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Vol.30 「教育」「治安」そして「外交」 2002.8.27(火) 記 

 ずいぶん涼しくなった。暑さが和らいだことにほっとする反面、もう夏が終わって秋が来るのだと思うと一抹の寂しさも漂ってくる。今年もまもなく3分の2が終わり、あの9.11がやってくる。年々月日の経つのが速くなるが、今年は異常なほどに速かった。なぜだろう、理由はよく分からない。

埼玉県連女性部研修(8.23) 8月22日(木)新潟県連女性部(一部青年部も)研修、23日(金)埼玉県連女性部研修での講演。続く25日(日)、新潟県新井市政経パーティで講演(新幹線長野駅で乗換え、ローカル線1時間余)。テーマはいずれも「日本の外交について」。やや専門的でもあり、聞いてもらえるか心配だったが、まったくの杞憂だった。一連の外務省不祥事の果てに国辱ものの瀋陽総領事館事件が起こり、誰もが非常な関心を抱いている、なのに報道だけでは真実が分からない……というわけで、本当に熱心に聞いてもらえてありがたい。

 これまでは「教育」、あるいは「治安」について喋っていた。どちらも国民の関心が極めて高い事項であり、熱心に聞いてもらえた。ただ自分自身が少し飽きてきたのだ。人数や年齢層、熱気や雰囲気などでその度毎に切り口は変えるが、そろそろ新しいテーマが欲しくなっていた。

「外交」にしたきっかけは、決算委員会(8月8日)で、専門分野の治安問題に加えて瀋陽総領事館問題を質問したことだ。質問準備にはかなりの手間暇がかかる。仮にも議事録に残る以上間違ったことは言えないし(いい加減なことを平気で発言する議員も多いが)、相手の答え方次第ではもっと突っ込んで聞きたい。そのためには自らが完全に理解しておかねばならない。いい勉強になるから、質問は積極的にするようにしている。反対に逃げてばかりいる議員もいて、どうやら二極化している感がある。質問をしてもしなくても(問題が分かっていても分かっていなくても)歳費は変わらず、選挙民には知られないことなのだろうけれど。
 
 24日(土)は35期司法修習20周年記念祝賀会で京都まで出かけた。司法修習修了後各10年毎の節目に教官を招待し皆で集まるのが慣わしなのだ。現470人余中300名近くの出席があっただろうか。
 ちなみに我が期で現在国会議員は、山本有二衆院議員(自民党)、魚住裕一郎参院議員(公明党)と私、計3人。過去を遡れば、宇都宮真由美・鈴木喜久子両氏(いずれもマドンナ旋風の社会党)もいた。

 10周年(名古屋勤務時)にはなぜだか欠席したので20年振りの再会が多かった。それなりに歳月は感じさせるが、喋り方や表情や仕草など、大人になってからの付き合いだけにみな変わらないものだなと思う。全体の祝賀会の後クラス別の懇親会に出て旧交を温める。翌日新潟出張のため残念ながら二次会には出られず、でも充実した週末だった。

 

Vol.29 「だって」あの人は、「どうせ」私は……は禁句 2002.8.20(火) 記   

 1週間のお盆休みを経て、昨日から会館に出勤している。もっとも同僚議員の多くは選挙区に帰り、静かで閑散とした雰囲気が漂っている。

総理と党各委員長・局長との昼食会(於:官邸 7.30) この11日、母校明石高校の学年同窓会(25回生では初めて)に出席した。卒業生約450人中出席者140人強。ほとんどが30年ぶりの再会だ。一目で誰だか分かる人もいれば、さっぱり思い出せない人もいる。こんな場所に出てくる以上、それぞれに幸せな人生を送っている証左であり、本当に喜ばしいことだと思う(中には消息不明者までいるのだ)。

 ただ外見年齢は最大で20歳位すでに開いているように見えた。先生よりずっと老けて見える人すらいるのである。人はその生きてきたように年を取る、と改めて思う。「顔は履歴書」、そして体型もまた「履歴書」だ。美人女優の50歳ヌード写真集が話題を呼んでいるが、天性の美貌とスタイルの良さに恵まれたとはいえ、それを維持しかつ磨き上げるためには並々ならぬ努力が必要だっただろう。その努力をこそ見倣いたいと思う。「だって」あの人は、「どうせ」私は……は禁句。「人は夢を失ったとき老いる」(ウェルマン)、そして「人は向上心を失ったとき老いる」のである。

 それにしても高校時代の記憶のなんと薄いこと。何組だったか、担任は誰だったか、クラスメートに誰がいたか、言われて思い出す始末なのだ。記憶力そのものは決して悪くないのだから、これはやはり「場」への帰属意識が薄かったせいだと思う。病気でもないのに病気だと偽って(母はその良き協力者だった)、家でよく本を読んでいたことを思い出す。通学の不便さも手伝って、遅刻はしょっちゅうだった。大学以降、幸い時間厳守で知られる私にもそんな時代があったのである。

 誕生半世紀を前に、すでに鬼籍に入られた人もいる。大病もせず、健康でここまで生きてこられたことに心から感謝したいと思う。そしてこれからもより良く生きられるよう、努力したいと思うのだ。

Vol.28 「哲人李登輝、健在なり 」「まだまだ甘い日本」2002.8.8(金) 記   

 8月5−7日台湾訪問。台湾は3度目だが、青年局役員としての訪問は初めてだ。会談は陳水扁総統(総統府にて)とは1時間10分、李登輝前総統(自宅にて)とは2時間近くに及んだ。

李登輝前総統の自宅にて(8.7) 前総統は180センチを超える偉丈夫、かくしゃくとした姿勢は近年の健康不安説を一瞬にして吹き飛ばしてくれた。最初お目にかかったときに驚嘆させられた日本人より遙かに端正な日本語で、衰えることのない読書家ぶりを披露しつつ、人民の政治への信頼が不可欠であること、台湾への熱き思い、台湾と日本との深い絆、日本への大きな期待を縷々述べられる。哲人李登輝、健在なり。こういう政治家を日本も出さなければならないのだ、私は胸を熱くしていた。

 昨8日は丸一日決算委員会。私も質問に立ち(50分)、治安維持の観点から?@入管行政強化の必要性、?A官民協力による防犯対策の推進、加えて、外務省に対しては瀋陽総領事館事件の問題点を質問した。

 瀋陽総領事館事件の最大の問題点は、危機管理対策のなさである。
 大体が甘すぎるのだ。平成8年に起こったペルー大使館占拠事件の教訓はどこに行ったのか。考えてもみればいい。9・11以降日本が米国のアフガニスタン攻撃を全面的に支援した以上、在外公館はテロ組織の標的となったと考えてしかるべきなのだ。加えて、瀋陽周辺での多数の北朝鮮難民潜伏は周知の事実だった。にもかかわらず、総領事館の門扉は開扉、警備員はわずか1名という脳天気さ! 対するアメリカの在外公館では、武装した海兵隊員が警備、門扉にも電子式の開閉装置や回転式の鉄扉を設置して一度に1人ずつしか通れない構造になっていた。ためにこの難民一家も米国総領事館への亡命を断念せざるをえなかったのだ。

 あと報告の遅れや実態把握の不確かさ等々、問題点は山積するが、どれもこれもチャイナスクール初め外務省の積年の体質が露呈したものと考えていい。
 
 注意すべきは、マスコミで「亡命者」と一括りにされているが、「母国で政治的迫害を受けるおそれがあるために外国政府の庇護を求める者=政治亡命者」と「母国での経済的困窮を逃れて外国でのより良い生活を希望する者=経済難民」を明確に区別しなければならないということである。前者を庇護するのは国際慣習だが、後者はむしろ本国に送還するのがグローバルスタンダードである。

 我が国の出入国管理法でも難民条約に基づいて「人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがある」ことを難民の要件としていて、経済難民は対象外とされている。

 今や約2千数百万の北朝鮮国民の大半が潜在的な経済難民である。彼らが周辺諸国に大量脱出すればどういう事態となるか。居住施設の確保、生活物資の調達、定住支援のための教育など莫大な支出がかかるのに加え、周辺住民との摩擦は生じ、犯罪が生じるなどその社会的コストは計り知れない。人道主義を唱える以上、まずはそれに伴う負担を引き受ける準備があるのか、その徹底的な議論をこそすべきである。

 

Vol.27 法は変わっていかねばならない  2002.7.30(火) 記  
「オーストラリア大使とローワン一等書記官と」日豪若手政治家交流プログラム夕食会(7.29)  またもや猛暑の日々である。
 だが、この夏まだ一度もクーラーを使わず、熱帯夜も何とか凌いで暮らしている。窓を開け、扇風機のタイマーをセットし、竹ござを敷き、なおかつよほど暑い夜にはアイスノンを枕代わりにして。夜中に何度か目が覚めるが、それでもクーラーで冷えたりだるくなったりするよりはよほどいい。

 さて、今通常国会もいよいよ明日をもって閉幕する。史上例を見ないスキャンダル国会だったが、最も強烈だったのは「選択的(例外的)夫婦別姓制度」に関しての一連の動きだった。

 何しろ理屈が通じないのである。この制度の趣旨は、法律婚を望む夫婦が何らかの事情で旧姓のままでいたいと希望する場合、それを可能にしようというだけであって、同姓を望む夫婦にまで別姓を強要するものではない。ところが反対派は、どの夫婦も同じ形態、つまりこれまで通り同姓でなければならない、そのために生じる不便は旧姓を通称として使用できるとすれば足りるはずだと、そう頑固に主張している。

 通称使用という便法がなぜとれないのか、理由はこのホームページの「選択的夫婦別姓」の項に書いている。そもそも日本の夫婦(伝統)=夫婦同姓でないことも同様に記した。加えて、反対派の論拠には大いなる無知が横たわっている。

 つまり、(法律を知る者にとっては常識のことだが)国家対国民の関係を律する刑事法と個人対個人の関係を律する民事法は本来その性質を異にする。
 殺人や窃盗が禁止されるのは古今東西普遍の道徳であってそれ故に絶対的な法になりうるが、対する民事、例えば家族の在り方などは、まず初めにその実態(人間の営み)があるのだ。かつて日本でも通い婚や一夫多妻が普通にあったように、またイスラムは一定の条件で四人まで妻を認めているように、時代によって、またその時々の社会・国家によって、人の在り方は変わるのである。その実態に合わせて法は変わっていかねばならない。はじめに法律(道徳)ありき、ではないのである。

 反対派に従えば、現行法の枠からはみ出る人たちは事実婚を余儀なくされることになる。これは、彼らの言う秩序維持に資するどころかより乱す元になるはずである。

 法律のイロハを知らない議員の何と多いことか。
「許可」である以上「認可」とは違い、そこに自由裁量が働くのは当然である。そして、「A、Bその他の理由により」とある以上、「その他の理由」とは、例示されたA、Bに準ずべき理由であるのは当然の理なのである。それを裁判所が勝手に何でも認めてしまうおそれあり、などと叫ぶ輩がいるのである! 司法が信頼できないというのは、国家の存在価値の否定と同義である。

 法律のイロハを知らない「国民の代表者」がなぜ立法に携わっているのか。何も知らなくても(!)、何も勉強しなくてもそれで何とか済んでしまう恐ろしい現実があるのである。怒りを通して、私は必ずやこの法律は通してみせる、そう堅く決意した。

Vol.26 「ゆとり教育」なるもの...  2002.7.20(土) 記   

決算委員会にて(7.15) 今日は海の日。梅雨明けもあってか、ことのほかに暑かった。それでも何とか扇風機だけで過ごしたのはクーラーが嫌いだからだが、暑いと頭の働きが鈍り、仕事の効率が悪くなる。熱帯地方の人たちは大変だとつくづく思う。

 例を見ないスキャンダル国会も、残すところあと10日。1ヶ月延ばして、一体何の成果があったのか、今のところよく分からない。分かるのは、政治不信がいよいよ進み、日本がいよいよ危機的状況に陥ってきたということである。

 私の子ども時代は皆がまだ貧しく、例えばバナナが貴重品だった。遠足で1本食べられるのがどれほど嬉しかったか。欲しい物を我慢する、あるいは努力して手に入れる、どちらにしてもそれが人間を形成する元になったと思う。国は上り坂で、勢いがある。みなが夢を持っていた。学校の先生は怖く、親を含めて全体に、大人は偉い存在だった。

 ところが今や物質的には満たされすぎ、何を与えられても感激ということがない。大人はみな自信がなく、国会議員や官僚や誰もがみな悪いことをしている。どんな大人になったらいいか、いい見本が周りにない。戦後一貫してアメリカ追従、中国や韓国にまでぺこぺこ頭を下げている国にいて、何に誇りを持つというのだ……。

「ゆとり教育」の名の下に、完全週休二日制、時間が足りないところにもって肝心の国語の時間が大幅に削られた。それなのにメニューのない総合教育とやらが週3時限も入り、先生の負担を大きくさせているという。土日の受け皿として、教育熱心な家庭は塾などに行かせるだろうし、そうでない所はただの放任になるだろう。第一、サービス業など週末こそが忙しい業種では子どもが休みのときに家にはおられないのだ。

 おそらくは「ゆとり教育」なるものを考えついた人たちは特別に優秀な人であり、そもそも学校で教育を受ける必要などない人たちではなかったのか。だが、初等教育はそもそも普通の人を対象にすべきものである。普通の人の力、それが国の力となる。それが高かったからこそ日本は世界に冠たる物造り国家でおられたのである。その土台の上に、高等教育は教養ある人間を作っていかなければならない。

 昨夕、神戸大学が共催した国際シンポジウムのレセプションに出席した際、母校の先生方と大学教育がどうあるべきか、大いに盛り上がったことである。

 

Vol.25 「内閣府に治安・テロ対策室を」 2002.7.12(金) 記  

 昨日は法務委員会の視察で、国立精神・神経センター国武台病院(千葉)と東京入国管理局(東京都北区)を訪れた。

 前者はいわゆる触法精神障害者処遇法案審議(精神障害者が重大犯罪を犯した場合の処遇)に関連しての視察だが、この法案は現在衆議院において審議中、そこで継続審議となり、参院には回ってこない見込みが濃厚になっている。国会周辺では相も変わらず、本法案に反対するシュプレヒコールが盛んだ。この法案の必要性についてはいずれ別途解説をしたいと思っている。

司法制度調査会国際社会に対応する司法・法務のあり方に関する小委員会、副委員長として出席(7.10) 犯罪やテロの国際化に対応し、司法・法務はどうあるべきかを、少し前から党司法制度調査会で討議している。
 多くの場面で痛感させられるのだが、日本では省庁の縦割りが厳格である。
 集団密航一つとっても、海は海上保安庁(国土交通省)、陸に上がれば警察の所管となる。入国管理は警察と同じく内務省の所管という国が多いのだが、日本では入管は法務省の所管だ。となるとどうしたって連携や効率性に問題が生じるというものだ。

 この弊害は情報という面においても顕著である。以前から、警察、内閣調査室、公安調査庁(法務省)等々ばらばらで、一本に集約する所がないと指摘されている。もとより情報を得るには人と金というコストがかかるため、ギブアンドテイクが原則である。日本は自らギブできる情報がないからテイクもできないということになる。防衛もそうだが、何でもかんでもアメリカに頼っているようでは情けない話である。

 今後は治安・テロ対策室のようなものを内閣府に置き、情報を集約させ、連携のよいシステムづくりを考えていかなければならないと思う。

 

Vol.24 「日の出ずる処の天子...」 2002.7.5(金) 記  

金融問題及び経済活性化に関する特別委員会、理事として3時間半出席(7.5) 先日乗ったタクシーの運転手が、頻繁にある道路工事に嘆きながら、突然こんな話を始めた。

「先日中国人のカップルを乗せたんですけどね、いや育ちの良さそうな若者でしたけど、私が、日本が中国に多額のODAを供与していると言ったら、そんなこと嘘だって笑うんですよ」

「そりゃそうでしょ。中国は国民に、日本からの金で高速道路や空港を作ってるなんて、教えてないから」と私。

「彼らは言うんですよ。もしそれが本当だとしても貢ぎ物だって。一の弟が北朝鮮、二番目が韓国、三番目が日本。……私は中国が大嫌いですよ」

 さもありなん。

 瀋陽事件に触れて前にも書いたが、中華思想、つまり中国という国にとって、世界の中心は中国である。周りの国はすべて朝貢(ちょうこう・外国人が来て朝廷に貢ぎ物を差し上げること)してくる弟分の国なのだ。

 清末期のあへん戦争も、元はといえば、中国から茶を輸入していたイギリスが代わりに何かを輸出しようしたが中華思想で何も買うものなどないという態度、それであへんを売った(これまたひどすぎる話)のが発端だと言われている。その後、時代は激動し、為政者も思想も変わったのに、中華思想だけは不変、まさにこれぞ教育、伝統、文化……対する日本は、などとつい思ってしまう。

 瀋陽事件でもまさにそうだったが、中国が自らの非を認めないのは彼の国の国柄なのである。強弁、恫喝、論理のすり替え……自国(自分)はいつも正しく、悪いのはすべて相手。「敵を知り己を知れば百戦これ危うからず」(孫子)。相手をよく知って臨むこと、それは外交の鉄則でもある。

 いじめっ子、いじめられっ子。日本の、とくに中国、韓国に対する弱腰姿勢を見る度に、検事だった私はその構図を思い出してしまう。唯々諾々と言いなりになるからずっと言われっぱなしになる、たかられっぱなしになる。反対に、誇りをもって毅然と対処すれば、二度といじめられることはない、二度と恐喝されることはないのである。

 7世紀、聖徳太子は隋に使者を送り、「日の出ずる処の天子、書を日の没する処の天子に致す。つつがなきや」と言わせたものだ。小さな島国日本が大国中国になぜそんな大口が叩けたのだろうか。その聖徳太子が今の日本を見たらどんなにか嘆くことだろう。誇りのない人は、誇りのない国は、誰からも敬意を払われない。

 最近私は、日本の究極の敗因は、経済政策でも何でもなく、教育、つまり人づくりに失敗したことにあると考えるようになった。経済でも何でも動かすのは人だからである。今いちばんしなければならないことは構造改革以前に(ましてこまごました郵政やら道路といったものではなく)教育改革であり、意識改革なのだと思う。

 今月10日発売の月刊文藝春秋8月号に佐々淳行さんとの対談が掲載されることは前に書いた。だが、なんとタイトルが「在日中国人極悪犯罪事情」!!! 

 タイトルは編集側の専権事項だが、この2日に知らされて愕然とし、すぐに訂正を申し入れたが、もう間に合わないとのこと。仕方がないのでホームページ上に釈明を載せることにした(発売に合わせてトップ画面でクリックできるようにする。ホームページというのは本当に便利である)。そこに詳しく書くが、「在日」ではなく「来日」、「極悪」ではなく「凶悪」が正しい。文藝春秋ほどの一流紙ですら、対談内容とは異なるタイトルをつけて人目を引こうとしたことが、私には大きなショックである。

 

Vol.23 「人権侵害」 2002.7.1(月)  
  早いもので今年の半分が終わった。年毎に月日の経つのが速く感じられるのは誰もに共通のこと、理由はこれまでの歳月に比しての時間感覚になるからだという。なるほど。

あじあさい会総会にて(6.26) 今年の国会も残すところあと1ヶ月、我が法務委員会では重要法案2つがまだ審議入りさえしていない。人権擁護法案(参院先議)と触法精神障害者処遇法案。閣法から一転、議員立法で提出することとなった「例外的夫婦別姓法案」については未だ自民党の部会をすら通っていない。

 人権擁護法案は個人情報保護法案と並んで「マスコミ規制3法」としてものすごいバッシングを受けている法案である。マスコミが報道機関の取材・報道の自由に対する不当な規制だとして問題にしている条項を見てみよう。

 規制の対象になるのは、以下の「人権侵害」である。

?@犯罪行為により被害を受けた者、?A犯罪を行った少年、?B犯罪行為により被害を受けた者又は犯罪を行った者の配偶者、直系・同居の親族、兄弟姉妹 
 を取材するに当たり、その者が取材を拒んでいるにかかわらず、
(1)つきまとい、待ち伏せ、進路に立ちふさがり、住居等で見張りをし・押し掛ける、
(2)電話・ファクシミリ送信
 を継続的・反復して行い、その者の生活の平穏を著しく害する行為。

 この場合、人権委員会は、報道機関等による自主的な取り組みに配慮しつつ、任意の調査をし、調停、仲裁、勧告・公表、訴訟援助(資料提供、訴訟参加)の救済措置を講じる、というものだ。つまり、人権委員会には自ら訴訟を提起したり、刑事告訴をしたり、あるいは行政罰・刑罰を科するといった強制力は一切ないのである。

今日頂いた写真、中森ふくよ埼玉県議と(4.25) 東電OL事件に代表されるように、報道機関の取材は時に目に余る。報道の自由の前提となる取材の自由は、その性質上、被取材者のプライバシー保護と時に対立し、もともと無限定に認められるものではない。もとより報道機関自らが襟を正して自主規制するのがベストだが、それが期待できない以上、この程度の規制は仕方がないのではないか。実際、私と親しい記者自らが反省を込めてそう言っているのである。

 この規制対象には成人犯罪者自身への取材は除外されている。だが、たとえ成人の犯罪者であっても「裁判が確定するまでは無罪が推定される」のである。鈴木宗男氏取材が行きすぎだとの意見を記した私のメールに、大手新聞のベテラン社会部記者が以下のメールを返してくれた。

「鈴木宗男氏はかわいそうでした。特捜部の対象が殺人や強盗殺人の被疑者ではないこともあり、検察担当のころから、逮捕される直前はかわいそうになってしまいます。自分でやっていて、こんなことを書くのもおかしいのですが、「来週にも本格捜査」「あすにも本格捜査」「きょうにも強制捜査」「午後逮捕へ」とか「近く逮捕許諾請求」「あすにも逮捕状請求へ」などと、前打ちを続けるのはとんでもないことだと思います。何とかならないかとずっと考えてきましたが、私ごときの力では何ともなりません。

中森ふくよ埼玉県議らと講演後に(4.25) 前打ちは捜査妨害になりますが、これは当局のリークがなければ記事は書けないので置くとして、問題なのは佐々木さんも書いておられるように、被疑者と周辺の人への人権侵害です。さらに報道に意味がほとんどないということです。本当のジャーナリズムとは、当局の動きを特オチしないように、必死に報道するよりも、リクルート事件や株の損失補てん問題などのように、自分たちが書かなければ闇から闇に葬られる不正を暴くことです。調査報道よりも前打ちを優先する姿勢は、残念でしょうがない。調査活動費の問題でも、検察から前打ちのためのリークをもらいながら、果たしてどこまで追及できるのでしょうか。両方やれる記者は希有の存在だと思います。鈴木宗男逮捕の前打ちと、調査活動費の不正を暴くことと、どちらを読者が望んでいるかは言わずもがなでしょう。

 まず他紙と同じニュースを載せることが求められていることが諸悪の根元です。記者は特ダネを取ってこそナンボなのに、それ以前に「横並び」しなければならない。だから、最近ようやく「メデイアスクラム」と呼ばれ、対策が講じられようとしている犯罪被害者らへの過剰取材も起こるわけです。とはいえ、デスクになると、そんな指示も出さないといけない。悩ましい毎日です。」

 マスコミの中にも良心的な人は大勢いる。だが、それが組織になると、ただ良心に従ってのみの行動はできないことが多々起こるのだ。それはどこの世界でも言えることだが、マスコミの影響力を考えれば、やはり政治が性根を入れてこれからを考えていかねばならない大きな問題だと思う。

Vol.22 「迫る2年後に向けて」 2002.6/25(火)  

 早いもので選挙があと2年後に迫った。

 4年前国会議員になったときには、次回の選挙に出るかどうかは後で考えるつもりだった。いろいろ辟易することもあり、次はもう出ないでおこうと考えるようになっていた。選挙制度が変わって全国の人に私の名前を書いてもらわないといけなくなったこともあり、そんな大変なことはとうていできないし、と。

 それが変わったのは、この春である。

 理由はいくつかあるが、自分が国会議員であることの意義を自分なりに納得できるようになったことが最も大きい。3月8日の予算委員会質疑にも大きな反響があった。頑張ってください、応援しています、と言ってくれる人が増えてきた。その人たちの期待に、微力ながらも応えなければと思うようになった。

 何一つ自分の能力も与えられた環境も変わらないのに、気持ちの持ちよう一つで、人間は変わる。以後、どの会合に行っても講演をしても、力の入り方が違うのが自分でも分かる。その熱意はきっと相手にも敏感に感じ取られているはずだ。

全公連第17回定時総会懇親会にて 下田会長らと(右)(6.24) 相手はすなわち自分を映し出す鏡なのだろうと思う。こちらが好意をもって臨めばそれに応えてくれる。好意が感じ取れないときはたいてい自分が相手に好意をもっていないからだろう。まずは自分から微笑むこと。老化防止もこれあり(?)、最近心がけていることの筆頭は、口角を上げること。いい表情と微笑を作ること。人間関係はすべてこれから始まるといっていい。もっとずっと前からそうしていればよかったのだが……。

 挨拶をする機会が増えている。
「挨拶は短く、友情(愛情)は長く」が私のモットーです。それだけを言って挨拶を終えた竹下登元総理が一番印象に残っている。以後何度となく私も使わせてもらっている。長い挨拶(ことに食事の前には)をしてもあまり誰も聞いてはいないものだ。要は、いかに強く印象に残るか。短くかつ印象に残る挨拶を心がけたいものだと思う。

Vol.21 「本当に困ったものである」 2002.6/20(木) 記   

  昨日は通常国会(会期150日間)の終了日。だが、7月末日までの延長が決まった。会期延長は通常国会の場合は1回限り(国会法12条2項)。秋には臨時国会が開かれるだろうが、8月一杯はおそらく閉会となるのではないか。

 昨日は本会議が開かれずじまいだった。衆院ではご存じ、鈴木氏の逮捕許諾請求と延長の議決がなされたのに、だ。釈然とせず国会法を見ると、あるある。「参議院が議決しないときは」衆議院の議決したところによる(13条)、と。だが、なんとなく情けない話ではある。

パキスタン大使らと(6.18) 国会法といえば、昨夕テレビを見ていたら、高名な元検事が「国会法を見ると『除名』ができるとあるのに、なぜしないのか」と言ったので、非常に驚いた。
 たしかに「除名」はある。だが、それは「各議院における懲罰事犯」の「懲罰」として最も重いものなのだ(121,122条)。つまり、あくまで「議院における事犯」でなければならず、それ故、いつぞや本会議中の雛壇から、野次に怒って思わず水をぶちまけた某議員は、除名についで重い「一定期間の登院停止」に処せられたのだ。もし議院外のどんな事犯でも懲罰の対象となるのであれば、少数派の目立つ議員はいつでも除名させられることにもなりうるではないか。

茨城県友部支部女性部研修会で講演(6.20) 残念なことには、その場にいた2人の現職代議士は国会法を知らなかったのだろう、曖昧な答えに終始した。あ〜あ、これで、また多くの人が誤った知識を仕入れてしまった……! 一般に、メディアで活躍している人の中には、よく知りもしないことを知ったらしそうに言う人が多いように思う。聞かれて、「それは私の専門ではないから」とか「それはもっとよく事情を知らないと答えられない」とか、ごく良識的に答える人たちだとメディアに乗らない、使えないということなのだろう。良識的な人ほどメディアに露出しない→国民が間違った知識を仕入れる――本当に困ったものである。

茨城県友部支部女性部の皆さんと(6.20) それにしても、みな欲求不満が溜まっているのだろうか。近頃目に余るのは、鈴木議員に関する報道である。彼がやったことを弁護するつもりはない。総務会や外交部会等での官僚たちへの恫喝を何度も目の当たりにした私としては、よけいにそう思う。だが、それにしてもこの報道態勢はひどすぎる。逮捕されるのを、そして拘置所に送られるのを、まるで楽しんでいるかのよう。彼には家族もいる。そして、有罪が確定されるまで人は無罪の推定を受ける――これは近代国家の大原則である。メディアが率先してその大原則を忘れるようでは、自らの存在価値を否定することになるのではないか。

 

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