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Vol.20 「人みな我が師」 2002.6.17(月) 記   

佐々淳行氏と 先週金曜夕、「日本対チュニジア戦」の最中、私は文藝春秋社で佐々淳行氏と対談していた。編集者いわく「今我が社で仕事をしているのはここだけです」!。同誌は来月号で中国特集を組む。その中で中国人犯罪が採り上げられるのだ。

 土曜は宇部に出張。同僚代議士の、年1回催す女性たちの会で挨拶し、同代議士と対談。

 昨日日曜は千葉の自民党政経セミナーで挨拶(女性議員では他に森山真弓法務大臣)。夕刻帰宅。涼しかったので自宅周辺を散歩、夕食にベトナム風春巻きや卵とトマトのスープなどを作る。その後予定では、ピアノを弾き(最近はシューマン、リストが好み)、読書に勤しむつもりが、結局久方ぶりに長い日記をしたためただけで終わった(ファイルに)。

 よく寝たお陰で、今週もまた爽快な気分でスタートできた。年下の弁護士から「無理は効かなくなった」旨のメールが来ていた。仕事を続けるうえで何よりも大事なのは健康だと、改めて思う。

 政治家になって何が変わったか。大きく挙げて、3つ。
 ?@関心の対象が限りなく広がった。
 ?Aお辞儀をよくするようになり、かつまたその角度が深くなった(もっともまだまだ頭が高いと思われているのだろうけれど)。
 ?B人に寛容になった(以前よりずっと)。

「人みな我が師」、と言ったのはたしか吉川英治だったはずだ(高校時代に愛読した『三国志』『水滸伝』などの著者)。どんな人でも学ぶところはある(たとえ反面教師にしても)。と考えるなんて、遅まきながら、私も成長したものだ。
 嫌な奴だと思うとたいてい相手も同じことを思っていたりする。相手が嫌な顔をしていれば、それは自分が嫌な顔をしているせいかもしれない。相手はまさに自分を映す鏡かもしれないと、最近殊勝なことを思うようになった。
 人間関係は双方向性である。携帯電話、メール、インターネット……人が直接ぶつかり合うことを避けられる現代、だからこそよけいに本音をぶつけ合い、理解し合ってより高め合えるコミュニケーション力の必要性を感じる。

Vol.19 読書三昧 2002.6.11(火) 記 

 この週末は3月末以来の、何もない週末だった。で、ありがたいことに、読書三昧。
 雑誌は月刊現代、月刊文藝春秋、『選択』その他、書籍は2冊、『法と正義の経済学』(竹内靖雄著)と『江戸の恋』(田中優子著)。

『法と正義の経済学』は、主に刑事司法の分野において、正義(不正がない状態)を回復するための適正なコストを論じたものだ。正義とコスト? 大方の人にはぴんとこないはずだ。なぜなら我が国では正義は絶対的なものと考えられる傾向が強いからだ。だが、諸外国では違う。

 アジ研にいたとき、グリコ事件の捜査について、研修生が手を挙げた。「その捜査にはいくらかかったのか」。日本人は一様に面食らった。が、言われてみればなるほど、なのだ。大金を使って、結局、事件は未解決。そんな「無駄」が許されるはずはない。

 「アジ研時代'94 国連ウィーン支部にて」諸外国では簡単に犯人を射殺する。先進国なのに死刑を廃止しない日本は野蛮だ、と叫んでいる人たちもこの簡易死刑執行(summary execution)に言及しはしない。統計を探してみたが、見つからない(もしあったら教えてほしい)。それだけ当たり前で、誰も問題意識を持っていないということなのだろう。第一、これほどコストとして合理的なことはないのだ。その場にいたから犯人だ(冤罪のおそれはない)。社会への危険性は永久に除去される。もちろんそのあと調べて裁判にかけて、終身刑にして死ぬまで税金で食べさせるという費用も不要になる。片や、「人権国家」日本では、絶対に犯人は死なせない。たとえ警察官が殉死したとしても、だ。手間暇かけて調べあげ、否認のまま起訴すれば何年もかけて裁判をし、そして刑務所では人道的処遇……ときている。

 だが、さすがに今やかなりの人が憤っているはずだ。オウムの裁判に何億円もかけるなんて(主に国選弁護の費用)、なんたる無駄。外国人を捕まえて、通訳をつけて調べて裁判にかけて、刑務所に入れて(衣食住足りたうえ、月額4000円の作業賞与金まで持って帰れるのだ)、なんたる無駄、と。最近よく論じられる、死刑を廃止しての終身刑導入、重罪を犯した精神障害者を施設で長期間治療……そのコストは、果たして「正義」に見合うのだろうか。

 ちなみに、末尾記載の「参考文献」に拙著『日本の司法文化』が挙がっている(だから新潮社から恵贈されてきたのだ)。拙著は、この春の大学入試(大阪市大)にも使われていた。名誉なことである。

アジ研時代'96「フィジーにて。右隣の女性が検事総長。インド系。私が着ているのは�ホームステイ先から貰ったフィジーのドレス。以後暑い海外で重宝しているもの」 さて、「江戸時代」は、鎖国とか参勤交代などのイメージばかりが先行し、人々の暮らしぶりがあまり知られていないが、意外にも夫婦は対等だったようだ。妻が「無能力者」としてその財産を夫に管理され、夫の姓を名乗るようになったのは、近代、つまり明治時代以降のことである。

 江戸時代、妻は結婚しても旧姓を名乗り(実家の一員のままだから)、嫁入り時の財産はずっと自分のもので、離縁の際にはそのすべてを実家に持ち帰る。対等だから、慰謝料ももらえない。共働きならぬ「銘々働き」も普通だったという。多くの文学作品にも見られるように、恋にずいぶん積極的な女性も多かった。おしとやかな、右を向いていろと言われれば3年でも右を向いている女性が理想とされるのはこれまた明治以降なのだろう。

 

Vol.18 久しぶりの委員会質問 2002.6.5(水) 記   

 とにかく暑い。昨日は最高気温30度。今日もまたそれくらいになりそうだ。

 今年は3月中に桜が満開、以後毎日の気温の変動が激しく、風薫る気持ちのいい時期がほとんどなかったような気がする。まもなく梅雨に入り、明けると今年もまた、とてつもない猛暑が続くのだろう。
 もっとも明瞭な季節があるからこそ、日本人は勤勉であり、また、季節を詠む世界最短の詩「俳句」が生まれたのだ。世界を見渡せば、雨期と乾期、その2つの季節しかない国も多い。雪を見たことがない、海を知らない、山がない、太陽が当たらない……四季のある温帯、山河の美しい、周囲を海に囲まれた国に生まれた、その幸せを思う。
 法務委員会(6.4)
 昨日は久しぶりに法務委員会で質問した。持ち時間は45分。テロ資金供与防止条約締結に伴って整備される国内法(公衆等脅迫目的の犯罪行為のための資金の提供等の処罰に関する法律)について。

 テロ関連の条約は、航空機ハイジャック防止条約や爆弾使用防止条約など全部で12条約あるが、日本政府がまだ締結していないのは最新のこの条約だけである。昨日委員会での採択を経て(衆院は審議・採択済み)、今日の本会議で無事採択されたから(反対!は社民党の5人)、まもなく締結の運びとなる。国際化によって世界が小さくなるのに伴い、犯罪も国際化し、法務省所管法案の幅もますます広がっていくだろう。法律家にも国際的視野が必要となっていく所以である。

 ちなみに今回の質問は我ながらうまくいった。もっとも、終わってずいぶん拍手があったと喜んだら、なんのことはない、5分早く終えたことへの拍手だったらしい。

 あまりの暑さに会館事務所の窓を明けると、鮮やかなツツジが目に飛び込んでくる。

 この日曜日(2日)、自民党女性部九州ブロック会議で佐賀県鳥栖に出張した際、まずは会場真ん中にしつらえられた菖蒲の一群に目を奪われた。帰りに少しお土産にいただき、玄関と食卓の2か所に分けて、飾っている。花を戴くのは何よりも嬉しい。花のある生活は人を心豊かにしてくれる。

 うっとうしい梅雨の時期には実に美しい花が咲く。菖蒲しかり、紫陽花しかり。雨はきっと天からの恵みなのだろうと思う。とくに、紫陽花。雨の中に咲いてこそ美しい花だ。鎌倉の紫陽花寺を今年もまた訪ねてみたいと思う。

 もっともいつまでこの国会は続くのだろうか。会期、残りあと2週間。それなのに行方が分からない。出口がまったく見えてこない。法案の中身での論戦対決ではなく、いくつものスキャンダル、プラス、予期せぬハプニング続きで混乱の極みだ。「船頭なき航海」「漂流先の分からない航海」そんな感じも、たしかにする。

 

Vol.17 日々感じる幸せの中で 2002.5.31(金) 記  
  昨週半ばに軽い風邪を引いた。数日して治ったと思っていたらそのうちまた痰がらみの咳が続くようになり、もしかしてと昨日医者に診てもらったら、やはり気管支炎とのこと。薬を貰って飲んだら微熱が引き、咳もだいぶ少なくなった。やはり健康が第一だと、当たり前のことを実感する。

 最近とみに、家にいることが好きになった。早めに帰宅してテレビをつけ、適当におつまみを作って、缶ビールをぐびっと飲むひととき。全身に心地よい風を感じながら、愛用の長椅子に寝そべり、雑誌や本を読むひととき。何も予定のない休日、ゆっくり寝てごそごそと起きだし、陽を感じながら、ちょっとリッチな朝食を摂るひととき。ああ、なんて幸せなんだろうと思う。

 振り返って若い頃、こんな風に幸せを感じただろうかと考えてみる。答えはたぶん、否だ。あの頃の私は、幸せとはもっと大きな出来事だと思っていた。いずれきっと何かをなさなければならないと身構えていた……。いつの間にか私の上にも長い歳月が流れ、日常の些細な事に幸せを感じる自分がいることに、ふと気づいた。生きていることの愛おしさ。生は無限ではなく、限りあるものなのだ。あとどれだけこうした日常を当たり前のように過ごせるだろうか。

 幸せはどこにでも転がっている。それを幸せと感じられる自分がいるかいないか、その違いだけなのだ。年を取ることは悪いことばかりではない。人生に対する新しい見方をもたらしてくれるのだから。

 パキスタンがミサイル実験を行った。
 唯一の被爆国として平和を希求するとした堀内議連会長に対し、「インドとの対抗上、核を有するに至ったパキスタンの立場を理解してほしい」と言い切ったサッタール外相。インド・パキスタンだけではない、イスラエルとアラブ、その他、世界中に憎悪の連鎖が広がっている。人を救うはずの宗教が人を憎しみ合わせ殺し合わせるやりきれなさ。日本のように自然すべてに神が宿り、皆助け合っていこうとするムラ社会であれば、こうした紛争は起こりはしないだろうに。

 世界中至る所に、毎日の食にさえ事欠く人たちがいる。最低の教育さえ受けられず、将来に何の希望を見いだせず、ただその日を暮らしている人たち。絶対的な貧富の差を背景に、一部指導者たちが軍備を増強させ、戦争を遂行していく過酷な現実がある。日々感じる幸せの中で、虐げられた多くの人たちに思いを馳せずにはいられない。

パキスタン選挙管理委員会委員長(前最高裁長官)を囲んで。右は私が親しくしている同国のフセイン大使(5.29)堀内議連会長

Vol.16 誰も教えてくれない「国会法」 2002.5.28(水) 記   

昨日やっと、国会正常化――。
 今日は委員会の定例日だ。だが、衆院に連動して参院も一部止まった影響を受け、開かれた委員会は外交防衛委員会のみ。というわけで今日は、朝から役員連絡会、総務会、その他党本部での会合、省庁の説明などだけ、比較的楽な一日だった(というわけで、丹念にこれを書いている)。

 順当であれば、我が法務委員会では今日、いわゆるテロ対策関連法案が審議され、私が自民党代表として質問するはずだった。ちなみに、法案の正式名称は「公衆等脅迫目的の犯罪行為のための資金の提供等の処罰に関する法律案」(!)。全体に昨今、長い名前の法律が多すぎるように思われる。

 法務委員会で審議する法案は法務省所管のものだから、極めて専門的なものが多い。それ故野党側はほぼ法律家を揃えてくるが、対する我が党は(ことに参院では)法律家がいないから、私が質問に立つ機会が俄然多くなる(テレビ放映されないのが残念だ)。おそらくは明後日30日、大臣による法案趣旨説明があり(これをなぜだか永田町では「お経読み」という)、次回(6月4日)、審議となるだろう。ちょうど1週間の遅れである。

 審議日程や各派の質問時間配分など、委員会の進め方は各理事会によって決せられる。各派閥が委員の中からそれぞれ選出する理事(小派閥はオブザーバー)の合議体が理事会だ。ちなみにそのインフォーマルな会合は「理事懇談会」(略して「理事懇(りじこん)」)、「与党理事懇談会」は略して「与理懇(よりこん)」と呼ばれる。こうなると部外者には絶対に分かりっこない業界用語の世界である。

 国会議員は国会の基本的なことを知っているか。

 もちろん知っているべきである(ドイツ語でいう「sollen」)。だが、だから知っている(同じく「sein」)、とは言えないところが辛い現実だ。永田町には、どこの職場にもあるはずのオリエンテーションなるものが、ない。憲法さえろくに知らない、読んだこともない議員も、大きな声では言えないが、結構いるかもしれない。もちろん国会法なんて見たこともないだろう。具体的な政策であれば格別、基本的なことになるほど誰も教えてはくれない。

 例えば、よく提示される「アメリカでは議員立法が多いのに日本では少なくて情けない」なる命題。先般、党本部の某会合で、そう発言した議員がいたので、それは違うと訂正しておいた。アメリカは大統領制の国である。完全な三権分立だから、立法は「議員立法しかありえない」のだ。対する議院内閣制の国では、立法府である国会の多数派が行政府である内閣を作出しているから、閣法による立法がむしろ自然である。

 ただ、同じ議院内閣制とはいえ、日本はヨーロッパ大陸型に近く、その源であるイギリスのそれとは大きく違う。その最たるものが、最近とみに話題になっている「党と内閣の関係」だ。
 イギリスでは与党の実力者がそっくりそのまま入閣する。つまり、内閣=与党なのだ(自民党の三役が入閣すると考えればいい)。大臣は全員、与党議員である。つまり与党と内閣、権力の二元化が生じないのである。

 私も属する「国家戦略本部」(本部長:小泉首相)が「政と官のあり方」の提言として、「党の事前審査制の廃止」を挙げている。大いに結構なことだが、これをやるにはイギリス流にもっと多くの与党の人材が内閣に入ることが前提になる。
 こうした「目から鱗」の数々を、実は私は永田町ではなく、「国会学入門」(大山礼子著 三省堂)から学んだ。法律に関する本は山ほどあるが、こうした本は極めて少ない。興味のある人には是非一読を勧めたい。

 昨日の中曽根元総理の演説。上記の提言も含め、とうとうと30分間だ。例年と同じく、マスコミ各社がカメラの放列を敷いている。84歳の元総理の言に今もなおこれほど重きが置かれる事態をどう捉えるか、それは人様々だろう。ただ言えることは(情けないことだが)未だに彼を超える政治家が出てこないという現実である。

 私がいつも感心するのは、その言葉をそのまま書き取っても何ら訂正の要のない見事な文章になっていることだ。私なぞ、書くのはともかく、講演となると、後でテープ起こしをしたものに目を通して、冷や汗が流れなかったことはついぞない。ひどいときには、自分で読んでも意味が分からないことさえあるのだ(それで聞いていた人が分かったはずはない)。

 だから、委員会で質問した議事録を読み返すのも嫌で仕方がない。最近、読んでいて気がついたのは「ちょっと」の連発。日常的にはよく「なんだか」も多発している。気にし出すと、よけいにしゃべり辛い(そのわりにはよくしゃべっているが)。どだい頭が違うのだからと諦めるのは簡単だが、それでは進歩がないから、やはり少しでも見ならって、まともな文章でしゃべれるようにしたいものである。

 

Vol.15 「審議未了」案件の運命  2002.5.27(月) 記  

 先週来、衆院有事法制特別委員会の公聴会日程に絡んで野党が反発、国会審議の目処が立たない旨の報道がある。もっとも参院は、金曜(24日)、今日と、いずれも本会議が開かれ(今日は故議員の哀悼演説のみ)、午後予算委員会で集中審議が行われている。

 重要法案山積の今国会。召集1月21日、会期150日間だから、閉会は6月19日。あと1ヶ月もないのに法案が上がるはずはない……会期延長やむなしとの声があちこちで聞こえる一方、「延長不要。内閣改造をやれ」との声もまた強い。

 きっと疑問に思われている方も多いのではないだろうか。何も急いで今国会中に通さなくても次期国会で継続して審議すればいいのではないか、と。
 ところがどっこい、そうはいかないのだ。理由は、国会が会期毎に独立しているからだ。つまり、会期中に審議未了になった案件は、「継続審議」と決定されない限り、廃案になる運命にある。だからこそ、時間を稼いで廃案に持ち込むことが野党の正当な闘争手段となりうるのだ。  

 なんだ、それは。時間とエネルギーの膨大な無駄ではないか。まことに正論である。

 これに対しては、「通年国会」と「逐条審議」を持ち込めばいいとの意見がある。
 まずは「逐条審議」。
 法案を条文毎に逐一審議していく方法だ。法律を少しでもかじった人なら「コンメンタール(逐条解説)」をご存じのはず。それと同じだ。一つ一つ審議するからその分時間はかかるが、終わりは見えている。えっ、もちろん今もそうやっているのでしょうと言われるかもしれない。何しろ国会は法律を作る所なのだから、真面目に審理してもらわなければ困るのだ。

 ところが、実際は違う。裁判官出身など一部マニアックな人がそれに近いやり方で質問することもあるが、それは例外中の例外。普通は、興味のある部分、めぼしい部分だけを取り上げて質問をする。私もそうだが、その際条文には当たる(当たり前だ)。しかるに、条文など一切見ずに質問をする議員もいるし、さらにひどいのになると直接関係のない質問をする人さえいる。どんな質問でもできるとなると、終わりがあろうはずはない。過日、「歳費を貰っていて下らない質問が多すぎる」と怒っている人がいたが、まことにその通り。法律家の私としては、「逐条審議」には大いに賛成だ。

 次に「通年国会」。
 会期がない=廃案に追い込めない=無駄な時間稼ぎはできない。う〜ん、理論的には賛成なのだが。実際、すでに通年国会に近い状態でもある。法案が多いからだ。通常国会終了後、臨時国会が大体2回開かれ、それぞれ会期も長い。だが実際に議員をやっていると、会期があるのはいいなあと思う。期限を決めて緊張を持続させ、次の会期までに気分を転換できるからだ。今回ささやかれている延長期間は50日。となると、お盆前まで、だ。99年通常国会時がそうで、終了間際に通信傍受法等組織暴力犯罪3法を徹夜国会で上げた。最近体力が落ちてきたこともあり、暑い盛りにずっと審議が続くのはしんどいかなあ――が本音だ。もちろん決まったら決まったで全力投球するしかないのだが。  

 内閣改造については、人身一新のためにも是非断行してほしいと思う。

 今夜は森山真弓法務大臣の写真展に出た後、中曽根元総理の誕生日祝い会に出席予定。
 中曽根元総理には出馬を決めてまもなくお会いした。「検事は人間を深く扱うが狭いでしょう。政治家は浅いが、間口が広いよ」そう言われた。俳句など趣味も豊富だ。そうした人生の先達に接するにつけ、心身ともに健康で、豊かに年を重ねていきたいとつくづく思う。
森山眞弓写真展にてご本人交え他の女性議員と 中曽根元総理と

Vol.14 「内職」派  2002.5/23(木) 記   

 今日は木曜日、委員会の定例日だ。

 私の属する法務委員会では、朝10時から夕方4時まで(途中休憩1時間。いわゆる「5時間コース」)、集中審議が行われた。当面最も話題のテーマといえば、もちろん「瀋陽・日本総領事館事件」、これに法務委員会だから「大阪高検前公安部長事件」が加わった。ちなみに昨日、衆院予算委員会で外務省問題についての集中審議が行われ、その模様は一部始終テレビで放映された。

 両院に委員会があり、それぞれが各省庁と連動している。例えば、法務委員会は、法務省所管法案を審議する(議員立法は別)。答弁者は普通、法務大臣以下だが、随時他の省庁を呼んで質問してもいい。今回外務大臣が要求されたが叶わず、代わりに副大臣が来た(外務省には副大臣が2人いる。いずれも衆院議員)。

 委員会開催にあたって大臣確保は難題である。開会中は両院が動き、それぞれに本会議・委員会が開かれる。ひどいときには昼食時間もなく、移動中に稲荷寿司を摘んだなどという話もよく聞く。とにかく、体力勝負。ただでさえ重要大臣で忙しい外務大臣なのに、昨今は絶え間のない不祥事続きとあってその多忙さは想像を絶する。

 副大臣の答弁は要領を得ず、外務省の局長や官房長等、官僚の答弁もおしなべてひどかった。なにしろ「ちゃんと答えろ」「隠すな」等々、与党議員からでさえ野次が飛ぶ始末なのだ(私もレディでさえなければバンバン飛ばしたかったくらいだ)。衆院と比べて品がいいと言われる参院(!)なのに。それほどにひどかった。

今に至るも真相の把握など、まるでなし。何たる危機感の欠如。隠蔽体質、見え見えだ。

 答弁を聞いているうちに徐々に分かってきた。すなわち、阿南中国大使発言はその通りだったのだと。亡命者は受け付けない、事なかれ主義、見て見ぬ振り、その基本姿勢がたまたま今回明るみに出たにすぎないのだ。あるいは以前にも似たようなことがあったのやもしれぬ。今回ビデオが撮られ、それが報道されようとは、よもや想像だにしなかったのだろう。実際、ショッキングな映像が流れたからこそ、日本国民は真相を知り、外務省の非人道さに憤激したのである。
 
 今回私は質疑担当者ではなく、準備も不要、当日も気が楽だったが、6時間座り続けるのはやはり相当に辛い。

 本会議も委員会も、長い間座っていることが実に多い。この間、何をしているか? 大きく分けて、居眠り派、野次派、「内職」派……。最初はとまどった。何しろ法廷立会いをしていたときは片時も気が抜けなかったし、「静粛な」法廷に野次ほど似つかわしくないものはない。「なぜ野次なんか飛ばすんですか」と真顔で尋ねた私に、先輩議員が真顔で答えたものだ。「だって、野次でも飛ばしてないと、退屈で寝てしまうじゃない」(!)。それが真相なのだ。国会の公的な場は、裏ですでに決まったことを手続きにのっとって行う儀式場なのだ。真剣勝負はその以前(とくに与党にとっては)党の部会などで済んでしまっている。

 私はもっぱら「内職」派である。電話もかからず訪ねてくる人もいない。仕事がずいぶん捗って助かる。これが大臣・副大臣・政務官になると大変だなあと思う。居眠りも野次も、内職もできない。それでも答弁が回ってくればいいが、でなければどんなに退屈だろうか。予算委員会の理事をしていた昨年春から夏にかけてのことだが、行儀の良い大臣たちに混じって、まるでかつて扱った非行少年のように、始終いごいごし、周りにしゃべりかけていた大臣が1人いたのを思い出す。

 

Vol.13 神戸大学時代の仲間達  2002.5/22(水) 記  

 昨夜は楽しかった。公的な夜の会合が多い中、純粋に私的なものだ。神戸大学ESS(英語クラブ)の仲間らとの食事会。

 昨夜は私を入れて5人。出張者の都合に合わせ、集まれる者が集まる。常に私が幹事役なのは、グルメで、ランクを問わず店をよく知っているからだ。昨夜は銀座の地下にある、北京ダック・餃子の美味しい店にした。たくさん食べて飲んで、1人ちょうど7000円也。大きな店内はほぼ満席状態。若い人が多いが、別に構いはしない。我々も大学生に戻っているのだから。

 学生仲間は利害関係も気兼ねもなし。いつまでも「おい、お前」だ。幸い総合大学だったから、出身学部も勤務する分野も違う。私にとっては様々な業種の実態を教えてもらえるいい勉強の場でもある。

 地方の大学出身者。得か損か、ものは考えようだろう。司法関係者に関していえば、圧倒的に東京の大学の出身者が多いが、その中にあって地方大学出身であることをハンディに感じたことはない。むしろ堂々と、誇りを思って、私は「神戸大学出身です」と言う。

 東京にいれば東京の大学に進んだと思う。神戸にいたから神戸に行った。親が通学を条件にしたし、私も学歴主義には抵抗があった。結果として、在学中にピアノを本格的に学べたし、北海道大学と並ぶ最も綺麗な大学で学園生活を送ることができた。六甲台、そんな素敵な場所に我がキャンパスはあったのだ。だからだろうか、今も海が大好きだ。海を見ると、心がときめく。

 少人数故(同期161名。東京大学は600名規模。早稲田や中央になるともっとずっとマンモス規模だ)、ゼミの教授ばかりか他の教授たちとも親しくお付き合いができた。それが四半世紀を経た今でも続いていることを、私は本当にありがたいと思っている。

 私は同大学初の女性検事だ。やがて検事兼作家となり、そのことが国会議員にスカウトされる道を開いた。その少し変わった経歴故だろう、今月11日、神戸ポートピアホテルで開かれた「神戸大学創立百周年記念シンポジウム」のパネリストを仰せつかった。他の3人のパネリストは全員男性、大学教授や実業界の重鎮などだ(この模様は、今月31日付け読売新聞大阪版に掲載予定)。

 シンポジウムのテーマは「知のマネジメント」。

 少子化もあり、これからの変革の時代、大学はどうあるべきか。各大学それぞれに生き残りをかけた競争をしなければならない。教養部と専門部の関係、大学と大学院の関係、産学連携、等々。テーマは多岐にわたる。

 実は私自身にはあまり馴染みのないテーマなので、連休前からいろいろな方にお願いしたりして資料を集め、すべてに目を通したが、これまでの体験で勝負するしかないと腹をくくった。結果、教育は教養を重視すべきだとする発表となった。政治家も司法に携わる人もその背骨となるのは教養なのだ。どれほど専門知識があっても教養の裏付けがなければそれはハウツー物で終わる。歴史、古典、哲学――。そうした一見何の役にも立ちそうもない知識こそが、まさに人間の地下水として、豊かな人格や識見の柱となるのだと。

 ドイツの教授による基調講演では、「聖書、十字軍遠征、アリストテレス、ソクラテス」といった言葉がごく当たり前に登場した。これこそが教養なのだ……。西洋の文学を本当に理解するためには聖書の知識が不可欠だと言われる。これまで多くの作家の作品を読んだが、本当には理解できていないのではとの危惧感が離れない。聖書は彼らの、まさに背骨である。そして、知識人には古典・歴史がしみこんでいる。

 対して、私たちの一体誰が、古事記や日本書紀をはじめとする古典を知っているだろうか。専門分野であれば今からでもやれると思う。だが――なぜもっと教養をつけておかなかったのだろうか。なぜそんな場を与えられなかったのだろうか。この劣等感から私はずっと脱しきれないでいる。

 今度生まれ変わったら何になりたいか。

 昨夜の1人は「大学教授か作家」。1人は「難病の治療方法を研究したい」と。何もないという人も。ただサラリーマンである皆に共通するのは、会社の業績がどうのこうのと一喜一憂する人生への懐疑である。幸い私の職場にはそれがなかった。生まれ変わったとしたら……いや、また人間に生まれる保証はなし、人間になれたとして今の日本ほど自由な国に生まれる保証もなし。だから、「今、何をしたいか」。

 もし自由に時間が与えられれば、私は勉強をしたいと思う。日本、そして世界の古典を勉強したいと思う。その背骨として、聖書や仏典を、勉強したい。それが私の一番やりたいことだ。もっともそんな時間は当分ないと分かっているだけに、よけいにそう思うのかもしれないけれど。

 

Vol.12 2つのポスト 2002.5/21(火) 記  

 自民党女性局長に就任してから、丸一年が経過する。

青木参院自民党幹事長から突然電話があったのは、昨年5月8日のこと。「ええっ、私がですか!?」。自民党の局長は偉いのだ。なにしろ局長以外はすべて次長、委員長以外はすべて副委員長……局長や委員長でなければ何の実権もないのである。

 一年生議員(当選回数一回)の「大抜擢」と言う人がいるが、実際は「他に人がいなかったから」。伝統的に女性参院議員職であるところ、2ヶ月先に迫った通常選挙が改選期に当たっていなかったのは、その前月に発足した小泉内閣の下、厚生労働副大臣に任命された南野参院議員(女性局長)と私だけ。政府の役職になると党の役職は辞任するしきたりだから、ふっと女性局長のポストが空いた……。
 
 本当のことを言うと、私はそれまでずっと、どちらかというと女性が苦手だった。個人的に親しい女友達は多いのだが、休み時間につれなってトイレに行ったり、陰で人の噂話をしたり……そういうのがちょっとね、だったのだ。そんなところにもって、大学(法学部)は同期161人中女子14人、司法研修所は同期486人中女子48人。検事になると同期53人中女子はわずかに2人、検察事務官も、仕事で関わる警察等関係省庁もほとんどが男性だから、そのほうがすっかり馴染んだ光景となっていた。

静岡県連女性部大会 この1年、自民党各県連女性部などの行事に絡んで、全国各地に出張するし、党本部などでもしょっちゅう挨拶や講演をする。となると、人間何でも慣れるもので、今や聴衆が全員女性のほうがずっと話しやすくなった。教育問題、そして私の専門の一つである少年非行問題。これに最近は、やはり専門の一つである治安の悪化問題、今いちばん関心を持っている日本人のアイデンティティの問題などに適宜触れる。幸いこれまでのところおしなべて好評である。

 書くことはもちろん、話すことも好きなのだと再認識している。内容はもちろんだが、それ以上に、熱意をもって伝えようとする態度こそが問われると思う。私と会って、私の話を聞いて、元気づけられた、感動した、そう言われると本当に嬉しい。一人の力など大したことはないだろうが、一人でも多くの人に私の思うことを伝えていきたいものだ。
 
 南野議員の女性局長辞任で回ってきた役職が実はもう一つある。裁判官訴追委員会の委員だ。衆参の合同委員会で、ここで訴追を決定して(刑事事件の検察役)はじめて、弾劾裁判所にかかるのだ。
 ほとんど開かれない委員会だったはずなのに、私の就任後、たまたま現職刑事担当裁判官による「児童買春事件」が審理され(満場一致で訴追し、後に弾劾される)、以後神戸地裁所長の痴漢事件など結構審理を重ねている。まことに残念なことと言わなければならない。

 昨今日本の至る所でモラルが崩壊している。そして、「裁判官よ、お前もか」。検事も大阪高検公安部長が逮捕されるという体たらくだ。モデルになる大人たちがいなくて子どもがまともに育つはずもない。教育改革を語るときにはまず、大人たちがその生きる姿勢を正さなければならないと思う。

Vol.11 国会再開 2002.5/17(金) 記

 前代未聞なまでのスキャンダル国会になった。 それと呼応するように、天候もおかしい。ここのところずっと最高気温17度程度、雨もよく降り、一足早く梅雨が来たようだ。風薫る5月は、一体どこにいってしまったのだろう。

 今日やっと、国会再開。

 9日から昨日まで、じゃあ、一体何をしていたの? 休みだったの、と思う向きもあるかもしれない。

だいぶ片づいた机の前で(5.16) 本当にそうだったらいいのだけれど。一日ゆっくり、何も考えずに、ただ寝ていたい……なんて、思うときもたしかにある。もっとも根が貧乏性だからか(?)高熱でも出ないかぎりそんなことはありえないのだけど。
 たしかにこの間、本会議(参院では月・水・金)と委員会(同じく火・木)は開かれなかった(15日の本会議は別)。ただ、水面下の動きはあるし、党本部では様々な部会が開かれ、その他出なければいけない行事や関わっている仕事があって、少しだけ暇になっただけだ。

 4月以降目前の仕事に追われ、書類の整理など日々の仕事がついつい後回しになっていた。日に日に高さを増していく、机の上の「山」。毎日届く本や雑誌、手紙、陳情書、法案関係の書類、等々。それらに目を通し、ゴミ箱、ファイリング、一時的にとり分ける、を判断する。毎日きっちりやっていさえすれば「未決」はないのだが。

 ようやく昨日、手を付けた。何でもそうだが、やるまでが大変なだけだ。何であれ、「案ずるより産むが易し」。約2時間、山がほぼ平地になった。じわっと達成感が広がっていく。なにしろ、来訪者のほとんどが「綺麗ですね」と驚いてくれる事務所なのだ。もっともあくまで他の議員の事務所が散らかっているからだが。部屋が狭いから、ためこんでいるとすぐに書類だらけになる。だが、「どこに何があるか分からない書類はないのと同じ」。それに、復元できない資料などまずは皆無。だから、迷えば捨てる。ためこまない。会期終了後は大整理をする……。

 お陰で、まもなく4年になる我が事務所、これまでなんとか書類の山に囲まれないですんでいる。散らかった所では仕事も捗らない。
 
 通常国会の会期は150日間。6月20日まで、残りあと1ヶ月余だ。

事務所にはクリムト作「接吻」を掛けています。クリムトは大好きです(5.17) だが、まだ重要法案が山積している。出回りだした会期延長説を「当局」は否定するが、その可能性は高いと思う。例えば、私が所属する法務委員会。今期かかった法案は9つ。すでに4つ処理したが、あと大きなところで、触法精神障害者処遇法案と人権擁護法案が残っている。

 前者は党のプロジェクトチームに入って法案作成段階から関わったし、後者は説明を受けてそれなりに理解している。ただ最近、マスコミでこれと一緒くたに「マスコミ規制法」だと糾弾されている個人情報保護法案の方は、別の委員会・部会にかかっているからまだよく分からない。資料は集めたから早いところ勉強し、自分の意見を述べられるようにしたい。とにかく勉強することが、多い。

 金曜午後は静かになる。多くの議員が地元に帰るからだ。

 今夜は一つ会合に顔を出した後、音楽会に行く。久しぶりだ。映画にも長い間行っていない。気になる映画はいくつもあるのだが。心の洗濯も大事だから、近いうちに是非行こうと思う。

 明日土曜は岐阜、月曜は静岡で講演。話を聞いてくれる人がいるのはとても嬉しいことだ。

 

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