〜戦後処理問題〜

 1.ドイツはなぜ上手くやれたのか
 日本の戦後は未だに出口なしがごとくですが、一方ドイツは上手に処理してきた感があります。ドイツは戦後、ナチス犯罪には時効をなくし、地球の裏側まで追いつめました。歴代首脳が巧みに謝罪し、戦争責任を立派に果たしたと世界で評価されてきました。一方、日本は……というわけです。

 あまり知られていないことですが、これには巧妙なトリックがあります。戦争犯罪を「ナチスの犯罪」としてドイツから切り離したのです(以下、『<戦争責任とは何か>』木佐芳男著(中公新書)、『歴史を裁く愚かさ』西尾幹二著(PHP文庫)によるところが大きい)。

 ヴァイツゼッカー・ドイツ大統領は降伏40周年に際しての記念講演で、しきりに「ドイツはナチスから解放された」という言葉を使いました。おかしな理屈です。ナチスはドイツ国民の大半に支持されたからこそ存在したのですし、2000万人にも上るナチ協力者は罰せられることなく復帰しているのです。彼は来日講演でも「ナチスの12年間はドイツ史の例外である、あれはナチ党という暴力集団に短期間、ドイツの歴史が占領された」と言い切りました(1995)。日本人から見れば鉄面皮ですが、これがあるいは世界の常識なのかもしれません。自国を悪く言うことのほうが世界の非常識であるのは間違いのないことですから。

 ナチスが犯したことは単なる侵略戦争を越え、人類史上初の非道なホロコーストでした。ドイツ人などアーリヤ人は優秀な民族、対するユダヤ人・スラブ人は劣等民族であるが故に抹殺というような暴挙は、自国の歴史として正視するには耐えがたい罪業でした。だからこそドイツはナチを切り離さねばならなかったのです。

 もちろんナチ党の多くはドイツ人、ホロコーストの関与者もドイツ人。つまりこの切り離しは、良いドイツ人と悪いドイツ人との分離ともいえます。幸いなことに(というべきか)ヒトラーはドイツの貴族階級でもなければドイツ人でさえありませんでした(オーストリア出身、24歳の時ドイツに移る)。戦前・戦中の最高責任者であった天皇が戦後もその地位に留まっている日本との大きな相違がここにあります。

 2.戦後賠償問題
 (1) サンフランシスコ平和条約
 49ヶ国調印(1951.9)。
 吉田茂首相は同時に日米安保条約を締結、両条約は同年11月国会で承認され、1952.4発効(「日本国との平和条約」)、日本は6年余にわたる占領時代に終止符を打ちました。
インドなど日本との友好を考慮し、賠償請求権を放棄した国も多いのです。

 (2) 近隣諸国について
 @ 韓国
 敗戦時日本の一部であったが故に平和条約の締結国ではなく、別途の交渉に委ねられました。
 1965年、佐藤栄作内閣において日韓基本条約を締結すると共に締結した「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する協定」では韓国側が請求権を放棄するかわりに日本側が経済協力をするという内容です。このとき過去は「完全かつ最終的に解決された」ことが確認されました。

 なお、敗戦時日本人が同国内に有していた財産はすべて没収されましたが、その賠償は不問に付されています。

  A 北朝鮮
 立場は韓国と同様ですが、未だ国交回復ならず、故に未解決のままです。金正日主席が日本に多額の賠償を請求すべく2002年小泉首相との間に平壌宣言を締結、その際拉致まで認めたものの、死亡者8人の報に国内世論が猛反発、以後交渉の目処は立っていません。

  B 中国
 敗戦時中国を支配していた蒋介石率いる国民党はその後、毛沢東率いる共産党に敗れて台湾に逃れました。1972年、田中角栄首相は共産党政府(中国)との間に日中国交を回復させましたが、その条件として台湾との国交は断絶やむなきに至りました(もともと共産党政府との間に国交はなかったのですから、「回復」ではなく「樹立」と言う人もいます)。

 その際締結した「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」において、日本は中華人民共和国に謝罪、対して同政府は中日両国国民の友好のために日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言、また互いの内政不干渉が明言されています。

 以後、日本は中国に対し、総額3兆円に上るODAを供与してきました。中国はこれを放棄した賠償金のつもりで受け取っているのだとはよく言われることですが、人民には一切知らせないままです(2002.3.8予算委員会で質問)。

 3.靖国神社参拝問題
 時の首相が8月15日に参拝したのは昭和60年、中曽根首相が最後です。
 以後、韓国や中国の非難に遠慮する形で自粛されていましたが、小泉首相が2001年に参拝を再開(ただし、公約に反して8月13日、翌年は4月)、またぞろ強い非難が起こりました。ことに江沢民主席ら中国側の日本首脳に対する干渉が無礼極まりないと、日本国内でも反中感情が高まりました。

 中国・韓国の反対理由は、A級戦犯(侵略戦争の遂行者)が合祀されていることにあるようです(でなくてもとにかく反対するのだと見る向きもありますが)。この反対は以下の点からして不合理です。
  
 @ 東京裁判は国際法違反(U(1))。
 ではあるが上記「日本国との平和条約」第11条においてその結果を受諾した以上、主張はできないと言う人もいます。ですが、当時の日本が違法を堂々と主張し、否定した上で講和を結び、主権を回復するなどできたはずはないのです。

 A 死者はすべて英霊が日本の宗教観
 前王朝は全否定、墓まで暴いて骨にむち打つといった中国の伝統とは根本的に違うのです。

  B 日本にとっては単に愛国者
 たとえ対戦国にすれば侵略戦争を犯した憎むべき相手だったとしても、日本にとっては単なる愛国者にすぎません。その参拝を他国が批判することは内政干渉以外の何ものでもないことを日本はきっちり主張すべきですし、またマスコミもこの立場に立つべきです。

 そもそも日本の対戦国はどこか、アメリカです。そのアメリカが靖国神社参拝を非難したことはありますか。もちろんありません。どころか靖国神社と同じ立場にあるアーリントン墓地には各国首脳の誰もが参拝しているのです(『「親日派」のための弁明』金完燮(ワンソプ)草思社 は様々な面において示唆に富む。著者は韓国の若手評論家)。

 4.従軍慰安婦問題
 従軍慰安婦の存在は戦争にはつきものです。もちろんドイツにもあったし、どの国でもありました。
 ですがなぜ日本の従軍慰安婦問題だけがこれだけ国際的に脚光を浴び、日本のイメージを下げるに至ったのか。これについては日本だけの特殊事情があります。

 1970年代からフェミニスト団体などが中心になって問題意識を持ち始めたのですが、89年末、日本政府に対して訴訟を起こすための原告探しを始めるに至りました。そして91年、支援を受けた韓国の元違反婦らが次々と東京地裁に訴訟を提起したのです。

 これが国際的な大問題となったのは92年1月11日付け朝刊一面の「スクープ」がきっかけでした。「慰安所 軍関与示す資料」。その6日後に行われたソウルでの日韓首脳会談で、宮澤喜一首相は十分な事実関係の確認もないまま、謝罪と反省を表明しました。ただし日韓の過去は日韓条約(1965)で終結を見ているため、新たな補償は難しいとされ、事後民間に委ねられることになり、問題をさらにこじれさせました。

 政府が本格的な事実調査に乗り出したのはその半年後、結果強制連行を示す証拠は見つからなかったにかかわらず、河野洋平官房長官は認める談話を発表し(93.8)、それが国連報告書の大きな根拠となったとされています。

ちなみにドイツでは強制売春(従軍違反婦は旧日本軍が作った言葉)がナチスによって大々的に行われたことが明らかになっており、国の関与を示す証拠も見つかっていますが、国際的にはもちろん国内でもとくに問題とはされていないのです。侵略地の女性を強姦してもその告発は取り上げない旨の通達すら出ていたというのに、です。

5.マスコミ報道の問題点
 上記の従軍違反婦問題が典型例ですが、その他靖国神社参拝問題にしても歴史教科書問題にしても、まず日本のマスコミが騒ぎ、近隣諸国に「御注進」に及ぶことでその地の反日感情を焚きつけるという過程が一般になっていますが、国際的に見て異常なことです。国内ではどれほど批判しても他国に対しては一丸となって戦う、それが国益であり、国民として当然の立場だからです。

 そうしたマスコミにしても識者にしてもおそらくは、自分は優れた国際人であって日本という狭い国益に拘泥していないと勝手に思っているのかもしれませんが、それこそ国際的に見れば笑止千万です。瀋陽総領事館事件のときも民主党は調査団を派遣し、これは中国側の言分が正しいとまるで裁判官であるかのような言い方でしたが、国益の何たるかを分かっていないこと甚だしいものがあります。
 
 従軍違反婦問題について、当時の盧泰愚大統領はこう語っています。「実際は日本の言論機関の方がこの問題を提起し、我が国の国民の反日感情を焚きつけ、国民を憤激させてしまいました。そうなると韓国の言論も日本は反省していないと叫び、日本に対して強い態度に出ない政府の対応はひどいとさらに感情論で煽ってきます。こうした両国の言論の在り方は、問題をさらに複雑にはしても、決して良い方向には導かないと私は考えているのです。とにかく、もっと両国の言論に携わる識者の人々が冷静になり、反省し、悟らねばならないと私は強く思います」(『文藝春秋』1993.3号)

 6.中韓の「反日」スタンス
 日本の場合、戦後処理が終わっていないと言われるときその発信者はほぼ中韓だという事実を冷静に捉える必要があります。

 朝鮮半島と同様日本の植民地だった台湾は親日です。今は世代も代わり親日は減ったとはいうものの、未だに世界一の親日国は台湾をおいてほかにないでしょう。京都大学で学んだ李登輝前総統を筆頭に、台湾は公に、日本が敷いた教育制度や各種インフラのお陰で発展できたと認めています。実際、韓国の人たちとかなり親しくつき合った感触では、内心では韓国の人たちもこれを認めているのだと思います(上記金完燮も同旨)。ですが、決して公にはしない。

 朝鮮半島には歴史上日本の兄貴分だったという矜持もあるし、また日韓併合以後日本人以上に日本人になりきって民族のアイデンティティを失いかけた反動だろうとの指摘もあります(『「親日派」のための弁明』後記 荒木和博解説)。であるにしても、明瞭な日本領である竹島を勝手に占拠して「独島」と名づけたり、最近では李氏朝鮮時代から世界地図に認知された「日本海」を植民地時代の名残りとして「東海」と改称すべきと主張するなど(日本から見れば「西海」である!)、その言動は目に余るものがあります。

 実は韓国では、反日は反共に代わるイデオロギーとして利用されているのです。反日を政治的に利用しているのは中国も同じです。

 共産主義は一党独裁であり、革命と粛清をその本質としています。毛沢東の後を継いだケ小平が平和に徹しようとしたところ、国民のすべての不満が党に一極集中し、学生が蜂起、それを軍が武力で鎮圧するという衝撃的な天安門事件が惹起されました(1989)。

 継いだ江沢民はもともと個人的な体験があって反日だったと言われていますが、徹底的な「反日」教育を施し、国民の不満が日本に向くようにしたのです。言論は反日に関してのみ自由、各種ホームページには日本を罵倒する書込みが満載です(「我が中国よ、反日行動を慎め」馬立誠 『文藝春秋』2003.3号 同趣旨のものは他にも接する)。最近全人代(日本の国会に相当)で胡錦濤主席・党総書記が選ばれ、徐々に体制変更されつつありますが、それとともに反日スタンスが減ることが期待されます。


TOPへ


Copyright (C) 2002 佐々木知子事務所 all right reserved.
info@tomokosasaki.jp