様である。誰もそんなまともなことを進言する人もいないのだろうか(言っても聞く耳をもたないような気もする‥)。一般社会では、住居からの退去が遅れることは許されないし、膨大な損害金も発生する。自分たちがどれほど非常識なことをしているのか、少し考えれば分かることである。

遅れの理由は、120トンもある(?)荷物のより分けを人に任せられず自分でしないといけないのに、それが進まないからだという。まずは喫緊の課題である引っ越しを済ませたうえでの控えめなお出かけであれば一向に構わないが、それを放って、あちこちに積極的にお出ましして、相変わらずにこやかに手を振っておられる。これって違うのではないの‥? そもそも前例のない生前退位の理由は、「体力が落ちて、象徴しての務めを果たせない」ことだったと記憶する。古来、引退して家督を譲れば、まさに隠居生活を送るのだ。ついでに言うならば、災害が起こる度にあちこちに出かけ、海外に慰霊の旅に出かけるといったことは、憲法のどこにも規定されておらず、平成天皇夫妻が築き上げた独自のスタイルであった。次代以降はそのやり方を踏襲する必要はないのである。

ネットには今や、上皇夫妻(というより上皇后)の悪口が満ち溢れている。無私無欲の姿だと信じ、畏敬の念を抱いていたのに、今ようやく真の姿が見えてきて、裏切られたような思いがある。振り返って、眞子さんの結婚を裁可したのも平成天皇である。本来きちんと対処すべき父親が役割を果たせないのであれば、祖父母がその代わりに機能しなければならなかった。婚約は延期されたまま、小室母子の無駄なセキュリティ費用も嵩む一方で、国民の皇室への尊敬の念は今や風前の灯火のように感じる。嬉々としてお出かけしてお手振りをされるのは、やるべきことをきちんとしてからになさってほしいと切に願う。

次の天皇は悠仁親王か愛子内親王か。女性天皇を認めるべきか否か(法律である皇室典範には「男系の男子」とあるが、それらを改正すれば法的には問題がないのである)。そうした論調ないし書き込みが多いが、女性天皇を認めるということは、愛子さんが天皇になることを認めるだけではなく、その子孫が続かなければ傍系に戻って、眞子天皇、佳子天皇、その子孫は男女を問わず天皇になることを認めるということである。小室問題がなければそれでもよかったのかもしれないが、今や国民感情として許されないのではないか。女性天皇を認めないとすれば悠仁さん1人ではまさに風前の灯火であり、戦後に皇室を離脱させられた方々に戻ってもらうことも真剣に考えなければならないであろう。それも早急に。2000年以上続く世界一の旧家はやはり日本国のために存続してもらわねばならない、と思うこと自体は変わらない。

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