A: 被害者なき犯罪(例えば贈収賄)などでは、少なくとも一方当事者の自白がなければ立件自体が出来ません。でなくて十分に疑わしい証拠があって逮捕はしたけれども、日本では起訴のハードルが有罪判決とほぼ同等のため、あと一歩の自白が取れなければ起訴に踏み切らないという事例もあります。
ただ、客観的証拠だけでも立件・起訴ができる場合でも、日本の捜査官は自白を取るべく精一杯の努力をします。その理由は2つ。
1つは、当事者でなければ知りえないことがたくさんあるからです。
殺人のような犯罪であればもちろん、覚せい剤使用や万引きのようなよくある犯罪にしても、犯行に至った動機、犯行態様、常習性など、真実は当事者にしか分かりません。英米法に代表されるキリスト教国が自白に淡泊なのは、しょせん「真実は神のみぞ知る」だからです。
唯一絶対神がいない日本では、真実を明らかにする責務が人間、つまり刑事司法担当者に課せられているのです。真実を知りたいと傍聴に並ぶ人は大勢います。「真実は明らかにならない。心の闇は解明されていない」類のマスコミ論調は、和歌山カレー事件、オウム事件、神戸児童連続殺傷事件、等々、枚挙に暇がありません。
他の1つは、自白をすることが本人の更生に必要不可欠だからです。
我々は、ヨーロッパのような狩猟民族ではなく、農耕民族です。ムラ社会では、人は耕作地と運命を共にします。気に入らないからとよそに出ていくわけにはいかないし、天候に左右される農作業は総出で助け合わなければなりません。
日本では無給の公務員である保護司が全国に5万人います。地方の名士が公私共に犯罪者の更生を助けるこのシステムは日本独自のものであり、世界の刑事司法関係者たちから「理想の更生制度だ」と驚嘆されています。単にムラ社会であるだけではなく、穏やかな自然や人情が相まってこうした制度となったのでしょう。
反対に、犯罪者は異端であり社会にとって危険な存在だから隔離・放逐を、という考え方であれば、犯罪者の更生や教育などは不要です。
再度同じムラで仲間として受け容れるからこそ真人間になって戻ってきてもらわなければ困るのです。そのためにはまずは犯した悪事を洗いざらい打ち明け、迷惑をかけた被害者その他の人々に心から謝罪し、真摯に反省すること。共犯者や被害者、あるいは家族や社会のせいにしているようでは、いつまた罪を犯さないとも限らないのです。
つまり自白は、捜査官にとって必要であるとともに罪を犯した当人にとっても必要なことなのです。
|