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Vol.10 中国瀋陽日本総領事館連行事件 2002.5.13(月) 記  

 中国瀋陽日本総領事館事件――まず怒るべきが中国側の無法であることはいうまでもない。

 この国は(近代国家には自明の理である)法治国家ではなく、伝統的に人治国家のままである(天に選ばれた人が国を治めるとする考え方)。また彼らが「中華思想」、つまり中国こそが世界の中心であり、他国から学ぶものなど何もないとの思想をとっていることは案外に知られていないようだ。

 しかし、今回どうにも私たちをやりきれなくさせるのは我が方側の対応のひどさである。命を賭して亡命を求めてきた人たち(子どもまでいるのだ!)に対し、外交特権を持つ自分たちがどう振る舞うべきかという職業意識のかけらもなく、否、それ以前の人としての当たり前の心さえない……日本の恥を世界にさらけ出した今回ほど、外務省の無機能ぶりを見せつけた事件はなかった。

 友人知人から送られてきたメールのうちいくつかをここに引用する。

 「今日の事件ほど腹立たしいことは最近では記憶にありません。日本の瀋陽総領事館でのことです。

 昨日から報道されていましたが、今朝7時のNHKのテレビを見て愕然としました。見殺しにするとはこのことで、あの総領事館の人たちの行動をどう正当化することができるのでしょうか。私の見たところ、正門の近くで中国官憲の帽子を拾っているだけで、日本へのビザ申請ないし亡命を、まさに命をかけて成し遂げようとしていた人たちに対して中国官憲と共謀して阻止しようとしたとしか思えませんでした。

 私はその後、会社への出勤途上、涙が込み上げてきました。日本人もここまで落ちぶれてしまったのか。いや、外務省の人たちだけなのだろうかと。日本の主権の及ぶところで、白昼堂々と他国の官憲に主権を踏みにじられ、なおかつ共謀しているのではないかとさえ思えるような行動を、人間としてよくも行なえたものだと怒りが込み上げてきました。

 偶然にも一週間ほど前に、1941年のヘルシンキの日本領事館のMR杉原のことを書いてあった本を走り読みしました。ソ連国内を通過して日本に国できるビザ申請のために領事館をとりまいた何千人ものユダヤ人たちのために、自分の能力の限界までビザ発給に力をつくした杉原外交官の話です。彼や彼の家族のようになれとはいいません。しかし、外交官特権を持った人たちが、中国官憲に対して実力行使することをなぜ恐れなければならないのでしょうか。拘束されて北朝鮮に帰れば、処刑か収容所に行く人たちであることがわからなかったとでもいうのでしょうか。

 それからこんなことも思い出してしましました。1905年3月日露戦争の関ヶ原とも言うべき奉天会戦の現場である今のシン陽総領事館で、このようなことが起こったのは何かの因縁でしょうか。当時のロシアに隷属されまいと日露戦争を戦い、この会戦で何万人もの犠牲者を出してまでも日本人が戦ったのは何だったのですか。こんな日本や日本人を生むためではなかったはずです。本当に恥ずかしい思いです。(日露戦争の意義やその是非については、いろいろな
考えがありますが)
(中略)
  この事件が今後どのようなかたちで収束されるのかはわかりませんが、日本と日本人に対する信用失墜は計り知れず、これを取り戻すのは容易なことではないと思います。

 このようなことが二度と起こらないことを念じるのみです。」(49歳男性)

 「さて、昨日報道された瀋陽の日本総領事館での事件。いったい何なのでしょう(怒)。
  特に領事館員の対応のまずさ。あれでは世界の笑いものですね。日本の主権の侵害ということが解ってないのでしょうか?大使館員と領事館員との違いがよく解りませんが、外務省管轄ということに違いはないので、川口さんも大変ですね。もう一度教育をやり直していただきたいものです。経済は一流から二流へ 外交は三流から発展途上国並 本当に国を憂います(悲)。」(40歳男性)

 「今回の中国での事件は、本当に腹が立ちますね。テレビや新聞では、「水掛け論」だから人道的な処置を目的にして?などと言っています。もちろん、人道的なことを優先することに反対ではありませんが、それだけで良しとすることには納得いきません。
  これでますます日本が中国をはじめとする世界各国から馬鹿にされることを、みすみす許していいのでしょうか。」(47歳女性)

 公用で海外に出張すれば、在外公館の人たちのお世話になる。

 中にはもちろん立派な人もいるが、こんな礼儀も弁えない勘違い人間が日本の代表でいれば国の恥だと思える人も多い。ほとんど挨拶もしない、無表情だった某国の総領事など、自分が主催する会食の席に姿を現さなかった。理由はただ、そうした席が嫌いなのだという。今回の事件を聞いたとき、真っ先にその顔が浮かんだ。何の対応もしないはずだ、ただ事なかれで毎日を無為に過ごしていく……。「国益」などとんでもない、人としての最低限のマナーさえ弁えない無能な輩を外交官にしている有害さは語り尽くせない。もう十分に日本の外交は取り返しのつかないところにまで来ているのではないか。外務省は本当に必要か。その解体論まで視野に入れて、外務省の改革を断行しなければいけない段階にきているのだと思う。

Vol.9 母の日 2002.5.12(日) 記     ※写真はクリックで拡大してご覧いただけます

 今日は母の日だ。とはいえ、私の母は5月5日生れ、だからお祝いは誕生祝い 一回で済ませてしまっている。

 昭和6年生れだから、今年71歳。でも、若い(頭が)。ワープロは何年も前から始め、年賀状の宛名書きはすべて入力済みだ。最近、信じられないことには携帯メールまで始めた。農作業と家事の傍ら、本をずっと読んでいる。趣味は他に、陶芸、俳句、絵など。料理と洋裁はプロ並みだ。私は物心ついたときからずっと母親手製の服を着ていたし、学校から帰るといつも母の手作りおやつがあった。当時としては珍しいオープンが家にはあり、シュークリーム、プリン、ケーキなどが毎日焼かれていた。お陰で私も料理は大好き、舌がいいのは母親譲りだ。

 助かるのは、母が子離れをしてくれていることだ。周りを見ると、子どもが親離れをしていないというよりむしろ親が子離れをしていないのではと思えるケースが多い。子どもべったりでしょっちゅう、帰ってきて、寂しいわと言ったり、あれこれ要求する親だったら、どんなにか私も仕事がしにくかろう。ありがたいことだ。

 私が今あるのは(いい意味も悪い意味も含めて)母のお陰である。医者になりたくて、少なくとも職業婦人になりたくて、結局専業主婦になった母は常々、「精神的に自立したければまずは経済的自立を」と言っていた。そのお陰で、私は結婚に一度も憧れたことがなく、将来は自分で稼いで食べていくことを既定路線にしていた。

 今思い起こせば、母の教育方針はかなりユニークだった。
 まずは4歳でピアノを習わせた。自分がやりたくて出来なかったことをやらせ たのだが、楽器は若い時にやっておかなければできないと言っていた。同じ意味で、語学を奨励していた。私が友達に誘われて「お茶やお花」を習いたいと言うと、そんなことは大人になってからでも出来るからとやらせてくれなかった(母自身はどちらも師範の免状を持っている)。洋裁も「そんなことはお金を稼いで人にやってもらえばいいから」。また、私が友達に誘われて塾に行きたいというと、「勉強は学校でやれば十分です」と毅然として行かせなかった。だから塾も家庭教師もまったく縁がない(大学生になってから人には教えたが)。これは当時としてもかなり珍しかったはずだ。

 真面目一本でも全然なかった。高校時代、通学が不便で、雨が降ると休みたくなる。そんなとき「休んだら」といとも簡単に母は言い、学校には「風邪を引きましたので」と電話をしてくれる。そして2人で競い合うようによく本を読んだものだ。ことに、長編歴史小説。私の休暇日数は、進級会議にかかる「年20日」の一歩手前、だから最後頃に本当に風邪を引いたときなど大いに困った。私がつまらないことにこせこせせず、日本人には珍しく(?)おおらかな性格だと言われるのは、こうした教育によるところが大きいのだろうと思う。「命まで取られるわけじゃなし」母はよくそんなことを言っていた。

 初月給を貰ったときから、私は母に仕送りをしている。だんだん額が増え、でも10年ほど前からはずっと年50万円だ(夏と冬のボーナス時に各20万円。春に10万円)。生活に困っているわけではないが、勤め人ではない母にとって、ボーナスのお裾分けはとても嬉しいらしい。喜んでくれる人がいるのは嬉しいことだ。母はいつも誰にでも感謝をしている。「かんしゃくのくの字を抜いて日々暮らす」と母は書き、絵も添えて、家に掛けている。「生まれてきてよかった。知子さんに出会えて」――母がそう言ったのは10年も前だろうか。自分が産んだ子どもにこんなことを言える人はそうめったにはいないと思う。

  母という呼び名はいつも哀しくて母の日まさにゆかんとすれど 知子

Vol.8 選択的夫婦別姓 2002.5.9(木) 記   

 4月末に全面改訂したこのホームページ、幸い好評で、もっと早くに思い立って改訂しておけばよかったと後悔している。どんなに忙しくても毎日更新するという若手議員もいるが、無理は禁物、週2回を努力目標にしたいと思う。読み直して、4月19日以降5月3日まで記載がないのには唖然とさせられた。

 読者(有権者)からのメールも結構来る。内容は大別して、2つ。

 治安問題や外国人地方参政権問題など、私の専門分野(関心分野)に関する意見・激励と、いわゆる選択的夫婦別姓を願う人たちからの激励・お願いだ。返事を出すこともよくあるが、目前のことに忙殺され、あるいはすぐには答えられない問題が提起されたりして、気になりながらつい返事を出さないままになっていることも多い。この場を借りてお詫びしたい。

 ところで、選択的(例外的)夫婦別姓について一部に誤解が生じたようなので、やはりこの場を借りて弁明をしておきたいと思う。事が起きたのは4月26日(パキスタンへの出発日)。「党議拘束を外して閣法で提出させたいとする法務部会長を我々副部会長ら5名が阻止した」のは、法案の中身についてではなく(私は推進派である)、あくまでその進め方だった。

 たしかに我が法務部会の現在の状況では、残念ながら未だに反対派が多く、部会→政務調査会→総務会の各了承を経た(以上、慣行として行われている「党の事前審査」)うえで閣議了解を得、閣法として国会に提出するというこれまでのやり方では提出が困難となっている。だからといって、この法案に限って党の事前審査を外し、いきなり閣議にかけるウルトラCが可能かどうか(もちろん閣議も全員一致制を採っており、ここで通過するかどうかは別問題である)。

 そもそも我が国は議院内閣制を採っている。つまり、内閣を作出する権能を持つ政権党は、内閣が提出する法律(閣法)について党議拘束をかけて党の意思を一致させるのが必然の要請である(これを参院では外すべきとの議論は、参院の独自性を追求する立場からのもの)。自民党がこれまで党議拘束を外した唯一の例として臓器移植法案があるが、これは閣法ではなく議員立法だった。つまり内閣とは無関係に議員が独自に提出する法案であれば党議拘束をかけないことが理論的に可能である。そうした根本的な問題があるところにもって、この際えいやっと踏み切って果たして勝算があるか。

 別項で詳述しているが、私には選択的夫婦別姓の導入が「家族の崩壊」だの「非行の増加」だのとある種ヒステリックに叫ばれるほどの大問題だとはとうてい思えない。例えば、臓器移植法。私自身は人の臓器を移植してもらってまで生きたいとは思わなかったとしても、できればそうしてもらって生きたいと願う人を否定することはできない。それはその人の生き方であり価値観の相違であり、他人の踏み込みを許さないものだと思うからである。自分たち夫婦は同姓にするが、どうしても別姓にしたい人の生き方も認める……。多様な生き方や考え方を認めることが個人が生きやすい社会であり、姓といういわば外形で、夫婦や親子の心や愛情という中身は縛れないし、変えることもできないのである。

 臓器移植法を援用したついでに、雑感を述べておきたい。

 検事時代、フランス法を専攻する教授から、「フランスでは脳死患者から誰の何の同意もなく臓器を取る」と聞いて驚いたが、キリスト教文化では、人は死ねば魂は神に召され、(魂が宿っていた)肉体は意味のない物体となる。映画「タイタニック」で、死んだ恋人の体をヒロインが邪険に(?)払いのける場面にショックを受けた日本人が結構いるようだが、そういう文化を知って見れば理解は容易である。

 片や日本では、人は死んでも肉体がそこにある限り、まだ存在する。だからこそ(欧米とは違い)飛行機事故で死んだ被害者の体を、たとえ髪の毛一本でもと探し求める遺族の姿が見られるのだ。そもそも仏教では生命は輪廻し、肉体が消滅すれば再び生命は蘇ることができない。文化がまるっきり違うのだから臓器移植に抵抗があるのは当然なのに、そうした議論が果たしてきっちりなされたのかどうか。

 我々は自分たちの文化やアイデンティティを知らなさすぎる。そうした重要なことを重要なこととしてまったく教わってこなかった故である。

Vol.7 パキスタン 2002.5.3(金) 記   ※写真はクリックで拡大してご覧いただけます

国交樹立式:マレーシアの民族衣装で 前半連休(4月26日〜5月2日)はパキスタンに。日パ議員連盟の一員として、総理特使・堀内光雄会長(自民党総務会長)に同行したのだ。衆参合わせて、議員6名。
 4月28日、首都イスラムバードにおける日パ国交樹立50周年記念式典に参列(この模様は一部NHKで放映)、翌29日、堀内会長がムシャラフ大統領に総理親書を手渡す際には同席した。大統領は私をよく覚えていた。3月の日本訪問時に2回、会ったからだ。日本側議員の紅一点、それで覚えられないはずもない。

 大統領(58歳)は生粋の軍人だ。陸軍参謀長だった99年10月、無血クーデターによって行政長官に就任、2001年6月には大統領にも就任した。国会議員選挙は2002年10月実施予定、つまり現在、国会議員はいないのだ。

国交樹立式典にて クーデターによる軍人政権、立法府なし、となれば当然独裁政権であり、国民の反発も強いはずと思うが、どうやらそれなりの信任を得ているらしい。その理由は、彼以前のブット政権、シャリフ政権が腐敗を極め、軍人のほうがまだ政治家よりましだと民衆が思っているからだという。折しも4月30日、同大統領の今後5年間の信任を問う国民投票が実施された。投票所には人が並んでいて、投票用紙に書かれたウルドュ語は「あなたはムシャラフ大統領の進める改革、民主主義?を信任しますか」であるらしい。それに対して「はい」か「いいえ」の箇所に印をつけるのだが、この国の識字率は40%以下である(ことに地方、女性では低い)。選挙人名簿などなく、18歳以上の男女であれば誰でも投票でき、二度も投票しないよう指に印をつけるだけの簡単なもの。翌日の報道では、投票率は各州50〜60%程度、信任率は軒並み98%程度とのことだったが、そんなに早く開票ができるはずもない。やはり最大政党勢力などは、投票率は5%にも満たないと非難していた。

アフガニスタン国境にて パキスタンに限らず、多くの発展途上国を訪れる度に、否応のない「貧困」を見せつけられる。ぼろをまとい、観光客に物を売りに歩く子どもたち。教育を受けられないから字も読めず、将来にわたってまともな職業に就くことはできないのだ。貧富の差、富の偏在、社会的な差別。もともと仕事自体が少ないという社会構造もある(だからこそ日本の企業が投資し、仕事を創出する意味がある)。
起死回生の逆転が起こりうるトランプの貧民ゲームとも違い、努力すれば誰もが巨万の富を持ちうるアメリカンドリームの対極にある社会だ。努力が報われない社会、否、努力という言葉自体が無意味な社会が厳に世界中の至る所に存在する。その冷徹な現実を、日本という恵まれた国にたまたま生まれた多くの人たちに是非知ってもらいたいと思う。生きるだけで毎日が精一杯の子どもたちを見れば、日本の多くの子どもたちは贅沢など言っていられないと知るだろう。生きた教育とはそういうところにあるのだと思う。

 日本を離れて1週間足らず。その間に日本では、鈴木宗男氏の公設秘書が逮捕され、井上裕前参院議長もまた公設秘書が逮捕されて議員辞職となった。十年一昔どころか今や一年一昔、と思っていたが、今年になってのめまぐるしさはまさに一月一昔だ。連休明けの後半国会には懸案の法案が山積みなのに、またまたスキャンダル国会に終始しそう……と思うだけで憂鬱になる。
 
モスク バンコク、カラチ経由。真夜中のフライト。朝から夜遅くまでの強行スケジュール。羊や鶏肉主体の料理……。出発当日まで、国際麻薬統制サミットで司会を担当(23〜24日)など、すべきことがいっぱいあり、健康を維持できるかどうか不安だったが、不思議なほどに元気だ。思うに、偏食どころか生肉などが好物でどの国の料理でも食べられるし、日頃不眠気味なのに飛行機の中ではなぜかよく眠れるし、何でも楽しんでしまうからだろう。後半連休も連休明けもやるべきことが山積みだ。休みが取れるのは今月も末になる。でもまあ何とかなるだろう。
優先順位をつけて一つ一つこなしていけばいいのだから。決して焦らず、大いに楽しむ。それが多忙の中で健康を維持することの秘訣のように思う。

Vol.6 新潟選挙応援 2002.4.19(金) 記  

 17〜18日、泊まりがけで新潟補選の応援に出かけた。

 17日午後及び18日朝から夕方まで、地元の県会議員あるいは市会議員と一緒に、全部で30もの企業団体を回り、候補者への支援をお願いした。17日夕方には地元国会議員の「励ます会」に、同日夜は地元市会議員の女性の会に、それぞれ来賓として出席、挨拶。出席者との記念撮影もよくあることだ。そんなことをしているときに、ふと思うことがある。検事時代にはこんな自分はとうてい想像できなかったと。

 一番変わったのは、お辞儀の回数・角度。握手、手を振ること……。街頭演説など恥ずかしくないといえば嘘になるが、もじもじしている人を見て喜ぶ人は誰もいない。自信をもってなりきることだ。女優。ある意味ではそんな資質が必要だろうと思う。早いものでここに来て4年近く、それなりにこの世界に馴染んだということは、性格も変わったのだろう。顔や雰囲気もきっと変わってきただろうと思う。ずっと似合わないと思いこんでいたショートヘアに思い切って変えたのは1年半前。そのせいもあってか、まるで別人のようだとよく言われる。

 昨夜はさすがに疲れていて、東京での会合はすぐに退席するつもりだったが、お酒が入り、人と楽しく話しているうちに10時近くになっていた。寝たのは午前1時頃だろうか。

 丸2日あけ、朝9時前に会館事務所に来ると、案の定書類や事務がたまっている。
 9時20分、党役員連絡会、9時45分〜10時15分、議員総会(井上参院議長の金銭スキャンダルで野党出席の目処が立たず、10時開会予定の本会議は延期)。11時〜11時50分総務会。午後は3時45分から45分間、兵庫県女性局研修会で講演する(党本部)。その後公務はなく(夜の予定はキャンセル済み)、今夜は早めに寝、明朝元気で徳島に立たなければ。街頭演説と個人演説会の後、徳島に泊まる。

 今私にとっての最大の仕事は「体調維持」である。どんな仕事でもそうだが、ことに政治家は、心身ともにタフでなければ勤まらない。

Vol.5 徳島選挙応援 2002.4.15(月) 記  

 土曜は知事補選の応援で徳島まで出かけた。

 前任者が収賄罪で逮捕された後を受けて選ばれた「河内順子」さんはクリーンさが売り物だ。神戸大学理学部出身だから私の大学の先輩だ。大塚製薬工場長、教育委員の経歴はあるが政治家は素人、検事出身の私と同じだ。

 無理は利かないので金曜夜の私的な飲み会は残念ながら出ず、しっかり寝た甲斐あって朝の目覚めは順調。9時過ぎに自宅を出(ちなみに最寄り駅まで徒歩、京急線利用)、10:35羽田発11:45着、空港で森本県議が出迎えてくれる。新聞記者出身だけあって話の乗りがいい。選挙情勢を聞きながら昼食をとった後選挙事務所に立ち寄り、広報車前に乗り込む。鳩山党首が対抗馬の応援をした後の徳島駅前を振り出しに、午後5時までの間、鳴門に至るまで計6回の街頭演説。

 車中、うぐいす嬢の声に合わせて手を振る私に、多くの人が応えてくれるのだ! どうやら候補者本人だと誤解されているらしい。河内さんの顔が知られていないことに加え、私自身の顔も知られていないからだ。ふと気がついた。私には候補者として選挙カーに乗った経験も候補者として演説した経験もまったくないということに。言うなれば「疑似候補者体験」。帰途(18:10発)、空港で人を見てつい手を振りそうになった自分が怖かった。なんという順応性だろう!

 昨日曜はゴミ出しに階下に何度か降りた以外、どこにも出なかった。原稿書きなどいろいろやることがあったがすべて後回し、最近まとまった時間がとれなくてツンドクしていた中から、話題の『ザ・外資』を選んだ。昼下がりのひととき、ソファに寝そべり、窓からの風を受けながらの読書は、私にとって他の何にも代え難い至福の時だ。活字中毒だから、活字から遠ざかっていると自然に禁断症状を来しているらしい。その解消には、ままよとすべてを後回しにすることもまた必要なのだ。でないと肝心の仕事に力が入らない。
 この小説、読んで驚いた。現在金融特別委員会理事として取扱いを決定しなければならない、旧長銀に絡む「アドバイザリー契約」、それがまさに扱われているからだ。小説を読んで勉強になる。まさに一石二鳥。昨日さぼった原稿書きはもちろん今日帰ってやらなければ。

 今週17日は朝から丸一日新潟出張、そして20日、今度は泊まりがけでまた徳島に出張する。決して無理が利かないことは経験上よく分かっているので、とにかく睡眠を心がけている。日程も無理をしない。昼間は仕方ないとしても、私的な飲み会はもちろん公的なものでもどうしても出ないといけないものしか出ないようにして、できるだけ早く帰宅して体を休める。転ばぬ先の杖である。

Vol.4 ある1日 2002.4/11(木) 記   

 国会議員ってどこにいるの、どんな生活をしているのと聞かれることがある。国会開会中かどうか、日によってもずいぶん違うのだが、例えば、昨日10日――

6:50
起床
8:00
隔週開催の勉強会。講師加藤秀樹氏(構想日本代表)。(ニューオータニ〜9:20)
9:45
議員総会(議事堂内)
10:00
本会議
11:00
女性団体で挨拶など(党本部)
12:00
議長招待(参議院議長公邸)
13:30
会館事務所で書類整理など
翌日の法務委員会質問案を作成・提出、法務省担当者来訪
15:00
司法制度調査会国際化小委員会(党本部)
16:00
法務部会例外的夫婦別姓(同 〜17:20)
18:30
青年局役員懇親会(銀座 〜19:45)
 

そして今日――

10:00

法務委員会(議事堂分館)
国際受刑者移送法案について冒頭50分質疑

12:30
派閥総会(砂防会館)
13:30
法務委員会
14:45
会館事務所において書類整理、面会など
18:30
公的な食事会(六本木 〜21:30)
   
 ちなみに今日、新潟参院選、和歌山二区衆院選、徳島県知事選各補選の告示あり。13日(土)は徳島、17日(水)はまた新潟に出張。23〜24日は我が麻薬議員連盟主催の国際麻薬統制サミット開催(高輪プリンスホテル)、26日〜5月2日はパキスタン議員連盟一行で同国を初訪問する。

 抱える案件も、勉強しなければならないこともまさに山積状態。地元のない私ですら時間が足りないのだから、地元関係の行事が多々あり、週末は地元に帰らなければならない先生方は一体いつ勉強をされるのだろうか。まさに超人的な体力と気力が必要とされるはずである。

Vol.3 恐ろしい誤解  2002.4/9(土) 記   

 昨夕、加藤紘一氏辞職――。だが、永田町は静かだ。鈴木氏も辻元氏もすでに過去の人になっている。

 昨日の参考人招致での答弁には腹が立つを通り越し、ただただ呆れてしまった。大方の国民も同じだっただろうと思う。
「部下が何をしているのかまったく分からなかった」なる弁解が通る世界がどこにあるのか。他人が同じことを言えば厳しく非難するのが目に見えるようだ。自宅賃料(月110万円!)を政治資金で賄っていた非常識さ。それを「社宅」だなど、そんな弁解がどの世界で通るものか。国会議員は議員宿舎を借りられるし、その議員宿舎にしても宿舎代が毎月の歳費から引き落とされている。

 加藤氏との初対面は4年前だ。参院選の候補になる前の私と、幹事長(当時)の加藤氏。印象は最悪だった。高慢で人を馬鹿にしたような態度。その印象はその後も変わらなかった。プリンスだとか首相候補ナンバー1とかなぜ言われるのか、分からなかった。事実、永田町で彼を評価する声を聞いたことはほとんどない。それが正しかったことは何よりも彼のその後が証明している。

 おそらくは彼はいつからか自分を特別な人間であり、何をしても許されると思い上がっていたのだろうと思う。だからこそ自分こそが国を憂えており、国のリーダーになれる資格があるなどと、否、自分こそがリーダーにならなければならないなどと、恐ろしい誤解もしたのだろう。

 バブルは経済だけではない。人間にもバブルがある。マスコミが作った虚像。そういう人たちが次々に生まれ、次々に消えていく。なんとなくはかない。

Vol.2 国家戦略本部 2002.4/8(金) 記 

 週末、参院選補選の応援に新潟に行ってきた。当初かなり恥ずかしかったのが今は昔、街頭演説も堂々としたものだ(?!)。

 選挙応援で政策の話はあまりしない。候補者はどんな人だとか、あるいは永田町は今どうだとか。内容よりもむしろ話し方のほうが重要だ。声と抑揚、身振り手振り、表情、熱意。卵が先か鶏が先か。政治家があまり政策を語らないのは有権者が関心を示さないからだろうと思う。

 国家戦略本部(下部組織「国家ビジョン策定委員会」)の実働メンバーとして、昨年来「政治システム(政と官のあり方)」提言作りに関わってきた。国会議員になったからといって国会法や国会のあり方といったものを教えてくれる場はないから、基本中の基本さえ知らずに国会議員をやっている人が多いのだろうと思う。私も改めて勉強して「目から鱗」のことが多く、びっくりさせられた。

 議院内閣制の本家本元イギリスでは、選挙に際し、各党(保守党と労働党の2大政党制度)が政権を取った場合に実行すべき公約を予め有権者に提示する。有権者はその公約から誰(党)を選ぶかを判断し、政権党は公約を実行すべく努力する。実行できなければ次の選挙では野党に転ずるのみだ。日本でももちろん選挙の際に党が公約を出してはいるが、一体党の誰がどうした手続きを踏んで作っているのか、わが同僚たちの誰も知らないという暗澹たるものだった。あまりに網羅的すぎ、党による政策の違いがほとんどないのは、どの党もただ理想を並べ、実行性の担保がないのが一目瞭然、つまり国民の誰もが公約など重視せず信じてもいないということだ。

 なぜこうも違うのか。私は、国民が政治に多くを期待していないからだと思う。政治がどうであれ国民は生活をそれなりに営めるからという意味で。拙著「日本の司法文化」で指摘したが、イギリスではもともと公権力への不信感が根強く、それが陪審制を生んだ。貴族制に代表される階級社会であり、また外国の王朝に貴族たちが支配されるといった歴史がその背後にはある。片や日本は伝統的に「お上」に対する信頼が厚い国である。
 だが、と思う。これまではたしかにそうだっただろうが、それがこれからも続くとはいえないのではないかと。政治がどうであれ揺るがなかった経済が危機的状況に陥ったとき、世界に誇る従順な我が国民といえども立ち上がらざるをえないときが来るのかもしれないと。もちろんそんな状況など来ないがいいに決まっているし、それを阻止するのが政治の役目なのだが。

Vol.1教育の原点 2002.4/5(火) 記    

 今年に入り、永田町はいちだんと混迷の度を増してきた。今のニュースが1週間後には古くなっている、そんなことはこれまでついぞなかった。

 始まりは1月末の田中外相更迭だった。以後、鈴木宗男スキャンダル、加藤紘一スキャンダルと続き、3月末には政策秘書詐取疑惑をすっぱ抜かれた辻元清美が議員辞職。疑惑は社民党全体に広がりかねない勢いで、かつまた田中外相の所もそうだ等々、リーク合戦が火を噴いている。この際きっちりと秘書制度、及び根元的な「政治の金」の問題を見直さなければならないのは当然として、だが、国会審議がそれだけに忙殺されるようではまったくもって困ったことだ。

 日本には今、景気回復、失業雇用、治安・テロ対策、色の安全確保などなど、喫緊の課題が山積している。政治家のスキャンダルの解明は、いわば自らが作った汚れを消し去ること、つまりマイナスをゼロにするだけのことだ。そのために国民は国会議員を選んでいるのではないし、貴重な歳費を税金から支払っているのではない。

 視聴率と購読数ばかりを気にする一部マスコミ各位、是非もっと賢明になってもらえないだろうか。そのマスコミを支え、かつまた国会議員を選ぶ国民各位も是非もっと賢明になってもらいたいものである。どこを見ても腐敗ばかり、模範となる大人を見いだせない子どもたちの将来が明るいはずはない。ゆとり教育その他教育の問題はこれまた山積しているが、何よりもモラルの高い社会、それこそが教育の原点だと思う。そのことをますます憂える今日この頃である。

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