最近思うこと佐々木知子弁護士事務所
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INDEX
Vol.88 1年を振り返って (2010年 12月14日)
Vol.87 検察大不祥事に思うこと (2010年 10月4日)
Vol.86 日本沈没かも─検察大不祥事、そして尖閣諸島問題 (2010年 9月27日)
Vol.85 村木元局長、やはり無罪 (2010年 9月16日)
Vol.84 代表選に思うこと (2010年 8月31日)
Vol.83 つらつら思うこと (2010年 8月18日)
Vol.82 猛暑到来、明日から夏季休暇 (2010年 8月11日)
Vol.81 参院選が終わる (2010年 7月13日)
Vol.80 参院選が迫る (2010年 6月29日)
Vol.79 普天間問題その他 (2010年 5月31日)
Vol.78 永田町はどうなっているのだ (2010年 4月30日)
Vol.77 足利事件について (2010年 3月30日)
Vol.76 弁護士という仕事  (2010年 3月26日)
Vol.75 委員会審議について (2010年 2月17日)
Vol.74 小沢不起訴に思うこと  (2010年 2月8日)
Vol.73 小沢対特捜部  (2010年 1月19日)
Vol.72 政治が見えない  (2009年 12月22日)
Vol.71 異様な犯罪が続く   (2009年 11月10日)
Vol.70 民主党政権1か月 (2009年 10月13日)
Vol.69 自民党惨敗  (2009年 9月7日)
Vol.68 裁判員始まる,ノリピー逮捕 (2009年 8月10日)
Vol.67 自民党の迷走,メディアの迷走 (2009年 7月19日)
Vol.66 弁護士の質 (2009年 7月7日)
Vol.65 足利事件に思うこと  (2009年 6月8日)
Vol.64 民主党代表選,新型インフル騒ぎなど (2009年5 月18日)
Vol.63 闇サイト殺人事件判決に思うこと  (2009年 3月19日)
Vol.62 小沢秘書逮捕に思うこと (2009年 3月 9日)
Vol.61 中川財務相醜態,政治の空転つづく……  (2009年 2月17日)
Vol.60 新年を迎えて (2009年 1月29日)
Vol.59 裁判員制の重大な問題について  (2008年12月17日)
Vol.58 厚労省元事務次官刺殺事件,そして麻生首相 (2008年11月27日)
Vol.57 オバマ大統領誕生,小室哲哉逮捕……  (2008年11月10日)
Vol.56 ノーベル賞4人受賞の快挙 (2008年10月 9日)
Vol.55 またもや政権投げ出し!  (2008年 9月 3日)
Vol.54 夏期休暇終了,北京オリンピックなど (2008年 8月18日)
Vol.53 裁判員制,来年5月から導入  (2008年 7月 4日)
Vol.52 遺体消滅事件,そして秋葉原通り魔事件 (2008年 6月12日)
Vol.51 女子高生,襲われて死亡……  (2008年 5月  7日)
Vol.50 桜開花,国会は動かない……  (2008年 3月26日)
Vol.49 三浦逮捕,法相の冤罪発言……  (2008年 2月26日)
Vol.48 新しい年が始まった (2008年 1月31日)
Vol.47 今年も終わり……  (2007年12月25日)
Vol.46 地に墜ちたモラル (2007年11月16日)
Vol.45 永田町,大相撲……  (2007年10月15日)
Vol.44 首相突然の辞任劇,総裁選に思うこと (2007年 9月17日)
Vol.43 新内閣のスキャンダルに思うこと (2007年 9月 7日)
Vol.42 安倍晋三考 (2007年 8月 9日)
Vol.41 久間発言に思うこと (2007年 7月20日)
Vol.40 元公安調査庁長官逮捕!! (2007年 6月29日)
Vol.39 奇異な事件,強引な国会運営 (2007年 6月24日)
Vol.38 松岡農相,自殺!! (2007年 5月29日)
Vol.37 愛知銃撃事件に思う (2007年 5月21日)
Vol.36 ルーシー事件無罪,など (2007年 4月27日)
Vol.35 銃犯罪多発,など (2007年 4月23日)
Vol.34 ホリエモン,2年6月の実刑! (2007年 3月20日)
Vol.33 弁護士業の難しさ (2007年 3月 8日)
Vol.32 2月もそろそろ終わり (2007年 2月23日)
Vol.31 大学後期も終わり (2007年 2月 1日)
Vol.30 一年を振り返って (2006年12月26日)
Vol.29 首長逮捕続出,復党問題…… (2006年12月 7日)
Vol.28 いじめなど,問題山積…… (2006年11月15日)
Vol.27 小林被告に死刑判決 (2006年 9月28日)
Vol.26 麻原の死刑確定など (2006年 9月25日)
Vol.25 首相の靖国参拝など (2006年 8月20日)
Vol.24 お盆前につらつら (2006年 8月 9日)
Vol.23 山口県光市の事件に思うこと (2006年 6月22日)
Vol.22 ポスト小泉・教育基本法改正  (2006年 6月 8日)
Vol.21 グレーゾーン金利廃止について (2006年 5月 8日)
Vol.20 趣味の話  (2006年 5月 3日)
Vol.19 麻原被告、控訴棄却 (2006年 3月30日)
Vol.18 偽メール騒動(その2) (2006年 3月 7日)
Vol.17 偽メール騒動 (2006年 2月28日)
Vol.16 皇室典範改正論議 (2006年 2月 7日)
Vol.15 試験採点とライブドア事件 (2006年 2月 1日)
Vol.14 新年にあたって (2006年 1月10日)
Vol.13 この1年を振り返って  (2005年12月26日)
Vol.12 事件ばかりの昨今 (2005年11月28日)
Vol.11 自民党の処分  (2005年10月24日)
Vol.10 やっと秋が来た (2005年10月 3日)
Vol. 9 小泉自民、歴史的圧勝! (2005年 9月14日)
Vol. 8 選挙戦   (2005年 8月31日)
Vol. 7 小泉劇場 (2005年 8月21日)
Vol. 6 解散・総選挙 (2005年 8月11日)
Vol. 5 国会の暑い夏 (2005年 7月)
Vol. 4 弁護士という商売 (2005年 6月)
Vol. 3 一生勉強   (2005年 5月)
Vol. 2 それぞれの春 (2005年 4月)
Vol. 1 新たなるスタート (2005年 3月)

Vol.88一年を振り返って(2010年 12月14日)

 あっという間に今年もあと半月を残すばかり。だんだん年を取るのが早くなるが(これまでの年齢を分母として、その1なので)、今年は格段に早かった。記録的な猛暑、古巣の大不祥事、政界の混迷…とジェットコースターのように続いたからではないか。
 民主党に変わって1年余、その幼稚さ、政権担当能力の欠如は早や誰の目にも明らかである。管さんがダメ、では誰かといえば、誰もいない。自民党の誰がいいかと聞かれても、答えが出ない。
 根源的な問題は教育にあると思う。
 政界は縮図であり、日本中どこにも人物がいなくなって久しい(芸術や科学分野は才能次第なので別)。高い志を持ち、私心がなく、教養に溢れた人たち。先日講談を聞きに行き、赤穂浪士の話でつい涙腺が緩んだのは(講談師の話がうまかったからももちろんあるが)浪士たちがただ忠義のために命を賭けたからである。政界を見渡して、そんな人は見当たらない。現在放送中の「坂の上の雲」を見ていても、悲しくなってくる。赤穂浪士も明治の彼らも、こんな国にするために命を賭けたはずがない。今の日本を見たら、どんなに絶望するだろうと。
 確固とした宗教のない日本で、人々の規律が保たれている理由を問われ、新渡戸稲造が英語で「武士道」を著わしたのは有名な話である。武士道は武士以外にはなかったと思うが、代わりに世間様お天道様の他人様があった。戦後、アメリカの敗戦処理がまたとなく功を奏した結果?責任のない自由、義務のない権利が跋扈し、それが個人主義やら民主主義やらとはき違えられたのだと思っている。
 教育は百年の大計だ。もう取り返しがつかないのだろうなあ、と思う。若者が可哀そうである。

 日本の将来を大きく憂えながらも、私自身は人生、今が一番幸せである。この幸せを得るために今まで健康で生きてこられてよかったなとつくづく思う。感謝である。 朝気持ちよく目覚めた時、爽やかな気候の中街を歩く時、寝しなにテレビの舞台や音楽、映画を何の憂いもなく見れる時、ああなんて幸せなんだろうと思う。健康あればこそ、仕事もうまくいっているからこそ。自分や家族に病人がいたり、資金繰りが苦しかったりしたらとうてい得られない安らぎだ。幸福は決して非凡なことにあるのではなく、日々の些細な日常にあるのだと実感する。年を取ると、幸せのハードルが下がるのかもしれない。今のマイブームはミュージカルと演劇。一人だと当日券でも必ず取れる。時間がたまたま空いたからと観に行く気楽さ。それも昨今非常に幸せに感じることの一つである。
 生まれつき変わらない自分がようやく分かってきた。それを踏まえて、変わらないといけない自分がある。例えば、親譲りで短気なのは変わらないが、いったんは飲み込み、すぐさま爆発させないように心がけるとか、正直で無愛想な面は変わらないができるだけ笑顔でいるように心がけるとか。
 弁護士になって6年余。先日ふと気がついて驚いた。検事時代は2〜3年毎に異動、参院議員は6年だから最長になったのだと。事務所は立地・執務環境とともに気に入っているので(大家側の都合でもないかぎり)変わるつもりはなく、記録は更新するだろう。この毎日がつつがなく続くことを心から願っている。

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Vol.87検察大不祥事に思うこと(2010年 10月4日)

  9月21日、主任検事が証拠隠滅で逮捕され、先週末10月1日にはその直属の上司だった当時の副部長、部長が犯人隠避で逮捕された。報道によると、主任検事は当初「遊びで…」と馬鹿な弁解をしていたがやがて認めるようになり、その際上司2人の指示があったとの供述、及び裏付けの報告書がパソコンから復元されたことが決め手になったという。
 上司2人は否認なので在宅のままでは起訴できず、最高検は逮捕に踏み切ったとのことである。

 この2人が、主任検事の証拠改ざんを過失であると認識していた(故意がなければ犯人隠避は不成立)というような言い訳はばかばかしくて取れないし、常々偉そうに「本当のことを言えよ」と迫っていた立場上、観念して本当のことを言いなさいよと思う気持ちが強いのだが、今回の一連の逮捕劇には非常に後味の悪いものが残る。
 突き詰めていえば、組織としての自浄作用がまるで働いていないということであるし、だからこそ今回の事後処理も当を得ていないことはなはだしいというべきだからである。
 今回のことも新聞にスクープされなければそのままだった。スクープされて慌てて、内部だからうやむやに処理されたと言われないよう、ことさらに強気で行ったのだと思われる。 
 では本来はどうであるべきだったというのかというと、もちろん前2回に指摘したように、まずは起訴をすべきではなかったのである。ひとり主任検事に嘘を言われて決裁官が騙されたなどということはばかばかしくて聞いておれない。この筋悪の事件で、完全否認であるし、そもそも肝心の偽造文書の作成日付は間違いないかどうか、誰も確かめていないなどとは信じられないことである。おまけに気付いている検事もいたというのだから(その検事が指示をしてその立会事務官が昨年6月29日付けの捜査報告書を作ったのである。)、どうして主任検事ひとりの暴走でこんな大事がまかりとったのか、組織としての体をなしていないことはなはだしい。
 その次に証拠品管理の問題もあることを指摘している。

 次は、改ざん事実が明らかになった今年初めの時点で、内部で報告を上げ、きちんと公表をし、公訴取り消し及び謝罪をすることが組織としては当然であったのだ。人権を守るべき検察組織が自らの組織、というより自らの保身に走ったのは衝撃である。
 今回公判部検事たちが正義の味方のように報道されている向きがあるが、ではなぜ彼らは次席検事、検事正にこの事実を上げなかったのか。副部長、部長に阻止されるともうダメという組織ではないし、今回のような最悪の形で取り上げるまで手をこまねいていただけというのは情けなさすぎる。普通の会社員であれば首になれば食べていけなくなるかもしれないが、彼らには法曹資格がある。検事になった以上、不正を見過ごさないためにこそ命を賭けるべきではないのか。

 情けないという意味では次席検事や検事正も同じである。
 部長らから「公判部検事との間でトラブルがあったが問題ない」という報告を受けて、ああそうか、で終わるようなトップがどこにいるだろう。会社にそんなトップがいたら、その会社はすぐに潰れる。対して、検察その他官庁は決して潰れない。自分もすぐに異動になる。少なくとも「今この時」を無事に過ごせれば、自分には関係がない。泥をかぶらなくて済む。かぶりたくない。そう思っていたのであろうと容易に想像がつく。それで検事なのだから、それもエリートなのだから、情けなさすぎて涙が出そうだ。
 当然ながらこの無責任体質こそが問題なのだ。ことは現職局長を逮捕して、無罪を真剣に争われている注目の事件なのである。トラブルと言われるものの真実を確かめるべきはトップの当然の責務である。この件はおそらく大阪地検中にひそひそと、知れ渡っていたのではないか。彼らにしてもどこかで耳に入らなかったはずはない。

 問題の村木さんの起訴状には副部長、部長、次席検事、検事正の決裁印がある。上に立つということはそれだけ重い責任を担うということだ。だからこそ給料も高いのだ。
 今回の件の後味が悪さは、今回逮捕された2人よりもずっと監督責任の重い次席検事、検事正の責任がなおざりにされているからである。
 もちろん知らなかったのであれば、刑事責任には問えない。それが刑事責任というものの宿命なのだ。だからこそ事故が起こったとき、社長ではなく現場担当者のみが業務上過失致死傷罪に問われる。民事責任とは異なるのである。
 今回の事件の本質は組織としての在り方の問題であり、現場の当事者として検事正以下がきっちり処分をされて初めて、その下の責任も問える性質のものである。その意味で今回逮捕された2人は、なんで自分たちばかりがと内心では思っているはずだし、刑事事件での処理は問題の本質を取り違えていると思われてならない。

 最高検がやるべきであったことは、徹底した調査のうえ、速やかに「真実」を明らかにすることであった。そもそも刑事司法は真実究明が目的であるし、検察はその担い手なのである。その力がまったくなくなり、あろうことか自ら存在感を示すために事実をねつ造するようになってしまったことが問題の本質なのである。
 最高検がすべきであるのは、明らかになった真実を村木さんを含むすべての国民に開示して謝罪をすることである。そして関係者を然るべき懲戒処分にすることである。その際には高検や最高検まで当然含まれることになる。そのうえで組織改編をし、徹底した再発防止策を提示すること、である。
 真実解明を刑事事件としての処理に委ねるというのは、組織のあるべき姿ではなかったと思う。最高検の慌てぶりが、目に見える形で一連の経過に現れているのだろう。検察は攻めには強くても守りには弱い。守ったことがないからだ。最初のボタンをかけ違え、以後歴史に汚点を残す泥仕合、茶番劇が続くであろう。こういう形で自らを見世物にしなくてもよかったのに。OBとしては、報道を見るのが嫌で仕方がない。政治も嫌だし、明るいニュースがまるでない。

 芸術がいい。今回、人間としてあるまじき行為をした検事たちが、もし芸術を愛し、人間としてのあるべき座標軸を持っていたならば、こんな馬鹿げたことをしたはずはないとそれは断言が出来る。

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Vol.86日本沈没かも─検察大不祥事、そして尖閣諸島問題(2010年 9月27日)

  このところ非常に、憂鬱だ。長い夏が終わって急に気温が下がったせいではない。理由は、ついに日本は沈没かと思える事件が二つ続いたことである。

 一つはもちろん、村木元局長事件主任検事の証拠偽造である。
 21日の朝日新聞がすっぱ抜き、最高検が当日夜には検事を逮捕した。証拠隠滅罪(刑法104条)は「他人の刑事事件に関する証拠を隠滅し、偽造し、もしくは変造した者は20年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処する」。現場でもそうそうはない。
 自分の刑事事件に関する証拠は省かれ(つまり自分が罪にならないよう証拠を隠滅するのは人間の性であって期待可能性がないと考えられている。)、親族や仲間など「他人の」刑事事件に関する証拠を隠滅する犯罪だ。検事が被疑者の証拠を隠滅するなど、刑法制定者が予想しようもない。必ずや判例として後世にまで伝えられることになろう。

 しかし、今もってよく分からない話なのである。以下、5つの項目を挙げて、述べる。
1.問題のフロッピーについて
  昨年5月29日、係長上村被告(実行犯)を逮捕。捜索により、問題のフロッピーを含む多数の証拠品を押収した。
  文書偽造罪の最も重要な証拠品は、いうまでもなく偽造した文書と、その偽造に用した物である。昔は筆や紙だったが(この時代は筆跡鑑定がものを言った。)、次にタイプライターとなり、今はみなパソコンである。文書をパソコン本体に保存するのでなければフロッピーなりUSBなどに保存する。パソコン本体のデータは削除・変造しても今や復元可能なのは常識だ(これをdigital forensicという。法医学ならぬコンピュータ解析学である)。
  この最重要証拠品の最終更新日は2004年6月1日であった。動かしがたい客観的証拠であり、上村被告の単独犯行だとしても偽造の実行日はその日なのである。しかし、検察はその客観的証拠を黙殺した(としか思えない)。
  郵便局から証明書がないと指摘されたのが同年6月8日、提出が6月10日という証拠は動かせないので、村木課長の指示は6月上旬と認定した。そして、彼女を昨年6月14日、大阪地検によびだしていきなり逮捕し、否認のまま7月4日に起訴をした。上村被告についてはその前に起訴をしたが、村木被告との共犯とするために、偽造日時は同じように6月上旬とし、供述調書もそう取っている。客観的証拠と明らかに矛盾するのに、である。
  そんな供述調書などいくら取っても何にもならないのは日を見るより明らかだ。だから当然のように無罪となった。
  そもそもが「上旬」といった、漠然とした起訴(訴因)はありえない。検察のイロハである。
  犯人がしょっちゅうやっていることであれば特定できないこともあるだろうが、仮にも職を賭すべき偽造なのである。もっとも上村被告は上記客観的証拠どおり6月1日に偽造をしたと言い張っていたのだが、特捜部では初めに結論ありきだった。課長の関与まで認めなければ厚労省の組織的犯行とは位置づけられず、特捜部としてはつまらない(!)ので無理やり日をずらしたのだ。そうとしか思えない。
  これが件の前田主任検事の暴走、独走にとどまらず、組織の誰もがこれを止めていないのが恐ろしい。もう無茶苦茶である。小説にしたら誰も信用しない事実が現実としてまかり通っているのだ。

2.証拠品の扱いにおける大いなる疑問について
  証拠品は昨年5月29日時点で押収されたが、最終更新日時が2004年6月1日とする捜査報告書が事務官によって作成されたのは昨年6月29日だ。上村被告はすでに起訴済みであり、この遅さは異様である。
  今回の逮捕容疑は、昨年7月13日夜、前田検事がそのフロッピーを書き換えたことである。
  自らのパソコンを持ち込み、書き換え専用ソフトを使ったという。同検事はパソコンに詳しかったらしい。最終更新日6月1日を6月8日に、特捜のシナリオに合致するよう変造した。
  不可解なことには、彼はその3日後、上村被告側にこれを郵送して返却した。被告は拘置所にいるので、誰宛てに返却したのかは不明だが、今回の事件における最も奇奇怪怪なことはこの返却行為である。
  その意図もさることながら、証拠品管理があまりに杜撰すぎて、現場にいた者としては言葉もない。
  検察庁では証拠品は厳重に管理されている。たとえ主任検事といえども勝手に持ち出したり、ましてやそれを勝手に返却することなどできはしない。証拠品の返却は基本的に判決の確定後であり、もちろん郵送でなどはありえない。証拠品が逸失したとか中身が変えられているといったことを言われないよう、押収品目録に沿って一つ一つ確認してもらったうえで受領のサインをきっちりともらわなければならないからである。
  それを、今から公判が始まるというときに、しかもたくさんの証拠品の中からうち一つだけ(しかも最重要の証拠品なのである!)を返却するなどは想定しえないことである。故にこれが私としては最も不可解であり、それ故に組織的関与を疑うしかない(少なくとも証拠品がなくなってすぐにはばれていたはずである。)。
  返却の意図は以下のように推察している。
  上村被告側に作成日は本当は6月8日かと思わせるしかけであったということだ。公判が始まった今年になって、公判担当の同僚検事らに「時限爆弾をしかけた」と言ったという。つまり、上村被告としては単独犯行ではなく課長の指示で動いたとするほうが情状は軽い。弁護人がそのフロッピーの記載を元にそう判断をし、被告に働きかけることを読んでいたのではないか。
  証拠に基づいて事実を認定するのではなく、自らの描いた事実に沿うよう証拠を変造し、人の考えや行動まで変えてしまおう、変えられると信じていたのだろう。自らは万能である、神である…ここまでいくと、すでに妄想に近く、精神科の領域であるかもしれない

3.あまりに稚拙であること
  同検事は完全犯罪を狙ったのだろうと思う。いずれこのような形でばれると分かっていればしなかったはずだ。これは多くの犯罪に共通する心理であり、その意味で罪を犯す者はたいてい冷静な判断を失っている。
  本件の問題は、犯罪者がただの人ではなく、それを調べる側の多大な権力を持つ立場にいたということである。
  冷静に考えて、もともとすぐにばれる話であった。理由は、以下の3つ。
  1つ、真実に沿った捜査報告書がすでに作成されている(検察は出そうとしなかったが公判前手続き段階で開示を求められて結局提出した。)
  2つ、フロッピーやパソコンの改ざんはどこかに必ずデータが残っていて、ばれる(そんなことくらいパソコンに習熟していない私ですら知識としては持っている)。
  3つ、フロッピーをわざわざ、ありえない時期に一つだけ返却してきたこと自体、弁護側にはおかしいと考えられるであろうということだ。
  おそらくはもうだいぶ前にばれていたと思われる。弁護側は村木さんの無罪が出るまでは抑えていたのであろう。

4.馬鹿な言い訳をしていること
  調べる立場にいるときにもし被疑者に「遊んでいるうちにデータを変えてしまった」といった言い訳をされれば、「ふざけるな。馬鹿も休み休み言え」と机を叩いて怒鳴りあげていただろう。それがいざ調べられる立場になったとたん、この体たらくである。せめて正直に白状してほしい。
  過失の場合には証拠隠滅罪は成立しない。だがそんな言い訳は通らない。内規に反して私用のパソコンを持参してきたのも問題だが、書き換えソフトをわざわざ入れてデータを6月8日に変えるなどという仕業がたまたまでなど出来ようはずはない。万歩譲って過失で書き変えてしまったとすれば、元に戻す以外に手はない。それを元に戻すこともなくわざわざ上村被告側に返却したのは故意以外に何ものでもない。
  今後、被疑者の調べはやりにくくなる。馬鹿な言い訳は調べる側の検事のお家芸ときているのだから!

5.組織が機能していないこと
  客観的証拠に反した起訴自体が大きな問題であったことはすでに述べたが、今回の証拠品管理の大問題にしても、組織が何ら機能をしていない事実には驚く。私はもっと早くから分かっていたと思うが、報道によると、今年になってから上司は知ったという。
  大変な事態なのに、遊んでいて云々の上記弁解の下、フロッピーは返却されていて調べようがないし、捜査報告書は提出されているので問題はないしと、つまるところすべてが易きに失して今回の大事態を招いている。信じられないことだ。もともと証拠品のフロッピーが勝手に返却されていること自体が大問題なのだから。
  そのことについてみな口をつぐんでいたことも、もともと組織的な関与があったと考える理由の一つだ。改ざんなどなかったとしても、それだけでも十分に処分ものなのである。特捜部長などは犯人隠避罪も疑われて然るべきである。最高検は徹底的に捜査をしなければならない。
  特捜OBたちは今回の事件について口々に「信じられない。我々の頃は…」と言うが、その信じられない事態が起きたのだ。一検事の暴走に留まらず、一特捜部の暴走に留まらず、大阪地検、果ては大阪高検もそれを止めていない。たまたま出来の悪い人たちが揃ったからだ、こんなことは二度とは起きない、と誰が保障できるだろう。
  検事の倫理観を高めようなどといっても、倫理観や道徳観という人間の根幹に関わる資質は、幼児のとき、親の教育ですでに出来上がってしまっている。法律を学ぶのはそれ以後のことであり、法律をいくら学んだところでそんなことは一切養成されないのである。
  犯罪を犯す検事がいる。決裁も機能しない。そのことを前提に制度自体を見直す時期に来ているのだろうと思う。かなしいことだが、制度疲労を起こしているのである。

 特捜部は捜査も公判も自らやるという、強大な権限を持つ世界最強機関である。チェックをするのは裁判所だけ。今回それが働いたわけだが、見方を変えるとあまりにひどすぎたから働かざるをえなかったともいえよう。今後は、精神論ではなく、戦後の日本人が確実に劣化しているという事実を認めたうえで、制度自体を変えていかなければならないと思う。
 私は元からこのコラムで、政治家の悪を排除するのは国民でなければならないと書いてきた。選挙で選ばれもしない検事が巨悪を退治する、そのことに国民が拍手喝さいを送るという事態こそが民主主義の敗北なのである。
 我こそが巨悪を退治する、政治家を捕まえる、そのために検事になったのだと公言している検事を何人も知っている。なにゆえにそうした特権意識を持てるのかが不明なのだが、当然ながら、その人たちの倫理観や道徳観は普通よりもさらに低い。特捜検事は肩で風を切って歩いている。そのためには犯罪を見つけてこなければならず、その究極には犯罪をねつ造する構図すらある。ある意味では起こるべくして起こった事件だともいえよう。

 某県の捜査二課長に赴任した警察官が「ここはサンズイ(収賄のこと)を2年も摘発していない。肩身が狭くて警視庁の自分に声がかかった。在任期間中にようやく一つ、摘発できてほっとした」と語っていた。つまり、ここにあるのは市民でも国民でもなく、そのための正義でももちろんなく、自らの存在に関わる成果主義なのである。本来特捜部も検察も、国民のために捜査をしなければならないのである。その本来の正義を忘れ、目が内向きになり、自らのために捜査をするようになったとき必ずや組織は腐敗し、不祥事が起きる。ドラッカーの言うとおりである。

 この大不祥事の延長上に尖閣諸島で起きた中国漁民釈放があると私は見ている。
 彼らは領海侵犯をし、海上保安庁の巡視船に突撃をした。船長を公務執行妨害で逮捕。本来、普通の国であればこんなとき船を没収、乗組員も全員逮捕すると考えるが、日本はずいぶん手ぬるい。
 2日後に勾留(10日間)、勾留を延長してさらに10日。この間に急遽、那覇地検が船長を釈放した。処分保留と言っているが、船長は日本にすでにいないのだから、起訴はできず、不起訴になるのに決まっている。次席検事が「日中関係を考慮して」と異例のコメントを出したのは、もちろん政治介入があったことを示唆している。

 中国は資源があることが分かってから、尖閣諸島を自らの領土であると主張するようになった。もちろん古来、日本の領土である。だから日本の法律を犯されて正々堂々と刑事司法を遂行しなければならないのに、日本人4人が中国で拘束されたと聞いて慌てふためいたと見える。
 昔、航空機を赤軍に乗っ取られ、人質の命大事さに、その要求通り、拘束中の赤軍派メンバーを解放したことが脳裏に浮かんだ。超法規的措置だと言われた。他の法治国家では決してやらないことだとも聞かされた。人質は可哀そうでも、国民の誰も法を曲げることは望まないというのである。そのことを思い出した。
 しかし、そのときにはメンバーを解放することで人質を救うことはできた。だから日本国民は非難をしなかったのである。今回も、法を曲げて妥協をする以上、水面下で日本人の身柄引き渡しの交渉はついているものと思っていた。ところが、だ。まったくついていないどころか、中国はこれみよがしに、謝罪や賠償を高らかに求めてきている。こんなことなら釈放する意味などまるでなかった。外交は一体どうなっているのか。情けなく仕方がない。

 官房長官の、「検察がやったことだ」とのコメントは、明らかに責任逃れである。
 政治と検察との兼ね合いについては、検察庁法に規定がある。法務大臣が検事総長に指揮権を発動するのである。それを受けて検事総長が各事件担当の検事に指揮をするわけだが、この度は指揮権の発動をしなかった(指揮権は一度政治家逮捕の際に発動されたが国民のブーイングが大きくて以後二度と発動されていない。)。そして非公式に検察に釈放を迫ったのだ。検察は今、大不祥事のさなかにある。ちゃんと指揮権を発動してくださいよという正当な要求をすることができなかったと、私は見ている。

 この二つの大事件で、気持ちがたいそうくらい。日本は民主主義国家でもなければ法治国家でもない。一体何だろうと思うのである。

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Vol.85村木元局長、やはり無罪(2010年 9月16日)

 この10日、大方の予想どおり、無罪判決が出た。
 もともとは偽の障害者団体に絡む郵便法違反案件であった。それが厚労省の偽証明書発行事件に発展し、昨年6月、現職局長が逮捕された。第一報は親しい社会部記者がくれた。「お金を貰ったの?」と思わず尋ねたのは、そんな人ではないと知っていたからだ(村木さんでなくても賄賂を貰う官僚は少なくとも日本にはそうはいない。)。それはないとのことで、では一体何が動機か不明であった。マスコミは政治家から頼まれた案件だった、障害者自立支援法を通すためにその要望を聞く必要があったと繰り返し流していたが(マスコミも名誉棄損の責めを負うべきである)、そもそもが不合理である。
 つまり、当時課長であった彼女にはその文書を作成する権限があったのだ(故に、罪名は公文書偽造ではなく、虚偽公文書作成罪である。)。だから、もし本当にそうしたければ、まっとうな障害者団体であるとの書類を形式的に整えさせればいい。ぽんと印鑑を押して虚偽文書を作る必要などないのだ。
 案の定、公判では次々と欠陥が露わになっていく。件の政治家が口を利いたとされる日にゴルフ場にいた明白なアリバイが出てくる(この裏付けを起訴前に取っていなかった!)。村木さんはじめ関係者を取り調べた検事はすべて、公判中でありながら、取り調べメモを捨てたという。裁判長が、関係者の供述調書の大半の証拠能力を否定して採用を却下するという大胆な訴訟指揮をしたとき、無罪は見えた(通常は、いったん採用はしたうえで、供述の信用性を否定する。)。

 村木さんは真の意味で教養豊かな、強い人である。何もやっていないし、およそやるはずもないことを、巨大な権力が勝手なストーリーを作り上げて、連日過酷な取り調べをしてくる。それに耐え切り、長い勾留もその後の長い裁判も彼女は乗り切り、そして無罪を勝ち取った。大いに怒って当然なのに、「慎重に捜査をしてほしい」「私の時間をこれ以上奪わないでほしい」といった控えめなコメントである。山口県光市の母子殺害事件の遺族である本村さんを彷彿とさせ、私は、立派な人は世の中にいるものだと感心をした。

 さて問題は、こういう杜撰な捜査がなされてしまう背景である。
 前にも書いたが、特捜部が自らのレゾンデートル(存在理由)のために、地位ある人を逮捕して世間の耳目を集めることがまま起きる。特捜部は大阪にも名古屋にもあって、ライバル意識がある。この事件のとき、東京地検特捜部は、小沢代議士大久保秘書の捜査に失敗していた。2千数百万円程度の政治資金規正法違反で逮捕し、結局起訴もその容疑のままだったのだ。対して、「大阪はよくやったよね。現職の局長を逮捕して」とは上記社会部記者のコメントだ。これに現場の感覚が集約されていると私は見る。
 検事は独任性官庁だから(一人一人が官庁という意味)自分の印鑑を使うのは自分のみ。その感覚で、今回の事件が扱われたとも聞く。なんという世間知らずなことであろう。功名心が逸り、人権感覚のかけらもなく、勝手な筋を決めて、下に流す。各取り調べ検事は決まった供述を取ってくる駒でしかなく、異議をさしはさめる雰囲気はない。副部長→部長→次席検事→検事正、その上の大阪高検と、幾恵もの決裁を経ながら誰も軌道修正をしなかったのか。組織としての問題の根は深いというべきだ。

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Vol.84 代表選に思うこと(2010年 8月31日)

 先日、知り合いの国会議員(自民党)から電話があり、代表選で興奮している。
 国会議員枠、サポーター枠ともに「小沢さんはよく面倒を見ているから」強いという。まさか。小沢と鳩山は引責辞任したばかりだ、おまけに小沢は刑事被告人になるかもしれない身、でなくても直属の部下はすでに刑事被告人である、そんな人がまたぞろ表舞台に出てくるなんて、日本は間違いなく世界の嗤い者だ……。
 だがどうやら、そんなまっとうな感覚が麻痺しているのが永田町であるらしい。
「これで政局が面白くなってきた」と言うその人に、私は思わず怒っていた。
 そんなことを平気で言うこと自体、世間と遊離している証だ。ずっと選挙、誰が代表だ総理だ、そんなことばかり。今、日本はどんな状況にあると思ってるの! 円高は止まらず、株安はひどいのに、まったくの無策だ。完全に国民不在の政治である。
 と言うと、さすがにしゅんとしていたが、これが永田町では普通の感覚なのだと思う。でなければ政治はもっとずっと前から、もっとずっとまっとうだったはずだから。

 小沢も小沢なら、管さんを支持した翌日にはころっと小沢さん支持に変わった鳩山さんに呆れ果てている向きが多い。だが、彼の無責任さ、朝令暮改の言葉の浅薄さは、8か月の総理の間で十分に実証済みである。小さな会社の経営さえ出来ない、いや、会社員さえ勤まらないような人が国家という最も大きな会社を運営する立場にいた恐ろしい事実。まさに一貫性があるのは「一貫性がないことだけ」であり、そんな人にマイクを向けて真剣に?コメントを聞いているマスコミの姿勢をこそ私は疑う。
 政治とマスコミ、二大権力の日増しに募る陳腐さはどうだろう。もちろん政治家を選ぶのは国民だし、つまらない番組の視聴率を上げ、雑誌を購買して質を悪くしているのは国民自身ではあるのだが、一方で、まっとうに国を憂えている人も多いのだ。

 たまたま映画『氷点』(三浦綾子原作)をテレビで見た。
 意地悪なお母さん役の若尾文子の美しさ、気品はどうだろう。津川雅彦も若い時にはこんなに凛として誠実感溢れ、素敵だったのだとびっくりした。日本語が非常に美しく聞こえる。
 やはりテレビで再見した映画『白い巨塔』にも打ちのめされた。私が当時好きだった田宮二郎(43歳で猟銃自殺)は撮影時32歳だったというのが信じられないほど、40歳代であるはずの国立大学医学部助教授、天才的な外科医を演じきっている。医学界重鎮役滝沢修の、圧倒的な存在感。どの役者も実在感に溢れている。こんな映画はもう作れない。
 今は軽い。例外ももちろんあるが、役者は軽いし、脚本も作りも軽い。全体に顔が軽くなったと感じるのは、政治の世界だけではないのだ。世界を見ても、かつてのような存在感ある男優女優はほどんといない。どこにでもいそうな俳優がどこにでもありそうなストーリーをこなしている感じ。電化製品と同じように、あるいは人と人とのつながりのように、軽薄短小の時代、使い捨ての時代になったのだと思わされる。
 記録的な猛暑が続く。夕立も降らず、雨がないままである。熱帯夜がすでに47日。寝苦しくて体力的にもきつい。涼しくなるまで、体調を壊さないように気をつけたい。

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Vol.83 つらつら思うこと (2010年 8月18日)

 明日から業務再開。となると年末までばたばたする。この調子で1年があっという間に過ぎるのだろうなと思う。高校時代、学校の名物と言われた倫理の教諭が、「こんな老人になって(先生はつるっぱげだった)よう生きてるな思うでしょう。ですが、みなさんもあっという間ですよ」と言った言葉をその真剣な表情とともに、近頃妙にしみじみと思い起こす。
 人生は本当に、あっという間に過ぎていく。退屈を嘆いている暇などない。

 このところ、心情に様々な変化を感じる。
 3万円程度の指輪を数百万円もの高価な本物に間違えられて喜んでいたのが、ふっつりと嫌になり、以後、本物の指輪だけを身につけている。どうしても欲しくて、とてもシンプルなデザインの、一流ブランド(ティファニーやカルチェといった有名所ではなく、知る人ぞ知るのブランド)の結構高額な指輪も買った。その価値が誰に分かるというわけではなく、自分で満足しているにすぎない。お洒落は結局、生き方の表れなのである。
 神戸に育ち、母は洋裁をしていて、物心ついたときから、それこそマンションの一つや二つ買えるほどの額はお洒落につぎ込んできた。であるのに、自分に似合うものが分かってきたのはようやく最近のことだ。高い授業料と、長い年月を要したなと思う。結論として得たものは当たり前のことだ。デザイン・色ともにシンプルであること。外見の欠点を隠して長所を生かし、スタイルを良く見せてくれること。着心地の良さ(一日を過ごし、仕事をするのだから格別大事である)。自分らしさを際立たせてくれること。
 人間は第一印象で決まる。子どものうちは分かりにくいが、年を取るほどそうなる。人は生きてきたように年を取る。見た瞬間、来し方も知性・感性も大方分かってしまうものなのだ。だから着る物は大事である。
 自分に似合う物が分かってきて、冒険をしなくなった。ウィンドーショッピングもしないから、お金と時間の無駄がない。時間こそが人生だし、持ち時間もだんだんと減っているから、優先順位を決めて、大事なこと・人に使わなくては。
 口の上手い人、大きなことを言う人は信用できない。言葉は誰にでも言えるのだ。根っこに真の教養・知識があっての言葉か、ただ借りてきた、適当な言葉なのか。実践を伴う覚悟があるのか。相手に肩書や学歴などがあれば人は結構騙されやすい。自分自身が正直で、言ったことは守るから、長い間人もそんなものであると思いこんでいた節がある。嘘をつかれた、いい加減な人だと怒っていたが、結局のところ、まっとうな人こそが実は少ないのだ。物と同様、嘘ものは適宜処分し、本物を大事にしようと思う。

 かつて知人が言った、「親が年を取るのを見るのはかなしいことね」。亡き祖父が言った、「年を取るのはむごいことよ」。他人事ではなくなって、ようやく人生が見えてきたのかもしれないと思う。
 今日は朝から事務所に出て仕事をしている。そのついでに、心に浮かんだことを書いてみた。

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Vol.82 猛暑到来、明日から夏季休暇 (2010年 8月11日)

 7月17日の梅雨明けと同時に、くっきりはっきり猛暑が来て(こんなことは例年になかった。)、連日35度を超えて猛暑記録を更新。7月でこうだったらこの後どうなるかと思わされたが、このところ31、2度の日もある。それで今日は過ごしやすいと感じるのだから、馴れとはすごいものである。木陰を通り一瞬涼しい風を感じ、あ、幸せと思った自分に、人は環境が悪ければちょっとのことで幸せを感じるのだと実感する。快適さにあまり慣れるのもよくないものである。

 4月来新件(民事事件)の受任が続いたところに、先月刑事事件を久しぶりに受任した。
 刑事事件が民事と違って大変なのは、刑事事件は前科がつくこと、被疑者の身柄が拘束されることなどで緊張を強いられるのはもちろん、逮捕後に送検されて勾留となり(10日、さらに延長されて最長20日)、場合によれば再逮捕されてさらに身柄拘束期間が続くこと、にある。
 不起訴処分になるか、あるいは罰金(略式起訴)で終われば釈放されるが、正式起訴されれば保釈請求が認められないかぎりそのまま拘束される。一般に、第一回公判期日に罪状を認めれば保釈は認めてもらえるが(もちろん殺人など重大事犯は別だが、その種事件を私選で受けることはめったにない)、その前に認めてくれることはめったになく、その難しい交渉を検事・裁判官としなければならない。と同時に公判での弁護活動の準備をし、かつまた公判に立ち会わなければならない。
 という次第なので、事件によるが、受任後一定期間は、有無を言わさず弁護士もまた拘束されるのである。

 依頼者はその後逮捕・勾留されて接見禁止処分(共犯事件の場合によくこの処分がつく。弁護士以外の一切の面会が許されない。)がついたので、時間をやりくりして3日に一度は某警察署の留置場まで接見に行く。
 昨朝8時過ぎ、電話をしたらすでに護送車が出た後とのこと。日ごろは警視庁刑事が来署して調べてくれるが、昨日は地検での取り調べのため、警察の護送車が朝早くから各署を回りながら被疑者を車に乗せて地検に運び、取り調べが終わった後は行きと同様に各署に下していったのである。私の依頼者が署に戻ったのが5時半、その後夕食をして終わるのが6時と言うので、すぐに事務所を出たが、署に着いたのが6時10分。ちょうど弁護士4人が接見に来て面会室4室が埋まったばかりというので空くのを待ち、6時半過ぎから7時15分まで接見をした。

 思い出すのは昨年のゴールデンウィーク。直前にたまたま2つ受任、一つは接見禁止がついていなかったが、土・休日は警察の人手が足りないので弁護士以外の面会差し入れを一切認めない。毎日、東京地検本庁管轄ではない警察署に代わる代わる接見に出かけた。
  明日から18日まで事務所を閉める。もちろんこの間も接見には行くが、民事事件の起案などほぼ終えて心おきなく休むことができる。19日からまたフル回転。休める時は休んで充電をしておかなければ。お陰様で当事務所も先月末に満6年を経過、7年目に入った。弁護士過多で仕事がない人も多い中、順調に仕事をさせていただいて幸せである。

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Vol.81 参院選が終わる (2010年 7月15日)

  なぜあんな馬鹿なことを言うのだろうと、耳を疑った。選挙期間中に総理がした消費税発言である。支持率がV字回復し、自分は何を言ってもいい、何も言っても国民がついてくると、すっかり調子に乗ったのであろう。普通の頭(感性)があれば、選挙期間中に、そんなわざわざ言わなくてもいいことを言って、国民を怒らせるへまはしない。
 我々は、国が無駄を省いていないのに、たやすく付けを回されるのには納得できない。できるかぎりのことをやっていただいたうえでであれば仕方がないと考えるであろうけれど。

 菅さん、上記発言の旗色悪しと見てとると、低収入層には消費税を還付するときた。それも1日の中で、年収400万円以下から年収200万円以下まで、数字が毎回変わる。このレベルでは100万円違えば10%位は割合が変動するが、そんな基礎も分かっていない。下手なペテン師さながら、その場その場で言うことが適当に変わる。あれ、何のことはない、前任の鳩山さんと同じである。二代続く無責任発言体質は、つまるところ民主党そのもの……??
 私が一番問題だと思うのは、還付というのがどういうシステムか、普通のサラリーマンがすぐに分かることがまるでちんぷんかんぷんというお寒い頭の中である。正しく還付をするにはレシートを集めておいて集計しなければならない。それ自体は還付請求する個人がするのだとしてもそのチェックに一体どれほどの人手をかけて経費を増やすというのか、考えるだけで目眩がする。
 早い話。普通のサラリーマンすら勤まらない人が国を治めている。それが我が国の寒い現実だ。 「人を治めるのは理念ではなく、人格である」と誰かが言っていたが、人格はもちろん理念もなくして、何をかいわんや。

 民主党にはわずか10カ月で完全に愛想が尽きた。その受け皿がなくて、意外に自民党が取っただけだから、自民党も決して浮かれてはいけない。

 今回は、雨後のタケノコのように出たタレント議員がそれほどは当選しなかった。
 それにしても比例区の選挙はいまだに国民によく理解されていないようだ。例えば自民党に入れようとしてよく分からないので一番最初にある名前を書く。結果、あいうえお順の最初の人が、まったく知名度もない新人なのに当選する、ということが毎回起こる。こんなことでいいのかなと思う。40万票取った国民新党の議員は当選せず、人気のみんなの党は3万票台でも当選だ。国民が分かっていての結果であればよいのだけれど。

 さて大相撲。賭博は前から普通にやられていたのに、今回大騒ぎになってようやく、だ。よくあるパタンではある。賭博そのものがいけないというより、暴力団が胴元になり、その資金源となるからいけないのだ。この際、公益法人としての税制の優遇やその他、様々にある閉鎖的・特権的なシステムを抜本的に改善する時期にきたということではないか。自助努力では無理だから、外圧で膿を出すよう願っている。

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Vol.80 参院選が迫る (2010年 6月29日)

 6月2日に鳩山・小沢が辞任し、4日菅首相が誕生したとたん、支持率はV字回復である。支持率の高いうちにと、通常国会は予定通り17日に閉会となり、今や永田町はほぼ選挙一色である。

 私が12年前の7月、参議院議員になった。1期6年で引退したから、もし2期目をやっていたとしたらこの度の選挙は3期目を目指す選挙となる。
 先般、参院自民党同期のうち集まれるものが9名、集まった。12年前(平成10年)、同期は22人だった。十年会と名付けられ、最年少だった私が初代幹事となった。うち、この度の選挙に出て3期目を目指すのはたった4人である。うちどれだけが残るか。違う党に行ってしまった人も結構いる。選挙に勝ち続けるというのは大変なことなのである。
 6年前弁護士になった翌年、郵政解散・選挙があり、3年前の参院選は安部首相の下で自民党は大敗を喫し、参院自民党は野党に転落した。そして昨夏の衆院選で麻生首相の下、名実ともに野党となった。そして1年足らず。与党と聞くと未だに自民党のことだとふと思ってしまうほど、なかなか変化には慣れないものである。

 菅さんが政治理念を語るのを聞いたことはない。おそらく、ないのであろう。それでも国民はこの人に期待せざるをえない。珍しく世襲でないのも新鮮だ。それが支持率の上昇になって表れている。
 希代の軽い鳩山首相の下、民主党の迷走ぶりは目に余ったが、自民党の支持率は上がらない。消費税を真似したとか、事務所費問題をどうするとか、枝葉末節なことを言っていてはだめである。そもそも自民党政治に嫌気がさしたからこそ国民は改革を求めて民主党に投票したのだ。その反省に立ったうえで、相手の揚げ足とりではなく、主体的積極的にこの国をどうしていくという道筋を示さなければ、国民の支持は得られない。与野党を問わずいつも思うのだが、政治家に組織的なブレーンがおらず、個々勝手に適当なことを言っている感がある。

 大相撲の野球賭博問題にも揺れる中(しかしマスコミは前から賭博のことを知っていたのである)、日本サッカーの勝利がほぼ唯一の明るい話題かもしれない。私も俄かサッカーファンとなり、夜11時からの生放送を見るために連日夜更かししている。今夜11時、南米パラグアイとの善戦を、できれば勝利を、心から祈っている。

 4月からの毎日曜午後6時〜NHK教育「ハーバード白熱教室」を12回にわたって興味深く見た。政治哲学マイケル・サンデル教授。大講堂には1000人もの学生が押し寄せ、教授からの質問に答える。具体的な例を挙げて、この殺人は許されるか否か、理由は、税を払う根拠、同性婚、中絶の是非等々。学生同士も討論をし合う。何かに直接役立つ小手先の知識ではなく、自らのよって立つ、人を説得しうる哲学である。
  知性。ああ、こういう授業が必要なのだなとつくづく思う。日本はすべてにわたって軽薄短小のハウツーものばかり。だが、国際社会では付け焼刃ではない本物の知性がないと尊敬はされない。それがないから政治も人も軽いのだと、ただ納得させられる。

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Vol.79 普天間問題その他  (2010年 5月31日)

 この1か月,仕事がとても忙しかった。重なるときは重なるものである。
 その分,ゆっくりできるときにこそいろいろ勉強をしておくべきなのだが,よほど立派な人間でもないかぎり,なかなかそううまくいかないものである(といつも反省する)。

 それにしてもよくぞ毎日これだけニュースがあるものだ。
 宮崎口蹄疫牛問題が拡大の一途をたどり(酪農家の方々が気の毒で見ていられない。一次産業は天候に左右されたりで大変である),普天間問題は案の定元の黙阿弥,この度ついに社民党が連立を離脱した。今月21日には小沢氏が再度不起訴となり,検察審査会の再議決待ちとなった。7月11日参院選には,雨後のタケノコのようにまたぞろタレント候補が担ぎ出されている。つらつら見るに,明るいニュースはとんとない。

 振り返って,「最低でも県外」と首相が公言したとき,実にびっくりした。
 となるためには移設先とアメリカ,2つの同意が必要だ。いずれもが裏交渉で完全に決まっていてさえ,相手があることだし,まだ公にはまだなっていないのでいつひっくり返るか分からない。だからかなり控えめに言うべきものだ。これは別に,駆け引きといった難しいレベルの話ではなく(もちろん政治家ほど難しい駆け引きができなくてはいけない職種もないが),最大限を一度言ってしまえば,うまくいって当たり前,万一うまくいかないときには不満や非難の的となるのは必定だからである。実際,沖縄がそうなった。沖縄問題の根幹は実は差別問題であり,今回の首相の一連の対応は,沖縄住民の,本土から差別されているという意識に火をつけた。沖縄は1972年,アメリカから返還された。

 由紀夫氏はこれまで,希望を述べさえすれば周囲の誰かが叶えてくれるという恵まれた環境にあったらしく,今回も勝手に?そうなるものだと思っていた節がある。まさに宇宙人であり,政治家には最も向かない人種であると言ってよい。BR> 社民党党首の,「私は絶対にいや」の駄々っ子対応にも辟易したが,そもそも連立を組む以上,安全保障といった国の根幹に関わることは政党間合意をしておくべきものである。ただの数合わせで見切り発車をした,その結果がこれだ。
 首相を替えようという動きがようやく出始めたらしい。とはいえ,これといった人がいない。英国ではこの度の総選挙で43歳同士,党首2人の連立内閣ができ,羨ましいといったらない。

 英国は典型的な階級社会の国である。支配層は,選ばれた階層に生まれ,選ばれた学校(イートンやハローを出て,ケンブリッジかオックスフォードで学ぶ)で伝統的な教育を受けた教養人である。片や日本は世界で最も成功した実質社会主義国家であり,平等主義がいきわたって(いきわたりすぎて),出自や学歴にはほぼこだわらない。
 スポーツマンやタレントを馬鹿にするわけではないが,人生の大事な時期を学業以外に費やした結果,今があるはずだ。各種専門家には資格が要るし,またそうでなくてもキャリアが評価されるのが当然の中,政治家だけはど素人でいいというのは理がなく,国民をばかにしている。そしてますます日本は世界になめられてしまう。

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Vol.78 永田町はどうなっているのだ  (2010年 4月30日)

 4月に入って,大学が始まったうえ,事件受任が重なり,ばたばたしていた。今日ようやく一息ついている。
 例年にない異常気候で,寒暖の差が激しいうえに降水量も多く,先週末ついに,今期一度も引かなかった風邪を引いてしまった。とはいえ幸い熱も出ず,休むことなく,スケジュールに穴を開けることもなく,ほっとしている。明日から連休に入る。

 この1か月,世間でも何やかやといろいろなことが起こって,めまぐるしい。
 とにかく政権の迷走がひどい。ひどすぎる。国の意思の決定プロセスが分からない。司令塔もなければ責任の所在も不明で,各大臣がてんでばらばらにアピールをするばかり。子ども手当や高速道路料金問題といった各論もひどいが,安全保障は国の基本なのである。米軍をここまで迷惑者扱いをしていて,いざ有事となったら頼む,と言われても,頼まれるものこそいい迷惑であろう。甘えるのもいい加減にしろと言いたい。それとも「有事はない」という前提に立ち,日米安全保障条約は破棄する腹でもあるのだろうか。自衛隊で守れる範囲でなんとかしようというのか。それとも憲法をついに改正して,自前の軍隊を持つのか。何をどうしようとしているのか,さっぱり分からない。とにかく不安である。
 昨年の総選挙前によく言われた。「自民党には不満,民主党には不安」と。そして,国民がとにもかくにも政権交代(オバマ大統領のスローガン「チェンジ」も大きく影響しただろう)を望んだところが,ここまでひどいとは誰が想像していたであろう。私の周囲もみな,もはや怒りを通り越して呆れ果てている。

 ここに来て,急に検察審査会が脚光を浴び始めた。鳩山さんの不起訴は相当とし,小沢さんのは「起訴相当」とした(「不起訴不当」よりも重い)。これを受けて,検察は再捜査をする。結果,あるいは起訴をするのかもしれない。もしまた不起訴にしても,きっと検察審査会は再度「起訴相当」の議決をするであろう。なぜならば,小沢さんの錬金術は許せないと考えるのが法律を超えた庶民感覚というものだから。そして,昨年裁判員裁判が施行になるとともに検察審査会の機能が強化され,二度「起訴相当」の議決をすれば,指定弁護士が検察官になって起訴をすることとなった(検察の起訴権限独占の例外となる。)。いずれにしても小沢さんもこの政権も,窮地に追いやられていることは間違いがない。

 民主党の自滅はすなわち,自民党を利するはずであった。ところが自民党の支持率は上がらない。それはそうだろう。総裁が頼りない,執行部刷新をと仲間割れをし,結局すでに10人以上が離党し,新党が2つ出来たくらいなのだから。
 しかし,素朴な疑問。皆で選んだ総裁をなぜ盛り立てて,助け合わないのだろうか。谷垣さんは谷垣さん,別の人にはなれない。彼はもともと温厚であり,攻撃型の人ではない。そんなことは分かっていて,みなで選んだのだ。それでいて協力をしないというのでは困る。みな大人になってもらわないといけない。
 問題は,政治家が,この国の将来ではなく,次回の選挙だけを視野に入れ,選挙に勝つことだけを考えていることにあるような気がする。

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Vol.77 足利事件について  (2010年 3月30日)

 先週金曜(26日),足利事件の再審無罪判決が出た。
 まずもって菅家さん,お疲れさまでした。無実の罪で17年。長い。長すぎる。無期懲役刑であればこそ生きて名誉を回復できたけれど,もしこれが1人ではなく2人の殺害で死刑判決となり,そして死刑が執行されていたらと思うとぞっとする。
 想起するのが,一昨年秋に死刑を執行された飯塚事件である。飯塚で起こった,女児2人のわいせつ殺人事件。こちらの被疑者にも前科前歴はなく目撃証人などの客観的な証拠はない。同時期に実施されたDNA鑑定が決め手となった点も共通する。大きな違いは,足利事件には当初あった自白がなく,被告人が最高裁まで一貫して無罪を主張し続けたということだ。また,DNA鑑定の誤りを認める資料となるべき遺留物が残っていないため,鑑定が誤っていて彼は無実であったと確定するに足りる決め手はない。
 死刑執行は,死刑判決の確定後わずか2年であった(法律では半年以内に執行となっているが,実際死刑確定者は約100人滞留していて,2年は短いほうである)。当時すでに足利事件の再審請求及び当時のDNA鑑定の不完全さは知れていたのであるから,まさに死人に口なしとなった。

 さて,今回の再審無罪の結論は分かっていたから,最も考えさせられたのは,実は裁判官3人が起立して深々と頭を下げ,謝罪をしたことである。
 もちろん彼らは当初の裁判に立ち会ったわけではないから,組織として頭を下げたということになるだろうが,では裁判所の上の誰かが指示をしたか? まさか。裁判官の個々独立は民主主義の要であるから決してあってはならないことである。となると彼らは協議して,人として,気の毒なことだからと考え,揃って頭を下げた…。なんだか変だなあと言うと,誰もあまり問題意識を持っていないようなのだ。アメリカ暮らしが長い知識人いわく,「日本は謝罪文化の国だから。誰かが頭を下げないことには納得をしない」。割り切れないままなんとなく納得をする。日本はもともとそうした社会なのであり,欧米,ことにアメリカのような,民族・価値観が多種多様にあって争いが日々当然に起こり,ゲーム(狩の獲物)のような感覚とは異質であると改めて思う。
 菅谷さんたちは捜査にあたった担当検事が謝罪しないと言って怒っていたが,私自身が担当検事であったとしてもそう簡単には謝罪できなかったろうと思う。当時の証拠関係では犯人だと確信していたのだし,また強引な取り調べもしていない。
 実際,検察の現場にいたものとして,世論が早く逮捕して処罰をと望む凶悪犯人について,警察が日夜努力して犯人をようやく見つけ出し,逮捕して送検してきたのを,ちょっと疑わしいからと言って釈放はできないこともよく分かるのだ。それは,殺意は難しいが傷害致死で,とか強姦の犯意が難しいから横領の犯意が難しいから釈放をというのとは次元の異なる話なのだ。凶悪事件の真犯人は必ずいるのだから,疑うことは警察の捜査が失敗だったと宣言することになる。そしてまた一から捜査やり直しとなるはずだが,現実にはそうはいかない。アメリカでも陪審で無罪となっても真犯人捜しはもはややらない。

 冤罪はどんなに軽い罪・刑罰であってもあってはならないことであり,マスコミも含めて我々は日々それがなきよう努めねばならない。

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Vol.76 弁護士という仕事   (2010年 3月26日)

 いろいろなことが起こって,書こう書こうと思ううちに1か月が経った。
 弁護士から裁判官に転ずる弁護士任官が奨励されているが,任官者の一人が弁護士会関係の雑誌にこんな感想を書いておられた。
 長所として,弁護士の時より多彩な案件が扱える,合議が新鮮である(この方が勤務する高等裁判所ではすべて3人の裁判官の合議である),給料が決まって入る……。ただ,決定的に違うことは,「依頼者がいない」。
 実際,依頼者あってこその弁護士であり,依頼者のための弁護業務なので,裁判官や検察官の絶対正義とは異なる。お金のことも考えなければならない。その意味である種やはり商売であって営業のうまい人が流行るのだが,ビジネスの上手さと仕事のまっとうさはもちろん別物である。物を売るでなし,医者と並ぶ専門業務だから,同じ専門家でなければ仕事の内容の当否を判断するのは至難の業である。

 経営者タイプと職人タイプ。大きく分けて,この二種があると思う。
 飲食業を例にとると,自分の手に負える範囲で店を維持する人と,どんどん拡張していく人。好む店は前者である。例えば,寿司屋では赤坂の「喜久好」。夫婦2人のこじんまりとした店。味は超一流だが,人件費はかからないし,お酒は一種のみだから値段はリーズナブルだ。近頃料理屋のような寿司屋もよくあるが,扱うのは常に正統派の寿司のみ。常に同じ味の寿司飯を提供できるのは,プロだからと言ってしまえばそれまでだが,これが出来るプロは実際とても少ない。
 自分がもし料理人であればそういう店をやりたいし,もし医者であれば,先生の顔を見ただけで病気がよくなると患者から慕われる,そんな医者でいたい。前にテレビで町医者のドキュメンタリーを見たが,いわく,大病院は病気を診るが,町医者が扱うのはその人そのものである。弁護士がそこまで深く依頼者に立ち入るわけはないが,ビジネスだと思うことはないし,縁あって自分を頼ってくれた人のために,最善の仕事をしたい。

 懲戒事案を扱う綱紀委員会に所属していることから究極の事案は扱っているが,でなくてもセカンドオピニオンを求められることもあって,へえ,こんな処理をしているんだ,ずいぶんお金を取っているのだなとびっくりすることがある。だからといって,正直にそう言えないのも辛いところであるが。
 正直な歯医者は儲からないと言う人がいるが,同じことが弁護士にも言える。訴訟にするのはめったになくたいてい相談で終わるし,せいぜいが内容証明,よくて(?)示談交渉だ。もともと巷に高額事案はさほどない。ただ,検事時代,配点された事件で被疑者や被害者から感謝をされて味わった充足感と,私をたのんでの依頼者との間で味わう充足感とは別物であると感じる。前者はいわば無色透明で気高くもあり,一方,後者は濃密で人間的なものだ。国会議員は常に不特定多数の人のための仕事であり,個別の人に報いるものではなかった。やはり公務員と自由業の差は大きい。
 依頼者の存在を大いにかみしめ,感謝をせねばならないと改めて思うのだ。

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Vol.75 委員会審議について   (2010年 2月17日)

 予算委員会の審議が放映されるので,テレビを見ることがある。
 民主党政権になって最も変わったことは,官僚答弁の廃止である。
 法制局長官の答弁も廃止,細かいことまで各省庁の大臣・副大臣・政務官に答弁させ,もたもたしている。官房長官の答弁に至っては笑止千万なことがある。憲法も何も知らないということが一目瞭然だ。そもそも政治家にそれほどの力量があるはずもなく,反対に,官僚はその役所で何十年も同じことをやってきた専門家なのだから,これを使わない,使えないというのは不合理に過ぎる。
 政治主導という理念は,主導する政治家に相応の力量があって初めて可能となる。加えて,政治主導は官僚を排除することとは別物である。官僚は手足となる永続的な組織であり,それに比して政治家は,選挙によって代わるべき非永続的な存在であり,また組織として微小である。
 官僚をうまく使うことこそが上手な政治手法であることは今も昔も変わらない。ただ政治家に力量がないために官僚に使われてきた過去があり,その過去を払拭する方策は,官僚を排除することではなく,自らの力量を高め,官僚を使いうる主体にすることなのである。

 そのこと以前に,委員会審議には大いなる疑問がある。たぶん多くの国民が気づいていることと思うが,今回も「なぜスキャンダルばかりやって,肝心の予算をやらないの?」。
 以前国会にいたとき,某女性議員がカナダ在住の日本人領事のDVについて質問をしていて驚き,なぜこんな質問がありうるのか傍にいた先輩議員に聞いてみたところ,「予算委員会だから何でもある」との答え。実際,何でもあるどころか,肝心の予算についての審議がまるでないにも等しいのである。
何にいくら使うか,それが税金の正しい使い方なのか,それを逐一審議していくのが本来の予算委員会であろうと思うが,それはほとんど出ない。そしてスキャンダルなり何なりやったあとは採決するかどうかだけ。これは数の論理で決まるから,予算案は審議する以前に決まっているということである。つまり委員会はある意味,見世物だ。各党ないし各議員の選挙区向けアピールである。注目される予算委員会は花形だから質問をしたい議員は山ほどいる。私も一度テレビ放映の際の質問に立ったが,その反響たるやすごかった。

 予算委員会に限らず,どの委員会でも逐条審議をやればいいのだが,条文にのっとって質問をする人は極めて少ない(当然ながら私はそうしていた)。質問といっても感想程度の,あまりにお粗末すぎて聞いているほうが恥ずかしくなるような質問も珍しくない。
 ちなみに欧米各国では逐条審議をするという(『国会学入門』大山礼子著 三省堂)。法律制定・改正である以上当然であろう。逐条審議をやれば法律の解釈も残るし,さらに重要なことは質問のネタは尽きてしまい,審議を引き延ばしては廃案に持ち込むことができないということである。
 国会において改善すべきことは多い。
  国会改革を,といっても,それ相応の識見のある議員がそろわないことには無理なのであろうが。

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Vol.74 小沢不起訴に思うこと   (2010年 2月8日)

 先月来,小沢はどうなるのかと聞かれる度に,私は「在宅起訴になるでしょう」と答えていた。これだけの証拠があるからというよりむしろ,起訴しなければならないという理由からである。現職国会議員を国会開会直前に逮捕し,その絡みで与党幹事長をまさに鳴り物入りで取り調べたのだ。もちろん参考人としてではなく,一般市民からの告発を受けての被疑者としてである。そこまでやる以上,起訴なしでは済まないと考えた。
 だが結論は,周知のとおり,今月4日の勾留満期(延長して20日間)当日,逮捕された3人は起訴になったものの,小沢は不起訴であった。朝青龍の突然の引退劇が重なり,この日マスコミはてんてこ舞いだったそうだ。

 不起訴の理由は当然ながら,起訴するに足るだけの証拠がなかったからである。そこはさすがに法治国家。ことに日本は,英米とは違って,起訴基準が有罪基準とほぼ同じレベルである。つまり,起訴するときにすでに,合理的な疑いを容れない程度の確証(一般人が誰も疑わない)がそろっていなければならない。無罪が出にくい仕組みになっているのである。
 今回,小沢の指示もなく,秘書が勝手にそんな大それたことをするはずもないと考えるのは常識的だが,常識で裁判ができるのであれば証拠は要らない。秘書の一人は「小沢の了承を得た」と喋ったようだが,「上の了承」があったことをもってして上との共同不法行為(民事事件)とするのはよいが,刑事事件の「共謀」とするには薄弱だ。加えて,密室での取り調べでは心弱くなったとしても,裁判になれば供述が覆るのは必定である。
 おまけに,問題の4億円の原資が分からないままであった。政治献金→銀行融資→個人資産と弁解が変遷し,疑わしいこと限りないが,疑わしいのは被告人の利益となる。うち5000万円についてはちょうどその頃ゼネコンから裏献金をされたと見込んだとはいえ,その供述の信ぴょう性が不明であり,貰ったとされるほうは認めない。そもそも前回私が指摘したように,残額については不明のまま,関係者を逮捕をして何か吐かせて出てこないかという乗りで強制捜査を始めたのだとしたら,非常に問題である。

 そして,やはり何も出てこず,当然の結論となったというわけだ。
 それでも,検察は小沢の金権政治の危うさをあぶりだしたからいいじゃないかという意見もあるようだが,その役割はマスコミが担うことである。検察は自らが強大な国家権力であり,であるが故に抑制的にその権力は行使されなければならない。国民から選ばれていない検察が,自分たちが国家を変える,国を正すという意気込みを持っているとしたら,誤りであり,危険なことである。

 この間,日本が世界からどう見られているか,気になって仕方がなかった。永田町も霞が関も,ひとり国内ではなく世界における日本をどうか考えてほしいと切に願う。
 財政破綻をしたギリシアの例にみるまでもなく,日本の財政も危機的状況であるという。
 先行きが不安である。羅針盤がなく,日本丸がどこに行くのか,不安である。

 このホームページを読んで,感想など送ってくださる方が結構おられる。心より感謝である。

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Vol.73 小沢対特捜部   (2010年 1月19日)

 昨日の通常国会前に特捜部は,かねて調べてきた石川議員を政治資金規正法違反(虚偽記載)で在宅起訴──というように聞いていた。
 ところが,13日には関係各所に強制捜査(捜索差押え)が入った。暦を見ると「先負」。縁起が悪いから普通こういう日にはしないのだが,特捜部もよほど焦っているのだろう。身柄確保(逮捕)は少し遅れて15日夜,「赤口」。
  国会開会中は現職国会議員には不逮捕特権がある。ぎりぎりの日程だった。新旧の秘書も併せた逮捕者は3人。うち大久保秘書は,昨年3月に逮捕されて現在公判中だ。この容疑は以前に書いたが,2000万円程度の政治資金規正法違反にすぎない。しかもまったくの不記載ではなく記載はしたが,その団体の実態が別にあることを知っていたから虚偽記載だ,というそもそもがきわどい容疑であった。無罪になる可能性が大きいと思っていたが,実際,公判の推移で無罪の公算が高まっていると漏れ聞く。逮捕容疑があまりにちゃちかったので,それは突破口にすぎずきっと悪質な事犯が出るはずという読みが外れたのは当初の私の予想どおりであった。

 小沢は嫌いである。顔も喋り方も存在も政治手法も。政治とは言葉で人々を説得するものなのに,彼はまっとうな演説も討論もできない。なのになぜ権力が集中するかといえば,集金方法及び選挙を熟知しているからであろう。田中角栄,金丸信に連なる金権体質の政治家は政界から一掃してほしいと願っているが,ただ,だからといって今回の捜査を是とするかは,自ずから別問題である。
 以前から再三主張しているように,主権在民である。国民が選挙で代表者を選び,国を変える,それが民主主義なのだ。一方特捜部は国民の信を得ていない。その特捜部によって国の在り方が変わってよいはずはない。もちろん法治国家だから収賄など明らかに法に触れる犯罪が出てくれば別だが,狙いを定めて何でもいいから洗うというのは越権である。
 4億円が今回ゼネコンから渡った裏金で,その金を土地買収にそのまま使った,という明らかな証拠でもあれば別だが,今回裏を取っているのは5000万円に過ぎない。あとは関係者を逮捕して何かをはかせようというのであれば,前近代的な手法である。

 問題は特捜部がリーク合戦をしているということである。リークをしてメディアに悪者として取りあげてもらい世論を盛り上げるというのは特捜部の常とう手段であり,メディアもネタがほしいがために批判をしないという悪循環が作られてきたが,本来,捜査の内容を漏らすことは国家公務員法違反にも該当することなのだ。
真に証拠がきっちりあれば,黙々と捜査をして20日後に起訴をすればすみ,これほどのリークをする必要はないので,これは特捜部の焦りと見てとれる。

 自民党も特捜部待ち,敵失で浮かれているようでは情けない。
 国民は雇用問題,景気対策を真に願っている。国会でやるべきことは盛りだくさんだ。自民党も含め政治家が自ら引き起こしている金銭問題に終始するために国民は代表を選んでいるわけでも高い歳費を払っているわけでもない。そのことを肝に銘じてほしいが,どうやらバッジをつけるとみな正常な国民感覚を忘れてしまうものらしい。

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Vol.72 政治が見えない    (2009年 12月22日)

 民主党政治,早や3か月で正体見えたりである。
 梅原猛氏が鳩山首相を評して「宰相らしい人がようやく出てきた」と手放しで褒めていたのは1か月ほど前のこと。自民党の,とくにこの5代はひどかった,中には中学程度の教育さえ受けていないと思わせる人もいたと。これを読んだとき違和感がなかったということは,私もまだその時点で首相ないし新内閣に期待をもっていたはずである。
 鳩山首相の人間性の良さは認める。閣僚たちもそれぞれにいいと思う。だが内閣が何をどうしたいのか,そもそもどんな国家にしようとしているのか,何も見えてはこない。
 政治は国家の意思決定である。意思決定がどうなされたのか,プロセスが見えなければならない。リーダーたるもの,最終の動かない意思を国民に示さなければならない。それが政治である。

 安全保障は国の基本だが,今回の普天間問題に見る首相の迷走は目を覆うばかりである。国際的にどれほどの恥だろうか。連立政権を組む以上,基本政策の合意は不可欠である。日米合意を優先するのであれば社民党とそもそも連立は組めない。米国にいい顔をし(首相はオバマ大統領に「トラストミー(私を信用して)」と言ったという。),社民党にいい顔をし,沖縄も立てて,などといったことは出来ない。この甘さ加減には怒りを通して呆れてしまう。
 もちろん鳩山首相にはそもそも実権がないのであろう。小沢の傀儡との声は巷に満ち満ちている。党の幹事長が意のままに政治を動かす構図。だが,国家の意思決定はもちろん内閣でなされなければならない。党は国家の行政機関ではなく,私的な存在である。これでは党独裁のどこやらの国家となんら変わらない。
 日米同盟がこれまでになく動揺するなか,小沢幹事長は600名を引き連れて中国を訪問した。安全保障は現実問題である。現実に北朝鮮の脅威があるかぎり,日本は非武装というわけにはいかず,憲法を改正しないかぎり自ら武装するわけにもいかない。どこかの傘に入らなければならないのだが,であれば日米同盟を厳守するしかない。彼は国連の安全保障が好きなようだが,国連は幻想で,軍隊を発動するのはアメリカなど大国の意思であることは,一般民衆は知らないにしろ政治家にはイロハである。

 天皇と中国副主席の謁見問題も目に余る。
 これが純然と憲法の定める国事行為(第7条)に該当するにしても準国事行為にすぎないとしても,天皇のスケジュールは純然とした私的行為でないかぎりすべて「内閣の助言と承認」によるべきものである。だが──ここが肝心──彼は内閣の構成員ではない。これをどうやら理解していないとしか思えない「宮内庁長官は行政の一員にすぎない。言うことを聞け」旨の発言には唖然とさせられた。内閣がやはり傀儡にすぎないことを図らずも露呈した一件。天皇の政治的利用は許されないというのは現実には必ずしも通らないとしても党による政治的利用が許されないのは当然である。もちろん宮内庁長官がいったん受けておいてばらしたことも許されない。行政の在り方として上の指示に従えないのであれば辞任するしかない。
 まさにどこもここも……とにかく暗澹たる気持ちになる年の瀬である。

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Vol.71 異様な犯罪が続く    (2009年 11月10日)

 政治家の感覚は世間の常識とずれていると感じることがよくある。
 最近では小沢さん。1年生は次期選挙を勝つことだ,全員地元に張り付け,仕事はしなくてよいと,仙石行革大臣担当の事業仕分け作業から全員を外させた。だが言うまでもなく,国民は彼らの次期選挙を盤石にさせるために彼らを選んだのではない。高額な歳費を払っているのはもちろん仕事をしてもらうためである。一体どこの世界に,研修が君の仕事だと言って給料を払う会社があるだろう。若い時から政治の世界に入ると,金銭感覚はじめ様々な常識がずれてくる好例である。その意味でも基本的に世襲議員は好ましくないのだ。

 そんなことを書こうと思っていたのだが,このところ異様な犯罪が続き,目は社会面に向かっている。千葉では女子学生が殺されてアパートを放火され,島根ではやはり女子学生が強姦されて殺されたうえ,ばらばらの死体が広島の山中で発見された。およそ犯罪などとは無縁そうな田舎のことだけに社会への影響は大きい。両事件の犯人が男であることは間違いないが,まだ見つかってはいない。そういう残忍な男たちが街中を平気でうろうろしているのだと,思うだけで怖い。
 片や,女が犯人の事件が2つ。結婚詐欺・睡眠薬殺しだ。こちらも対照的に,東京と鳥取。東京34歳,鳥取35歳。まさか2つも同じような事件が起こるとは思わず,へえ東京じゃなく鳥取だったんだ,34歳の女が誕生日が来て35歳になったんだと思いこんでいたら,別件だと知って,本当にびっくり。一体いつからこうした手口が出回るようになったのだ!?

 加えて,リンゼーさん殺しの市橋容疑者。死体が見つからないので生きているとは思っていたが,本当に2年以上も逃走を続けていたのだ。その生命力たるや,まさに脱帽である。全精力が逃げることにある,見つからないことにある,という人生は想像を超える。よほどの強い意志がなければとうの昔に自殺なり出頭なりをしていたはずである。事件自体,強姦がどうだったのか分からないが少なくとも計画的な殺人ではなかったのだろうし,強盗殺人でも保険金殺人でも身代金目的殺人でもなく,もともとが有期懲役で済んだはずだ。だが逃走を続けた分情状は当然重くなり,この間に裁判員制裁判が施行されて全体に判決は重くなった。そもそも殺人の公訴時効は平成16年の法改正で25年に延び(従前は15年)逃げ切るのは至難の業だ。それよりかはずっと,法の裁きを受けてできるだけ早く仮出所し,更生の人生を歩むほうが得策に決まっている。
 一日も早く捕まってもらい,事件の真相及びその後の逃亡生活の実態を知りたい。真相究明は刑事訴訟法の究極の目的でもある。まさに事実は小説より奇なり,である。

 犯罪は社会を映す鏡である。殺伐とした犯罪が連続的に起きる背景には殺伐とした社会がある。私が最も憂えているのは,職がないことだ。高校新卒者の就職内定率が3割程度。大学新卒者も4割程度。こう不景気では既職者もいつ首になるか分からない。冬のボーナスは軒並み大幅カット。消費は冷え込む。どの業界も軒並み不景気で,回復のめどは立たない。この悪循環は決して,子ども手当や高速道路無料化では止まらない。  

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Vol.70 民主党政権1か月    (2009年 10月13日)

 このところ身柄事件を引き受けたり(今年は比較的,刑事事件の依頼があった),顧問先その他の相談案件が重なったり,綱紀委員会の起案をやったり,で毎日結構忙しい。人間忙しすぎるとよくないが,適度に忙しいのは生活の張りを生むとよく分かる。趣味のピアノも練習時間を作れ,上達している。なにせ自宅に思い切って6月,防音室を作ってグランドピアノを入れたのはいいけれど,夜10時に弾いていたら早速にクレームがつき(完璧な防音ではないので),結局元の黙阿弥,午前9時から夜8時までの規制を自らかけている。

 しかし,自由業はいい。検事のとき,また国会議員のときは時間は自由にならなかった。時間(人生)を自分の責任と管理においてやりくりし,好きなことをするのは精神衛生上,極めていい。反対に,時間が膨大にあってはとてもやる気にはなれないはずだ。
 野党に転じた自民党。党本部は議員も一挙に少なくなり,客も少なくて,がらんとしているそうだ。議員会館にも客は少ないし(法案提出に野党は不要なので官僚はまず来ない),党の部会も法案提出・審議のためのものではなくなるからこれからどうやって態勢作りをするか,野党必至の今後4年をどう過ごすか。
 何もやることがないからとこの間のんべだらりと過ごすことは許されない。それでは政権奪取はとうていできず党は霧散するし,そもそも与党であれ野党であれ,多額の報酬・手当・厚遇は同じである。ただ無為な時間を過ごしては国民への背信行為となる。
 政治は基本的に政局ではなく,政策なのだ。きちんと論理だって政策論争をするのが当然の欧米を見ると羨ましいなと思う。野党の揚げ足取り,スキャンダル追及に終始しては,国民からますますそっぽを向かれてしまう。

 さて民主党1か月。
 元は無駄であったにしろ,すでにだいぶ出来上がったダムの建設中止はひどすぎる。法の世界において既成事実は重んじられるのだ(刑事事件の公訴時効だってそうである)。住民の同意もとらず,費用対効果として正しいかどうかも検証がないまま,ただマニフェストでうたっているから実行というのでは横暴すぎる。そもそも国民は自民党がいやで民主党に投票をした人が多数だし,細部にわたるマニフェストにすべて同意をして選んだはずもない。鳩山首相のCO2,25%削減だって,国会も財界も同意を得ていない話である。
 高速道路無料化は国民の多数が反対している。時間はかかるが普通道路しか使わない人(車に乗らない人さえいる)がいて,反対に引っ越し業者や宅配業者のように費用を払ってでも速く着きたい人が高速道路を使う,というのは経済理論としても理にかなっている。混むから無料に,ではなく無料だから(あるいは安いから)混むのである。

 来年1月27日夜,ポーランドのプロとピアノ3重奏曲を演奏する。昨年はベートーベンの3番にしたが,今回は7番「大公」に挑戦する。楽譜にして55頁,全4楽章,ここかしこが技術的に超難度で精神性が実に深い。さすがベートーベンの大傑作であるとともに全ピアノ3重奏曲中最高傑作と言われるはずだ。芸術の秋。仕事の合間に素晴らしい息抜きができて,幸せを実感する昨今である。  

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Vol.69 自民党惨敗     (2009年 9月7日)

 まさかそこまで悪くはあるまいと思っていたのが外れ,総選挙の結果はほぼメディアの予想通りだった。民主党308,自民党119(嘘のサンパチ対百十九番!?)。
 小選挙区制導入の効果が如実に現れたという点では4年前の小泉劇場と同様だが(得票率50%未満で獲得議席70%以上),今回は正真正銘の政権交代となった。前回は「郵政解散」,今回は「政権交代」,キャッチフレーズ選挙という点でも同じである。

 国民は,自民党に愛想を尽かしたのだ。
 2度続いた政権投げ出し,閣僚の相次ぐスキャンダル。景気対策といっては箱物を作り,借金を膨らますばかりの無策さ。このままでは日本はダメになると,国民が憂慮するのは当然である。
  裁判員はあくまで素人である。それでも1年下げて懲役15年としたのは切りがよかったからか。評議の模様が分からないので何とも言えないが,裁判官は相当な苦労をしたのではないか。
 祇園精舎の鐘の声……驕れる者久しからず。まさに平家物語の世界が彷彿とする。9月4日付け朝日新聞で作家の高橋源一郎さんがうまいことを言っていた。父「自民党」の放蕩に妻「国民」は長らく耐えていたが,ついに離婚届を提出。「民主党」は父から脱皮して生まれた子であると。分かりやすい喩えに思われる。
 自民党は慢心し,ついに引導を渡された。とくに小泉さんの時くらいから,目の前の選挙に勝利することばかりを念頭に,人材を育成せず,国家の進むべき道も示されなかった。
 危機的状況を実感したのは,実は選挙に敗れたこと自体よりも(勝敗は時の運,敗れることもある)敗戦処理のまずさである。記者にさえむくれている首相。特別国会まで2週間もあるというのに(本来これは,自民党が新総裁を選出するのに必要な期間として設けられたはずだ),誰も手を挙げず,誰をも押し立てず,首班指名は白紙投票だという。政党政治において首班を指名できないなんて,そんな無様なことが許されるだろうか。内輪もめや足の引っ張り合いをしている場合ではおよそない。人の品性は勝ったときではなく負けたときにこそ表れる。

 民主党にはこの際,日本をよくするために是非頑張ってほしいと思う。
 私がどうしてもやらないといけないと思うのは,雇用の保障である。規制緩和の名の下に,製造業にさえ派遣を解禁したのは誤りだ。人間は物ではない。景気のいいときに増やし,悪いときには切り捨てては,心がすさみ,犯罪も増える。真に少子化対策を言うならば,安定した生活を保障することが必須である。いつ切られるか知れない雇用状況では,人は結婚することもできない。実際,生活の保障がないので結婚できない若者は大勢いるのだ。その現実にこそ政治は目を向けてほしい。優しさのある政治。そもそも政治とは若者に夢と希望を持たせる社会を作ることではなかったのか。今こそ長年の間に貯まった膿を出し,政治の原点に立ち返ってほしいと願う。

 さて,開始1か月になる裁判員制。青森地裁で初の性犯罪(強盗強姦)が裁かれた。現行では無期懲役・死刑が含まれる犯罪は裁判員対象であり,性犯罪も一部,対象となってしまう。裁判員は素人故,書面ではなく口頭審理が必須ということで,被害状況も公開法廷で読み上げられた。被害女性の苦痛は計り知れない。告訴をしない女性,示談をして告訴を取り下げる女性が増えるであろう。対象から外すことを考えてしかるべきであろう。
 

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Vol.68 裁判員制始まる,ノリピー逮捕    (2009年 8月10日)

 この3日,ついに裁判員制裁判が始まった。
  その様子はこまめに報道されたのであえて記さないが,感じたことがいくつかある。

 1.量刑が重くなることが分かった。
  求刑が懲役16年であれば普通,判決は懲役12年〜13年である。求刑の20〜30%減が判決の相場だからである。これはしかし現場感覚であって,私自身,思い起こせば司法修習の当初,相当に違和感を覚えた。
  検察官は公益の代表者として被害者の落ち度もすべて勘案したうえで求刑をしている。事実をその通りに認定したうえであえてそれを下げる理由がどこにあるのだ? 私の問いに,指導係検事は答えた。「弁護士の弁論代や。何も下がらんのだったら,弁護士は何のためにおったんか,弁論したのかということになる」。ふ〜ん。納得したわけではなかったが,そのうちに慣れてきた。もちろん今は弁護士として,下がらなかったらエライことである。
  裁判員はあくまで素人である。それでも1年下げて懲役15年としたのは切りがよかったからか。評議の模様が分からないので何とも言えないが,裁判官は相当な苦労をしたのではないか。
  さてこの後被告人側は控訴をするだろうから(72歳で15年なんて,実質終身刑である),控訴審がどう判断をするか見ものである。控訴審では裁判員制はないが,だからといって量刑を普通の相場観に変更したのでは何のために裁判員に裁判をしてもらったのか分からなくなる。この控訴審が一つの試金石になるはずだ。

2.裁判員制裁判の弁護士は大変だ。
 国選弁護士報酬を上げて1人40万円としたそうだが,それでもとても割に合わない仕事である。裁判が始まって丸4日,その前に公判前整理手続きで何日か取られた上,記録の精読,加えて裁判員用にパワーポイントなどの準備にどれほどかかるか,考えるだけで気が遠くなる。
  とはいえ,これ以上報酬を増やすのは困難である。今回2人つけて,80万円。裁判員裁判は年間2300件ほどあって,単純計算をしても大変な額になる。殺人はケースによるが,強盗事案で私選弁護士を頼めるほど金を持っているケースはゼロである。

 さて,ノリピー騒動。そもそも私は芸能情報に疎いのでよく知らなかったのだが,清純派として国際的人気も高かったという。とはいえ弟が暴力団員(先月覚せい剤で逮捕)であったというのになぜ法務省や厚生労働省はシンボルに起用したのだろう。
 夫が職務質問されたとき,その所持品検査に猛反対した彼女は,夫が覚せい剤所持の現行犯で逮捕された後,署への出頭要請を無視して行方をくらました。尿を出して覚せい剤が検出されるのを避けるためとしか考えられず(夫婦や恋人は一緒にやっているのが普通である),6日経って出頭して検出は免れた。事務所はなぜ失踪声明など出して騒ぎを大きくしたのだろう。
 マスコミで作られた像の虚しさ,また薬物汚染に深刻さに思いを致す。
 

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Vol.67 自民党の迷走,メディアの迷走    (2009年 7月19日)

  自民党の迷走が止まらない。まさに目を覆うばかりの体たらくだ。
 「いい時にやめましたよねえ」と会う人毎に言われるのだが,5年前にやめたとき,近い将来まさかこんなことが起きようとは想像も出来なかった。まさに「事実は小説よりも奇なり」。ふざけすぎた漫画のような感がある。

 辞めて翌年(2005年)の郵政解散で,反対派は公認を外され,静香先生などが離党した。小選挙区制の特徴を生かして党は「刺客」をばんばんと擁立(中選挙区制であれば派閥主導だからこんな芸当はできない),メディアは小泉劇場と仮し,83名もの小泉チルドレンが一挙に当選,自民党は歴史的圧勝をして衆院の自公勢力は3分の2を超えた。
 翌年,人気の安倍さんが首相になったがバンソウコウ大臣など閣僚辞任が相次ぎ,その翌夏の参院選は大惨敗,参院での与野党が逆転した。筋としてはその時に辞任するしかなかったのに,9月,所信表明を行った後に「小沢さんが話し合いに応じてくれなかった」とか何とか訳の分からない理由を述べて,辞任。
 その総括もないまま,自民党は首相に意欲満々な麻生さんを排して福田さんを選んだが,福田さんも翌年9月にはまた投げだし。今度こそ「人気者」の麻生さんを選び,解散をかけて総選挙に打って出るはずだったのが,せず。そのあとの度重なる迷走(まいそう?)は周知のとおりである。漢字が読めないのはもちろん,筋を通せない,決断力がないといった,リーダーとしての根本的な資質が欠如していることが明らかになった(そもそも国民の代表者である国会議員としての資質も欠いているというべきである)。

 さはさりながら,そうした人を選んだのは自民党である。国民ではない。
 麻生さんの不平不満を発信してどうだというのか。自分は選んでいない,自分は(麻生さんと違って?)上等な人間だというのか。ああそうですねと人が納得してくれると考えているとしたら,笑止千万だ。そもそも内閣不信任案を否決しておいて,麻生降ろしなど,ありえない。大体が総選挙を経ずに看板を3度も4度も取り替えること自体国民を愚弄している。人はすべからく筋を通すことが肝要であり,それなくして信頼は得られない。一連の出来事を通して見えてくるのはみな自分のことだけを考えているということだ。本来国民のことを考えるのが国会議員であるはずなのに。

 振り返って,このどたばた劇は小泉さんの時から発している。「自民党をぶっ壊す」と小泉さんは宣言していた。郵便局や医師会など従来強固だった自民党の組織が離れていったことで,自民党は無党派層を狙わなければならなくなった。つまり首相=人気者であることが必要になったのだ。人気を出すためにメディアを活用する。これはタレントの世界であり,もともと地道に政策を考え,実行する政治家の資質とは異なるものであった。

 今回つい馬脚を現した東国原知事。以前から思っていたが,なぜこの程度の人間をメディアは取り上げ,持ち上げるのか。メディアが一挙手一投足を競って追うから,本人も自分が大物であるかと勘違いをする。キャパシティの狭い者ほど容易に勘違いをするのだ。メディアの罪も大きい。


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Vol.66 弁護士の質    (2009年 7月7日)

  週末辺りから更新が気がかりだったが,やはりちょうど1ヶ月が経っていた。

  会う人から,ホームページ見ているよ,と言われることがよくある。中には毎日見て下さる方までいるらしい。毎日更新ができるブログにしようかと考えた時期もあったが,きっと追われるようになると諦めた。それでよかった。日々何かと忙しい。
 もっともこの世の中では,誰であれ,幼児でも老人でも,ゆったりのんびりした気分に浸れることはもはや難しい。世相が落ち着かないからだ。動きが速すぎる。子どもの頃,世の中はもっとずっと落ち着いていた。時間がゆっくりと流れていた。まるでセピア色の写真のように。時間の質こそが人生であるのに,本当に勿体ないことだと思う。

  さて,先月から綱紀委員会委員を務めている。弁護士に対する懲戒申し立てを審理し,懲戒委員会に請求するかどうかを議決する委員会である。懲戒申し立ては増える一方だ。訴訟狂から訴えられて気の毒といった類のものもあるが,預かり金の使い込み,非弁提携(究極は名板貸し),受任案件の放置(控訴期間や出訴期間を徒過するのまであり!),セクハラ・わいせつ事案など,多岐にわたる。先般,久しぶりに食事をした弁護士がつい最近,懲戒請求になったことをあとで知った。この人はとにかく何でも訴訟にするらしい。そうしないと事務所経費が回らないのであろう。
  大体が,そうやって問題になる弁護士の多くは金銭感覚にずれがある。そこまでいかなくても,よく出来る弁護士のほうが少ないのが現状だ。弁護士(法律家)の能力は書面に一目瞭然だ。何をどう主張し,構成しているか,文章くらいその人を表すものはない。

  先般,知人が訴訟を起こされたとのこと。訴状と証拠を見たら請求棄却になるのは明らかな事案なので,答弁書の書き方を教え,相談料だけ貰った。後日,再度相談に訪れた。知人と同じ立場にある別の被告に弁護士がついた(訴額からして着手金50万円は貰った?),その弁護士から反訴を提起するので一緒に加わらないか,半額でいいと言われたとのこと。 「反訴?」「なんでも慰謝料だとか」「ああ,不当訴訟を起こされて応訴を強いられたから不法行為による損害賠償請求をするということね。それは理論的には認められるけれど,認められてもせいぜい30万円程度よ。そんなことに弁護士をつけていたら着手金は50万円(半額でも25万円)くらいかかるわよ。おまけに訴訟なんて時間もストレスもかかる。やめなさい」。裁判所に出すべきことを指示し,今後は欠席でいいと伝えた。
 素人は分からないから,専門家(例えば医者)からあれこれ言われるとパニックになるものだ。「いい弁護士さんでよかった」との言。それはそうだと自負しているが,ただ私がいい弁護士というより,悪い弁護士が多すぎると感じる。友人の裁判官いわく「起こさなくてもいい訴訟が8割方ある」と。実際そうだろうと思う。

  さて,様々な案件を通し,世の中には結構な数,人格障害者(異常性格。ドイツでは精神病質)がいると認識するようになった。境界性,依存性,自己愛性,演技性,反社会性……。病気とまではいかなくても限りなくそれに近い人を加えるとどれくらいになるだろうか。法律家には精神科の知識が必要不可欠だ。刑事事件ばかりか,ドメスティックバイオレンスなど家事事件もそうだし,ストーカー案件などもある。


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Vol.65 足利事件に思うこと   (2009年 6月8日)

 足利事件の激震度は高い。
 19年前,栃木で起こった幼女殺害事件。無期懲役刑が確定し服役中であった被告人の,当時のDNA鑑定の誤りとする近事の2つの鑑定結果を元に,検察は裁判所による無罪決定を待たずして,異例の白旗を掲げた。4日,釈放。
 従来の検察であれば徹底抗戦ということもありえたろうが,どうにも争えないほどに明白な鑑定結果であったのだろう。またこの5月21日以降に起訴された重罪については裁判員制裁判となり,素人である裁判員を対象に取り調べの可視化が問題になっている昨今,検察の威信と,無辜の人の抑留を秤にかければ,後者のウェイトが高くなるのは当然である。

  1.足利事件はDNA鑑定が有罪の決め手となった最初の事件と言われるが,精度が当時 それほど低かったとは,恥ずかしながら知らなかった。
  私はじめ法務畑には科学に疎い人が多く,科捜研を信じ切っているのが現状だ。
  ただ,以後DNA鑑定の精度が飛躍的に向上したことは喜ぶべきことで,刑事事件ばかりか民事の父子鑑定などでも大いに役立っている。
 従来から指紋・血痕・足跡痕その他,犯人の遺留物分析の重要性はつとに指摘されてきた。科学捜査が未だになおざりにしている発展途上の国では未だに冤罪が極めて多いことと思われる。

2.とはいえ,科学捜査は決して万能ではないことも,人が人を捜査する以上決して忘れてはならない。
 足利事件も犯人の自白と現場の状況が合わなかったとされる。
 それ以上に気になったのは,当時その近辺で他に2件,幼児を被害者とする殺人事件が起こり,こちらは迷宮入りとなったことである。おそらくは,足利事件の犯人とその2件の犯人は同一ではなかったか。
 精度の低いDNA鑑定に惑わされ,足利事件の真犯人もその2件の犯人も野放しになってしまった。当初気付いて捜査の方向性を別に向けていたら,犯人は捕まったかもしれない。今回の釈放を,被害者の遺族はどんな思いで聞いているだろう。冤罪は,罪を着せられた人にとって酷であるだけではなく,被害者にとっても酷なことである。

3.今回のことが死刑廃止論を高めないことを祈る。
 死刑廃止論者が依拠する最も大きな理由は冤罪である。今回は幸い無期懲役だから良 かった,死刑になっていれば取り返しがつかなかった,そう言われることになるのではないか。実は同時期のDNA鑑定により,福岡で起きた幼児2人殺害の「飯塚事件」では犯人否認のまま死刑が言い渡され,再審準備をしているところの昨年10月に死刑が執行された。心配になったので事情に詳しい人に聞いてみたところ,こちらは鑑定以前に確実な証拠があるという。鑑定試料はすでにないので確かめようがないとのこと。
 少なくとも今後は精度の優れたDNA鑑定の下,全員が襟を正して捜査を尽くし,一つの冤罪も生まないよう,ひたすらに努めるべきであるとしかいいようがない。  

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Vol.64 民主党代表選,新型インフル騒ぎなど   (2009年 5月18日)

  新年度を挟んで,実に2ヶ月も空いてしまった。
 気にはなっていたのだけど,これといって特筆すべきネタがないまま,連休前,身柄事件を続いて2つ,受任した。こういう事件は突如起こり,以後勾留満期までの22日間が勝負である。故に何事にも優先する。民事でいえば保全(まずは相手の財産を押さえておくこと)がそうである。
 連休の私的な日程はほぼすべて,キャンセルした。連日警察署(2つとも遠隔地に所在),検察庁,被害者との示談交渉など,で明け暮れた。土日・祝日は警察署が弁護人以外の接見は許さないため(立ち会いの人手がいるからであろう。弁護人が立会い人なしで接見できるのは法定の権利である),接見禁止がついていない案件であっても弁護人しか接見・差し入れができないため,行かなければならない。
 だが,ひとしお苦労した甲斐があって,ともに公判請求必至の両事案であったが先週,1つは罰金(略式請求),1つはまさかの起訴猶予となり,身柄はともに釈放された。本人・家族の喜びはもちろんだが,あるいはそれ以上に弁護人の喜びは大きかったかもしれない。この達成感,充実感は格別で,何ものにも替えがたい。弁護士になってまもなく5年。検事よりも国会議員よりもこの職業がいい。真にそう思える出来事であった。

  さてこの2ヶ月,世間にはいろいろなことがあった。
 小沢さんの秘書は当然のように起訴され,また私が予測したとおり,余罪は何もなかった。大山鳴動して鼠一匹。これを機会に検察のあり方そのものが見直さればいいと思う。マスコミも世論も迎合することなく,きちんとした意見を述べてほしいものである。

 草薙君の事件報道もひどかった。公然わいせつ罪は最高で懲役6ヶ月の軽罪である。同じ「わいせつ」でも,強制わいせつ罪とは違うのだ。こちらには被害者もいて,法定刑の最高刑は懲役10年だ。それを何を勘違いしたのか,法律を知らないのもいいところ,「最低の人間」だと公然に述べた某法相は「侮辱罪」にあたると思われる(こちらも軽罪だが)。そもそも草薙君は酩酊していて(だからこの種犯罪に至ったわけだが)責任能力に問題があった。それを有名税というのか,極悪犯人のように報道したメディアの見識が問われる。
 いつも思うことだが,凶悪犯罪は,その人を殺すだけではなく,その人に親しく連なった人をも同時に殺すのだ。彼らは生きている限り事件に囚われ,死ぬまで忘れることはできない。それは,犯人が更生を期待され,社会に戻っていけるのとまったく対照的な姿であり,だからこそ犯罪は憎まれなければならない。

 安倍さんもそうだったが,小沢さんも辞め時を間違えた。辞めるのであればもっと前に辞めるべきだったが,後継者選びは予想通りの出来レースだった。世襲ではない岡田さんにやらせれば民主は選挙に勝てただろうに。インフルエンザ騒ぎはすごいが,本当にそんなにひどい症状のものなのか,よく分からない。相変わらずメディアが乗って騒ぎを拡大させている感じを持つのは私だけではないだろう。

 福岡市職員による飲酒運転,幼児3人ひき逃げ事故の判決。
 一審は危険運転致死傷罪の適用を否定して,懲役7年。検察控訴に対し,二審は適用して懲役20年。上告審は二審を支持すると予想する。一般予防の観点から重くてもいいのだが,その構成要件に当てはまるかはまらないかの事実認定でここまで極端に刑が違うとなると,法的安定性を欠くことを危惧している。

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Vol.63 闇サイト殺人事件判決に思うこと   (2009年 3月19日)

 昨日,名古屋地裁で判決があった。
 闇サイトで知り合った男3人が,通行人を拉致(逮捕監禁),お金を奪ったうえに残忍に殺害した(強盗殺人)事件の判決。被害者は一人だが,死刑になるかどうかが注目されていた。検察の求刑は3人ともに死刑。これに対して判決結果は,2人を死刑とし,自首をした1人について無期懲役とした(こちらは実行行為にもあまり携わっていないようである)。結論からいうと,この判決は私が予想した通りである。

 なぜならば一つには検察が死刑と求刑をした以上,それを下げる理由はあまりないからであり,その一方で,自首をした人には罪一等が減じられであろうと考えたからだ。
 自首は減軽理由となりうるので,本来死刑であるならば無期懲役となる。彼が自首をしたのは死刑をおそれたからで反省なんかしていないのに,という向きも多いようだが,自首を減軽事由としている理由は刑事司法に寄与するからである。実際,彼の自首により,捜査は容易に進んだ。
 刑事政策的配慮として今後,自首をすれば罪一等が減じられることを周知させておく必要はある。自首をしてもどうせ死刑だというのであれば,自首はなくなり,迷宮入りになる事件は増えこそすれ減ることはないからである。

 ともあれ,背筋が凍るほどの残忍な事件であった。たまたまそこを通りかかったという,誰であっても被害者になりえた事件で娘を殺された母親は,夫を31歳で亡くし,以後女手一つで彼女を育て上げてきた。たとえ3人全員が死刑になったところで報われないが,まして1人は生き,そのうちに仮釈放される。
 いつも思うことだが,凶悪犯罪は,その人を殺すだけではなく,その人に親しく連なった人をも同時に殺すのだ。彼らは生きている限り事件に囚われ,死ぬまで忘れることはできない。それは,犯人が更生を期待され,社会に戻っていけるのとまったく対照的な姿であり,だからこそ犯罪は憎まれなければならない。

 強盗殺人はそもそも利欲犯で,被害者には落ち度がないため,刑罰が重く,法定刑は死刑・無期懲役しかない。。一方,殺人には様々な事情がありえるので,下限は「懲役5年」。格段に軽いのである。死者の数だけで量刑を云々するマスコミ論調が結構多いが,これは誤りで,強盗殺人かそうでない殺人か,まずは罪名を峻別する要がある。強盗殺人であれば死者1人でも死刑とされることは珍しくなく,一方殺人だけの罪名であれば,これに放火や身代金目的誘拐や保険金詐欺が付かなければ,死者1人で死刑になることはめったにない。
 その意味で,最近相場が重くなった感がしている。先に判決のあった江東区の遺体ばらばら事件。死者は1人,罪名は殺人・死体遺棄であったが,検察は死刑を求刑し,あれっと思ったら,判決はやはり無期懲役であった。もちろん残忍極まりない事案であり,遺族感情や社会に与えた戦慄を考えると素人的には死刑が妥当と思われるのだが,こうした凶悪犯罪にこそ今後裁判員が立ち会うことになる。昨今の審理促進といい,遺体などの画像の多用といい,裁判員制を睨んで全体に刑罰が重くなっているのではないだろうか。

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Vol.62 小沢秘書逮捕に思うこと   (2009年 3月 9日)

 政治資金規正法違反は,贈収賄と違って形式犯であり,その違反による強制捜査(逮捕)は従来1億円が基準であった。しかし,3日の逮捕は,わずかにその額2,100万円(+100万円)。
 西松建設は,政党(及び政治資金団体)にしか寄附ができないとする制限(21条1項)に違反し,ダミーの政治団体を使って寄附をし,一社当たりに認められる年間寄附上限額(資本金50億円以上の会社であれば年3000万円)を超えた(21条の3)。
 小沢側はその事情を知りながら,寄附を受けた(22条の2)。これは「1年以下の禁錮又は50万円以下の罰金」(26条)という軽罪だから,法的構成としては,正しい事項を報告しなかった12条違反として,25条の「5年以下の禁錮又は100万円以下の罰金」としているのであろう。ちなみに前者の時効は3年,後者は5年である。
 
 さて,以下は誰もが思う疑問である。
@ これで終わりではないはず。とっかかりの別件逮捕にすぎず,真の狙いは実質犯(刑 法の贈収賄か,あっせん利得処罰法違反)にあるはずだ。
A しかしなぜ今,総選挙が取りざたされるこの時期にやるのだ。検察は政治的に中立で なければならないはずだ。
B 同じことを自民党議員もやっている。やるのであれば自民党側も同じように調べるべ きだ。

 その答えとして,以下,私の読みを述べる。
 特捜部は西松建設の社長らを昨年末,外国為替法違反で逮捕,起訴をした。外為法も政治資金規正法違反同様形式犯であり,またもともと特捜部の狙いは,言うまでもなく政治家にある。そこにこそ彼らのレゾンデートル(存在意義)があるからだ。彼らは押収物件及び関係者の供述から,西松建設から政界に流れたとされる巨額の裏金の行方をくまなく洗っていた。昨年の防衛省汚職も結局次官で止まり,狙った政治家には行き着かなかったから,よけいのことだ。必死で捜査をしてきたが,結局のところめぼしいものが出ないまま,3月の声を聞く。
 3月末は人事異動期である。22日間の逮捕・勾留期間を見据えると,3月初めはまさにタイムリミットだ。贈収賄ではなし,おまけに額も極めて低いが,野党党首となれば話題性は充分だ。なので,ぱっとしないながらも逮捕に踏み切った。事案自体の些少さに加え,時期を考えて,反対論は検察内部にも相当あったはずだが,功名心に駆られ,血気にはやる一線を上は止められなかった──。

 野党議員は公務員だが,与党大臣などとは違い,職務権限がない。収賄としては「あっせん収賄」しか成り立たないが,これでやるのであれば,職務権限のある「あっせんされた公務員」側も調べておかねば無理である。
 あっせん利得処罰法違反は,国・公共団体の契約(少なくとも半分の出資)であることと「不正なこと」をさせたという要件が必要だ。またこちらもやるとすれば,口利きをされた人側を調べておかねば無理である。つまるところ私は(おおよその期待に反して?)これ以上の別件は出ないであろうと踏んでいる。もちろん出るのであればそれに越したことはない。検察が無茶をやっているのではなければ,安心である。

 さて,ここで根源的な問題に戻る。──「特捜部はこれで良いのか」

 警察の強制権限は,公訴権を独占する検察によってチェックされる。だが,検察にはチェック機関がない。もちろん裁判所は無罪を言い渡せるが,逮捕された人,捜索を受けた会社は強制捜査そのものによって事実上抹殺されてしまう。
「巨悪は眠らせない」──これが特捜検察のキャッチフレーズだ。
 だが,巨悪がないのであればそれに越したことはない。わざわざ無理やり掘り起こして,人を逮捕までして捜査をするのが,社会をよくするためでもなく,ただ自分たちの存在意義のためであるとしたならば,これほど本末転倒な,恐ろしい話はない。

 権力ある者は当然ながら,それを抑制的に使わなければならないのである。良き政治家を自分たちの代表として選び,それによって社会を良くするべき責務を負っているのは国民であり,国民が選挙によって選ぶことのない検察官に本来その機能はないはずだ。検察官に社会の自浄作用を期待するとすれば,それはそもそもが誤った民主主義だということに,国民は気付かなければならない。
 特捜部に匹敵する機関は,世界中どこにもない。韓国に特捜部はあるが,これは政府の指令によって強制捜査をするという,中立性を欠いたものである。今回漆間官房副長官の発言が問題になっているように,大統領府の意を酌んで有力野党の捜査をするというのが典型例だ。あるいは現政府が前の政府高官を捜査するというのは,誰が見ても後進国の在り方である。

 特捜部は予算を獲得し,人も増やしている。そのために,何か話題性のある事件をやらなければならないという,組織存亡のための捜査になっている気がしてならない。もとより,昔とは違い,今は「綺麗な」贈収賄などあまりないはずだ。
 特捜部は今のままの常設機関ではなく,規模を縮小して,脱税事件に特化してよいのではないか。何かあったときだけ特別に応援を取って捜査をしたらよいのである。時代も変わった。国民は,自ら選ばない検察官を頼みとするのではなく,自らの手で選良を選ぶことで政治を良くし,社会を良くすることに勤めるべきではないだろうか。

 自らの手で選んだ政治家が汚れているのであればそれは自らの責任であり,また次の選挙で良き政治家に変えるべきなのである。民主主義は,寝ていても誰かが与えてくれるものではなく,「自らの血と汗で勝ち取るものだ」という,欧米では当然の考え方が,自ら民主主義を勝ち取った国ではないこの国には欠如していると思われてならない。
 今回の逮捕劇はいろいろなことを考えさせてくれる。
調べを受けて自殺された方もおられる。合掌。

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Vol.61 中川財務相醜態,政治の空転つづく……   (2009年 2月17日)

 今朝も中川財務相の醜態がニュースを騒がせている。
 今日,参院で問責決議案が提出されるという。それを受けてか,本人は辞任の意向を示した。もっとも予算案通過までは留まるとのこと。その後,野党ばかりか与党内の抗議を受けて直ちに辞任となった。麻生内閣崩壊は秒読みである。

 ローマでこの14日開かれた先進7か国財務相・中央銀行総裁会議。その後の記者会見で中川氏は泥酔状態,答弁も支離滅裂だったのが世界中で報道された。一見するだけで普通ではない人が国の財政を握っている日本。国辱ものである。
 中川氏はアル中だと言う人が結構いる。ブッシュ前大統領もアル中で断酒をしたそうだが,アル中の治療には断酒しかないそうだ。中川氏も一時期そうしていたらしいが,いつのまにやら元の木阿弥。先般の本会議答弁で,歳出を歳入,その他26か所も読み間違え,指摘されて居直ったことは記憶に新しい。
 そもそも自らをさえ律することさえできない者に指導的立場につく資格はない。もちろん国の代表である国会議員になる資格もない。

 なぜそんな人が歴代内閣で重用され続けているのか,常々不思議に思っていた。閣僚歴はこの前に農林・経済産業とある。安倍氏・麻生氏のいずれも3代目は,敵も論客も抱え込まない,典型的なお友達内閣を作った。
 麻生氏自ら,消費税,給付金,最も新しくは「郵政解散に賛成ではなかった」。いずれも適当に発言しては謝罪・撤回,発言がぶれる,の繰り返しで,国民は首相の言葉の軽さ,責任感のなさに呆れ反発し,当然ながら支持率は低迷の一途を辿っている。すでに13%。これでは解散は打てない。10%を割り込んだら,森内閣のように総辞職するしかないが,それも本人次第である。その点は結構しぶとそうだ。なぜ人気が高かったのか,今となっては首を傾げるが,アキバや漫画といったものにこれまでと違う新鮮さを感じたからなのであろう。

 先日,外務省の米国通の話を聞く機会があった。
 オバマ大統領は偏差知的頭脳が極めて高い。ハーバードロースクールに進み,それも最も難関の憲法ゼミに所属。ハーバードローレビュー(法律雑誌)の編集長に就任(黒人初)。将来の最高裁判事のコースだそうだが,思うところあってシカゴに戻り,貧民救済に関わった。政治家オバマの原点だ。
 加えてオバマ氏は,コミュニケーション能力が高いのだという。
 イラク戦争は間違いだったというのが彼の持論だが,選挙期間中,聴衆の1人が「では私の息子は犬死にだったのか」と叫んだそうだ。シナリオのない展開。オバマ氏がどう答えるか,皆がしーんとなって見守るところ,すっと壇上から降りてその女性の所に行って抱きしめ,「あなたの息子を誇りに思う」と囁いたという。わっと泣き崩れる女性。一同の感激。これは教養,人格のなせる業でしかない。
そういう指導者を日本も欲しているはずだ。GDP2桁落ちという未曾有の危機に日本はまたも「失われた10年」を繰り返すのか。これといった処方箋がないのが悔しい。

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Vol.60 新年を迎えて   (2009年 1月29日)

 1月があっという間にもう終わる。早い。
 16日夜,かつしかシンフォニーヒルズで,ポーランドのバイオリニスト・チェリストと,ベートーベンのピアノ3重奏第3番を披露した。私にとっては一大イベントだった。なにせピアノパートが非常に難しく(ことに,速い4楽章),あちこちつかえる箇所があるうえ,弦楽と合わせるのである。しかもリハーサルは直前の1回のみ。
 しかし,本番ではなぜだか見事に呼吸があって(超プロなので,見事に合わせてくれて?),丹念にリハーサルをしたように聞こえたらしい。実際は私は数えられないほどのミスを冒したのだが,エネルギーと音楽大好きの心と,そして何より合奏が上手くいって,拍手が続いた。弾いている間,もちろん緊張はしたけれど,楽しくて仕方がなかった。音楽の醍醐味,ここに極まれりである。

 突然,予想しなかったことが起こった。この試練を経て急に,自分のピアノ奏法の欠点が明らかになったのである。
 細かく言うとキリがないが,初歩の基本がなっていないということが今頃,分かったのだ。4歳から始めて,一体今まで何をしていたのか。自らの出す音に耳を澄ますこともなく,楽譜を見て,ただ鍵盤を叩いていた。楽器だから当然,適当には音は出る。果ては人におだてられるまま,プロ級かもと錯覚していた自分が,限りなく恥ずかしい。
 今ゆっくりと,一から指練習をやり直している。これまで先生から何度も「ゆっくりと練習しなさい。10回速く弾くより,1回ゆっくり弾くほうがどれほど効果的か」と言われた。それをせず,指は幸いよく動くからと,最初から速く弾いていたのは,自分がちゃんと弾けていると思い込んでいたからである。今はゆっくりとしか弾けない。ちゃんと弾けないことが分かったからである。
 音楽はまずは耳である。そして,謙虚さ。好きであるという気持ちだけでは人に聞かせられるものにはならない。

 これはすべてに言えることかと思う。
 井の中の蛙,大海を知らず。知らない者ほど天井の高さが見えず,自分が大したレベルであるかのように錯覚をする。僕は仕事柄よく法律が分かっているなどと言う法律の素人がいるが,それと同じである。
 今始まった国会を見ていても,そんなことをつい思ってしまう。
 ちゃんと分かって言っているのか? 政策の一部じゃなく,全体が見えているのか? 国際的なこと,日本の将来が見えているのか?……もちろん政治家は政治のプロであるべきで,アマチュアであることは断じて許されない。ひとり自分や選挙民の問題ではなく,国民,国家の存亡がかかっているのだから。

 オバマ大統領が就任した。演説が上手い。内容はもちろん,感動がある。心と魂が籠もっている。内容だけでは人の心に響かない。国民に感動を与えてくれる政治家が欲しい。こんな世の中だからこそ,国民に元気を与えてくれる政治家が欲しい。もちろん内容の伴う政治家。そんな人が出ないだろうか。

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Vol.59 裁判員制の重大な問題について   (2008年12月17日)

 来年5月施行が近づき,このところ何かと言うと,裁判員制が話題に出る。
 たいていの人が(弁護士を含めて)反対である。なぜこんな大事なことがさっと通ってしまったのか。日本では絶対に機能しない。裁判員には心身共にたいそうな負担となる。この財政多難な折に多額の予算を使って,あえてやる価値がどこにある。……
 もとより私は,国会議員時代から強固に反対していたのであり,今なおその気持ちは変わらない。理由は,以下。

@もともと陪審制に代表される裁判への市民参加は,お上を信用できない歴史からくる国 民の「権利」であって,日本とはそもそもの成り立ちが違う。日本では導入しても義務 意識でしかない(これに限らず,諸外国ではこうなっている,という議論は誤りの元で ある)。
A陪審制の国では,被告人が有罪答弁をして証拠調べなしに(すなわち陪審裁判を選択せ ずに)直ちに量刑に入ることができるが,この制度では被告人に選択権がない(与える と,被告人は裁判員制を選択しないからというのは,本末転倒である)。
B対象が住居侵入窃盗のような身近な犯罪であればともかく,殺人などの重大犯罪である から,証拠を見るにも量刑を科すにも素人の裁判員には負担が重すぎる。

 以上に加えて,いろいろな人と喋っていると,新たな問題点が浮き彫りになってきた。@ 公判前整理手続きにおいて争点と証拠の整理をするのだが,ここで裁判官は予め中身 を知ってしまい,刑事訴訟法の鉄則である「予断排除の原則」が完全に損なわれてしま う。またこの手続きは当然ながら法曹三者のみが関わるので,裁判員はお飾りにすぎな い。
A 裁判員6名の名前は一切出ない。判決にも出ない。であるのに裁判員は評議にも量刑 にも加わるから,被告人は名無しの権兵衛に裁かれたことになる。ことに対象が重大事 件であり,死刑の場合もあるのだから,とうてい納得がいくはずがない。

 この2点は重大な指摘であると思う。

 かねて私は,証拠の扱いはどうなるのだろうと考えていた。
 被害者死亡の事件では当然ながら被害者の死体は証拠となる。
 死体検案書も解剖の写真(鑑定書)も,凄惨な殺人現場の写真もある。これらはすべて重要な証拠であり,見ずに裁判してもいいとはとうてい思えない。かといえ裁判員に対して,嫌でも何でも絶対に見ろと要請することはできない。専門家は慣れているからいいが,素人には耐え難いものであるはずだからだ。倒れたら困るから,きっと見なくていいと裁判所は指導するはずである。
 それやこれやで,矛盾が明らかになりつつある。拙速な裁判となり,これからは被害者も参加しうる裁判制度となるから,裁判員はあちらからもこちらからも期待をされ,かつまた恨みを買うかもしれないのである。

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Vol.58 厚労省元事務次官刺殺事件,そして麻生首相   (2008年11月27日)

 何とも大胆不敵な,プロの殺し屋的犯罪だった。
 標的は官僚。年金に関わっていた高級官僚の一家殺害を連続して企むという,日本初の犯行形態である。すわ,テロだとの緊張が走り,元厚労相政務官の私まで要警護リストに上がっていると漏れ聞いた(ただし,実際には何の連絡もなかった)。
 テロは政治目的だから犯行声明があって然るべきだが,何もなく,犯人像がまるで掴めなかった。そうしたら証拠物件をすべて携えて,警視庁に自首ときた。警護が厳しくなり,続く犯行に及べなかったのであろう。

 無職なのに,家賃は払っていたのだから,バックがいると考えて普通である。
 単独犯行を装い,バックを隠すため,証拠物件をすべて揃えて出頭というのは考えられることである。
 そんな周到さの割には,述べる動機が馬鹿げている。子どもの頃に犬を保健所に殺された恨みだなんて,誰が納得しよう。そんなことで(もともと親が保健所に持ち込んだわけだし),まるで無関係の,見知らぬ人を,確固たる殺意をもって殺害できるはずがない。
 もしそんなことがありうるとしたら,精神異常者である。

 しかし,世の中には異常な人が結構いる。秋葉原の事件もそうだった。人生に対する不満を,親でもなく,上司にでもなく,無関係の赤の他人にぶつけた。自分自身を恥じることもなく,ネットに恨み辛みを書き連ねていた。異常なまでの自己顕示欲がそこには見える。今回の犯人もそうだ。近くの警察署ではなく警視庁に出頭したとき本人は英雄のつもりだったのではないか。端から見たら異常だが,当の本人はそれなりに理屈が通っているのであろう。こんな輩に殺されてはたまらない。怨恨やら金銭のもつれやら,男女関係のトラブルであれば避けることもできようが,動機がこれでは誰も避けられない。運が悪かったとしかいいようがない。合掌。

 こわい世の中になったものである。このところとくに大阪ではひき逃げやら引きずりやら,ひどい事件が相次いだ。誰でもいいから殺したかったと車をぶつけられて殺された人まで出た。異常な事件が増えているのは,個々人の問題もさることながら,そういう人たちの異常性が,社会全体の鬱憤や閉塞性の故に際だつのであろう。

 希望が見えない。先行きが不安である。
 政治が漂っている。司令塔がない。麻生首相の発言はよくぶれる。自分が決めると言いながら,決められない。極めつきは漢字がまるで駄目なことが分かったことだ。学生に日頃,人間の基本は国語力だ,国語力はものを考える力そのものだと言っているのに,これはどうしたことか。基本の漢字がここまで読めないということは,考える力がないことに等しい。失言癖と言われていたが,どうやらそうではなく,そもそもの意味が分かっていない故ではないかと思うようになった。
 とはいえ,自民党としてはもう後がない。党内で反乱が起きているようだが,みなで支えて選挙を乗り切るしか方法がない。

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Vol.57 オバマ大統領誕生,小室哲哉逮捕……   (2008年11月10日)

 あっという間に1ヶ月が経つ。というより年賀状を書く時期がまた巡ってきている。なんだか年賀状を書くために生きている気がする,とつぶやくと人に笑われるのだが,この前書いたばかりのような気がするのは本当である。

 ニュースが多すぎて,1ヶ月で世の中が大きく動く。
 オバマ大統領がダブルスコアでマケイン候補に圧勝。オバマが頭のいいエリートであるのはたしかだが,さほどスピーチが上手いとも,知的だとも感じなかったのだが,徐々に彼は場慣れしてきたのか,冷静さが際だってきた。とはいえアメリカで本当に黒人大統領が誕生するのかには懐疑的な人が多かった。それを覆したのは,アメリカがそれだけ「チェンジ」を求めている現実であろう。アメリカの人たちは,9.11に代表されるブッシュの失政にうんざりしているのであろう。お笑いでもブッシュを馬鹿にするネタが多いのには驚く(日本でも同じだが)。
 
 変革を求めているのはひとりアメリカに限らない。どの国も同じだろう。アフリカの奥地の国でさえ影響は免れないほどの金融・経済のグローバル化の中,どの国も先が見えないのだ。
 だが,日本政治の迷走は続いている。最近では,給付金に見られる閣内不統一がそれだ。大体がなぜ,役人のおそろしい手間暇,事務コストをかけて,そんな金を配らなければならない? 国家全体で公職選挙法違反をしているようなものではないか。金持ちは辞退しろって,金持ちは税金で絞り取られていて,ここで辞退しようなんて気にはならないだろう。普通の人でも貧乏人でも,現在のこの未曾有の(首相のいうような,100年に一度なんていう生やさしいものではなく)経済危機の中,不動産業・建設業の構造不況に代表されるように,ちょっと先の雇用さえ読めない不安の中にいる。それに3年後には消費税を上げると宣告されて,そんなはした金を貰ったところで,嬉しくも何ともない。みな騙されはしない。それが本音だろう。
 早期解散の線はとうに消え,来年4月解散説が主流になったようだ。だが来年4月になったところで解散を打てるだけの材料が揃うかどうか。それがなければ任期満了まで内閣は続かざるをえない。対立軸となる民主党にもきちんとした政策を出してもらいたい。

 小室哲哉のニュースにも驚いた。
 詐欺で逮捕と出たから当然に犯意は否定すると思ったが,あっさりと認めた。二重売買だったというのだから仕方がない。
 180億を30年で使うと年6億。月5000万円,日166万円。どうしたって使えない額だと思うが,使い切った挙げ句に借金が10億円以上あるという。困っても賃料月200万円のマンションに住み,著作権をネタに詐欺を重ねて借金を支払い,いわゆる自転車操業をしていた。変な取り巻きに囲まれ,金銭感覚が完全に麻痺していた。逮捕されてほっとしたというのが本当のところだろう。
 私はこの人の歌をほぼ知らない。現在も歌われている歌はそれほどないらしい。金銭感覚に代表されるその生き方と同様,魂を欠いたあぶくのような歌だったのかもしれない。

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Vol.56 ノーベル賞4人受賞の快挙   (2008年10月 9日)

 暗いニュースが多い世の中に,久々嬉しいニュースを聞いた。
 どの方もこつこつと,それぞれの専門分野で,地道にたゆまぬ努力を重ねてきた人たちだ。その成果が(30年後の評価だったりもしたようだが)世に報いられた。
 なぜクラゲは発光するのかという疑問。それを解き明していく人生。陶芸や芸術や料理など,精進する道は何でもいいのだが,そうした我が道を行く,職人的な生き方が,実は私は一番好きである。

 この世の中,何かおかしくはないか,ずっと割り切れないものを抱いていた。
 株の売買や為替レートで巨万の富を得る。何かを産み出すのでも,誰かを幸福にするのでもない。もちろんそこに人類の発展があるのでも,文化があるのでもない。そんな実体のないことに血道を上げ,儲けた損したと大騒ぎする。それが一体,何になるのだろうか。空しい。
 といったことを,マスコミは投げかけただろうか。その結果が,ホリエモンや村上ファンドである。あるいはリーマンブラザーズの破綻。元はといえばサブプライムローンだった。不動産をローンで購入した人たちに,その価値の値上がり分を担保にさらに金を貸しこむ。土地の値段は上がり続けるという幻想は,そう,日本でかつて弾けた,あの狂乱バブルである。バブルは必ずや弾ける。不可解なことには,これが証券化され,危険はどこにもないこととなり,莫大な投資がなされた。そんな実体のない話がいずれ吹っ飛ぶことは,少し考えれば簡単に分かることである。

 地道にこつこつと生きる。そういうまっとうな生き方がどこかで小馬鹿にされていないか。自らは汗水垂らすことなく,人が垂らしている汗を横目に見ながら,濡れ手に粟で儲けることが,賢いことだと賛美されてはいないか。そうではない人たちが,自分たちは損をしている,何の能もない人間なのだと思い込まされてはいないか。
 実体のある産業は,農林漁業(第1次産業)であり,製造業(第二次産業)なのだ。体を動かして物を作り,人のお役に直接に立つことが正当に評価されない風潮は,とても浮薄だし,危険である。

 4人のうち,2人はアメリカ在住だ。
 好きな研究が日本ではできなかったのだろうか。人類のために役に立つ,地道な基礎研究にこそ国の限られた大事な予算はつぎ込まれなければならないのではと思う。外国から有為な人が来日して研究に没頭できる,そんな国に是非なってほしいものである。
 また,思う。アメリカで研究してきたのに,日本人受賞と取り上げられて,違和感はないのだろうかと。事故であり何であれ,必ずなされる「日本人何名」という報道。だが,アメリカのような人工国家と対極にある自然国家の日本ですら,もはや国境の垣根は低くなり,介護士や看護師も公に受け入れるようになっている。日本からもどんどん人が外に出る。いつまでも「日本人」という一括りでいいのだろうかと。オリンピックが国家意識を俄然高めるように,日本人活躍と喜ぶことで,政治や経済の暗いニュースを逸らすにはいいのだろうけれど。

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Vol.55 またもや政権投げ出し!   (2008年 9月 3日)

 1日夜は本当にびっくりした。福田総理,突然の辞意表明!!
 ちょうど1年である。安倍総理の所信表明直後の投げ出しよりはましだが,どっちもこっち。12日に臨時国会が始まるこの時期になんて,思いもしなかった。公明党の離反その他,いろいろ理由はあるにしろ,いずれにしても,もう俺はやーめた,と投げ出した事実は変わらない。

 公私ともに何であれ不愉快なことがあると,その理由を冷静に考えるのを習わしにしている。でないと,あらぬ方向に嫌な思いをぶつけてしまい,あとで取り返しのつかないことになったりするからだ。亀の甲より年の功。そんなこともようやく見えてきた。

 なぜ不愉快か。それは,この地位に当然必要な,相当な覚悟が欠如しているからである。
 万が一総理になれるとしても,普通の人は,自分にはとうていそんな重責は担えない,とうていその器ではないとして断るはずだ。とまれ,ちょっとした会社でも,経営者がどれほど大変か。経理も営業もすべてに目配りが必要。でないと会社はいずれ立ち行かなくなり,社員たちは行き暮れる。中小企業だったら金を借りるのに連帯保証もしているから,自分だって身ぐるみはがれかねない。よほどの覚悟,力量が必要だ。私なぞ自分がちょっとした会社の経営すらできないことを十分に自覚している。
 それがもっとずっと,質量ともに比べるべくもなく大きな,日本国社長なのである。その立場はひとり日本国にとどまらず,国際的にも大きく影響する。それが普通の会社以下の覚悟でやれるということがおかしい。おかしすぎる。

 福田総理にしてみれば,昨年の今頃,急に無責任にほっぽり出した安倍総理の後を受け,それも皆が麻生は駄目,どうしても貴方にやってほしいと担ぎ出されたからなっただけなのであろう。もともと大した覚悟はなかった。いつでもやめればいいと思っていた。だからもう,ここで限界だとして,やめた。ただ,そういうことなのであろう。情けない。

 何が情けないといって,そういう人しか出ない,そういう人がトップに担ぎ出される,そういう事態が情けないのだ。今回の事態を受けて,やっぱり2世・3世は駄目だと言う人が結構いるが,たしかにすでに,総理が選び出される集団自体が弱り切っているのである。かといえ,民主党を見ても,これといった人材は見いだせない。前々から言うように,小選挙区制では自ずから限界があるのだ。自民党に関していえば,公明党を巻き込み,創価学会の支持がなければ当選は覚束ない体たらくになってから,急速に弱体化した。

知り合いの会社社長が言う。「我々はやめられない」。知り合いの小学校教師が言う。「大分の事件なんて可愛いじゃない。みな懲戒免職になったり,逮捕もされた。だけど,こんな無責任なことをしても,彼らはみなそのまま居座っている。議員辞職もない。おかしいのじゃないの」。まさにその通り。そこにこの,どす黒い不愉快さの源がある。

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Vol.54 夏期休暇終了,北京オリンピックなど   (2008年 8月18日)

 今年の夏期休暇は12日から昨日まで,つまり丸1週間は取れていない。
 うち4日間は帰省していたし,その他は雑用をこなしていたから,ちっともぼうっとしていない。思いきり暑いし,体力を消耗させないためにも本当は夏,もっと休暇を取るべきなのだが,個人営業の身ではなかなかそうもいかない。もっとも仕事が好きだからいいようなものだが,でなかったら辛いだろうなと思う。

 今年,短い休暇がより短く感じられたのは,北京オリンピックのせいも大いにある。私は日頃から人並み以上の愛国者だが,こうした折にはもっとうんとすごい愛国者になる。
 日本選手が大いに活躍してくれた水泳や体操などに驚喜した反面,柔道やマラソンにはかなり落胆させられた。つまり選手は,日本国民の期待を背負って競技しているのだ。そのプレッシャーたるや。そんな中で,宣言どおり2連覇を果たした北島選手の精神力には舌を巻くし,24年ぶり(とは知らなかった)の体操個人総合メダルを獲得した19歳の内村選手にも感激した。どのフォームも着地もぴたっと決まる演技は,美しさを通りこして,神々しくさえある。ひとり日本に留まらず,彼らは,世界での1位,2位なのである。

 彼らは,まだ小さな時から,自分の好きなことを見つけ,限りのない努力を重ね,大いなる目標を掲げ,その達成に向かって,ひたすら邁進してきた。なんと素晴らしい人生だろうと思う。克己,すなわち,自分に克つことのできた,選ばれし者たち。
 もちろん持って生まれた才能があればこそ,またその才能を開花させるだけの環境に恵まれた故であるにしろ,本人のたゆまぬ努力なくして達成できるものは,何一つない。その勇姿を見て,頑張ろうと思った子どもたちがどれほどいるだろうか。目標になる大人,希望の星を,みな身近に欲しがっている。それが一番の,生きた教育というものであろう。

 これほどに大したレベルでなくても,大きな目標でなくても,人は何か夢を持ち,それを叶えるために努力をすることが必要である。残念なことには,好きなことが何もない,したいことがない,なりたいものがない,そういう若者が多いのも現実なのだ。教師としてこれほど進路指導に困ることはない。その極端な例が,働きもせず,かといえ勉学もしない,ニートである。
 外国からの看護師,介護士を増やす政策が実施された。しかしそれを言う前に,本来は日本国民自身が働くべきである。労働人口である外国人移民も,いずれは年老いる。そのとき国は彼らを養うのだろうか。また当然に結婚もし,子どももできる。その教育,社会の受け入れ態勢はどうするのだろうか。ドイツやフランスの外国人移民問題のことはどう考えているのだろうかと思えてくる。

 今月1日,内閣改造が行われた。目新しいものはなく,支持率も当然にあまり上がらない。一番の話題は,解散はいつ? 韓国では一番の話題は,いつ国会を開くか(大統領制でもあり,与野党が対立するとなかなか開けないのだ。植物国会と言われた時期もあった),日本でのそれはいつも解散時期である。

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Vol.53 裁判員制,来年5月から導入   (2008年 7月 4日)

 平成16年に国会を通過した裁判員制がいよいよ来年5月からスタートする。
 殺人など一定の重大な刑事事件について,一般市民が裁判官と一緒に裁判をする制度である。誰がいつ当たるか分からないとあって,講演依頼がときどき入る。昨日もそれで茨城に行っていた。

 これは法曹増員やロースクール設置といった司法改革の流れの一つとして出てきた。要するに市民の司法参加形態であり,日本では現行「検察審査会」しかないのだが,先進諸国では陪審ないし参審制があり,日本でも導入をということになった。背景に,裁判官は世間知らずなので一般人を入れなくてはといった感覚もたしかにあった。

 さて,アメリカ映画でおなじみの陪審制は,英米法の国がとる。
 被告人が事実関係を認めれば,司法取引などをしたうえ有罪答弁をするので,証拠調べは一切不要,従って裁判官が量刑を言い渡すだけなのだが,事実関係を争うとなれば一般市民からその度ごとに籤で選ばれる陪審員(たいてい12人)が証拠調べをし,事実認定をする。裁判官は,証拠調べの説示,たとえば今のは伝聞証拠なので採用しないでくださいといった説示をするのみで,事実認定は陪審員の専権である。
 歴史的にはもともと「お上」は信用できず,自分たちで裁判をする「権利」という発想がある。彼らにとって民主主義は血と汗で勝ち取るものなのだ。また事実認定は常識のある者であれば出来,法律的な知識は不要という実際的な考えもある。
 ただ素人の裁判なので有罪か無罪の結論のみ,理由は一切付されない。従って原則として控訴はできず,一審のみで終わる。

 ドイツやフランスなど大陸法の国は参審をとる。一般市民と裁判官が一緒になって事実認定と量刑判断をする。もっとも一般市民は労働者代表や団体推薦といった形で何年かの任期制になっている。日本のとる裁判員制は,参審をベースに,一般市民を事件ごとに籤で毎回選ぶという陪審制のやり方をとる。
 裁判官3人に裁判員は6人。選挙権があれば誰でもなりうるが,法律関係者や一定の職業は就職禁止,あるいは70歳以上や学生,介護や育児,仕事などどうしても駄目な場合は辞退が認められうる(が決して広くは認めない)。
 事件は殺人など一定の重大事件のみを対象とし,年間3000件程度。全刑事事件の3%程度だ。もちろん死刑対象事案も入る。一般市民が加わることで死刑宣告が増えるか,減るか,識者によっても考え方の別れるところだ。ちなみに被告人には選択権はない。事実を争わなくても裁判員裁判で裁かれることになる。

 私は法制当時,導入に猛反対した。多勢に無勢で認められたが,今でも反対の立場は変わらない。市民が司法参加を「権利」とは考えず,義務としかなりえない国柄なのだ。また被告人にも選択権がない。ただ一つ,裁判が迅速化すること,迅速にならざるをえないことがメリットといえばメリットだが。さていざ始まってみると,どうなるだろうか。

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Vol.52 遺体消滅事件,そして秋葉原通り魔事件   (2008年 6月 12日)

 江東区での猟奇的事件。遺体は骨まですりつぶされた。
 帰宅した女性が,マンションの一つ置いた住人に突如襲われ,自室から引きずり出されて(その際,犯人の指紋が検出されたのが幸い,犯人はまずは住居侵入で逮捕された。)犯人方に連れ込まれた。その後何をどういう風にされたのかは分からないが,とにかく殺され,遺体は損壊された。
 全貌は明らかではないが,犯人は(たぶん)異常性欲者で,相手は誰でもよかったようだ。被害者が2人暮らしであることを知っていれば,すぐに発覚するので(実際,それですぐに発覚した)狙わなかったはずだが,それさえ知らなかったのだから。
 一昨年,渋谷でばらばら事件が続けて起こり,もはやばらばらくらいでは人は驚かない。遺体の肉と骨を綺麗に削ぎ,ひたすら粉々にしている作業を想像するだに身の毛がよだつ。遺族の怒り,悲嘆は察するにあまりある。捜査上も,遺体がないのではどんな傷害を負わされたのか,強姦されたのか,分からない。犯人の自白があっても被害者はいないし,遺体もないとあっては検察は起訴を躊躇せざるをえないだろう。公判で自白が転じたときに,支える証拠がないからだ。
 殺人と死体損壊。強盗か強姦がつかなければ,この罪名では,殺人などの大きな前科がない限り,死刑とはならず,無期懲役が限度ではないだろうか。おかしな話だが。

 そして,この日曜に起きた秋葉原通り魔事件。犯人はトラックで歩行者天国に突っ込んだ。降りて持参の包丁で刺す。死者7人,負傷者10人。
 犯人はコンプレックスの固まり。20台半ばですでに夢も希望もなく,寂しい老後を現実のものとして描いている。人生の落伍者で負け組であるとの怒りは自分自身には向けられず,そういうふうにした社会が悪いとばかり,他者に向け,挙げ句無差別殺人を狙った。卑怯この上ないが,この犯人にはそれなりに理屈が通っていたのだろう。茨城の通り魔事件,池田小学校事件にもヒントも得ていたはずで,池田小の事件が同じく6月8日であったのは偶然ではないようにも思える。

 上記の事件との共通点は,被害者には防ぎようがなかったことだ。たまたまそこに居合わせた。気の毒としかいいようがなく,犯人への憤りも募るばかりだ。
 さらなる共通点は,犯人がともに派遣社員であったことだ。正規社員と違い,彼らには身分保障がない。いつでも切られ,その待遇は人ではなく物のようだ。
 個々の犯罪は犯人の個性によるが,しかし犯罪を全体として見た場合には,犯罪は必ずや社会問題である。貧しければ人は窃盗をしてでも,他人を傷つけ,強奪してでも,食べていかねばならない。希望も夢もなければ,自己を律してよりよい生活のために努力する気にもならず,自暴自棄に陥る。生活の安定,そして夢のある社会こそが人を犯罪から遠ざける要因なのである。
 これだけ政治も社会も乱れ,富裕層とワーキングプアが二極化し,敗者復活が早い段階で難しいとくれば,自暴自棄になる者は大勢いる。犯罪予備軍がそこここにいて,また模倣が広まるのだとすれば,恐ろしいことである。今日も無事だったとほっとする日が来るのかもしれない。安全神話はどこにいったのだろう。

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Vol.51 女子高生,襲われて死亡……   (2008年 5月 7日)

 4月に入り,大学は始まるし,家裁調停委員も始まるし,でばたばたしている。
 そして,あっという間に4月は経過。4連休を楽しみにしていたが,過ぎてしまえばこれまたあっという間であった。
 今日は冷房が要るほどむしむししている。いつかしら四季がはっきりしなくなった。時折ざっと降ったりするのは亜熱帯地方の特徴で,地球温暖化の影響は歴然としている。

「首相と桜を観る会」(4月12日)のご招待はあったが,欠席した。
 ここで首相が,物価が上がるのは「しょうがない」と発言したとか。後で聞いて唖然とした。以前から「困りましたねえ」(民主党に日銀総裁人事を否決されて),「私は可哀相なくらい苦労している」などなど,当事者意識のなさ丸出しの発言が続いていて,これでは内閣支持率が落ちるのも当然だ。
 私自身は運転をしないのでガソリンの値上げ自体がさほど困るわけではないのだが(タクシー運賃の値上げは痛い。),バターや小麦粉などあらゆるものが値上がりしていて,庶民には暮らしにくくなっているのを感じる。
 それでもまっとうな政治が行われているのであればお互い様で仕方がないのだが,一部で税金泥棒のような公務員・天下りの受け皿である外郭団体があって,不公平感が大きいのが国民には腹立たしい。苦労知らずの世襲議員にこの感覚が分かろうはずがないのがまた腹立たしい。

 いろいろな事件が起こるが,連休に愛知県の女子高校生が襲われた事件は衝撃的であった。クラブのマネジャーを一生懸命やっていたというだけによけいに痛ましい。
 被害者遺族の嘆きを思うとやりきれない。
 変質者なのであろうが,狙われたのはやはり,人の通らない暗い場所であった。見つかりたくて犯罪を犯す者はいないから,明るくて人目につく場所は避ける。だから,防犯のためには明るい街作りが必要だし,暗い所は避ける,少なくとも決して一人では通らない(とくに女性)といった用心をすることがいよいよ必要な社会になってきたと感じさせる。まさか私が,とか今日は大丈夫といったちょっとした気の緩みが命取りになりかねないのだ。
 なにしろ働いても年収200万円以下のワーキングプアが1000万人以上いるのだ。将来が見えない所に,物価は上がる。一部で高笑いをしている層がいる。となれば犯罪も増えようというものだ。古来,犯罪を生むものは貧困だし,社会への不満なのだという根元を政治家は知らなければならないと思う。

さて,山口県光市の差し戻し審。やはり死刑であったが,だからといって遺族が救われるわけでもない。尊い命をこんなにも無残な形で奪われたお2人にただ合掌を。そのために尊い人生を,ある意味永遠に奪われた遺族の方々に……慰めの言葉もない。犯罪というのは本当にやりきれないものである。

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Vol.50 桜開花,国会は動かない……   (2008年 3月 26日)

 あちこちで早や,見頃だ。桜という花ほど心を浮き立たせてくれるものはない。
 もっともここ10年ほど前から満開時が読めず,予定が立たずに困る。地球温暖化や環境破壊の影響で,我々の大事な地球が壊れていっている現れの1つなのであろう。

 さて,日銀総裁ポスト。空白のままである。
 昨年の参院選から衆参がねじれ,だが法案については憲法上,衆院で再可決の方途が規定されているが(もちろん奥の手であり,滅多には使えないが),国会の同意人事については憲法・法律ともに規定がなく,参院で否決された場合の取り扱いが問題視されていた。
 そして案の定である。日銀総裁が不在だなんて,国際的にも信用がた落ちだが,そんなこと知ったことじゃなし,野党は政局に持って行きたいのだろうし,官邸は野党はもちろん与党内での「根回し」もなく,まさに出たとこ勝負,恥ずかしい限りである。
「自民党」がブランドであったのは,腐敗しても政権担当能力はあることにあったはずだが,安倍→福田と続いて,国民はその能力に不安を覚えている。であるならば,これまた大した期待はできないにしろ,一度政権を交代させればいいではないか……。

 問題は,質の良い政治家が選ばれないシステムにある。
 イギリスは完全な小選挙区制だが,日本と違うのは,議員が亡くなって子どもが出る場合も党が別の選挙区を割り当てるのである。日本が平成5年に小選挙区制に変えたとき,範としたのはイギリスの制度だったのだが,日本はブロック別比例制度を併存して残したし,何より世襲制の弊害が大きい。究極,国会議員であることがまさに家業になると,選挙は絶対に勝たねばならず,そのために地元に予算を引いてくること,選挙民の要望を様々に叶えてやること,それら内向きのことをこなした上で,さらに余裕があれば?初めて国家の在り方を考えるわけである。
 日本はそもそもが人的資源で活路を見出す国である。政治の世界には人材が出ない,では済まされない。少なくとも中選挙区制に戻さなければ,新しく活気に満ちた人材は出ようがないと思われる。だが現職に圧倒的に有利な小選挙区をあえて元に戻そうという声は,永田町からはほとんど出ない。

秋田の2児殺しは,死刑求刑に対し,無期懲役の判決であった。被告人の改善更生は難しいと述べながらも,極刑宣告には躊躇した結果であった。
渋谷の夫殺し,ばらばら持ち運び事件。検察・弁護人選定の精神鑑定医が2人とも責任能力なしと口頭で述べた。検察は責任能力ありとの鑑定を踏んだ上で起訴したはずだから,不思議なことだ。重篤な精神病でもないのに責任能力なしとの判断はあまり聞いたことがない。彼女に常時暴力を振るっていたとされる被害者。まさに死人に口なし,離婚だって出来たのに,一人息子をこんな形で奪われた遺族の心情を思うとやりきれない。
 茨城の無差別殺戮。命をゲームのように扱う事件が増えてきたと感じている。こんな手合いにかかれば誰であっても災難は避けられない。とはいえ予告されながら最悪の被害を防げなかった警察は国賠の対象になるのであろう。

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Vol.49 三浦逮捕,法相の冤罪発言……   (2008年 2月 26日)

 いつも思うのだが,ニュースはひっきりなしに起こり,マスコミは飯の種に困らないものだ。
 イージス艦が漁船に衝突し,そうこうするうちに三浦和義がサイパンで逮捕された。いわゆるロス疑惑って27年前も前だったの? と,びっくりした。私が横浜地検にいた時代だ。たしかに日本中が騒いでいた。先般大学の同僚がロス疑惑を学生に話しても通じなかったとショックを受けていたが,それくらい古くては当然だ(「戦後」が第二次世界大戦後であるとすら分からない学生が多いのである!)。
 三浦は妻に多額の保険金をかけたうえで,共に渡航し,そしてロス事件が起こった。何者かに妻は撃たれて死亡し,側にいた三浦は負傷したのだ。三浦は狙撃の実行犯とともに逮捕され起訴されたが,一審は「実行犯無罪,三浦有罪(無期懲役)」。実行犯なくしての共謀犯はないから,これって無理無理の有罪だよねと言い合ったものだ。そうしたら上級審において,検察が共謀者を「氏名不詳者」としたのを,裁判所は無罪と判断した。日本のまっとうな法律家的感覚としては,結論自体は仕方がないと思う。もちろん状況証拠は満載だから,自白さえあれば問題なく有罪であった。彼はその以前,女優と共謀して妻を殺害しようとしたし(これは有罪となった),極めてクロであったが,うまく逃げおおせたのである。

 この事件,当然ながら犯罪地の米国にも管轄がある。最初から米国が裁いていれば,英米法系は証拠の認定が大陸法系と違って大おおざっぱだし,(司法取引せずに無罪を争う以上)陪審ではあるし,有罪となり,最高刑の死刑に処せられていたであろう。だが,三浦にとってラッキーなことには日本が管轄を取った。原則,政治犯は引き渡さない,自国民は引き渡さないのである(亡命者フジモリが急に日本人だと言い出したのは記憶に新しい)。国にはそれぞれ主権があり,捜査機関は他国に赴いてまで逮捕はできないから,三浦が以後米国に行きさえしなければ今回の逮捕劇もありえなかった。一事不再理はあくまで主権の同じ国の中での話だし,米国では第一級殺人の時効がないことも,100年に一度の天才的犯罪者(との評があった)はよく知っていたはずだが,加齢とともに勘が鈍くなっていたのであろう。ともあれ,この後の展開が非常に楽しみである。

 さて,法相。またまたやってくれました。鹿児島の公職選挙法無罪事件は「冤罪」ではないと,公式の場で発言したのである。彼の理解では,冤罪とは「真犯人が出てきた場合」だそうだ!? たしかに殺人容疑であれば犯罪による死体があり,犯人は誰か必ずいるが,買収容疑の場合には犯罪そのものがでっち上げの場合もある。冤罪とは真実やっていない人が嫌疑を受けることであり,真犯人の登場云々とはそもそも無関係である(真犯人が出てくれば冤罪であることがすぐさま明らかになるだけ)。この点,某党首(弁護士)の「無罪だから冤罪」との発言も誤りだ。無実は実体的な問題だが,無罪は有罪立証(合理的な疑いを容れない程度の証明)が出来なかった場合であり,無罪の中に無実があるという部分集合の関係に立つ。
 なぜ罷免要求が出ないの? と聞くと,何のことはない,民主党幹事長が実兄であるからであるらしい。
ああ。

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Vol.48 新しい年が始まった   (2008年 1月 31日)

 と思っているうちに,1月も今日で終わりである。早い!(この調子で1年が経ってしまうのだ……)
 22日に大学で後期試験を実施し(刑法総論と刑事訴訟法),その後3日間で採点。昨日は別の科目で課したレポートの採点をした。計,その数400少しか。受講届出者数自体はもっと多いのだが,試験を受けなかったりレポートを出さなかったりするのが結構いるのである。毎回出席し,受講後いろいろ質問に来るような学生はそもそも熱心なのだから,当然のようによく出来る。文字を追っていくのは大変だが,学生のレベルが分かるので,やはり試験は論述式である。
 
 授業数は前後期とも各14回だ。我々の頃は休講万歳!で済んだが,今は休講すればその直近の土曜なり,授業終了後定期試験までの間の補講期間なりに,必ずや補講を実施して14回を確保しなければならない。休むと自らに跳ね返るので,今期こそはと,体調を万全にすることをまずもっての仕事と課したら,効果が如実に表れ,今期は風邪も引かず体調も壊さなかった。体調が良いと授業の出来もいいし,学生たちと交流する余裕も生まれる。健康こそすべての源流。これからも是非この調子を維持したいものである。
 さて,来期からはなんと授業数が各15回となる。祝日が火曜にあたる日もあり,その分土曜実施となる。先生も大変だが学生も大変だ。こんなにしめつけを厳しくして,実際に学習効果が上がるのか,極めて疑問である。初等教育はびしびしやって,高等教育はゆるやかに,当人の自主性に任せるというのが筋でないだろうか。

 ともあれ,2月と3月は大学がない。当然ながらその分時間的にも心理的にも楽だ。存分に利用しなければと思う。やりたいことはいくつもある。
 1つ,5日のコンクール全国大会でのまずまずの成績を受け,よりいっそうやる気の増しているピアノ。今年の当面の予定は,5月10日(土)午後,カザルスホールで発表会(リストの「ラ・カンパネラ」を弾く予定)。5月29日(木)夜はピアノ三重奏に初めて挑戦。バイオリン,チェロはポーランドの奏者である。ベートーベンを弾く予定。
 2つ,哲学・宗教・歴史などの勉強。本当にこれまでの人生,何をしてきたのだろうと思うほど,知らないことが多すぎると実感し,知識欲は増すばかりだ。
 3つ,法律の勉強。いろいろな法律が次々と改正になるから,もともと弁護士は大変なのだが,ことに私としては,裁判員制(来年導入),改正少年法,死刑制度,冤罪問題,危険運転致死傷罪や公判前整理手続きなど,現状だけでも整理しておきたいと思うことが頭の中で列をなしている。その上でホームページも作り直したいと思っているのだが……。 本当に,時間がいくらあっても足りない。

 国会の迷走,混迷が続いている。片やアメリカの大統領選。優秀で魅力的な候補者たち。政治家は本来,言葉の中身と熱意と容貌で民衆に訴える存在なのだ。福田首相の後は誰?民主党に誰かいる?(だからといって,あの大阪府知事はないと思うが)。
 選挙制度は中選挙区制に戻すべきだし,その他いろいろ,やはり代表者を選ぶシステムそのものを考えていかなければならないとの思いを強くする。

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Vol.47 今年も終わり……   (2007年12月 25日)

  3連休が終わり,今年最後の週に入った。当然だが,公私ともに済ませておくべきことが様々にある。事務所は27日まで。来年は1月7日から始めるから,休暇としては幸いかなり長い。
 ホームページを更新してないね,とこのところ続けざまに言われた。たしかに1ヶ月を優に経過していた。最低1ヶ月毎には更新しようと思っているのだが,あれやこれやしているうちにすぐに日が経つ。すごい事件や問題が起こったと思うと,すぐにまた新しいことが起こって,前のは忘れ去られてしまう。
 今年の一文字は「偽」。まさに,食品偽装から,消えた年金から,安倍総理の突然の辞任劇から,防衛省汚職から,警察不祥事から,数え上げると切りがない。社会のタガが緩んでいる故であろう。まさに,事実は小説より奇なり。だんだんと馴らされて,不感症になっていく感がある。日本はこの10年でどれほど変わっただろうか。30年という単位で考えると,さらにすごい。別の国になった感さえある。一体誰がどうやったら,この落下,変容を止められるというのだろう。

 私事としては,今年は振り返って,だいぶピアノに明け暮れた。
 8月にベートーベンのピアノソナタ『熱情』を発表会で披露し,平行して,生まれて初めてのコンクールにも出た。一応予選(5月),本選(8月)と通過し,来年1月5日には全国大会に出場予定なのだが,今更のように思うのは,上手な人,才能のある人が実に多いということだ。音楽大学に行かなかったのは大正解。
 このところずいぶん入れあげていた趣味ではあるが,そろそろ見切りをつける時期かなとも思う。もちろん以後も趣味では続けていくのだが,限られた時間とエネルギーを別の方向に振り向けようかと思うようになった。そうやって,したいことがいくつもあるのは幸せなことである。

 仕事は働き盛りの年代,実はもっとやるべきかなとも思う。
 しかしながら来春から就任予定の東京家裁調停委員は,週半日取られるらしいし,まずもって私は金を儲けることにおよそ関心がない。時間とお金を天秤にかければ当然ながら時間がずっと大事。だからあえて自分から積極的に事件を取るようなことはしないし,またできもしないであろう。
 人であれ物であれ仕事であれ,自分に与えられることに感謝を,とこの頃思うようになった。慎ましやかに生きること。身近にちょっと普通にあることに幸せを感じるし,それこそが幸せなのだと最近つくづく思うようになった。縁あって自分に与えられた仕事を,これからも一つ一つ,丁寧にこなしていこう。何より健康であること。
 以上が今年の総括であり,また来年の慎ましやかな希望である。
 
 どうぞ世界が,そして国が,平和で,安全で,慎ましく生きる人たちが報われる社会でありますように!


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Vol.46 地に墜ちたモラル   (2007年11月 16日)

 このところばたばたとしていたが,昨日ようやく一段落し,今更新している。あまり更新もしないのに定期的に見てくれる方が結構いて,ありがたい。
 いつも思うのだが,弁護士稼業には波があるので,やれることは早めにどんどんやり,常に仕事を溜めない状態にしておかないといけない。その上で余暇があれば十分に楽しんでおくことである。それがまあ,人生の極意にも通じることかもしれない。
 
 さて,巷では事件が続き,何が何やら分からないほどだ。
 前に書いた,奈良の医師一家放火事件に関する秘密漏洩については,医師のみが逮捕・起訴され,そそのかした肝心のジャーナリストはおとがめなしとなった。地検は身分なき共犯として彼女をも起訴をすべく努力をしたはずであるが,法の間隙を縫った形になったのだろう。気持ちの悪い結果であった。もちろん,遺族や当の医師から民事訴訟を起こされるのは別として,真の意味での正犯が刑事的な処罰を免れたわけである。
 大相撲の「傷害致死」についても未だに逮捕がなく,一体何がどうなっているのか,さっぱり分からない。これもまた,気持ちが悪い。

 法務大臣の放言もひどい。死刑執行も大臣のサインは要らないようにしたいと言っていたかと思うと,あろうことか外国人記者クラブで堂々と?「友人の友人がアルカイダ」と来た。こういう人に法務行政を任せておけるか,と誰もが思う。
 東大法学部を優秀な成績で出たと聞くから,頭はいいはずだが,それと常識とは残念ながら別なのであろう。会合で人が挨拶しているときに大声で私語を喋っていたし,兄貴の悪口を延々と喋り続けるのに閉口したこともある。
 前首相といい,なぜこうも永田町には空気の読めない人がいるのか。せめて常識のある人でないと政治なんかやれないはずなのだが,やはり世襲に問題があるのであろう。

 さて,守屋。
 異例の4年も事務次官をやり,度外れた権力欲とは知っていたが,実態は想像を遙かに超える。関係業者と週1度の割でのゴルフ,夫婦での偽名,接待。部下との間での不透明な多額の金員のやりとり。これからもいろいろと出てくるのであろう。こんな人に大事な防衛行政が委ねられていたのだと思うと,空恐ろしい。
 これはひどすぎる事例だとしても,どこの省庁も,あるいはどこの地方も公務員は似たり寄ったりだと世間はすでに思っている。規範はいったん緩みだすと限りなく緩む。範になるべき公がこれなら,私の規範が緩むのは致し方がない。食や安全の各種偽装は当然の結果であるように思われる。
 モラル低下。なぜこうも地に墜ちたのか。ノーブレスオブリージ,地位ある人にはそれだけの義務がある。昔は,地位ある人は自らの襟を正し,人に後ろ指を指されないよう,社会の範たるべきよう,清貧であろうと努めていた。それもこれも教育なのだろう。
 とにかくこんな状況では,子どもたちにちゃんと大人を見習って成長するよう言えないのがいちばん辛い。

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Vol.45 永田町,大相撲……   (2007年10月 15日)

 この1ヶ月で,すっかり周囲は秋である。お洒落の秋,食欲の秋,そして勉学の秋……ただ,スポーツの秋だけは依然縁遠い(笑)。
 突然のほっぽらかし辞任の後,遅ればせに安倍首相は入院。退院して,あるいはもしやこの人に限ってそのまま居続けるのではと案じていたら,案の定,そうだった。しかし,もう何も言う気にもなれない。怒りや憤りを感じているうちは相手を対等に扱っているわけで,もはや憐憫の情しかない。たぶんこの方には(詳しくは書けないが)精神的な障害があるやに今は感じている。もちろん韓国流の『池に落ちた犬は叩け』式発想が日本にはないからでもあろう。
 とはいえ,そうした個人への思いと,その公的な立場への評価は歴然と区別しなければならない。憲政史上未曾有の汚点,国際的な恥辱であることに変わりはないのである。

 大相撲の事件。親方自身がビール瓶で殴ったという。金属バットも使用。これは絶対に,もはや稽古などではありえない。
 毎回,講義ではできるだけ生の事件を取り上げるようにしているが,この事件にはどの学生も食いついてきた。「傷害致死」(なぜ殺人ではないか)「共犯」(の範囲),そして「量刑」。
 報道されるところによると,これまでも10人ばかりの若者が稽古で死んでいるという。その全部とは言わないまでも,何人かはこれまた事件ではなかったのだろうか。
 親方(あるいは弟子の何人かも?)の逮捕は時間の問題であろう。ここでまた露わになった相撲協会の当事者能力の欠如。ずっと相撲だけをやってきた者に組織を管理させるのはそもそも無理があるのではないだろうか。1リーグという特殊な世界であるだけに外部の目を持ってくるべき時期に来たように思う。

 さて,いろいろな事件が次から次に起こるけれど,個人的に最も関心があるのは,奈良の放火事件に関し,秘密漏洩容疑で鑑定医が逮捕された事件である。
 私はこの著者を知っている。法務省出身だというがその時の縁ではない。国会議員時代に訪ねて来て,ある少年事件に関しインタビューを受けたのだ。私の言葉として掲載される時には原稿に一応目を通すことにしているが,見たら間違いだらけだった。法務省出身といいながら手続きも言葉遣いもまるで分かっていなかった。ほぼ全面的に改訂して送り返したが,一片の謝罪も感謝もなく,記憶に鮮明である。
 今回,調書が露出したとの報道で,まざまざと思い出した。ある少年事件の調書を取ってくれと言ってきたのだ。もちろん言下に断ったが,「どうしてですか。国会議員なら取れるでしょう。公益上必要じゃないですか」と執拗だった。この医者はその執拗さに負けたのであろう。彼が中座した間に勝手に撮影していったというのが本当であれば,何をかいわんや。自分の飯の種には誰を裏切っても平気,信義も何もないのであろう。
 我々はよく,外に表れた行為を見て云々するが,それはただの徴表にすぎず,そのもともとの人間がおかしいのだということがよくある。抜本的にずれていて,何がどうおかしいというレベルではない人が永田町にもどこにでもいるのである。

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Vol.44 首相突然の辞任劇,総裁選に思うこと  (2007年 9月 17日)

 12日の首相の突然の辞任を受けて,自民党総裁選が始まった。23日の投票に向けて,メディアもすっかりはまっているようだ。
 当初誰もが後継は麻生氏と思っていたのが,福田氏が担ぎ出された。昨年の総裁選は派閥が安倍を推すということで出馬しなかったが,今回は派閥一致で大丈夫と保障されたので出るということだ。人間がどうかという以前に,安倍内閣と一線を画していただけに福田氏に分があるであろう。あと麻生氏がどこまで健闘できるか。
 しかし,なぜこの2人だけか。チルドレンは自己保身のために小泉に再登板を強く陳情した。そんな見苦しいことをするくらいなら,数を頼んで,自ら若き総裁候補を擁立すべきであったろう。私が臨んだ総裁選は4回。すべて候補者は4人いた。若手が自らの候補を擁立しようと躍起になって,トルコに出張中の私にまで,推薦人が一人足りないから名を連ねてくれと懇願する電話が夜中にかかってきたこともある。そんな熱気が,今は昔。

 しかし,総裁選などに浮かれている場合か,自民党もメディアも。閣僚がお見舞いの手紙を出す? なんだ,これは。
 このところ心にずっと澱がたまっている。本来今は国会中なのに,すべてが停止している。政治に空白は許されないとのたまい,国民の審判を無視して続投したのは誰なのか。身命を賭すと軽々しく言っていなかったか。直前,職を賭すと言ったではないか。この人の言葉すべてに意味がなかったことはもはや明らかだ。言葉に徹頭徹尾責任が伴わない,特異な人であった。
 小沢に責任をなすりつけ,まったくもって支離滅裂な辞任理由を述べた。国民への謝罪もないのは,自分が悪いとはつゆも思っていないからであろう。ひとり拉致問題で名を売ったのに,拉致家族への謝罪も当然になかった。総理以前に政治家の資質に欠けるのだ。当然議員辞職すべきである。とは,自分は一生懸命にやったのに,周囲やら運が悪くて報われなかった被害者であると考えているはずのこの人の頭には浮かばないだろうから,周りがやめさせなければならない。それこそ自民党の存亡がかかっているのである。
 もし議員辞職をしないのなら野党は辞職勧告決議案を出すべきだ。自民党もそれを簡単には拒否できないはずである。拒否をしたら国民に対して,安倍の無責任を擁護したことになる。

 彼を首相に選んだのは国民ではない。昨年の総裁選で自民党が選んだ。見栄えと家柄がいい,拉致問題で国民的人気があり,来年の参院選の顔になるからという理由で。ここまで無能だとは思わなかったというのが本音であろうが,いずれにしても国民に対して欠陥商品を売りつけたのである。欠陥がだんだんに露呈してきて,国民は参院選でリコールした。それを無視して続投をさせ,このざまである。所信表明後の突然の辞任など,病気で倒れないかぎり,ありえない。これが国際社会に対してどれほどの恥辱であるか,安倍自身が考えられないのであれば,自民党の幹部たちがもっと真剣に考えてほしいと切望する。
 自民党がこのまま平穏に次の総裁を選び,その総裁が総理になれるシステムというのは国際社会に分かりやすいことだろうか。少なくとも多くの日本国民の感情としてはそぐわないことであろう。

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Vol.43 新内閣のスキャンダルに思うこと  (2007年 9月 7日)

 8月27日,新内閣発足。
 私の周りでも悲喜こもごもであった。泥船には乗りたくない人が多いだろうと思っていたが,実際は当選何回目かとなれば選挙区の期待もあり,多くが入閣を待ち望んでいた。
 不思議なことだが,その日の呼び込みまで,候補者当人に直接抱負なり希望なりを聞くことはない。今回のスキャンダル続発についても,事前に当人に「何もないか」と聞いてさえいれば避けられたケースもあるのではと思うのだが,なぜだかそうした慣行である。

 今回の顔ぶれは,前回のお友達内閣と比べて格段に良い。
 それでもスキャンダルはすぐに出る,と読んでいた。読みは当たった。
 理由は2つある。1つは,首相自身の問題である。
 参院選の惨敗理由は,自民党不信任というより安倍不信任であり,居座るという道はなかった。にもかかわらず,明瞭な説明もしないまま首相は続投。政治家にとって言葉は命であるにかかわらず,この内閣改造が起死回生の最後のチャンスであるという悲壮感はどこからも感じ取れなかった。だから,きっと今回も甘い身体検査なのであろうと思っていた。
 大体が遠藤農水大臣の問題は,自己が代表を務める団体が国の補助金を不正受給したとして,すでに3年前,会計検査院から指摘を受けていたものだ。それがなぜ今回分からないままだったのか。これはつまりは会計検査院の仕事そのものが無意味だとも言えるのではないか。

 もう1つは,それと表裏の関係に立つが,マスコミはすでに安倍潰しを決めてかかっているからである。これから何をやってもまず褒められることはない。閣僚のスキャンダルはこれからもどんどん出続けるだろう。支持率は落ち続け,参院で逆転した民主党の攻勢はかかる。あとはいつ解散・総選挙になるかという時期の問題だけである。

 これだけ政治資金の問題が出てくれば,誰もが大なり小なり不正をやっているのだろうと思えてくる。となれば制度そのものを変えなければ,いつまでもモグラ叩きをすることになる。国民はもう,この手のニュースにはうんざりしている。
そんなつまらないことばかりに言っておらず大事なことを論じてくれよと言いたくなる。こんなニュースが報道されるばかりでは日本は世界でますます立場をなくす。実際,六か国協議から日本は閉め出され,拉致問題解決どころの騒ぎではなくなっている。ああ,マスコミよ。どうかしてもっと賢くなっておくれと言いたい。

 もっと抜本的に変えなくてはいけないのは,政治家を選ぶシステムである。
今回顕著になったのは,人材の逼迫である。9年前の参院選では橋本龍太郎総理(当時)は44議席の惨敗を受け,直ちに退陣を表明。小渕,梶山,小泉の3者が立候補して小渕総理が誕生した。しかし今は首相の後釜がいない。だからみなが結局容認している。さて民主党に目を転ずれば人がいるかといえば,そうでもないだろう。
 小選挙区制の弊害に加えて教育制度そのものの問題が根っこにあると私は思う。


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Vol.42 安倍晋三考  (2007年 8月 9日)

『選択』という,政治経済関係の情報雑誌がある。会員制で,発行部数は約7万部。私も長い間購読者であった。
 同誌は,平成15年7月号から翌16年1月号にかけて,安倍氏の記事を掲載している。いわく,
「驚くべきことだが,このほかに拉致問題でこれといった政策を何一つ打ち出していない。」「本来なら副長官が担当する官邸の国会対策も『御曹司』として免除されている。」「政治家というより運動家。器用に政策も口にするけど,本質は一見ソフトな大衆アジテーター。仲のいい同世代議員の診断だ。」「安倍氏の『活躍』とは,実は被害者と家族会から『最も信頼されている政府の相談役』として事あるごとにカメラの前で面会し,時に被害者や家族会の『臨時スポークスマン』と化して一部の不埒なメディアを激しく指弾することだけなのだ。」「むしろ実力ある政治家なら,構図を逆手にとって情報入手ルートを確保し,政治力を鍛えるステップにするくらいだが,そうした才覚を発揮できていない。」「経済にはもともと不案内で関与していない。残る仕事といえば,自民党の選挙対策委員会の指示通り各種選挙戦の応援に出かけるくらい」「そもそも政治力の拙さは,副長官の重責を担う前からのことだ。」「単なる使い走りに終始した点だ」「政治家に調整能力は不可欠だ。だが,これまでのところその才があるようには見受けられない。むしろ下手な部類だろう。」「話柄が首相を狙う政治家の風格とは言いかねるのだ。」「今ひとつ個性の弱いタレントが忘れられまいとして話題作りに励む姿をどこか思い出させる。」「議論も55年体制の枠組みから抜け出ていない古風な作りだ。」「『人気者への嫉妬』と思っているようだ。」(以上,7月号。当時内閣官房副長官)
「張子のパンダ安倍幹事長 角栄,小沢とは雲泥の差」「肝心の拉致問題についてさえ,政府内どころか 官邸内で何が進んでいるのか知らないことがありました」「身近に見る実像は勤勉,鋭敏,謙虚とは言いかねるタイプ」「中学生の基礎学力を身につけずに大学生になったようなものか」「青木・森コンビに間接統治された傀儡幹事長そのものだ」「『保護者同伴』の幹事長」(以上10月号)「あくまでも『選挙の顔』にすぎない」(12月号)「部屋に官僚を呼びつけ,あれこれ方針を打ち出したが,先輩族議員たちにあえなくひっくり返された」「副幹事長らと一緒の大部屋から離れず,」「与党の要を担うはずが何の実権もないことはもはや隠しようもない事実となっている。」「党内で注目する議員はほとんどゼロだろう。」(以上1月号)

 なるほどよく見ていたのだと頷く人は多いはずだ。大体がトップクラスの公人なのだから,批評・批判の対象になって当然なのである。
しかし,安倍氏はこれらの内容が名誉毀損ないし侮辱にあたるとして,同誌を提訴した。求めた慰謝料額は5000万円!!(人が死んでも3000万円程度である) 東京地裁は平成18年4月,一部について不法行為を認め,しかしながら認容額は50万円のみとした。実質敗訴である。判決は法律家の多くが読む判例時報1950号(平成19年2月1日号)に掲載されている。
 この訴訟は安倍晋三という人間を何よりも雄弁に物語っているように思う。さて真実が露わになった今,控訴審はどのような判断をするであろうか。

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Vol.41 久間発言に思うこと  (2007年 7月20日)

 すっかり時宜に遅れてしまったが,6月30日の「原爆投下はしょうがない」発言は衝撃的であった。
 久間さんはイラク戦争は誤りだったと,閣僚であるに拘わらず本音を喋ってアメリカに睨まれたので,つい軽くゴマをすったような気もする。だが,当のアメリカ大統領でも決してこんなことは言わない。罪のない人を多く殺し,子々孫々まで影響を与えた行為が人道的に許されないことは,普通の感性を持ちさえすれば自明の理だからである。それをあろうことか,日本の防衛大臣が口にした。おまけに彼は長崎の政治家である。
 当然ながら,一般民衆を狙う原爆投下は紛れもない戦争犯罪である。その意味では東京大空襲も同じく戦争犯罪だが,原爆投下の意味は比較にならないほど深い。核兵器廃絶は国際的課題であり,かつ人道的課題である。唯一の被爆国の担当大臣がそれを非難もせず,漫然と正当化して,一体どうするというのだろう。職務意識の欠如も甚だしい。
 久間さんは冷静に話をされ,頭のいい方だとずっと思っていたが,私の認識が誤っていた。これは失言などという軽いレベルではなく,人間性や知性,歴史認識といった人の根幹に関わる由々しき事態だからだ。辞任は当然である。

 私が実はもっと呆れ果てたのは,安倍首相の態度であった。人道的に許されない発言だとして直ちに辞任を勧告するでなし罷免するでなし,「アメリカの立場を言ったものであろう」! なんだ,これは。絶句した。日本の公務員はすべて日本の国益を担う。国務大臣,ことに防衛大臣に至ってはなおさらだ。それがなぜアメリカの立場を言う必要がある。これはイロハの常識である。
 安倍さんのよく使う「私の内閣」に違和感をいつも感じる。内閣は公の存在であり,大臣はすべて公職だが,どうやら私物化しているのではないか。お友達,気心の知れた人ばかりを起用,何か問題が起きても徹底的に庇う。公の意識が欠け,指導者としてのけじめが見られない。松岡大臣の自殺の時にそれをひしひしと感じたが,久間さんを庇ったときに,この人には普通の人の感性もないのだと感じた。
 こうしたことが国際的に大々的なニュースになって,なんと恥ずかしいことであろう。国益を害すること甚だしい。大臣も大臣なら首相も首相。日本が立派な国であると思ってくれる人は世界中に皆無である。

 元公安調査庁長官の弁明,そして久間発言。昨今立て続けに起こった「小説よりも奇なり」の2つの大事件は何を語るのか。2人とも学歴,経歴,肩書きのどれを取っても日本のトップクラスである。それがこのざまなのである。
 2人だけが突出した例外であろうはずもない。全体に言葉が軽くなっていると書いた識者がいる。実際,詐欺師は自分の言葉で相手を説得しよう,騙そうと真剣だ。その真剣さもなく,ただやたらに軽い。人をなめているのであろう。
 おそらくは日本全体が劣化している証左なのではないか。社会保険庁の消えた年金記録は,そのことを雄弁に物語ってはいないだろうか。

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Vol.40 元公安調査庁長官逮捕!!  (2007年 6月29日)

 まさか,のまさか。逮捕はあるだろうと読んではいたが,詐欺罪だとは。
 となると,強制執行妨害や公正証書原本不実記載とはそもそもがまったく異質な事件である。総連は共犯ではなく,被害者。これが小説なら,奇想天外,破天荒なストーリー。よほど特殊な人格だとの設定をしなければならない。私自身は幸か不幸かまったく接点がなく名前くらいしか知らないのだが。

 いわゆるヤメ検の中には派手な生活を送る人が結構いる。弁護士報酬も相場とは桁違いだったりする噂はよく聞く。とはいえこの人の異常さは別格である。
 強制執行妨害の弁護についた被告人(大物詐欺師らしい)と,あろうことか以後組むようになり,まさに一蓮托生,様々な事件に関与していたという。非行が万引きから始まるように,快楽殺人が小動物殺害から始まるように,これほどの大事件を起こすまでには経過がある。今回,投資者があるように装い,まずは物件の移転登記が必要であると騙し,代金の支払いなく移転登記を完了(物件の詐欺)。別途4億8000万円を詐取(緒方容疑者はうち1億3000万円を領得)。これが本当であれば,物件の登記は元に戻したものの,また金はこれから工面して全額返すとしても,実刑は免れない。
 これほどに金銭感覚も遵法意識も麻痺できるとは一体なぜか。いつから狂いだしたのか。あるいはもともとおかしいのをトップにつけていたのか。この異常さは公安調査庁が監視していたオウムと同レベルのように思われる。特捜部には身内の犯罪を徹底的に捜査することを望む。

 おごり,勘違い,人間性の欠如──これはある種の特権意識と裏腹なのだろうか。
 山口県光市の差し戻し高裁審理の模様に,おぞましさを感じた人は多いはずである。
 以前このホームページでも取り上げたが,少年には殺意や強姦を否認できる状況にはない。実際これまで否認はしていない。それを21人の弁護団は否認に転じさせたのではないか。母親に抱かれるつもりだったとか,その弁解には人間性のかけらも見られない。本村さんが法廷で睨み付けられ,社会に戻してはいけないと思ったのは当然だ。
 本村さんは私も知っているが,非常によく出来た方である。この度も心中の怒りを抑え,慎重に言葉を選んでいた。立派なことである。一方で,なぜ遺族がそこまで我慢しなければならないのか,その理不尽さがやりきれない。
 こうした事件でいつも思うのは,犯人やそれを徒らに弁護する人には最低限の想像力さえ欠けているということだ。自分の家族が何の落ち度もなく,殺され,強姦され,それでいて死刑を望まないか。いや犯人が悔い改め,謝罪することをさえ望まないのか。犯人が殺すのは当の被害者だけではなくその家族もなのだ。遺族は生涯その重荷を背負って生きる。今回の審理は,死者を,遺族を,再度殺すほどの冒涜というほかない。
 
  宮澤元総理死去。財務大臣時の答弁をずっと聞いていたが,とにかく抜群に頭のいい方であった。数字のみメモを出して見ておられたが,それ以外は何でも明瞭に記憶しておられた。皮肉屋で有名であったが,私は優しい言葉をよくかけてもらった。外国で暮らした経験はないが,流ちょうな英語を話された。合掌。

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Vol.39 奇異な事件,強引な国会運営  (2007年 6月24日)

 この1ヶ月,次から次に,まさに「事実は小説より奇なり」。
 消えた年金もそうだが,私としては筆頭は総連の土地建物の事件。小説でこんな話が出たら,バカもほどほどにしてよ,仮にも北朝鮮を監視していた組織のトップが北朝鮮人民を救うために力を貸したって,それでもって自分がペーパーカンパニーの代表になってそこに登記を移す? 誰にどう頼まれたって自分の名前は表に出さないよ,と白けてしまうのは必定である。その程度の人が君臨していた組織だ。オウムで生き延びたものの,今度こそリストラの対象になってしかるできではないか。

 さて先日,事務所に来た人が言う。「国会に長くいたけれど,これほど強引な国会運営は初めて。普通は優先順位があってそれだけ通せばあとは継続審議にしたり柔軟に対応していた。これじゃ国会はまるで請負人だ」と。同感である。
 私がいた6年間,強行採決は徹夜国会になった通信傍受法案のほかは2件ほどだ。この短い内閣で,すでにイラク特措法,教育改正3法を強行採決し,あと年金法案,公務員改革法案なども当然強行採決含みである。とにかくこれらを自分の内閣で通すと決めて,12日間の国会延長。参院選の選挙日程も1週間延びる。それだけでおそろしい無駄遣いだが,首相にはそんな気遣いは毛頭ない。深刻に広がる格差社会も,切実なワーキングプア問題もこの人には見えていないと私は思うが,たぶん大方の国民も同感であろう。
 この人が関心を抱いているのは終始一貫して国家ビジョン的なことだ。自主憲法を作ること,誇りある国を作ること。もっとも憲法改正のための国民投票法は通したものの,肝心の中身をどう変えたいのかはさっぱり見えていない。分かっているのは集団的自衛権を正面切って認め,自衛隊の海外派遣を合法にすることくらいか。しかし,憲法改正でやるべきことは戦後新たに認められた環境権や知る権利,プライバシー権などを盛り込むことで,9条は国民の幸せを思えば後生大事に守るべきである。
 いずれにせよ憲法は国民にとって身近ではない。国民にとって大事なことは年金であり雇用であり,日々の暮らしであり安心である。と言ってみても,狭い視野・価値観に囚われ,友達しか周りに置かず,寛容さを欠く首相には何をどう言っても始まらないのであろう。
 なぜ社会保険庁長官は首にならないのか。歴代長官や管理職の退職金・給料の(一部)返納は当然である。この期に及んでボーナス支給などもってのほか。民間企業であれば当然のことだ。それを漫然と許す。はっきりと言えば,特権階級である首相以下多くの閣僚らは,微々たる額の年金が消えたことくらい,大したことだと考えていないのであろう。
 今度の選挙には国民の怒りが反映する。その受け皿として民主党が機能していればいいのだが,これもまた頼りにならない,そこが国民の最大の不幸であろう。
 
ところで,私は初めて中央公聴会の公述人となった。6月15日午後,参院文教科学委員会における教育改正3法審議である。持ち時間15分のためにきちんとペーパーを作っておいたのだが,なぜか3分の1を読んだ時点ですでに10分経過していて大慌て,以下はしょりまくって本論をかなり割愛。反省しきりである。準備はやはり万全でないといけない。

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Vol.38 松岡農相,自殺!!  (2007年 5月29日)

 今朝目が覚めると,まだ5時だった。肌寒かったこともあるが,何より,昨日の農相自殺の衝撃が大きい。現職閣僚の自殺は戦後初。
 いくらスキャンダルの渦中にあり,農水省管轄の緑資源機構の捜査が進む中,参院選後の逮捕もありうると取りざたされていたとはいえ,現職閣僚が自殺するとは,想像を超える。

 農相とは同じ派閥だった。志帥会である(現会長は伊吹文科相)。
 最後に会ったのは今月9日,ニューオータニで催された派閥のパーティであった。中座した私は,遅れてきた農相と出口でばったり会った。いつも通りの感じで握手を求められ,返した。「何とか還元水」に始まる連日のバッシングを知るだけに,打たれ強い人だなと感じた。
 資金疑惑の噂は絶えなかった。鈴木宗男氏とことに親しく,自民党の部会でも官僚を恫喝するなど,手法もそっくりだった。その鈴木氏が逮捕されて以後,彼は目に見えて変わった。昨年安倍内閣が誕生した時,彼は熊本県連を安倍支持でまとめあげるなど汗をかき,初入閣を果たした。当選6回。大臣になって然るべきキャリアでもあった。
 しかし,よりにもよって農林出身で族議員の典型と言われる彼をそのトップに据えた人事には永田町でも多くの人が首を傾げていた。内閣調査室等からも然るべき報告があったにかかわらず,首相は耳を貸さなかったとも聞く。周囲の危惧は的中し,入閣後次々と疑惑が噴出。結局はもともとの任命が拙かったのである。

 遺書が6通残されていたというから,発作的な自殺ではないはずだ。想像だが,彼は辞任を願い出ていたのではないのだろうか。現職閣僚の自殺が内閣に与える衝撃が尋常でないことくらい自明の理だからである。
 だが,首相は彼を終始かばい続けていた。佐田行革大臣がすでに辞任,柳沢厚労大臣の失言問題もある。辞任ドミノになっては内閣がもたないと考えたからであろう。だが,松岡大臣の問題は柳沢大臣の失言の比ではない。犯罪や疑惑に対して清廉な感覚さえ持っていれば,辞任させるべしとの決断が容易に生じたはずである(もっともそうした普通の感覚があれば任命もしなかったであろうが)。潔くそうしなかったことが,農相を追いつめたのではないだろうか。

 自殺の前日は日本ダービー。牝馬のウオッカが3歳馬の頂点に立つという歴史的なレースを,首相夫妻は満面の笑みで観戦していた。そこに主管大臣の姿はなかった。すでに熊本での墓参りも済ませ,母親にも会って,自殺を決意していたのである。部下の苦悩の胸中を察することのないトップの姿が空しく迫る。
 農相は国民への説明責任も果たさないまま,疑惑とともに亡くなった。であっても捜査は敢然と続けられることを願う。さはさりながら,合掌。生を生きる性に生まれついた人間が,死のほうがより幸せだと思う事態になることほど,哀れなことはない。

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Vol.37 愛知銃撃事件に思う  (2007年 5月21日)

 前回から1ヶ月経過。この間,嫡出子推定の離婚後300日を改正する件が流れたり(もちろん私は改正に賛成の立場である),国民投票法案国会通過があり,その度に書こうと思いながら(更新を楽しみにしていると言う人が結構いてくださる),雑事に取り紛れて今日まで来てしまった。だが,ついに腹立ちが治まらない事件が勃発。

 愛知銃撃事件である。もちろん犯人には腹が立つ。暴力を振るった挙げ句に妻と別れ,さらには復縁をしつこく迫って,銃を持ち出す。男女間で未練がましいのは圧倒的に男だし,事件になるのも圧倒的に男。そんな男だから愛想を尽かされるのだと誰かが言ってやればいいのだが,そんな人間には友人もいないのが常である。
 先月来続く銃器事件であることにも腹が立つ。今回も銃さえなければ,単なる男女間のトラブルに留まり,優秀な若い警察官の命が奪われることもなかった。ご両親,奥様と赤ちゃんには慰めの言葉もない。

 しかし何よりも腹立たしいのは,警察の弱腰である。警察は国家権力の象徴だから,国家の弱腰と言い換えてもいい。それを支えているのはマスコミである。
 当初,息子から110番通報があって現場に向かうとき,銃を持ち出して云々と言われたのに,なぜ発砲に備えた準備をしなかったのか。仮にも警察官が撃たれるようなことがあってはならないのだ。なぜならそれはとりもなおさず法秩序に対する反抗になるからである。英米など,警察官の殺害を一般民衆の殺害より遙かに重罪とする法制の国は多い。
 それほどの緊急事態が起こったのに,なぜその時点ですぐさま警察は踏み込まなかったのか。この期に及んで犯人の人権(命)や動機の解明などと言っている場合ではない。人質といっても元妻。無関係の第三者とは立場が大いに違う。
 それを,5時間半も放置した! 警察官の人権(命)や法秩序の価値はどうなるのか。すぐに救助されていれば重態にならなかったかもしれないのだ。ご家族の気持ちを考えてもやりきれない。そして果ては(弾が装具の1センチの差を貫通したことによる偶然の死亡だとしても)SATの優秀な人材を失う体たらくだ。

 この期に及んでも,警察は強硬突破をしなかった。執拗なまでに自発的な投降を願い,あろうことか,「出てきてくれてありがとう」! それほどまでして犯人を生きたまま検挙しないと国民が非難するというのか。いや,そうではなくマスコミであろう。犯人は自分は撃っておきながら,自分が撃たれることに極力怯えていた。捕縛されて幸い,死刑にも無期懲役にもなりはしないのである。
 
 さて,フランスではこの度新大統領当選に暴発した学生らを鎮圧するため,警察は容赦なく催涙ガスを放射した。犯人は容赦なく撃つ,逃げる場合は人質とももろともというのが外国の常識だ。そうやって法秩序を保つ。国民も支持する。なぜならば大多数の国民は被害者になるだけなのだから。これでまた日本は非常識な国であると国際社会に認知されたことだろう。それなのに他の事件と同様,お決まりの犯人の「動機」云々報道だ。この国はいよいよバランスを失してきた感がある。

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Vol.36 ルーシー事件無罪,など  (2007年 4月27日)

 4月24日,「ルーシーさん事件の無罪」判決が出た。
 1992年2月から2000年7月にかけて,日本人4人,外国人6人の若い女性を誘い出しては薬を飲ませ,強姦を繰り返していた(準強姦。法定刑は強姦と同じく「3年以上の有期懲役」)織原被告人に対し,東京地裁で「無期懲役」の判決が言い渡された。求刑通りである。

 有罪となった他9件のうち6件の罪名は準強姦だが,2件は準強姦致傷であり,最も犯情の重い1件は準強姦致死である。準強姦致死傷の法定刑は「無期又は3年以上の有期懲役」であるので,罪名がこれに止まる限りはどれほど凶悪悪質でも,何十件重ねようとも最高刑は無期懲役刑である。殺意をもった「殺人」がない限り,死刑は科しようがなく,これは,10件中最も犯情の重いルーシーさんの件が有罪になっても同様であった。

 ルーシーさん事件は「合理的な疑いを超えるまでには有罪を立証できていない」と判断されたのである。他9件には存在する暴行ビデオ(こういうのを残す変態は実際,珍しくない)が残っていないことが決定打だったようだが,一方,遺体損壊に使われたと見られるチェーンソーを購入した事実など,遺体隠しに何らかの形で関与したことは疑いないとまで踏み込んだ。推測だが,ルーシーさんは薬を飲ませたときにショック死し,以後の暴行が出来なかったのではないか。被告人は,死亡させてしまったことに動転し,これまではしなかった死体損壊・遺棄に走ったのではないか。

 思うに,この3人の裁判官の感覚はどこかずれてはいないか。
 仮定の話だが,もしルーシー事件のみでの起訴であれば,どうしただろうか。やはり疑わしきは罰せずとして被告人を無罪としただろうか。いやおそらくそうではないだろうと思うのだ。死体隠しに関与したのは疑いない被告人を,無罪→釈放とはなかなか出来ないはずである。だが,この裁判では他に9件ある。たしかな証拠のない案件は無罪としても結果は変わらない。だから厳格に(というか硬直に)事実認定をして無罪という結論に導いた気がする。検察が起訴するとき,たしかな事実だけを起訴し,量刑は変わらないのだからとあとは不起訴にしてしまうのと,これは似ている。
 だが被告人は常習犯なのである。死体遺棄に関与したことは証拠上間違いない。であればその前の準強姦致死も有罪と考えるのが,普通一般人の正常な感覚というものであろう。2年後に導入される裁判員制の下では,必ずやそういう結果になったであろう。

 この判決には人の情が欠落していた感もある。被告人や社会にとっては同じ無期懲役でも,遺族にとっては掛け替えのない肉親である。それが無罪になれば一体誰を犯人として恨めばいいのだろうか。この日のイギリスのトップニュースは,日本の司法への不信感を流していた。くしくも同じく若くて美人のイギリス女性が千葉大生に殺された(犯人は身検挙)。両国の立場を変えて見れば,日本=変態男であり,加えて不正義の司法ではなかろうかと危惧をする。裁判所にとっては数ある事件のうちの1つにすぎないだろうが,国際的な影響も大きい。

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Vol.35 銃犯罪多発,など  (2007年 4月23日)

 昨日22日(日)は,午前10時半から午後4時まで,第22回皇后盃全日本女子柔道選手権大会を観戦した(足立区・東京武道館にて)。縁あって,帝京大学柔道部顧問なのである。
 この選手権は毎春開かれ,無差別級・全国各地域選抜なので,文字通り女子柔道の日本1が決定する。女子柔道部は,男子柔道部とは違い,東海大学と帝京大学の2強である。今回のベスト8は,東海4に帝京4。優勝で6連覇を飾った塚田は東海出身,準優勝の堀江は帝京出身(現在兵庫県警在職中)。
 堀江は78キロ級,120キロを超える塚田とは50キロ近くも差があるが,一本も技ありも,有効さえも取られることなく,5分を持ちこたえたのは立派だった。「柔よく剛を制す」のが柔道の見応えとはいえ(実際,堀江は準決勝で110キロ超えの立山に一本勝ちした),やはり同じ技術と練習量であれば,体格に勝る者に利があるのはいかんともしがたい。
 私はスポーツは苦手だが,見る分は楽しい。中でも柔道はただの格闘技とは違い,「道」である。礼儀作法を通して技と力を培い,精神の真剣勝負であるが故に,見る者に感動をもたらす。とても良い心地になって帰宅,統一地方選の投票に行って,午後8時までの2時間,ピアノを練習した。いい休日であった。

 さて,銃犯罪が多発している。
 アメリカでは韓国人学生が大学内で32人を射殺。銃が厳重に取り締まられている日本でも,長崎市長が射殺され,町田では立てこもりと,相次いだ。
 アメリカではその建国の歴史から,個人の自衛権を重んじ,銃所持を憲法で認めている。反対する人も多いが,ライフル協会など強力なロビー団体もあり,依然禁止されることはなく,簡単に入手することができる。もっとも今回の事件のように,弾倉をたくさん入手できたのは問題ありと思うのだが。
 約10年前になるが,アメリカの専門家の話を聞く機会があった。統計によると,暴力事件の発生件数自体は他国とさほど変わらないのだが,凶器が銃であるが故にいざ発生した場合には,死亡や重体など重大な結果になるとのこと。
 たしかにナイフや包丁であれば,抵抗されてかすり傷に止まることは多いし,よほど執拗に刺さなくては,重体にも,ましてや死亡にまで至ることはない。人間は,至近距離では相手の顔も見るし,実行後は返り血も浴びて萎縮するが,銃のように離れた所から打てるのでは,抵抗感がなく,簡単に人を殺せてしまうのである。そこが,銃という凶器の持つこわさである。
 気が短い人はどこにでもいる。だんだん増える一方だ。切れて,かっとなった場合,もしその人が銃を持っているとしたら,と考えるだけで恐ろしい。ちなみに同じ頃韓国の検事が同国の犯罪統計を見せてくれたが,傷害事件の発生件数が日本の何倍もに上った。いわく「韓国人は気が短いから」。運転が荒いのは私もその地に行ってよく知っている。別の検事は奥さんから「貴方はタクシーの運転手のようだ」と言われるそうである。
 暴力団のいう「チャカ」。抗争に付きものの銃を社会にはびこらせないよう,より一層の厳重な取締りをと願ってやまない。

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Vol.34 ホリエモン,2年6月の実刑!  (2007年 3月20日)

 先週16日(金),求刑懲役4年に対し,懲役2年6月の実刑判決が出た。2年半,刑務所に入って刑務作業に勤めなければならない。すごいことである。
 ただ,元検事の私としてはこれは予想された判決であった。理由は3つある。

 まずは経済事犯自体が非常に重くなっていることだ。
 ずっと以前は証券取引法違反は軽罪であった。インサイダー取引でどれだけ利得をしても,6月以下。軽犯罪並みの社会的非難であった。故に当然,執行猶予がついたが,このところアメリカの影響もあって,経済事犯全体の刑罰が極めて重くなってきた。
 例えば,インサイダー取引(法166条)は5年以下の懲役・500万円以下の罰金だ(197条の2,13号)。相場操縦(159条)に至っては,なんと10年以下の懲役・1000万円以下の罰金(197条1項5号)! この懲役刑は,典型的な刑法犯である窃盗・業務上横領・詐欺・恐喝などと同一であり,これに罰金併科も可能なのだから,どれほど重大な犯罪と考えられているか,理解されえよう。
 ちなみにライブドア関係者が起訴されたのは,同法の中の有価証券報告書虚偽記載と偽計・風説の流布であり,いずれも刑罰は上記相場操縦と同じである(197条1項1・5号)。つまり,2つを併合すれば懲役15年まで科しうる,まさにとびきり重大な経済事犯なのである。

 2つ目は求刑。
 執行猶予にしてもらっていい場合,検察は求刑を3年に抑えるという慣行がある(宮内の求刑は2年6月である)。ではない求刑4年は,実刑を望むという意思表示であり,またたとえ実刑でも求刑の半分以下になった場合はやはり控訴をするから,裁判所の落としどころとしては2年6月の実刑が最も妥当な線であった。

 とはいえ,懲役3年に落として執行猶予という選択肢ももちろんある。限りなく実刑に近い線としては執行猶予期間は5年であろう。だが,そうしなかったのは被疑者個別の理由である。
 被疑者は一切反省をしていない。裁判所としては「反省をしていることを考慮し,特別に」執行猶予を付けることができない。加えて,弁護人の特異な言動も際だっていた。宮内らの業務上横領を挙げ,検察が取引をしたとの疑惑を法廷の場で主張するのは,弁護士の職責としてまっとうである。が,これをテレビ向けに「乞うご期待!」などとぶつのは,次元の異なる話である。裁判官も人間である。嫌悪を抱いて当然だ。
 弁護士は本来依頼者のために利益になる行動をすべきである。もし依頼者から望まれたとしても,いやここで貴方のやるべきことはひたすら陳謝し,恭順の意を表することだ,でないと実刑になるよと諭すべきであった。弁護人はそれをしなかったばかりか,今回の判決を「常軌を逸した」とまで述べた。
 一審判決を覆すのは民事も刑事も容易なことではない。現在損害賠償請求を起こされている一般投資家に対してできる限りの賠償をし,様々な形で反省を示さない限り,二審で執行猶予になるということはありえないであろう。

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Vol.33 弁護士業の難しさ  (2007年 3月 8日)

 先日,和解のために裁判所の待合室にいたときのことだ。
 がさがさと,男女3人が入ってきた。聞くつもりはないが,待合室は狭いし,年配の女性が興奮して大声を出すので,聞くとはなしに聞いてしまった。彼女は当事者。裁判官から先ほど提示された和解案がよほど気にくわなかったようだ。
「裁判官は〇〇(相手方)がどれほど悪い奴か,全然分かってないんですよ」
 男女各一名は何も言わない。相づちすら打たない。であるからかどうか,女性はどんどん激してくる。
「〇〇は他に〇〇や〇〇もやってる(本当であるとすれば犯罪にあたることをいくつか挙げた)」
「まあまあ。しかしそれは本件の審理の対象とはなっていないですから」
 さすがに弁護士。ここは冷静に戒めた。
 紛争は同族会社の内紛と見た。相手方と争う株式の額は億に上るようだ。となると弁護士報酬も桁違いであろう(だから羨ましいと思ったわけではない。念のため)。

 このエピソードには依頼者対策の難しさが凝縮されていると思う。
 法律の素人と玄人の違いと言っていいかもしれない。裁判官が認定する事実は,法に基づき,またその裁判に提出された証拠に基づき,証拠にしか基づけないものである。当然,真実であるとは限らないし,ましてや一方当事者が真実であると確信している通りに認定してくれるはずはない。人はよほどの聖人以外は己を正当化するものだし,記憶は自分の都合のよいように変わっていくものである。
 だからあなたの思い通りには裁判所は認定しませんよ,とは言えない。お金を払うのは依頼者だ。その人にいかに満足してもらうか。法と正義に基づいて最大限の努力をし,玄人が評価する結果を出したとしても,同じように依頼者が評価してくれるとは限らない。本筋とは違うところで妙なこだわりがあったりもする。誰が見ても完璧な奥さんや旦那さんが当事者にとって満足とは限らないようなものだ(?)。極端に言えば,大きなミスをしても,それと分からず満足してくれることもあるだろう。医者もそうである。手術は失敗でも先生はよくやってくれたと思えば患者も遺族も不満はないが,最大限の説明をし施術をしても訴えられることもある。
 依頼者も様々だ。心情を思いやり,その個性・ニーズを考慮すること。それが今後の大きな課題であると思わされたエピソードであった。

 あと弁護士業で難しいのはお金の取り方。
 今ではそう間違えなくなったと思うが,振り返って,取りすぎたと思うのもあれば,それ以上に,取らなさすぎたものがある。取れるときには遠慮なく取っておかなければ,ボランティアでやろうと思うときに動けない。訴額で事件を選んではいけない。この案件でいくら,ではなく,1年で均していくら,あるいは2年でいくらくらいの感覚でやるべきこともよく分かってきた。

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Vol.32 2月もそろそろ終わり  (2007年 2月23日)

 先週末,東京マラソンが開催された日は,おそろしく寒くて雨が降りしきっていた。
 突発した仮処分申請のため,朝事務所に向かいながら,こんな悪天候をものともせずに走る方々は,よほど走ることが好きなのだと,感慨を禁じ得なかった。
 私はといえば,とうてい駄目である。いくらお金を貰ってもごめん被りたい。
 とはいえ,体は動かさないといけない。なので手始めに簡単なことからやることにした。まずはできるだけタクシーに乗らないことである。
 これはやってみると,すごいことであった。まずは当然に体を動かす。渋滞や運転手の態度の悪さ,道の知らなさにいらいらすることもなく精神衛生上極めていい。時間が読める。加えて,お金が節約できる。いいことづくめで,私はなぜこんな簡単なことに気がつかなかったのだろうと驚いている。

 仕事は,わっと忙しくなるときあり,さほどでないことあり。
 暇なときは,鋭意法律の勉強に充てている。上記の仮処分申請のように急に何が起こるか分からないので,前もって何であれ,出来ることは早めにやる。これは依頼者のためというより自らの身体・精神の健康のためなのだが,それが跳ね返って依頼者のためになる。
 どこの世界でもそうだが,大胆に言い切ると,形式を守れる人は実質もよく,形式を守れない人は実質も悪い。
 締切り日間近に書面を送ってくる弁護士がよくいるが,まず間違いなく,内容もよくない。能力の高い人は前もってやれるのである。よく分からないとすぐには書けず,遅らせに遅らせて,期日間際の見切り発車となる。
 忙しいというのは絶対に,言い訳である。と分かっているからできるだけそう言わないようにしているのだが,営業上忙しいと言ったほうがいいとき,あるいは公私を問わずお断りしたいとき,これは便利な言葉ではある。
 人間,好きなこと,簡単なことはすぐにするものである。

 ふと手が空いたのでこれを書いているが,とくにテーマがあるわけではない。
 なぜだかこのホームページ,時に急にアクセス数が増えるときがある。日に100件とか200件とか。この2〜3日もたまたまそうなったので,そんなに見てくれるのなら,書かなければと思った次第である。

 死刑の言渡し人数がここ数年で増え,最近の統計では年40人を超えている。
 戦後の混乱時期を除けば,ずっと長い間,5人ないしせいぜい10人で推移していたから,これは一体どういうことなのだろう。凶悪事件が増えているという体感はあるし,日替わりのような残酷非道のニュースに接するにつれ実際そうなのだろうと思うのだが,本当のところはどうなのか。あるいは検察官・裁判官の量刑が厳しくなってこれまで無期懲役を言い渡していた事件に死刑が科せられるようになった故なのか。検証したいのだが,どなたかいい本なり資料なりがあれば,教えてください。

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Vol.31 大学後期も終わり  (2007年 2月 1日)

 昨年12月から今年にかけて結構忙しかった。急に一息ついている。案件が急にばたばたと片づいたこともあるが,大学が休みに入ったことも大きい。

 大学は試験監督で一昨日に行ったのが最後。次は学生が新しくなって,4月からである。
 昨年から試験監督回数が増えた。自分の試験2科目(あと1科目はレポートにしている)プラス他の先生の試験監督補助が4科目。経済など私の専門外だったのだが,試験問題を見たらどれも難しく,勉強しないと解けないと分かった。方式も先生によって,論述式,穴埋め,○×,はてはマークシートなど,まちまちである。
 ちなみに私はずっと論述式を通している。各1問(1時間)。
 春期,持ち込みをすべて可にしたところ,やたらと書き写す答案が多いのに閉口,今回は一転,持ち込みは一切不可にした。ただし,最後の講義2回の冒頭,問題を板書し,その際ついでに回答まで大体喋るから,書けないはずはない。
 採点は一大仕事である。1年刑法総論(必修)が400枚弱,2年刑事訴訟法(選択)が200枚弱。大変なのだが,学生のレベルもよく分かって,大いに参考になる。法律というのは論理力であり,その基礎は日本語力なので,結局は日本語能力の高い人が出来る。それは一読して面白いほどに明瞭である。よく出来るのも何人かいて,嬉しくなる。
 あとレポート約150部(2年刑法総論特講)の採点を残すばかり。
 
昨秋あたりからセカンドオピニオンを求められることが増えてきた。医者の世界ではすでに当たり前のことである。
 いわく,今弁護士がついているが,どうにもおかしい。頼りない。なんだか変な感じである……。
 その弁護士が作った書面を読む。よくよく聞いてみる。たいていの場合,その弁護士は普通である。ただ顧客への説明が不足しているのだ。あるいは人間同士なので,単に相性が悪いということもある。
 そう説明をして,よほどの理由がないかぎり,弁護士は替えないほうがいいと説得する。着手金も無駄になるし,対相手方・対裁判所ともに心証は悪くなる。そして実際に弁護士を替えたから白が黒になるとか,取れる額が倍になるなどというような魔法は起こらない。もし自分が受けたらそうしましょうと言う弁護士がいるとしたら,眉唾である。医者もそうだが,あまりに口の滑らかなのは疑ったほうがいい。
 私が悪い弁護士だったり,お金に困っていたりしたら,相手が素人であるのをいいことに,その案件を引き受けるかもしれない。相手は最初から替えたいと言っているのだし,お金はいくらでも払うと言っているのだから。だが良心的な私は,相談料だけでいつも終わる。金儲けにはならないが,人助けにはなっていると信じている。

 さて,安倍内閣。柳沢厚生労働大臣の辞任は不可避な状況となっている。柳沢さんは論理明快,とても頭のいい人なのだが,一体なぜこんなつまらない失言をしたのであろう。あるいは単に語彙が乏しいのであろうか。残念なことである。安倍首相も危機管理能力・決断力のなさをだんだん露呈している感がある。

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Vol.30 一年を振り返って  (2006年12月26日)

 早いもので,今年も残りわずか。事務所も明日で閉める。
 社会には悪いことが多く起こった一年だったが,私自身にはとても良い年であった。理由は,3つ。
 
 1つには,仕事のペースが自分なりに掴めてきたのである。1つ1つ着実にこなせるようになったと思う。思い起こせば,最初の頃はあたふたしていたかもしれない(そうは見えなかっただろうけれど!?)。経験を経て,ずいぶんと慣れたのである。

 弁護士になって思うのだが,生の相談を受けてお金を貰う以上,勉強にも身が入るし,実際に身についていく。振り返って,検事のときは扱う法律が限られるし,何といっても公務員の限界がある。依頼者の信用を得て,依頼者のために最大の利益を図ろうという発想はそもそもない。国会議員のときは扱う法律は幅広くて面白いのだが,これは法律の実務ではない。
 今日は火曜で,通常は大学に行くのだが,冬季休暇に入り,すごい雨の中,事務所に来た。昨日依頼された案件に早速取りかかっている。性格がイラチのせいか,ためておくのが好きではなく,すぐにやるのである。もちろん勉強や法律が好きだということがある。仕事が好きなのである。このところ,受任したのに仕事にいっこうに着手しないと懲戒を申し立てられる弁護士が相次ぐが,その人たちはどだいこの仕事に向いていないのであろう。
 弁護士を趣味でやれたら最高だねと言う弁護士がいたが,私はたぶんそれであろうと思う。いろいろな方々に助けられ,維持費や収益をあまり気にすることがないのは本当にありがたいことである。

 理由その2は,「りぶる」12月号でも書いたが,自分でも信じられないほどピアノが上達したからである。今「熱情」を弾いていて,来夏の発表会には,ベートーベンの最難曲ソナタ,ハンマークラビアに挑戦する予定である。成果が如実に形として現れることほど嬉しいことはない。

 理由その3は,先の理由2つとも関連するが,人生の達人に少しだけ近づいたことである。
 まずは時間の使い方が非常に上手になった。人生は時間。いい人生を送るためには時間を賢く使わなければ。そんなことがようやく分かってきたのである。
 加えて,性格の改造。生来短気なのを,できるだけ抑える。人はそれぞれだと寛容になる。人がやってくれることに感謝して,やってくれないことに憤らない。つまりは全体に丸く優しくなる。面白いもので,自分がそうなると人も丸く自分に接してくれるものである。他人は自分を映す鏡なのだ。
 来年はこれを土台に,さらに充実した年にしたいものである。
 この1年,どうもありがとうございました!! 来年もどうぞよろしく。

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Vol.29 首長逮捕続出,復党問題……  (2006年12月 7日)

 福島,和歌山の両知事逮捕。宮崎も時間の問題だ。成田市長も逮捕。どこも続いて選挙になるから,税金の二重の無駄遣いである。
 すべて公共工事がらみ。絶対権限を持つ首長が「天の声」を出して入札の発注先を決め(偽計入札妨害),業者から金を貰う場合もあれば随意契約をして業者から金を貰う場合(収賄)もある。氷山の一角かもしれない。実際,今回の一連の捜査には,例の橋梁官製談合の際に得られた証拠が大いに役だったと言われている。

 業者と首長との切っても切れない関係は,選挙に始まる。業者は(見返りを期待して)組織ぐるみで人と金を出す。結果,地位につけば,お返しをしなければならない。とくに次の選挙を考えればそうである。
 先日私は,親しい女性市議に頼まれ,市長選の新人候補者の応援に行った。当初3期しかやらないと公言していた市長は,次回4期目出馬を宣言。業者との癒着,無駄な公共工事がずいぶん指摘されているという。新人候補及びその支持者らは「もったいない」を合い言葉に,借りを作らない選挙を目指すのだという。
 どれほど巨大な組織でも,それに属さない,利益の絡まない一般市民のほうが数はずっとか勝る。市民ひとりひとりが市政を変える主体的な気持ちになってくれれば,勝算はあるはずだ。頑張って!! 

 さて4日,党紀委員会は全会一致(私も)で11人の復党を認めた。
 本音では反対の委員もいただろうが,あれだけ厳しい誓約書にもサインした方々の復党願を認めないわけにはいかなかったのだ(ちなみにあの誓約書は,前回選挙時,すべての衆院議員候補に書かせたものと類似であるらしい)。
 世論調査の結果はずいぶん悪い。参院選目当て,先の衆院選は何だったのだ,まだ1年しか経っていない……みなその通りだと思う。内閣支持率も落ちたという。
 年内の復党には,参院側の強い要望があったと聞く。地元に強固な地盤を持つ造反組に戻ってきてもらわないと参院選は勝てない……。その後の造反組との交渉で,首相が陰に引っ込み,幹事長ばかりが表に出てきたのは良くなかったと思う。良くも悪くも国民は,前首相の強烈なスタイルに慣れてしまっている。

 郵政改革に端を発する前回の衆院選挙,続く復党問題は,前首相の負の遺産である。急遽かき集められた「刺客」たちの評判は,正直言って,概ね良くない(非常に悪い人もいる)。即席なのだし,地元との縁もないのだから,当然でもあろう。造反組が戻ってきて,次回選挙時には公認問題が熾烈となる。
 公認されること・議員であることは既得権では決してないのだが,しかし「議員は使い捨て。首相も使い捨て」(前首相)はないだろうと思う。議員は国民の代表者であり,公僕だ。使い捨てられてもいい候補者を選ぶのは,公党の責務放棄ではないか。そう言えば,「人生いろいろ,会社もいろいろ」,なんて言葉もあった。これで内閣支持率が終始高く5年ももったのは,特異なキャラクター故か時代がそうさせた故か。

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Vol.28 いじめなど,問題山積……   (2006年11月15日)

 長い間書いてないような気がしていたら,なんと1ヶ月半も経っている(!) 毎日なんやかやと私の周辺でもいろいろと起こる。
 目を他に向けると,日本でも世界でも,様々な事件が起こり,何がなにやら分からないくらいである。ただ残念ながら,あまりいいニュースは聞かない。
 とくに深刻なのが,いじめ問題である。

 いじめは古今東西いつでもどこでも必ずや起こるし,私も小学生の頃,ずいぶんといじめられた(今の私からは信じられないだろうけれど?!)。いじめられていることは子どもなりに恥なので,親にも言えない。ただ,その頃はまだのどかで,助けてくれる子や仲良しも結構いて,孤立することはなかったし,その頃のいじめといえばきっとその程度のものであったろうと思う。私は私で,他にいじめられている子がいれば庇っていたし,まだ貧しかったけれども,いや貧しかったからこそか,互いに助け合う精神に溢れていて,良き時代であった。
 大人になって思うのだが,いじめられる子もまた,たいそう不幸である。家庭や学校で満たされない思いを,自分より弱い者にぶつけることで晴らそうとする。親が不十分なところは,教師や周りの大人が庇ってやらないといけないのだが,今はみな自分のことに精一杯で,人のことなど構えないのだろう。構うと,何か文句を言われるかもしれず,こわくもあるし。物は溢れて豊かな時代であるというのに,実に悲しいことである。
 
 今回ことにひどいと思ったのは,教師や校長ら学校関係者に対するマスコミの集団いじめである。「校長がようやくいじめを認めました!」とさも得意げに,その土下座している映像を流されて,今後この学校は教育できるのだろうか,と暗澹たる思いになったのは私だけではないはずだ。
 教師は,校長や教育委員会など周りに管理されて時間に追われ,肝心の子どもに向かい合っている余裕がないのが実態である。有為な若者こそ教師になってほしいのだが,こんなことではますますなり手がいなくなるのではないか。

 教育崩壊とともに,いじめは陰湿の度を増し,いじめを苦にしての連鎖的自殺が起こっている。死ねば誰かが悲しむ。自分ひとりの命ではない。あるいは,今は辛いけれど,そのうちきっと楽しいことがある。そう思えさえすれば人は死ななくて済むはずなのに。昨今は身近で祖父母の死を看取ることもなく,リセットボタンで死人が容易に生き返るバーチャルな時代になっていることも大きな要因ではあるのだろうが。
 合呼応して,陰惨な児童虐待が起こっている。自殺も児童虐待も,形こそ違うけれども,共通するのは命の軽視である。人の最大の財産はその生命であり,それをすら軽視するところにすべての政策も文化も不毛である。

 安倍総裁の下,党紀委員会の委員になり,復党問題を扱うことになった。

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Vol.27 小林被告に死刑判決  (2006年9月28日)

 26日(火),後期授業が始まった。奈良の女児誘拐殺害事件の判決が10時に予定されていたが,すぐに親しい代議士から電話が入った。「小林の判決,どうなるのかなあ」「判決言い渡しは?」「それが,主文なしに理由に入った……」「あっ」思わず声が弾んだ。「じゃ,間違いなく死刑ですよ」「ホント,良かった!」
 判決の言渡しは主文→理由だが,死刑宣告の時だけは理由→主文となる。死刑と聞いて被告人が卒倒すれば判決の言渡しが続けられないからである。

 10時40分,「刑法総論特講」の教室に入ろうとしたら,学生が一杯! 100人近くいるだろうか。前期の「刑法各論特講」は履修届約80人。実際の受講はその半分程度であった。
 授業はいつも,最近の事件の話から始める。それが実務家の強みで,実際,学生らはよく聞いてくれる。この日は話題が盛りだくさんだ。なにしろ2ヶ月も休みだったし,事件はひっきりなしに起こる。まずは奈良の事件。そして麻原の死刑確定……。
 みな私語もなく熱心だ。終わって,最前列の学生が「先生の話は面白くてためになると聞いたので……本当に面白かったです」。たぶん,レポートで単位をくれるとの評判もあるだろうと思うが,悪い気はしない。私もますますやる気が出るし,となると学生もよく聞いてくれて,互いにいい循環である。

 死刑判決は当然である。
 被害者が一人であるにしては画期的であるとの論調が多いようだが,以前山口県光市の事件でコメントしたように,この種量刑で必ずと言っていいほど引き合いに出される永山事件は単なる殺人であり,わいせつ目的や女児殺害が絡む事件とは罪質が大いに異なる。私に言わせれば,逆に,この種事案の量刑が軽すぎるのである。
従前,被害者が一人でも死刑になりうる罪種は,「強盗殺人」「身代金目的誘拐殺人」「保険金殺人」とされていた。強盗殺人(致死)は,強盗は容易に殺人に結びつく危険な犯罪類型であるとの考え方からそもそも法定刑が「死刑又は無期懲役」(刑法240条)と格段に重い。後2者は異なるが,金銭欲と結びついた殺人は危険であり重罪をもって臨むべきと考えられていたといっていい。
最近ようやくに気づいたことだが,刑法はそもそも財物の価値を,人の貞操や性的自由の価値より上位に置いているのである。強盗「6年以上20年以下(昨年1月の改正前・7年以上15年以下)」に対し,強姦「3年以上20年以下(同・2年以上15年以下),強制わいせつ「6月以上10年以下(同・6月以上7年以下)」,強姦・強制わいせつ致死「無期又は3年以上20年以下」。
 また,身代金目的誘拐は「無期又は3年以上20年以下」だが,奈良の事件のようなわいせつ目的(営利目的もだが)誘拐は「1年以上10年以下」でしかない。もしこれらの罪の法定刑が上がれば性的犯罪を伴う殺人も量刑が重くなるはずだが,実務の運用だけでもずいぶん変わる。
 いたいけな少女が何の落ち度もないのに獣欲の犠牲になり,その家族が永遠に地獄の責めを負って,いいはずがない。

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Vol.26 麻原の死刑確定など  (2006年9月25日)

 前に書いてからあっという間に,1ヶ月余が経過。
 明日からまた大学の後期授業が始まる。今日まで1ヶ月半にわたって週1日の大学通いがない上,弁護士業もゆっくりしていたが,これも今週からぼちぼち忙しくなりそうだ。

 昨夏は「郵政解散選挙」であちこちに応援に行っていた。
 総裁選挙が終わって,改めて思うことは候補がすべて2世3世だったことだ。再チャレンジが出来る社会をと謳うが,現実にどんどんと格差が広がり,二極化しているなか,失敗を前提にした再チャレンジがそもそも不要な層がそう言ってもなあと思う。志ある有為な者が誰でも選挙に出られ,かつ総理を目指せるような社会をと願う。中選挙区のほうがよほど新陳代謝が可能であった。
聞くところでは,新総理は経済に疎いとのこと。外交は単純な二国間の問題ではないし,経済とは切っても切り離せないから是非強くなっていただきたい。教育改革はたしかに最重要事だが,改革の中身が問題である。私は,初等教育における国語教育,すなわち人間としての基礎教育が最も大事だと思っている。すなわち,原点に戻れ。昔は実にいい教育をしていたと思うのである。私とたまたま同級生にあたる新総理には,これから様々な声に耳を傾け,柔軟な対応をしていただきたいと願う。

 この間,刑事司法の分野で特筆すべきことは,飲酒運転事故の多発,加えて今月15日,控訴審が開かれないまま,麻原の死刑が確定したことである。
 これについて,真相の究明がなされないままだとの批判がマスコミでは強いが,私の周りでは逆に,なぜもっと早く死刑にしないのかとの声のほうがずっと強い。
日本では裁きをしてくれる神が不在だから,裁判に真相解明を望む声がどうしても強くなる傾向がある。だが,人間ができることにはもともと限りがあるし,また当事者が語る「真実」には虚偽が多いので,過大の期待は禁物である。
諸外国であればどうしていただろうか。まずは,麻原が穴蔵に籠もって出てこなかった時点で警察が射殺したであろう国が多いのではないか。「簡易な死刑執行」だ。もし捕らえて裁判にしていたとしても,そもそも刑事司法制度が日本ほど詳細な事実認定を要請していないので,こんなには絶対にかからない。
 死刑が確定した以上,刑事訴訟法上半年を目処に執行されるはずだが(475条・476条),現実には法務省で改めて精査し,また法務大臣が署名したがらないことも手伝って,現在100名近くが未執行とのこと。昨今,犯罪の凶悪化に伴って増えたとはいえ死刑宣告は年20名にも満たないくらいなのに,である。麻原の死刑執行に至ってはずっと先になりそうだ。

 3年後には裁判員制度が始まる。素人裁判官が審理に加われば,裁判の迅速化はもちろん不可避である。集中審理をし,とにかく早く終わらせること。でなければ,素人が前の審理を覚えているはずはないし,出頭の確保もできないからである。膨大な書面を審理することで詳細な事実認定をしていたところにもって,口頭でどんな説明をし,どんな事実認定をしてゆくのか。事はひとり刑事司法制度を超えて国民性をも左右する問題となる。

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Vol.25 首相の靖国参拝など  (2006年8月20日)

 15日朝のテレビ各局はこれ一色であった。
 たしかに問題はある。東京裁判でのA級戦犯(侵略戦争の遂行者)の不明な手続きによる合祀。加えて,政教分離の問題。
 東京裁判が国際法違反の裁判であったことは間違いない。だが,日本はサンフランシスコ講和条約でその結果を受諾したし,やり直しの裁判も行ってはいない。靖国参拝への批判の中心は中韓であり(真の対戦国であるアメリカではない),対日戦略の一環であろうが,それをおいても,ここはあえて大人になり,経済その他への影響も考えて,静観すべきであったろう。ましてあくまで「心の問題」であり,納得できる説明もないのであれば,心で静かに参拝すればいい。
 首相は以前から靖国にこだわっていた政治家ではない。5年前の総裁選では関係団体向けに公約したとする人が多いが,有言実行の首相は,郵政もやった,自民党もぶっつぶした,残りはこれだとの意地で絶対に敢行すると読まれていた。ここには,国益という当然の発想が欠けている。
 それにしても,いつもながらのマスコミの姿勢には呆れるばかりである。外国のメディアが叩くのは仕方がないが,それに対しては,内政干渉だとしっかり主張すべきではないか。成熟した民主主義には国家のバックボーンがなくてはならない。

 送電線切断による大停電は,日本という国の脆弱性を露呈した。すぐにテロの標的になるのに,なぜ今,国会を開いてでもこの問題を討議しないのだろうか。
 ソ連による漁船拿捕は痛ましい結果となった。ただ,麻生外務大臣が早急にとった強硬姿勢は久々に気持ちがよかった。本来,これが当たり前の姿なのだが。
 総裁選は「消化試合」で,つまらない。自民党も人材不足ですねえ,とあちこちで聞く。昔はこんなではなかったと。一つは教育全般の問題(政界に限らず,どこもおしなべて人材不足である),政界に限っていえば,小選挙区を導入した弊害が極めて大きいと思う。現職有利で新しい血が入らないからだ。現職死亡・引退後はたいていその親族が継ぐ。今回の総裁選候補もみな世襲議員である。世襲で栄える会社は,ない。

さて,お陰様で,16日の発表会は無事終わった。
 完成度から言えばまだまだだったが,いざ本番ではさほど上がらず,いくつかミスはしたが素人さんには分からない程度であったらしい。止まらず最後まで弾けたことで私としては一応の合格点である。あと先生たちと食事をし,その後出演者たちと打ち上げをして盛り上がった。音楽を通して,純粋な仲間が出来て,嬉しい。
 2年半前レッスンを再開したときにはモーツアルトのトルコ行進曲ですら指が動かなかった。半ば諦めていたのだが,一歩一歩,確実に戻ってきた。今春杉谷昭子先生に習い始め,発表会にも出ると決めて,わずか3ヶ月で格段に上達した。人間,だから決して諦めてはいけないと,ことに中高年の方々に声を大にして言いたい。
 次に向けて今,熱情ソナタ,それにブラームス(「主題と変奏」),バッハ(パルティータ6番)を弾いている。相手のある仕事とは違い,ピアノは,自分がかけた時間とエネルギーが素直に成果となって現れてくれる。

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Vol.24 お盆前につらつら  (2006年8月 9日)

 長い間書いていないと気になっていたら,やっぱり1ヶ月半経過である。
 この間,様々な事件が起こり,いや次々と起こりすぎて,受けた印象がすぐに希薄になってしまう。
 昨日は橋本元総理の葬儀に参列した。8年前,比例区総理枠で参院議員に当選したときの総理である。毀誉褒貶様々だが,私自身は非常によくしてもらって,いい思い出ばかりだ。御冥福をお祈りする。

 お陰様で,事務所を始めて満2年が経つ。
 依然,稼ぎは自分ひとり食べていく分には十分(つまり,弁護士を雇うなどにはほど遠い!)というレベルで,大して忙しくはないのだが,これに大学があり,加えて最近は,〇〇を紹介してほしいだの〇〇をしてほしいだの,様々な頼まれ事が重なり,かなり忙しい。中には気が重いものやら,大金を積まれて?筋悪事件の依頼もある(もちろん丁重にお断りすることになる)。それらもすべて,こんな経験をさせてもらってありがたいと気持ちを切り替えると,ストレスがうんと減ることも経験上分かっていることである。

 大学は7月末までばっちり補講に通い,8月1日が前期試験だった。
 昨日ようやく約700枚!の採点を終え,かなりほっとしている。
 論述式1題のスタイルにしているのだが,前年度より採点に時間がかかったのは,今年度から「すべて持込み可」とした故であろう。やたらの長文が多いのは,なんでも書いておけば点になるという腹らしい。だが余事記載は減点の対象となり,すっきり短くまとめたほうがよほど高得点になることも,今後伝えることにしよう。
 今日は新潟に出張(裁判),11日(金)は初めて弁護士会で法律相談をする。終えると来週一杯,お盆休みである。

 実は私はお盆は休めない。仕事ではなく,ピアノの故だ。16日,発表会に出るのである。30年ぶりのこと。500人収容の大ホール。加えて私以外の出場者はプロ,しかも音大云々はもちろん国内外コンクール入選者が多数を占める。曲目はベートーベンのテンペストソナタ3楽章である。
 自宅での練習は午前9時から午後8時までなので,毎日調整に頭をひねっている。貸スタジオを借りることも結構ある。防音室を設けるといいのだが,賃貸であることに加え,それをすると,好きだからつい夜中遅くまで弾き,いずれ健康を害し,仕事にも差し障るだろう。第一は仕事,次が趣味。その優先順位は不動である。

 大学時代からの親友が,体調を壊した。胸に水がたまっているとのことで検査入院をし,診断は結核。肺ガンでなかったのは幸いだったが,しばらくは自宅療養である。元を辿れば働き過ぎ,過労があった。私も気を付けなければと,改めて思う。近頃は医者にもよく行く。やはり自分で安易な判断をせずにプロにまかせるのはいいことだと思う。

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Vol.23 山口県光市の事件に思うこと  (2006年6月22日)

 検事時代,強姦事件を数多く扱った。強姦と一口に言うが,その内容は実に様々である。
 顔見知りの間でのあまりぱっとしない告訴事件から,凶器を準備して家に押し入っての連続強姦魔まで。
 強姦に対して世間には大きな誤解がある。性欲が溢れる若さなのに恋人がいないから,あるいはお金がないから風俗に行けなくて……代償行為として強姦に走ったのだと。
 誤りである。スリがお金のためというより,たまらぬ快感でスリを続けるように,彼らは,脅迫・暴行で相手を屈服させて性欲を遂げることにこそ快感を感じるのである。だから,たとえ恋人(妻)がいても,金があっても,若くなくても(扱った連続強姦魔の中には50歳近いのもいた)捕まるまで強姦を続ける。そして出所後,繰り返す。
 小児性愛が治らないことは最近ようやく認知されてきたが,ことは他の異常性欲者もほぼ同じである。誰が死体に性欲を感じよう。だが,それを越え,殺して犯すことにこそ無上の快感を覚える鬼畜もいる。大久保清がそうだった。

 山口県光市の事件は,少年事件(犯時18歳)であることに目を奪われ,犯罪を客観的に見る視点が欠落していたと思われる。
 見ず知らずの女性を,準備した凶器で殺し,その上で犯す。快感は極限に達し,異様な興奮状態にあったはずだ。故にこそ,傍らの赤ん坊を叩きつけて殺し,2人の遺体を押入れに放り込んだ。財布を盗み,中にあった地域振興券を見せびらかし,ゲームセンターで遊んだ。この一連の行為は単に,鬼畜の犯行であり,反省の色がないだけではない。本質は,危険極まりない異常性欲者による犯行。前科はなくて当然,まだ18歳なのだから。
 性欲は,去勢しないかぎり,消えない。出所すれば必ずや,再犯に走るだろう。この度もし最高裁が検察官の上告を棄却し,原審の無期懲役を確定させておれば,25歳の服役者は40歳頃には仮釈放される。誰が新たな被害者になるか。いずれにしてもその責任は誰も取らない。これが法治国家だろうか。
 少年への死刑基準としてよく引き合いに出される永山事件は連続射殺事件である。だから,その最高裁判決で示された「被害者の数」4名は基準とはならない。

「理念」としては当然,犯罪者の更生をいうべきである。だが,医療にも個人の体質や素因によって不治があるのと同様,たまたま置かれた環境がもたらした偶発的な犯行と違い,人格そのものの発露といえる場合,更生は難しい。
 常習性の非常に強い犯罪類型は,大きく分けて,4つ。盗癖,粗暴癖,薬物嗜癖,そして性犯罪(異常性欲)。
「なくて7癖」というように,誰にでも癖がある。酒癖,女癖……。それがたまたま犯罪性向に結びつかなければ癖で終わるが,中には犯罪となる癖もある。それでも被害が財産で済めば回復が可能だが,人の命は違う。最愛の奥さんと子どもを非道に奪われたご主人その他遺族の方々は,人生を根こそぎ奪われたのである。
 少年だから寛刑にと主張する人は,自分がもし遺族であったとしても,同じことを言うのだろうか。想像力の欠如が死刑廃止や少年保護を唱えさせているのでなければ,幸いである。

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Vol.22 ポスト小泉・教育基本法改正  (2006年6月8日)

 国会の会期延長なし,と首相が明言――。
 三権分立違反のはずだが,マスコミは批判していない。その言葉通り,多くの法案を積み残した形で国会はまもなく閉会となり,あとは9月の総裁選である。
 おそらくは安倍総裁・首相が誕生するであろう。首相が彼を,自身の改革路線の継承者と見ているし,実際,永田町のムードもすでにそうなっているように感じられる。
 新首相には,冷静に,広い目をもって,国の舵取りをしてくれることを望む。以前にも書いたが,国会を離れて後の私は,首相の靖国神社参拝に懐疑的だ。国際法違反の裁判といくら言ってはみても,負け犬の遠吠え,国際的には日本はそれを主張できていないままである。靖国神社は私的な組織であり,A級戦犯合祀は不明瞭な手続きでなされた。中国韓国の反対が内政向けの方便であったとしても,行きたいから行く,ではなく,相応の説明責任を尽くし,現に起きている経済などへの効果を最小限にすべきだと思うのである。

 教育基本法改正についても,国会議員時代の私は大賛成だった。愛国心,当然。国のために戦う,当然。そう信じたのは,それまで多分に国家というものに無関心で生きてきたことへの反省ないし反動であったと思う。
 教育の問題は,基本法の文言・規定云々のレベルの問題ではない。
 家庭教育で,挨拶や規則正しい生活を教えられているか。あるいは学校教育で,国語と算数がどれだけ身についているのか。そうした基本レベルの問題なのである。
 一昨日,大学からの帰り,バスに乗ったら,2人の女子学生の会話が聞こえてきた。
「日本人だったら,ナンパされたらシカトするじゃん。でも外人だったら,つい」
「だよね。英話できるもんね」
「うまくなりたいね」
「外人,ナンパしたら」
「どう言ってナンパするの!? 言葉出てこないじゃん」ハハ。
「ね,韓国語の講座,出てる?」
「ううん。まずは英語したいじゃん」
「ホント。日本語もロクにできないんだから」
 その通りだ。
 英語は道具にすぎない。まず日本語で何を言うのか,その中身がなくて,何を喋るのだ。バスの終点で,会話の主のひとりは,お腹を出して素足に10センチのサンダル,ホットパンツスタイルで,お尻を振りながら,私の前を歩いて行った。
 まことに,教育がなってないのだ。教育基本法を変えれば,教育レベルが上がるのであれば変えたらいいと思うが,残念ながらそんなことはないはずである。

 見送りになった共謀罪も国際法・英米法概念との絡みで難しいが,村上世彰氏のインサイダー取引疑惑も,いわゆる通常のインサイダー取引とは趣を異にし,証券取引法を見たらすぐに分かるという代物ではない。勉強することが,実に多い。講義の生きた教材に事欠かないという意味では嬉しいはずなのだが。

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Vol.21 グレーゾーン金利廃止について  (2006年5月8日)

  元金は100万円余(訴額140万円未満は,管轄は地裁ではなく簡裁である)。
 御本人は負けても大した額ではない(むしろ弁護士報酬が高くかかる)と思っていた節がある。ところがどっこい,これに金利年29.2%がついた。3年以上余,金利は計100万円を優に越え,元金以上になっていたのである。払うべき額,220万円!!

 3年前に内容証明郵便で催促がきた際,言い分がある(たしかにその通りであった)とクレームをつけたらその後放っておかれ,もう済んだと思っていた頃になって訴訟を提起された。こんなことなら3年前になぜ提起してくれなかったのか……尤もな言い分だ。預金金利が年1%にも達しないこの時代,黙って寝ていても入ってくる金利30%はまさに暴利である。
この案件,結論から言えば,控訴前に原告側の相手方弁護士と交渉し,解決金80万円で合意した。相手方にも弱みがあり,一審で和解に持ち込めばもっと安く済ませられたであろうと思う私はいたって残念だが,いったん220万円を覚悟した御本人はとても喜んでくれた。弁護士冥利である。
 
金利といえば,29.2%が実に多い。
 出資法(正しくは「出資の受入れ,預り金及び金利等の取締りに関する法律」)の上限金利が年29.2%なのだ。これを越えると刑罰の対象になるため,まともな金融業者はこれ以下で抑えている。
 一方,民事上有効な上限金利を定めた利息制限法は,元金100万円を越えた場合の金利上限を年15%(元金が低くなれば年20%)としている。2つの法律の上限金利の間の利率をグレーゾーンという。本来これが遊離していることこそが問題だと私など常々思っている。
 だが,今これをなくそうとする政官の動きに,金融業界がこぞって反対をしているのである。いわく,そんなことをすると審査も厳しくなり,借りられない者が増えて,結局彼らは闇金に流れるのだと。
だが,本当にそうだろうか。増え続ける多重債務者・その結果としての自己破産には,安易に貸す,借りる実態がある。もともと返せない金に高い金利がつけばいよいよ返せない。そのために次にまた借りる。だんだん追いつめられ,ついには闇金に手を出す。大手消費者金融会社がコマーシャルで繰り返し流すように,笑顔で借り,笑顔で貸す(その後の返済,取り立てを忘れている!)業態ではそもそもないのである。
 各々が身の丈にあった生活でなければならないし,また誰もが最低限の生活を送れるようにすることが政治の役割であろう。二極化,勝ち組負け組を作る政治は間違っていると思うのだ。

 ウチは消費者金融が専門,過払い金(利息制限法を越えた金利を払い続け元金完済後も払っていた場合に戻ってくる金)が昨年5000万円あった,その24%が報酬になる,だからグレーゾーンが廃止されると困る……そんなことを言う弁護士もいる。

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Vol.20 趣味の話  (2006年5月3日)

 長い間更新していなかったような気がしていたが,なんと4月もすっかり終わり,ゴールデンウィークに入ったではないか。
 4月4日は,満開の桜の下,武道館で帝京大学の入学式が盛大に行われた。みな,頑張れ,と心から思う。
 1時間半の式典を終え,事務所まで歩いて帰ったのだが,ゆっくり歩いて15分程度。この間,千鳥ヶ淵の桜を存分に楽しめた。今年の桜は3月下旬から4月上旬まで見頃が長かった。やはり入学式には桜が欲しい。

 4月11日からは毎火曜の大学通いが始まったが,2年目で慣れたし,親しい学生も増えて,実に楽しい。
 弁護士業務のほうはこの1日までに鋭意,すべきことは皆し終え(相手方側から来ていない書面があるが,私はいつも期日厳守である。仕事は依頼者のためにも迅速に処理すべきだ),ゴールデンウィークは大いにリフレッシュするつもりである。
 よく学びよく遊べ。頭の回転を良くし,最大限効率を高めることこそが仕事の極意と思う。

 私のリフレッシュといえば,今はこれ。ピアノ。
 この4月16日,突如,素晴らしい音が出たのである。
 ピアノの音は――弾かない人にはよく分からないらしいが――弾き手によって千差万別である。幸い,大学時代についた先生に音の出し方を徹底的に直されたお陰で音自体は綺麗なのだが,単線なのが不満で,まろやかな,幅やこくのある音を出したいと願っていた。半ば諦めていたその音が,突如,出たのだ! 奇跡だと思えた。
 以後,大げさなようだが,世界が違って見える。
 楽しくて楽しくて,ピアノを弾いていると,3時間,4時間はすぐに経つ。休日は6〜7時間。ベートーベンのソナタ(全32曲),シューマン,ブラームス,シューベルト(ソナタが実に綺麗だ)などなど,弾きたい曲が無数にあって困ってしまう。
 問題は,練習時間である。
 防音室が欲しいのだが,賃貸だから無理だし,防音箱に入ってまで弾きたくはないので,朝9時から夜8時までのマンションの自粛制限内で弾いている(初見が早いので片手練習があまりなくすぐに曲になるとはいえ,クラシック嫌いの方,何よりその間静寂を壊していることに対し,マンションの近隣の方々,本当にごめんなさい!)。
 夜の付き合いは最小限にしたし,ショッピングなどとんと行っていない。なんと安上がりな趣味であろう。ピアノが一番やりたいことでストレス解消でもある。
 こんなことも起こるのだなあと,自分でも不思議な昨今だ。7日,ことにベートーベンでは日本有数のピアニストのレッスンを受けることになっている。曲目はベートーベンの「テンペスト」に決めた。

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Vol.19 麻原被告、控訴棄却  (2006年3月30日)

  3月27日、東京高裁が麻原被告の控訴棄却を決定した。相当に思い切ったものだと感心している。
「控訴裁判所は(弁護人が)裁判所規則に定める期間内に控訴趣意書を差し出さないときは決定で控訴を棄却しなければならない(刑事訴訟法386条1項1号)」。遅延がやむをえない事由に基づくものと認めるときを例外として(同法規則238条)、原則として控訴は棄却されるのだ。
  とはいえ、事件が事件なだけに、また死刑判決でもあり、そんな簡単には(!?)処理はできないのではないかとの読みが一般であった。
  だが、高裁は決然と決定をした。高裁への異議申し立て(同条2項、385条2項、422条により、提起期間は3日)、続いて最高裁への特別抗告(433条、提起期間5日)が出来るが、原決定が法の定め通りに行われただけに、覆ることはまずあるまい。

  麻原被告の一審死刑判決は2004年2月。初公判から実に8年後であった。
  控訴趣意書提出期限は翌2005年1月と定められたが、一審の国選弁護団辞任後就任した私選弁護団は、被告本人と意思疎通ができないことを理由にこれを徒過、同年8月に延期された期限も再度、徒過した。
  弁護団は、被告には訴訟能力がないとの理由で公判手続き停止の申し立てをしていた。世上よく問題とされる責任能力は「犯行時」のものだが、訴訟能力はこれとは違い、訴訟を遂行できる能力のことである。犯行時は責任能力があっても、拘禁される結果としてよく起こるいわゆる拘禁反応や、その後発病した精神病などによって訴訟能力がなくなることはあり、となると本人には当事者能力がないのだから、公判は停止されなければならない。弁護団は麻原被告の控訴審前にこれを主張したのである。
 
  だが、そもそも拘禁反応によって被告に訴訟能力がなかったのだとすれば、一審判決を受けることもできなかった。それ以後、とくに訴訟能力がなくなる事由は発生していない。
  実際、弁護団は控訴趣意書を用意していたし、訴訟能力を本当に争うのであれば、控訴審で争えばいい。明瞭に定められた法を遵守しなかったことで、被告が控訴審を受ける権利を奪い、一審の死刑判決を確定させる責任は重大だ。弁護士会の懲戒処分の対象になるであろうし、弁護過誤でもある。
  もちろんこれは、被告の刑責が重大にすぎ、一審も十分に長すぎたとこととは別次元の問題である。裁判が迅速であるべきなのは言うまでもない。
  ただ、裁判によって全貌が明らかにされることを強く望む気持ちは分かるが、しょせん人間の手によるもの。自ずから限界があることを、国民もマスコミも是非知ってほしいと思うのである。

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Vol.18 偽メール騒動(その2)  (2006年3月7日)

  先日、外務省出身の有名な方と宴席を共にした際、例の偽メールについてこんなことを言われた。
「○○(ガセネタ提供者の具体的な名前)は私文書偽造に問えないのですか?」
「無理ですね」と私。
  文書偽造には公文書偽造と私文書偽造がある。公文書のほうが信用が高いので、偽造に対する刑罰も当然に重い(公文書1年以上10年以下の懲役。私文書3月以上5年以下の懲役)。
  実は、偽造には二種ある。有形偽造と無形偽造。といっても一般の人には何のことだか分からないはずだ。有形偽造は、作成権限のない人が他人名義の文書を作成すること。一方無形偽造は、作成権限をもつ者が真実に反する内容の文書を作成することである。
  本件は、ホリエモン作成名義の文書を偽造したのであるから、もちろん私文書偽造のほうだ。だが、作成名義がもともと黒塗りなのであれば、誰の文書を偽造したのか不明である。であっても内容は虚偽であるだろう。だが、私文書の場合、公文書と違って無形偽造が処罰されるのは、虚偽診断書等作成のみなのである(刑法160条。刑罰も3年以下の禁錮又は30万円以下の罰金と軽い)。

「じゃ、ひどいなあ。まったく処罰されないのですね」
  と彼は言う。
  もちろん詐欺は成立しうる。被害者がガセネタを本物と偽って騙され、対価を支払った……。だが、対世間的には、正義感でやむにやまれず出された内部告発か何かであったと思わせたいのではないか。だから、自分たちはこの程度の拙いメールにに騙されて対価(いくら?)を払ったのだと恥をさらけ出すような馬鹿なことはすまい、それが私の読みである。だが、あるいは告訴をするのか。恥の上塗りのように思うが。

  詐欺といえば、耐震強度偽装事件。未だに詐欺で立件とは聞かない。
  もともとこれは難しいと以前に指摘した。関係者が複数いるからだ。設計者、検査機関、建築主(ヒューザー)、コンサルタント、施工者……。
  設計者は検査機関が見抜くはずだと思っていたと弁解するだろう。お互いにそうである。ヒューザーは早速に自ら損害賠償請求訴訟を起こし、責任を免れようとしているようだ。共同正犯には互いに意思の疎通が要る。互いにもたれあい、無責任体質であったというだけでは、故意が基本の刑法犯に問うのは至難の業である。
  まして、ワイドショーなどや一部識者が指摘していた「殺人」などとうてい無理である。殺人の「認容」がないのだから。関係者の誰であれ、いずれ大地震が起きて誰かが死ぬことを認識していたにしろ認容していたとまでは言えない。そんなことになれば自らの責任問題(少なくとも民事上、あるいは行政上の)になるのだから。

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Vol.17 偽メール騒動 (2006年2月28日)

  いくらなんでもお粗末すぎる。いわゆる永田メールのことだ。
  まずは、メールという通信手段。そのコピーなど簡単に偽造できることは、ちょっとITの分かった人には分かる。つまり、発信者のメールアドレスなどすべてが正しくてさえ偽造かもしれないのに、まして、持ち込まれた時点から大事な箇所が黒塗りされていたのだ!! それを、ホリエモンが出したメールだと、予算委員会で断言できる神経は、およそ尋常ではない。
  内容もいかにもおかしい。あやしい金は現金で渡すのがイロハである。銀行に振り込んで歴然と証拠を残すような馬鹿なことは誰もしない。そんなことさえ分からない人が、東大→大蔵省という超エリートか、という揶揄はおくとして、そうした人が国民の代表をやっていていいはずはない、と私は思う。
  ネタを持ち込んだ人は、業界ではガセネタで知られた人であるという。それを知らなくても、ちょっとでも常識があれば、このネタが使えないことくらいは分かる。

  憲法51条にいう。「両議院の議員は、議院で行った演説、討論又は表決について、院外で責任を問われない」。つまり院内では責任を問われ、懲罰の対象になる(憲法58条)。中で最も重い処分である除名は、出席議員の3分の2以上の多数による議決を必要とする。
  今回の行為は、除名に値すると私は思う。
  もし院外で同じ事実を「公然に摘示」すれば、名誉毀損に該当する行為なのだ(刑法230条)。刑罰は「3年以下の懲役・禁錮、又は50万円以下の罰金」。被害者(告訴権者)両名はともに民間人だが、仮に公務員であったとしても、処罰を免れるのは「事実が真実であることの証明」をなした場合に限られる(同230条の2)。加えて当然に、不法行為による民事上の損害賠償債務も発生するのである。
  憲法51条は、議員が何をどう言ってもいいと保障しているのでは、もちろんない。然るべき良識のある人が選ばれて(だから選良という)、自由に討議をすることが民主主義の基本であり、国民のためになると考えられたからにほかならない。特権は、それを享受して然るべき資格のある人にのみ与えられるべきである。議院は、その自律権において、特権を濫用した者に然るべき措置をとらねばならない。

  今回、民主党は、政党としてというより、組織としての体をなしていないことを露呈した。
  私が参院の予算委員会でテレビ放映のかかる質疑をしたとき、質問事項は事前に提出のうえ、参院自民党幹部や各官公庁の担当者が同席する場で、入念にチェックされた。政党の一員として公然に発言するのであるから当然だ。だが今回の場合、知らされていたのは国対委員長だけであったらしい。民主党には法律家も大勢いる。もし分かっていたら、きっと止めたにちがいない。
  民主党には政権担当能力がない。今回の迷走も、辞職勧告どころか党員資格停止程度で済ませるらしいと聞く。自民党にしても、除名より下の軽い懲罰で済ませるらしい。そして結局、「誰も責任を取らない」。これが教育の場でも国家の形としても、いちばん情けない事態であるのは間違いない。

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Vol.16 皇室典範改正論議 (2006年2月7日)

  皇室典範改正論議が、ここにきてにわかに、かしましい。
  秋篠宮誕生来40年、皇室では女子の誕生が続く。皇太子も秋篠宮もおられるので、30年やそこらはまだ大丈夫だが、将来は女性天皇が必至である。当世は男女平等が当たり前だし、ヨーロッパ各国でも女王は当たり前なのに、いまだに女性天皇が駄目というのではいかにも時代遅れだし、実際問題として女子しかいないのだ──。昨年来の有識者会議を経て、首相は施政方針演説において、今通常国会での改正を宣言した。
  だが、そう簡単には通過しないであろう。法案の性質上、国会議員各人の信条に重きが置かれ、党議拘束はかけられまい。だがしかし、党議拘束をかけなければ造反者が大量に出て、法案の通過は覚束ない。無理に通そうとすれば、政局になって、政権は9月までもたないかもしれない。法案の取り仕切り役はポスト小泉の呼び声高い安倍内閣官房長官。この舵取りが試金石になるのは間違いないのである。

 改正反対論者の多くも、愛子さんが天皇になることまでは反対していないようだ。皇室典範第1条「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。」の「男子」を「子」に変えて、女性天皇を認めるのはOKなのだ。日本にもかつて女性天皇が、推古天皇を含め8人いた。だが、どれもが中継ぎのような形で、その子孫が天皇になったことはない。つまり、女性天皇はいいが女系天皇は駄目だというのである。
  男の遺伝子はXY、女はXX。男系論者が、Y遺伝子の継承を主張する生物学的な意義は、私にはよく分からないのだが、ヨーロッパ各国はすでに男系女系を問うていない(エリザベス女王の子息がチャールズ皇太子だ)。だから、女系天皇が駄目だというのは、理論の問題ではなく、日本の皇室は古来男系で万世一系、連綿と続いてきたことが世界に例がなく値打ちなのであり、だからこそ決して変えてはならないということではないか。

 だが戦後、早晩、女性天皇ないし女系天皇が問題になるのは必至であった。
  かつて10を超えた宮家が皇室を離れ、大正天皇の3皇子以降に限られる小サイズでは、皇室に限らずどの家でも、血筋が絶やさず続くのこそがよほどの幸運である。
  徳川家を見ればいい。多くの側室がいて(将軍正室の子は三代家光だけである)、それでも徳川本家だけでは続かず、8代吉宗は御三家の一つ、紀伊家から迎えた。血統保存のため、初代家康が設けた御三家に、8代以後御三卿が加わった。現代は、正妻のみ、少子の時代である。まして皇室では養子が認められていない(皇室典範第9条)。
  ヨーロッパの各王家は、他国から来たり、あるいは内紛で、現王朝を倒して新王朝を作ってきたのであり、そもそも「万世一系」ではない。世界で最も長い歴史を誇る王家を、国として、今後どういう形で保存していくのか。日本の長い歴史に絡む由々しき事態を、ゆめ簡単に決めてはならないと思う。
 
  歌会始で御夫妻ともども「こうのとり」を題材に詠まれ、もしかしてと噂されていた秋篠宮妃、はたしてご懐妊の報道である。国民の多くが男子誕生を願っているだろうが、ともあれ皇位継承問題は、将来いずれ、真剣な議論を避けて通れないと思うのだ。

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Vol.15 試験採点とライブドア事件 (2006年2月1日)

 あっという間に2月である。
  先週、私は、大学の後期試験の監督とその採点に追われていた。刑法総論400枚、刑事訴訟法200枚・・・公立大学に勤める友人いわく、「私学は恐ろしいね」。実際、3科目とも論述式問題を出しているので、試験問題を作るのは簡単だが、採点は骨が折れる。
  もちろん、〇×や穴埋め式にすれば、人に採点してもらえるのだが、そうした問題を作るのは大変だし、それ以上に私としては、学生にはちゃんとした文章を書かせたいのだ。その際、論述式の試験が出されることがいいきっかけになればと思っているのである。
  もちろんそれだって、人に代わって採点してもらうことは可能だろうが、私はあえて自ら採点している。じゃないとクレームが来たときに、採点基準を明らかにすることができないし、加えて、学生たちの力を知ることが次のより良い講義につながるからである。

  国語力が落ちているとはずいぶん前から言われ続けているが、改めて、字を知らないと分かる。校務員、講成用件(前期から数えて全28回、必ず「構成要件」と板書している)、復雑、強唆、強迫罪……。共同共謀正犯(正しくは「共謀共同正犯」)などはちっとも驚かないレベルだし、はんざい、けいさつかん、もある。文章が書けない。まして段落分けなど、不可能に近い……。と思えば、少数ながらよく書けている答案もあって、嬉しくなる。実際に自分の頭で考えて書いているということは、伝わるのである。
  御縁があって教えることになった学生たちなので、以後も年2回、その度に苦労はするだろうが、体力の許す限りはこの方法でやっていきたいと思う。

  先月1月16日、ライブドアが捜索され、23日、社長他が逮捕された。
  残念ながら私の証券取引法の知識は通り一遍のものでしかないのだが、額面を廃止した結果株式分割がいとも容易になったことなど、最近の商法改正などを最大限に利用した犯行であるのはたしかである。本来、株式発行数×株価≒会社の資産であるはずだが、同社に実業はなく、資産らしい資産は見られない。会社を作ってM&Aを繰り返し、時価を膨らませている実態を知りながら、マスコミ(彼を候補に出した人たちも)はどれだけ持ち上げたことだろう。背景に、拝金主義やモラル低下がある。
  それを如実に露呈した耐震強度偽装事件のほうは警察が年末に捜索をしたものの未だ被疑者の逮捕には至っていない(残念ながら、詐欺での立件は極めて難しいと私は思っている)。それ故よけいに東京地検特捜部の「快挙」は目立つだろうが、国民主権の下、社会を正すのは国民であり、国民が選挙で選ぶ国会議員である。
  常々危惧していることだが、国の一機関にすぎない東京地検特捜部に社会の浄化を期待しすぎるのは誤りだし、まして国民の意見を大きく左右するマスコミがこれにすべて右に倣え、独自の見解を持たないようでは、国民主権もうまく機能しようがない。

  ホリエモンが当選していなくてよかった、であれば今頃小泉内閣は崩壊していたであろう・・・自民党国会議員らが漏らした感想に私も同感である。

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Vol.14 新年にあたって (2006年1月10日)

 とはいえ、あっという間に10日。こんなときかつては、まだお屠蘇気分が消えないなどと言っていたが、昨今は新年を迎える凛とした佇まいそのものを感じなくなっている。
  食糧を買いこむ必要はまるでないし、デパートは2日に開く(もっとも昨今すっかり服装への関心をなくした私は、セールにもまだ足を運んでいない)。
  家ではテレビを見ない私だが、実家に帰省した折り、かかっているのをなにげなく見たら、あまりに低俗なので、「NHKにしてよ」と文句を言ったら、「これがNHKよ」ときた! まさか、前はもっと良心的なドキュメントなんかやってたんじゃないの? それに今は正月よ、特別番組とかやってないの? 民放で出がらしの感あるタレントを総動員しての芸能番組や、大河ドラマの宣伝なんかやっている……なるほどね、これじゃダメなはずだ、受信料を不払いにするかな。
  放送局は公共の電波を使っているのだ。それでもって低俗な番組を流していいのか。これじゃ、国民が馬鹿になるはずだ。そして、国民が馬鹿であるほうが、為政者に都合がいいのはもっともな話である。

  国会議員の時、生まれて初めて真剣に歴史を勉強した反動だろうが、当時の私はかなり右翼ぽかったと、今は思う。
  1つは、靖国参拝。
  当時の私は、当然参るべきであると考えていた。理由は、東京裁判(A級戦犯を裁いた)は事後法(平和に対する罪)を設けてまで戦勝国が敗戦国を一方的に裁いた国際法違反の裁判であり、また戦犯といえど日本にとっては愛国者にすぎないこと、中国・韓国がこれにクレームをつけるのは彼ら自身の政治的都合故であり、内政干渉にあたる、等々。
  だが、日本は裁判結果をサンフランシスコ講和条約において受諾した。国際法違反云々といくら国内で言っても始まらず、主張するのであれば正々堂々と国際的な場においてすべきである。その上で正々堂々と参拝するのは格別、いやしくも国家の指導者がただ「心の問題」と言うばかりでは情けなさすぎる。

  ・・もう1つは、戦争に対する考え方だ。
  国民には国防の義務がある。防衛のためには戦争も辞さずの心構えが必要なのに、日本は戦争を放棄し、以来平和ボケして、これほどにも軟弱な国家・国民になってしまったと考えていた。
  だが、平和ほど素晴らしいことはないのだ。戦争で死ぬのは、決断した為政者ではなく、名もなき国民だ。第二次大戦時、赤紙一枚で計画性もなく世界各地に送りこまれ、結局は飢えと寒さで「玉砕」した兵士たち。それぞれに愛し愛された家族がいて、その誰もが掛け替えのない存在であった。決して、兵力という数や量で捉えられるべきではない存在。戦争を起こさないこと。それが為政者のなすべきことである。

  『国家の品格』(藤原正彦著)を読んだ。内容はどれもが当たり前のことだったが、それが妙に新鮮に思えることが、この国の病理ではないのだろうか。

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Vol.13 この1年を振り返って (2005年12月26日)
 誰もが思うことだろうが、あっという間の1年であった。
 とはいえ、昨夏弁護士業を始めた私には、実りのある1年であった。まずは、弁護士としても経営者としても、ちゃんとやれるという自信がついたのが、何よりの収穫といわねばならない。公私ともに支えてくださった多くの方々に、心から感謝したいと思う。

 この4月来大学で教えているが、これも想像していた以上に楽しくて、とても得をした気分である。
 週1回八王子にまで通うのは、事件が混み合って非常に大変な時もあれば、体調が今一つの時も実際あるが、いざ自らを励まして朝出かけてみると、夕方3コマ終わった頃には、疲弊しているどころかかえって元気溌剌になっている自分に気づかされる。
 これはどうやら、二つの仕事がそれぞれに気分転換となって、相乗効果をもたらしてくれているからだろうと思うのだ。どちらか一つの仕事に専念していれば、ストレスはうんと大きいのではないか。

 弁護士のやり甲斐は、依頼者に頼りにされ、喜ばれることである。この1年、嬉しいことがたくさんあった。
 もっとも、私自身がこれからの課題だと感じているのは、依頼者ニーズへの顧慮である。検事の時は、社会正義という絶対正義を考えていればよかった。だが、弁護士は、初めに依頼者ありき。例えば、法的には払うべき筋合いはないと考えても、依頼者がとにかく早く穏便に、そのためにはお金も払うからという場合もあれば、反対に、当方にも落ち度があるのでいくらか払うべきだと考えても、依頼者がそれでは納得ができないからとことん争うのを望む場合もある。
 昨今よく医者のインフォームドコンセントと言うが、弁護士もまた依頼者への説明義務を尽くさなければならない。法的に出来ること出来ないこと、各選択肢ごとの得失を説明したうえで、決めるのは依頼者である。でなければ、たとえ法的には最善の解決方法だとしても依頼者には不満が残ってしまう。

 来年の夢。
 法律をもっと勉強して、何にでも的確に答えられる弁護士になること。
 時間的にも余裕を作って、弁護士会の法律相談に参加できるようになること。
 趣味としては、ピアノをもっとずっと上手になること。
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Vol.12 事件ばかりの昨今 (2005年11月28日)
 弁護士法違反で、西村真悟弁護士(民主党衆院議員)が逮捕された。
 非弁護士との提携容疑。「弁護士は、72条ないし74条の規定に違反する者から事件の周旋を受け、又はこれらの者に自己の名義を利用させてはならない」(27条)。違反に対する罰則は、非弁活動者自身と同様、「2年以下の懲役又は300万円以下の罰金」(77条)である。
  検事時代、非弁活動者の事件を扱ったことがある。交通事故などの示談を業としてやっていた案件だった。
  また、それとは違うが、被疑者ではない事件関係者から、「私は司法試験に合格してそのまま修習していれば〇〇期にあたるのだが、ご覧のとおり目が悪いので断念した」旨聞かされてそのまま受け流していたら、後日ひょんなことから、同人が自分は弁護士だと嘘を言って詐欺を重ねていた常習者だと分かって、唖然としたことがある。最近も、「元弁護士」と名乗る男から示談交渉を求められ、お断りしたが、それが業としてなされているのであれば、もちろん弁護士法違反である(72条)。

  西村議員に限らず、昨今、いわゆるクレサラなどの自己破産案件で、その種専門業者に名義貸しをしている弁護士が問題となっているが、これは弁護士法違反であるとともに、弁護士会の懲戒の対象でもある。最も重い処分は、除名(以下、退会命令、業務停止、戒告と続く)。
  同議員の場合は、国民から選ばれた国会議員でもあって、その社会的職責は格段に重いというべきである。仄聞するところによると、右翼に金が流れたり、恐喝まがいのこともあって、まずは大阪府警が捜査の端緒を掴んだために、国会議員を逮捕するのは特捜部と相場が決まっているところ、府警が逮捕したとのこと。ともあれ徹底的な捜査を願う。

 弁護士は、医者と並ぶ高度の専門職であるが故に、社会的責務は重く、高い倫理が課せられている。ところが昨今、絶対数が増えたからか、それ故に仕事が取れなくなっているからか、あるいは単に教育の足らない結果、日本人全体の質が落ちた故か、ともあれ、私自身、どうかと首を傾げたくなる弁護士に遭遇することがままある。

 これまた一流資格である建築士の信頼を揺るがしかねない耐震強度偽造事件あり、その前に酒販組合事件やら成田空港の官製談合事件やら、その他、全国各地で青少年による凶悪殺人あり、動機の分からぬ少女殺害あり、だんだんと物騒な世の中になってきた。日本でもどうやら本当に、子供らの登下校に親が付き添わねばならなくなってきたようだ。
昨今の、官民を問わない非行を見るにつけ、これらはすべて、日本という国のタガが緩んできた故だと、私は思う。
  もともと宗教といっては八百万の神がいて、大和魂や武士道といった規範に支えられていた日本。西洋の罪の文化に代わる、恥の文化。世間様、お天道様。それらを喪失し、あらゆる権威もすたれた今、よほどの自己規律を持つ人以外は安易さに流れ、悪に誘われればそちらに流れかねない危うさを感じる。
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Vol.11 自民党の処分 (2005年10月24日)
  この21日、党紀委員会が開かれ、まずは新党を結成した8名(参院2名を含む)が除名処分となった。
  次回28日には反対票を投じた議員の処分が予定される。下馬評によると、今回再び反対票を投じた議員(及び欠席議員?)の除名処分は免れないが、かなりの人は罪一等を減じて、離党勧告処分になるのではとのこと。それを狙って、自ら離党をした議員もいる。

  そもそも党紀処分の根拠は自民党党則92条(これを受けて、自民党規律規約9条)である。すなわち、同規律規約9条1項の、
  1号 党の規律を乱す行為の(ロ) 各級選挙に際し、反対党の候補者を応援し、又は党公認候補若しくは推薦候補者を不利におとしいれる行為
  3号 党議にそむく行為 
   に該当するというのだ。
  解説すると、3号は党議拘束がかかったのにこれを遵守しなかったこと(反対派の多くが総務会での今回決定は全会一致の慣例どころか、形として党議にさえなっていなかったと主張していた)であり、1号(ロ)は自民党公認(推薦)候補と戦い、または自民党候補以外の候補を応援したことである。

  しかし、これに対して私は、法律家として多大の疑問を持つ。解説してくれる報道にはお目にかからず、自民党のめぼしい人に尋ねても答えを得られない。処分される側にしても、「おかしいとは思うけれど正論が通る雰囲気じゃないので」と諦めムードである。
  長くなるが、以下の私の疑問に答えてくれる人がいたら、是非教えてほしい。

1.解散後直ちに非公認とされた根拠が不明である。
   8月8日の解散後直ちに選対本部において、反対票を投じた衆院議員の非公認が決まったという。だが、「選挙における非公認」は、党紀委員会が行う8処分のうち、除名、離党勧告、党員資格の停止に次いで重い処分である(党則92条2項、規律規約9条2項。それより下の「役職停止」などは幹事長が処分できる。各同条各3項)。
   公認はもちろん選対本部でできるだろうが(だからといって、世間から非難囂々の杉村某などを公党たるものが公認していいはずはないが)、非公認がこれと同じレベルでできるはずがない。資格・身分を与えるのと奪うのとではその手続きも保障も大いに違ってこそ当然である(だからこそ党紀委員会の処分として規定されている)。
   民間会社でも雇い入れの自由はあってもいったん雇い入れれば解雇は簡単には出来ない。まして事は公の問題であり、政党は政党助成金も貰っている公党である。加えて、小選挙区制度の下では、公認の有無は死活問題であり、いわば議員の資格を剥奪するに等しいのだ。

  またこの時の非公認は、あくまで党議違反を理由とするものであったはずだが、幹事長は7月4日、党の全衆院議員に対し、欠席棄権も等しく党議違反とする旨通知しているのだから、すべての反対派議員が対等に扱われるべきである。

2.新党を立ち上げた人はもちろん離党届を提出済みだが、受理されていない。
   党則89条は、国会議員が離党を届け出ても党紀委員会の審査を経て受理するものとしている。だから受理しない措置を取ったということだろうが、非公認を党紀委員会を開かずして決めたのと比して、あまりに均衡を失しないか。
   そもそもよく分からないのは、自民党の党籍を持つ候補が別の党から出馬することを選挙管理委員会が公的に認めたという点である。それはどう説明されるのだろうか。
 
3.非公認で出馬し、「党公認(推薦)候補者を不利におとしいれた」とする理屈づけが強引すぎる。
   先に自民党公認(推薦)候補が決まっているところに、党員があえて立候補したのとは順序が逆である。彼らこそが現職であり、すでに選挙準備もしていたところに手続きを経ずに非公認とされ、そこに公認候補を立てられたのだ。これが党紀委員会の処分の対象になるというのでは、残された道はただ一つ、立候補をしないという選択肢しかない。
   またこのときに自主的に離党しても(当時、選挙区支部の関係上、自主的に離党するよう──そうしたら除名にはしないという含みで──幹事長の呼びかけはあったが)、もし離党届を出しても受理されなかったのは新党を立ち上げた人の扱いを見れば分かる。

  一連の行為を見ていると、見えてくるものがある。つまりはすべて選挙の結果を見て、だったのではないか。
  もし選挙の結果自民党が過半数割れでもしたら、彼らに戻ってきてもらって政権を維持したであろうし、その場合党紀委員会を開いて厳正な処分になどとなるはずもなかった。勝てば官軍、強者の理屈は、およそ民主主義とは折り合わないものである。

  ところで、振り返って見ると、除名処分を受けた後にまた自民党に復党し、大臣までやった人もいるのだそうだ。つまり、除名処分も離党勧告処分も変わらない。要するに、数が足りなくなれば復党を請うし、でなければ必要がないということだ。となると、今回将来の復党を願って反対票から賛成票に投じたのは、それほどの意味はなかったのではないか。かえって、信念で再度反対票を投じたほうが、政治家としてはもちろん人間としても尊敬され、将来があったと思えてならない。
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Vol.10 やっと秋が来た (2005年10月3日)
  このところずっと、目が回るほどの忙しさだった。
  先月21日に特別国会が始まり、嬉しいことには事務所を訪ねてくださる方が相次いだ。また連夜会合その他が入っていて、おまけに先月27日には後期大学が始まった(毎週火曜の出講が来年1月まで続く)。
  週末も講演その他で潰れるし……となると、どこにしわ寄せが行くか。裁判所に提出する書面の起案作成に行くのだ!と初めて分かった。もともと仕事は早いほうで余裕をもって仕上げるのが通例なのだが、このぎりぎりの状態で、もし身柄事件が入ったら、あるいは体調を壊したら、とふと思ってしまう。

 昨日2日は、1ヶ月ぶりに丸一日何の予定もない休日であった。
 その前夜までは当然に、たまっている起案を作成するのに事務所に出ると決めていたのだが、朝起きて気が変わった。ここは一転、完全に休養を取ったほうが来週からの仕事の能率が上がる。講義の準備をする傍ら、気分転換に藤沢周平を読み、ピアノを弾き、家の片づけをして、早めに就寝……で、実際にずいぶん疲労が回復した。よく学びよく遊べは本当だ。忙しい人ほど、忙しい時ほど、心して気をつけねばならないことだと思う。
 という次第で、今日は一つ、懸案の起案を片づけ、かつまた久々にホームページも更新できて、とても嬉しい。

 実は先月、2ヶ月ぶりの大学に、出る前はいたって気が重かったのだが、いざ学生らに接したとたんそんな気持ちは吹き飛んだ。
  まずはこの夏休みの間に一番の話題であった永田町の話をすると、みな生き生きとした表情をして聞いてくれる。2年生相手の刑事訴訟法など、前期試験でたくさん落としたので受講生が減っているはずなのに、立ち見がいるではないか!?「先生の講義は人気があるので」と言われると、お世辞とは分かっていても、嬉しい。頑張ろうという意欲が湧いてくる。
  実際、前期で分かったことだが、予想していたよりはるかにやる気のある学生が多く、かつまた試験もよく書けていた。これなら期待できるし、学生の熱意に応えなければと思うのだ。
  人間は双方向性だ。相手は自分を映す鏡なのである。相手にやる気がないのは、自分にやる気がないから。実際にそんなことが多いし、またそう思って処していればそうは誤らない。学生を教えているようで、案外実は自分が教えられていると感じる昨今だ。
 
  この週末は真夏が戻ったような暑さだったが、一転今日は、爽やかな風が、開け放した事務所の窓から、私の頬を気持ちよく撫でてくれる。まさに「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」。生きているって、それだけでとても幸せなことだとつくづく思う。
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Vol.9 小泉自民、歴史的圧勝! (2005年9月14日)
  これほどの大勝を予想した人は、誰もいまい。たぶん、当の小泉さん自身も含めて。
  当選者295名(公示前212名)、公明党を併せた与党325名。3分の2を超え、以後参院は不要も同然、たとえ否決しても衆院で再可決され、成立する。

  自民党に風が吹いていたことはたしかである。
  期間中、電話をくれた親しい代議士いわく、「こんなに手応えのいい選挙は(この数回で)初めて。民主党にダブルスコアで勝つ見込み」。マスコミ情報より何より、現場での生の声ほどたしかなものはない。
  自民党公認で小選挙区出馬した290名中、比例復活も含めて当選者実に267名(当選率92%)。その余波を受け、各ブロック毎の、通常であれば名前だけを連ねるにすぎない下位候補者までもが軒並み当選した(東京ブロックでは名簿候補が1人足りず、社民党が議席を獲得するという珍事出来)。私の知人女性も思わぬ当選となり、喜ぶよりむしろ戸惑っている。
  自民党の看板さえ背負っていれば、勝つ。そんな選挙であった。
  ちなみに私が応援に入った7人は、1人以外すべて当選(この1人は、真紀子さんの選挙区だ)、選挙翌日3人がじきじき礼の電話をくれて、嬉しかった。

  ただ、勝ったのは自民党ではなく、小泉さんである。
  キーワードは、「単純化」ないし「分かりやすさ」。大衆に訴える広報戦略の最も大事なポイントである。
  郵政解散。殺されてもいい。ガリレオ・ガリレイ(「それでも地球は動いている」は少数派であれ真理であるということだが、対する?郵政民営化は政策でしかなく、また少なくとも解散をかける首相は少数派ではない)、改革を止めるな、etc. 
  加えて、その実行力。郵政民営化を改革の本丸と位置づけ、矢のごとくにすべての郵政反対派選挙区に対抗馬を立てた姿勢を決断力あり、指導力あり、と評価した人は多い。

  とくに女性たちに小泉ファンが多いのは事実である。
  対して、岡田ファンには、残念ながらただの1人も会ったことがない。真面目で頭はいいのだろうが、面白くなさそう、オーラがない、セックスアピールがない……。小泉さんがいいとは思わないけれど、でも岡田さんはもっといや、と言う人も多い。二大政党は、つまりは党首を首相に選ぶということだからだ。
  民主党は惨敗。当選者113名(公示前177名)。支持母体の連合をバックに郵政民営化に反対、とはいえ対案はまったく出さず、選挙に入ってようやく郵貯限度額を500万円にと言い出す体たらくでは、とうてい政権は任せられないと感じる人が多かった。日本をよくするためには、民主党にこそ是非頑張ってもらいたいものである。

  小泉改革。郵政民営化の後は何なのだろう。郵政民営化も、民営化自体が目的になっている感がある。そして、新しい自民党。新人83人。これからどうなっていくのか、興味深くも怖くもある。
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Vol.8 選挙戦 (2005年8月31日)
  公示日の昨日(ちなみに、衆院総選挙及び参院通常選挙は「公示」、その余の選挙は「告示」)、私は党本部から頼まれ、千葉の新人の応援に行った。なにせ昨日は、代議士全員にとって初日。他の候補の応援になぞ行けようはずはなく、前議員の私に白羽の矢が立ったらしい。
  午前11時の駅前街頭に始まり、市内6か所で街頭演説(夜は予定があったので失礼した)。思い起こせば、昨夏の参院選以来だ。そもそもの最初は7年前、自ら参院選に出馬したとき。新宿アルタ前に集まった大群衆を前に、初めて街宣車の上に乗った。いざ上がると、その高いこと!! 
  幸いそう上がらなかったのは、中高校時代、演劇部に在籍した故かもしれない。もっとも演劇では台詞を覚えればいいが、演説には台詞がない。骨子は決めても細部は、前の演説者が喋った内容、また聴衆を見て、臨機応変で変えることになる。内容と喋り方。その両方で聴衆を魅するのは非常に難しい。
  外国では演説の上手な政治家が多いが、日本ではほとんど見かけない。

  それにしても、選挙に要するエネルギーたるや!! 町会議員・市会議員レベルでさえ、支援者を募り、スタッフを集め、考えるだけで気が遠くなりそうな作業を積み重ねる。まして、国政レベルでは金も体力も気力も、一体どれだけ要るだろう。是が非でも政治に携わりたい(動機はともかくとして)との強烈な熱意なくして、絶対に出来ないことである。
  そう、それが出来ない私は、脱落した。最近ますますシンプルライフ志向の私は、寝っ転がって本を読んでいるときが至福の時だ。実に安上がりだと友人に言うと、私はもっと安上がりだとの答えが返ってきた。寝ていれば至福だからと。まだ30代半ばなのに!!

 選挙は戦争である。戦争での実弾が、選挙では金。勝つか負けるか。勝敗ははっきりしている。
  私なぞ、別に落ちたら落ちたでいいじゃないか、それだけが人生じゃなし、命まで取られるわけじゃなし、と思うが、国会議員でなくなる恐怖たるや想像を絶するものであるらしい。政治家を一家郎党家業にしている議員が結構いる。自民党では雇用者15人ほどは普通だから失職は恐ろしいことである。
  普通の引退ですら人間関係はぐっと狭くなるのだから、落選したら人が手の平を返すように去っていくのは当然であろう。もともとこうした関係には利害が絡む。人間、本当に信頼できる友人など生涯で5〜6人いればいいほうだろうと私は思う。

 選挙応援をいくつか頼まれ、しばらく休みなしだ。頼まれる、頼りにされるというのは、なんであれ嬉しいことだ。

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Vol.7 小泉劇場 (2005年8月21日)
  小泉さんの喧嘩に強いこと!! 反対派の面々までが脱帽している。
  参院否決による解散、反対派非公認、対抗馬擁立。するとは言っていたが、まさかやらない、出来はしない、と思っていた。もう一つの公約「靖国神社8月15日参拝」は、周知の通り、まだ一度も実現させたことはない。
  だが、こちらははなから本気だったのだ。そして、今回分かったことは、永田町の外の人は、小泉ならばそこまでやると思っていたことだ。神仏を恐れず比叡山(既得権益)を焼き討ちした織田信長のように、馴れ合いや根回し、あるいは「和」を排除し、諸悪の根元のような派閥を解体させて政治を一新しようとしているからこその人気なのである。
  小泉政権は、この18日、池田勇人を抜き、戦後歴代4位の長期政権となった(佐藤栄作、吉田茂、中曽根康弘に次ぐ)。
 
  刺客で見せる、大入り満員の小泉劇場。
  当初食い入るように見ていたが、1週間で早や食傷気味になった。ここまでやってはあくどすぎる。急に関係のない落下傘がやってきて、馬鹿にされたと感じる有権者も多いのではないか。今やすっかりワイドショーの政治である。
  それにしても、刺客志望のなんと多いことか!! 以前からその地で立候補することを狙っていた人であれば格別、中央官僚が職をなげうってまで落下傘選挙という暴挙(としか私には思えない)に出るのだ。今回は比例上位で受かっても次はやはり選挙区で当選しないといけない。選挙区の維持は、地元出身者にすら大変だ。しかも「刺客」という形で出てきたことに党内の風当たりは強いはずだ。小泉後の保障は、ない。

  小泉流といえば人が納得するほど、小泉さんは稀代のマジシャンだ。
  とにかく今回の解散は憲政の常道ではない。二院制を無視しているのだ。
  衆院を解散をしても参院の構成は変わらない。だが、郵政民営化賛成派が勝てば、それを民意として参院も採決行動を変えるべきだと述べる識者がいるが、であればもともと参院は不要なのだ。二院制をとる多くの国にある貴族制(英国)や連邦制(米国やドイツ)がない戦後日本にあえて参院(戦前の貴族院)を設けた理由は、ともすれば大衆迎合に陥りやすい下院行動にブレーキをかけるため、良識的な判断をすべきだと考えられたからである。
  もっとも現実は、衆参に党議拘束をかけ、同じ採決行動をとらせている。だから、参院はもはや不要との結論が出てもおかしくはないかもしれない。つまり、憲法や我が国の政治制度の根幹に関する論議を、この解散は示唆している。
 
  小泉さんのやり方は、最初に結論ありき。なぜ言うことを聞かないのか。十分は説明も説得もなく、聞かない者は排除というのでは民主主義ではない。独裁者である。彼に核のボタンを託せば押すのではないか、そんな危惧がある。このやり方が爽快として支持される現状は、みながどこかで満たされず、不安を感じている証左ではないか。
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Vol.6 解散・総選挙 (2005年8月11日)

  多々流布されてはいたものの、まさか本当に、参院否決で衆院を解散するなんて! これはたぶんに、小泉首相の特異な!性格によるものだ。
  自爆解散その他ネガティブに称される前に、自ら記者会見で「郵政解散」と銘打ったところは、さすがだと評される。だが、国民に信を問うたとして、参院の構成は変わらない。この法案がそのまま通過するはずはないのである。

 8日当日午後4時、党政治倫理審査会が急遽開かれ、出席した。
  意見を求められ、「処分は執行部がお決めになることだが、自民党の分裂を避けるために、役職停止くらいで済ませていただきたいものだ」と述べた。「こんな事態になって、とても悲しい思いである」と付け足して。その時すでに、反対37人の非公認を首相が言明しているとの報があったが、そんなことをすれば、自民党議員の当選は絶対数として減り、自公併せての過半数のハードルはかなり高くなる。対抗馬を立てるといったって、選挙期間はわずか1ヶ月。一体何を言っているのだろう……。

 だが、小泉首相は、それをやろうとしている。
  まずは小林興起氏の東京10区に、兵庫からの小池百合子環境大臣を擁立。あと亀井静香氏の選挙区に誰それ、などと取り沙汰される。まさに、その怨念・報復の一念は凄まじい。ところが、知人のインテリ弁護士いわく「いやあ、ここまで思ったことを貫ける人は最近いませんから、すごいですなあ」。どうやらこれが結構、一般の感覚であるらしい。その証拠に、内閣支持率は落ちない、どころか上がっているという。
  パキスタンのアジズ首相が来日され、翌9日夜パキスタン公邸でのレセプション、10日昼昼食会に招かれて出席したが、彼らもまたこの解散に多大の関心を抱いていた。世界でも注視していることであろう。

 国民が賢い選択をし、より良い代表者を選び、より良い政治を作らなければならないと思う。そして、良きリーダーを持つこと。上に立つ者は、寛容でなければならない。包容力と説得によって人を従わせるべきであって、従わない者は抹殺との恐怖心で引っ張ってはいけない。そんなことは当然だと思うが、良いリーダーが出ないのは、それだけ教育に問題ありという証左であろうか。

来週は盆休みだ。実家(尾道)に戻って親孝行をする。本を読んで、ピアノを弾いて……。だが盆明けに(私にとっては懸案の)民事判決が出る。その結果によっては、ささやかなレベルながら、結構暑い夏になりそうだ。あるいはどこかに選挙応援に行くかもしれない。8月解散は1952年以来だそうだ。その時よりはるかに地球は温暖化し、ずっと暑いが、投票日まで1ヶ月しかないのがせめてもの救いかもしれない。

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Vol.5 国会の暑い夏 (2005年7月)

  話題の郵政民営化法案――。
  衆院で5票差で採決、来月上旬には参院での採決が予定される。参院で法案を修正して再度衆院に送っていては、8月13日の会期末に間に合わない。継続審議は首相が呑まないだろう。このまま採決になれば、どうやら否決の公算が極めて大きいらしい。
  となると、首相は躊躇なく解散に打って出るだろう。私の周りでもすでに選挙態勢に入った議員が多い。地元での会合やポスター作り……。いったん解散風が吹き出すと資金がいつまでもは続かず、早く選挙をしてくれ、という声になる。私の在籍当時にもそういう事態があった。党の各種部会から多くの衆院議員の姿が消え、外交など継続的なものは解散のない参院が中心となってやらねばとの声が現実的に思えたものだ。

「衆院の解散」について、再度憲法を調べてみた。
  69条「内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、10日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない」。もっとも7条で、天皇の国事行為の一つとして「衆議院を解散すること」が挙げられ、実際の運用も内閣の裁量で行われている。
  あるいは、郵政法案が参院で可決されてもなお解散に打って出るかもしれないのだ。
  しかしながら、解散の本来の意義からして、その濫用は許されないはずだ。もともと4年の任期がなぜ毎回解散によって(解散がなかったのは1回だけ。解散する力のない総理と評価されるらしい)実質平均2年8か月になるのだろうか。今回秋に選挙があったとして、ようやく2年。国家予算が800億円使われるという。
             
もともと郵政民営化が改革の本丸とは思えないし、まして解散・総選挙によって国民の信を問わねばならないことだとはとうてい思えない。とは誰もが言うことだが、思い起こせば、首相が政治家として当初から言明していた政策は、これだけであった。
  加えて、総裁選挙中に、「靖国神社8月15日参拝」、そして「自民党をぶっ壊す」。ちゃんと首相は公約を実行している、と言った議員がいる。問題は、これほどになってもまだ「ポスト小泉」が見えてこないことにあるのではないか。

 幹事長から党政治倫理審査会に、反対、棄権・欠席した51人の衆院議員の調査が委嘱された。ここには衆参の議員以外に有識者4名、党員2名の委員がいて、私はこの度やはり元女性検事・弁護士の後任として、新たに委員の委嘱を受けた。
  対象議員がもっと少なければ党紀委員会に直ちにかけるところだろうが、多すぎるので、まずはその前段階の政治倫理審査会でということなのだろう。私にも多々人間関係があって難しいところだが、有識者として考えることは、自民党がまずもって公的な組織だということだ。総務会で党議拘束がかかった以上遵守しなければならないし(総務会は党規約上多数決。慣例として、反対者は退席したり総務会長一任として全会一致の形をとってきた。党議拘束を外したのは臓器移植法案のみ)、規律違反に然るべき対応をしなければ組織とはいえない。
  国民のためにも、自民党にはもっとしっかりしてほしいと切に願うのだ。

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「騙される検事」という本があったけれど、弁護士は「依頼者に騙されるな」。
  あえて弁護士を騙そうとする人もいるし、そこまでではなくても、人は一般に自分が可愛いもの。あえて不利なことは言わないし、自分の都合の良い解釈などはしょっちゅうです。弁護士たるもの、人のそうした本能・習性を知った上で、冷静に、少し離れた所から、「まずは依頼者を疑え」。
  依頼者にしてみれば、弁護士から聞かれなかったからあえて言わなかっただけで、聞かれたらちゃんと答えていたかもしれないのです。いや、そこは聞き出さないといけないし、それが弁護士の腕であり人徳というものでしょう。

 親しい弁護士の話ですが、貸金返還請求を起こしたら被告が抗弁していわく、「原告からかつて同じ訴訟を起こされ勝訴している」と!! 訴えを取り下げる事態を想像しただけで、背筋が寒くなります。
  そこまでには至らないのですが、昨月、私もひどい目に遭いました。
  気の遠くなるほどの労力と時間をかけたのですが、諸般の事情があって辞任やむなきに至りました。然るべき時間給なり報酬は戴いてもよかったのですが、あえて一切取らず、まさに骨折り損のくたびれ儲け。
  でも、ものは考えようです。幸い訴訟を起こすなどの大事には至らなかったし、高い勉強代を払ったお陰で、以後格段に賢く(?)なりました。そのすぐ後に別の人から刑事告訴を頼まれた際、疑いをもってあることを尋ねたところ、ピンポン! すんでのところで危うい告訴に荷担せずに済みました。
  弁護士たるもの、変なことをしたら恥ですからね。なんでもこれ、用心に越したことはありません。

 紹介者の顔を立てながら上手に断るにはコツが要ります。
  それでもきちんと断っているうちに、あの弁護士は変な事件は受けない、と事件屋のほうで感づいて、近づいてこなくなります。
  司法修習の時の弁護教官が言っていました。「皆さん、半年間事件が来なくても食べていけるように、精出して貯金をしておきなさいね。じゃないと変な事件が来てつい手を出すことになって、そうしたら、後はもうそんな事件しか来なくなりますから」と。
  昨秋、とあることで某弁護士事務所を訪問したときのこと。依頼者が冷蔵庫を開け、我が物顔に振る舞っていたのです。その依頼者は後に事件屋だと分かりました。弁護士仲間いわく、「性格はいい奴なんだけどね」。困ったからか、あるいはよく分からなくてか、何かの拍子でそうした事件屋と付き合うようになり、以後うまく使われるようになってしまったのでしょう。
  弁護士が誰かによって、事件の筋の良し悪しが分かる。一面のたしかな真実です。

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  突如5月半ばからアクセス数が激減したのですが、ドメイン変更によって障害が発生したようです。御迷惑をかけて申し訳ありませんでした。
 
  4月末から5月初旬にかけての大型連休は、おおむね仕事で明け暮れました。
  たまたま受任事件が重なったからですが、それもようやく今月末に一段落する予定で、出張続きだった5月とは一転、6月は再び暇になりそうです。弁護士業務は多忙さが一定しないのが常なので、暇なときにも油断せずに勉強しておくようにと言われますが、勉強はもちろんその他にもしたいことがいろいろあり、手が空いたときにやっておこうと思っています。いつ何時また、休みもないほど忙しくなるかもしれませんから。
  ただ、とても法律が好きだし、読むことも書くことも同じように好きなので、仕事が限りなく趣味に近いのが幸せなことだと思います。

 大学にも毎週通っています。
  講義時間は各1時間半ですが、1時間しゃべってあとは個別の質問時間にしています。ことに1年生対象の刑法総論は必修講義でもあり、受講生が何百人もいて、質問も毎回、多数あります。もちろん講義中におしゃべりしたり、マナーがなっていない学生も中にはいますが、大方は礼儀正しいし、可愛いし、「今時の若者」を見直すことしきりです。
  私が彼らに教えているようでいて、実は私のほうこそ彼らによって癒されてるかなあ、そんなことを思います。ストレスは人によってもたらされる代わり、癒しもまた人によってこそなされる。いずれにしても、人は人との関わりの中でしか生きていけないことを改めて実感します。

 このところ、諺なり古語なりを実感することが実に多いのです。人生、年を経ないと分からないことが多いものです。
「袖触れあうも多生の縁」、どの人も御縁によって知り合ったと思える昨今です。
「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず」。
  本当に、なんでもっと勉強しなかったのだろうとよく思います。もっと本を読んでおけばよかった。何であれ今からでも遅くない、なんてことは絶対になく、若い時にしかできなかったことが実は非常に多いのですが、諦めていても仕方がないので、来し方を反省しつつ、これからは時間を有効に使おうと思っています。

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  今月から帝京大学(八王子)に毎火曜日、通うようになりました。

  2次限刑法(経済学部3年対象)、3次限刑事訴訟法(法学部2年対象)、そして4次限刑法総論(法学部1年対象・必修)。各1時間半なので、一日がかりです。
  通勤時間は片道1時間半、とても疲れるだろうと思っていたのですが、心地よい疲労でした。私語が多くて大変だよと言われていましたが、少なくとも前方の席に座っている学生は静かに聞いていました。とても熱心。終わったあと質問にもたくさん来てくれて、可愛いですね。私の子どものような年齢。のびやかに育っていってほしい。そのためにできるだけの手助けをしたいものです。

 振り返って、昨年の今頃、事務所探しを始めたのでした。東京で最初から独立なんて無理とよく言われましたが、思い切って始めて本当によかった。どうせいずれは独立するのですから、思い切りが肝心です。最初は苦労を覚悟していたのですが、周りの方々に助けていただいて、それほどでもありませんでした。8ヶ月、経過。まだまだですが、マイペースで。なにしろ現役人生はあと20年はあります。最も気をつけるべきが健康であるのはいうまでもありません。

 とくに印象に残る仕事を、2つ。
  1つは、最初の頃受けた、知人の法律相談です。
  多額の損害賠償をふっかけられて困り果て、相談した弁護士から数百万円は必要(交渉次第ではもっと)と言われ、私方に来ました。結果は、書面を一つ書いて相手方に送って、終わり。人助けをして喜んでもらえ、なんとやり甲斐のある仕事かとつくづく思ったのでした。

 もう1つは、最近やった刑事事件です。
  警察・検察庁に何度か足を運び、起訴直後の保釈が取れたのです! 実務の慣行として第1回公判期日で被告人が罪を認めるまではなかなか許可されないし、まして事案は法定刑が「短期1年以上」と、裁量保釈しか許されない事案だっただけにひとしお嬉しかった。
  その折り、担当の若い女性裁判官に「先生ご自身が身柄引き受けされるのですから」と言ってもらえたことも嬉しかった。弁護士資格の重み。改めて身が引き締まる思いでした。

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参院議員時代に立ち上げたホームページ。まめに更新していました。

頻繁にアクセスしてくださった皆様方、ありがとうございました。

 ご存じのように昨年7月、選挙には臨まずに引退、すぐに弁護士業に転じました。

 多くの方々にホームページのことを聞かれました。私自身もずっと気になりながら、毎日のことに取り紛れ、というよりは弁護士のホームページは一体どういう体裁にすればいいのか分からず、年を越してしまいました。

 それが今年になって突然、閃いたのです。
幸い発表の場を公に与えられているのですから、それを載せればいいのだと。
執筆したものがとりもなおさず、私が今考えていることなのです。
弁護士のホームページとして堅苦しく考える必要はなく、国会議員を経た佐々木知子の意見発信の場と考えればいいのだと。

 なぜ一期で辞めたのか、とよく聞かれます。
 私にはもともと政治志望がなく、ただ現職検事の時に声がかかったのがきっかけでした。
当時参院比例区は順位拘束名簿式。私は総理枠で11位につけてもらいました。
検事辞職後すぐの転職でもあり、選挙運動も後援会活動も一切していません。

 その後選挙制度が変わり、個人の名前を書いてもらわないと当選できない、元の全国区に近い制度となりました。それが私の場合ちょうど、老化を意識し始めた時期に重なりました。遅まきながら、生が有限であることを実感したのです。残りの人生、私は一体何をしたいのか。もう一期やれば、50代半ばになります。それから新しいことをやるには、頭はともかく、体がついていかないと実感できたのです。

 50歳を目前に後半生がスタートしました。

 具体的な事件を扱いながら、私は根っからの法律家だと改めて思っています。
とてもやり甲斐のある毎日です。どうしても数の一つになってしまいがちな政治家と比べ、狭い分野なれども、法律家は自分で決め、結論に持っていくことができるのです。

 弁護士業に軸足を置きながら、後半生は様々なことをしていこうと思っています。
私を必要としてくださる方々のお役に立つことで、人生を充実させていきたい。
そのためにはまずは自らが輝くこと。趣味のピアノをまた再び一生懸命に練習し始めたのもその一環なのです。

 ちょうどいい時期に人生を折り返すことができました。
支えて下さった多くの方々に心から感謝を捧げたいと思っています。

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