中国瀋陽日本総領事館事件――まず怒るべきが中国側の無法であることはいうまでもない。
この国は(近代国家には自明の理である)法治国家ではなく、伝統的に人治国家のままである(天に選ばれた人が国を治めるとする考え方)。また彼らが「中華思想」、つまり中国こそが世界の中心であり、他国から学ぶものなど何もないとの思想をとっていることは案外に知られていないようだ。
しかし、今回どうにも私たちをやりきれなくさせるのは我が方側の対応のひどさである。命を賭して亡命を求めてきた人たち(子どもまでいるのだ!)に対し、外交特権を持つ自分たちがどう振る舞うべきかという職業意識のかけらもなく、否、それ以前の人としての当たり前の心さえない……日本の恥を世界にさらけ出した今回ほど、外務省の無機能ぶりを見せつけた事件はなかった。
友人知人から送られてきたメールのうちいくつかをここに引用する。
「今日の事件ほど腹立たしいことは最近では記憶にありません。日本の瀋陽総領事館でのことです。
昨日から報道されていましたが、今朝7時のNHKのテレビを見て愕然としました。見殺しにするとはこのことで、あの総領事館の人たちの行動をどう正当化することができるのでしょうか。私の見たところ、正門の近くで中国官憲の帽子を拾っているだけで、日本へのビザ申請ないし亡命を、まさに命をかけて成し遂げようとしていた人たちに対して中国官憲と共謀して阻止しようとしたとしか思えませんでした。
私はその後、会社への出勤途上、涙が込み上げてきました。日本人もここまで落ちぶれてしまったのか。いや、外務省の人たちだけなのだろうかと。日本の主権の及ぶところで、白昼堂々と他国の官憲に主権を踏みにじられ、なおかつ共謀しているのではないかとさえ思えるような行動を、人間としてよくも行なえたものだと怒りが込み上げてきました。
偶然にも一週間ほど前に、1941年のヘルシンキの日本領事館のMR杉原のことを書いてあった本を走り読みしました。ソ連国内を通過して日本に国できるビザ申請のために領事館をとりまいた何千人ものユダヤ人たちのために、自分の能力の限界までビザ発給に力をつくした杉原外交官の話です。彼や彼の家族のようになれとはいいません。しかし、外交官特権を持った人たちが、中国官憲に対して実力行使することをなぜ恐れなければならないのでしょうか。拘束されて北朝鮮に帰れば、処刑か収容所に行く人たちであることがわからなかったとでもいうのでしょうか。
それからこんなことも思い出してしましました。1905年3月日露戦争の関ヶ原とも言うべき奉天会戦の現場である今のシン陽総領事館で、このようなことが起こったのは何かの因縁でしょうか。当時のロシアに隷属されまいと日露戦争を戦い、この会戦で何万人もの犠牲者を出してまでも日本人が戦ったのは何だったのですか。こんな日本や日本人を生むためではなかったはずです。本当に恥ずかしい思いです。(日露戦争の意義やその是非については、いろいろな
考えがありますが)
(中略)
この事件が今後どのようなかたちで収束されるのかはわかりませんが、日本と日本人に対する信用失墜は計り知れず、これを取り戻すのは容易なことではないと思います。
このようなことが二度と起こらないことを念じるのみです。」(49歳男性)
「さて、昨日報道された瀋陽の日本総領事館での事件。いったい何なのでしょう(怒)。
特に領事館員の対応のまずさ。あれでは世界の笑いものですね。日本の主権の侵害ということが解ってないのでしょうか?大使館員と領事館員との違いがよく解りませんが、外務省管轄ということに違いはないので、川口さんも大変ですね。もう一度教育をやり直していただきたいものです。経済は一流から二流へ 外交は三流から発展途上国並 本当に国を憂います(悲)。」(40歳男性)
「今回の中国での事件は、本当に腹が立ちますね。テレビや新聞では、「水掛け論」だから人道的な処置を目的にして?などと言っています。もちろん、人道的なことを優先することに反対ではありませんが、それだけで良しとすることには納得いきません。
これでますます日本が中国をはじめとする世界各国から馬鹿にされることを、みすみす許していいのでしょうか。」(47歳女性)
公用で海外に出張すれば、在外公館の人たちのお世話になる。
中にはもちろん立派な人もいるが、こんな礼儀も弁えない勘違い人間が日本の代表でいれば国の恥だと思える人も多い。ほとんど挨拶もしない、無表情だった某国の総領事など、自分が主催する会食の席に姿を現さなかった。理由はただ、そうした席が嫌いなのだという。今回の事件を聞いたとき、真っ先にその顔が浮かんだ。何の対応もしないはずだ、ただ事なかれで毎日を無為に過ごしていく……。「国益」などとんでもない、人としての最低限のマナーさえ弁えない無能な輩を外交官にしている有害さは語り尽くせない。もう十分に日本の外交は取り返しのつかないところにまで来ているのではないか。外務省は本当に必要か。その解体論まで視野に入れて、外務省の改革を断行しなければいけない段階にきているのだと思う。
|