アメリカの占領政策は功を奏し、日本には民主主義が導入され、親米国家が作られました。これを成功例として、アメリカはイラクを復興させようとしているそうですが、そうはうまくいくはずがないと皆が思っています。
日本にとっては初めての敗戦でした。おまけに現人神と信じてきた天皇が人間となったのですから、価値観が一挙に崩壊した喪失感は筆舌に尽くしがたかったと推察されます。ですが、日本人は本来、勤勉で努力家です。教育水準も高く順応性が強く、また明治以来アメリカなどの進んだ西洋文明には強い憧れを抱いてもいたのです。加えて、ほぼ単一民族であり宗教の障害がないこと、国民性として「お上」に従順であり、ムラ社会でまとまりがいいこと、天皇という求心力の存在もあったことなどから、国民自身が脇目も振らず、とにかく食べていくためにがむしゃらに努力したのです。
これ自体は素晴らしいことですが、それと並行して我々は、先祖が綿々と培ってきた大和魂や武士道精神といった精神的支柱を失ってきたように思います。経済が順調なときはそれでも良かったのでしょうが、これだけ長らく停滞し、先行きが見えなくなった今、支柱を失って途方に暮れるようになっています。
初めはアメリカの占領政策ありき。ですが順応しすぎて自らを失ったのは日本自身の責任です。
1.国防を他国任せにしてきた失敗
サンフランシスコで平和条約を締結し主権を回復すると同時に、吉田茂首相は日米安保条約を調印しました。これは国防をアメリカに委ね、日本は経済発展に邁進するとの選択肢であり、当時それで独立国と言えるのかとの大反対があったのを首相が押し切ったそうです(月刊自由民主
平成13.10 特集「サンフランシスコ講和50年」麻生太郎)。
当時の情勢下では正しい選択だったと思いますが、以後の政治が憲法改正を放置し、あまつさえ集団的自衛権は「憲法上認められているが行使できない」旨の内閣法制局長答弁を踏襲してきた責任は非常に大きいと考えます。
国防義務は、世界の常識では、国民であることに伴う当然の義務です。
韓国など徴兵制のある国は未だに100か国近くに上り、永世中立国であるスイスもまた国民皆兵です。昨年フランスに出張した際、徴兵制を廃止したとの報告を受けましたが、その理由は超近代戦になってしまったために素人が2年ほど兵役に行っても足手まといになるだけ、で26万の職業軍人に任せることにしたとのことでした。
ちなみに、在住外国人の地方選挙参政権問題を検討した際初めて知り、自己の無知に改めて愕然としたのですが、参政権は国防義務と表裏一体をなすのですね。
すっかり平和ボケした結果として、日本人は自国が侵略されるとも思っていないし、もし万一侵略されてもアメリカなど他国が何とかしてくれると思っているのでしょう。あたかも家にいて漠然と安心感があるように。ですが平和、平和と唱えていれば賊の侵入を防げるはずがないのと同様、守りがなくて侵略が防げるはずはないのです。
そもそも独力で自国を守れない国は国際的に独立国とはみなされません。ちょうど自分の身を自分で守れない人間が独立した人間とはみなされないのと同じように。自らの国は自らの手で守る。有事法制を作ることは最低限やるべきことなのです。
2.自主憲法を制定しなかった失敗
敗戦後冷戦構造となり、朝鮮動乱の勃発もあって、日本に再軍備させるべく憲法改正を働きかけたアメリカに対し、吉田茂首相は経済発展を優先させるため国防をアメリカに委ねる選択をしました。
ただ、自主憲法の制定はこれとは別個の問題だったと思います。
形式的には日本国憲法は自国の主権のない間に制定されるという自己矛盾を孕んだものでした。実質的にも第1章「天皇」さえなければ、日本国の憲法だとも分からない、どの新興国にもっていっても通じる国籍不明の憲法です。制定後60年近く経っているのに一度の改正もなく有数の古い憲法になってしまいました。国内外共に社会情勢も大きく変化している実態にも合わなくなっています(『日本国憲法』西修著(文春新書)、月刊自由民主平成15.5
特集「憲法問題を考える」など)。
占領時に作られた憲法を主権を回復した後もずっと持っていること自体、国家主権の意識を欠如し、国家としての誇りを失っていることの現れだと考えます。やっと2000年、衆参両院に憲法調査会が設けられ、5年かけての見直しが予定されています。参院ではまだですが、衆院では先般中間報告がなされました。
3.国益に基づいた外交をしてこなかった失敗
実はこれは国防力と密接不可分の関係にあります。自ら国を守れない=独立国ではない=外交はない。つまり、そもそも国防のない国に外交は存在しないからなのです。
日本は憲法の禁止によって武力による貢献ができない分、ODA(政府開発援助)を外交の切札としてきました。その不透明さや有効性など批判も多々あり、見直しが大いに必要ですが、日本は国連初めすべてに対し国益を欠いた銭ばらまき外交に徹してきた感があり、これでは諸外国の尊敬など受けられようはずがありません。
その悪しき典型例が近隣諸国との間の外交です。いつまでも要求されるがままに侵略戦争の謝罪を繰り返し、金を払い続け、あまつさえ歴史教科書や靖国神社参拝で明らかな内政干渉をされても文句さえ言えない。
北朝鮮の拉致にしても、何かと負い目のある相手だからこそよけいに何も言わず放っておいたともいえます。国民の生命・安全・財産を保護することは国としての当然の責務であるというのに。独立した国家として当然の毅然とした態度がとれない国にあって、子どもに誇りを持てというほうが無理な話だと思います(戦後処理問題)。
2001年5月、国際的な屈辱となった瀋陽総領事館事件はこの延長上に起こったと考えています。北朝鮮からの亡命者2人(ただし彼らは経済難民であり、難民認定条約で保護すべき政治的亡命者ではない)が瀋陽(日露戦争時代の「奉天」)の日本総領事館に駆け込んだのを、中国の武装警察官が総領事館の不可侵権を保障したウィーン条約に違反して敷地内に進入、有無を言わさず連行したのに対し、日本政府はなんらの抗議すら出来なかったのです。
4.国家観を欠いた教育の失敗
多くの国では、学校教育のごく初期の段階で国歌・国旗の尊重を教えられます。自分たちが国歌・国旗を大事にするからこそ、他国の人たちがまたその国歌・国旗を大事にする気持ちが理解でき、尊重できるのです。
オリンピックの表彰台で国旗掲揚の際脱帽しなかった日本の若い選手の常識のなさが話題になったことがありますが、そもそもそういう教育を受けていないことに問題があるのです。「君が代」なんて古いと言うなかれ。「ラ・マルセイエーズ」(仏)にしろ「星条旗よ永遠なれ」(米)にしろ、多くの国では血を想起させる戦いの歌であり、こんな平和な歌は珍しいのです。
また直接的に国家観を教えるのは歴史ですが、薄っぺらな分量、本来複合的な見方が成り立つものを現代の一つの価値観からのみしか見ないこと、そもそも国の歴史は長いのに近代史に偏って教えること、それが侵略であり日本は悪いことをしたとの一方的な見方であること等々、自国民に誇りを持たせない歴史教育を施している国など世界中に存在しない言わねばなりません(歴史教科書問題)。
5.個人の権利・自由を蔓延させる風潮を助長させた失敗
マスコミの影響も大きいのでしょうが、日本では個人の自由・権利がおよそ行き過ぎていると思います。例えば、一部の反対で土地収用がなかなか進まないことは他国の人によく驚かれることです。
破壊活動防止法を適用してオウム真理教を解散させる処分も認められませんでした。結社の自由は憲法上保障された権利ですが、いかなる権利も「公共の福祉に反しないかぎり」認められるものです(憲法13条)。それなのに公安審査会は、サリン事件などを起こしたこのテロ集団に対し、破防法を字句通り厳格に解釈して「将来さらに暴力主義的破壊活動を行う明らかなおそれがあると認められる十分な理由」が証明されるには至っていないとしたのです。たしかに「将来」云々を的確に予見することは神ならぬ身、不可能に近いかもしれません。しかしそれではもともとこの法律は存在しないにも等しいのです。
憂うべきことは日本がテロ容認国家だと国際的に認知されてしまったことです。
2000年夏、国会では組織暴力犯罪取締りに関連して通信傍受法を通過させました。これが盗聴法と喧伝されて一部マスコミの大反対に遭ったのは記憶に新しいところですが、対象犯罪は殺人などごく一部の犯罪に限られ、しかも疎明資料を添付して裁判所の令状をとらねばならないのです。主立った諸外国では、社会的に危険と思料される場合には広く(裁判所の令状など必要のない)行政傍受、しかも通信傍受だけではなく住居内傍受まで認めていました。
つまり普通の国は、社会一般にとって危険性の高い団体・人の権利・自由よりも、それによって被害を受けるかもしれない一般人の権利・自由のほうにはるかに重きを置くのです。例えば、幼児強姦などの常習者の住居を知らせる法律はアメリカその他にありますが、日本では人権問題だとして一顧だにされないでしょう。一般に犯罪者と被害者の関係は最近見直しが進んできたとはいえ、まだまだだと思います。
最近では成長途上の子どもたちが権利や自由を主張し、監督者である親がそれを止められないという嘆かわしい風潮が横行するようになりました。じっと授業を聞かない自由や喋りたいときに喋る権利、果ては「援助交際」。子どもの売春例は発展途上国では枚挙に暇がありませんが、豊かな国では日本だけでしょう。子どもがブランド品を身につけるのも異常なら、その金ほしさに身を売るのも異常です。こうしたモラルの低下は社会全般で見られ、まさに憂うべきものがあります。
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