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Vol.40  重要法案が目白押し 2002.11.8(金) 記 

法務委員会(11.5) 5日(火)、参院法務委員会がスタートした。たまたま私が国会議員になった頃から法務委員会は案件が目白押し。最も忙しい委員会となっている。

 5日は一般質疑で、司法制度改革に関する参考人3名が招致された。意見を聞き終わった後のトップバッターの質問者は自民党、そしてその役はいつもたいてい私である。

遅々として進まない各種改革の中、ひとり司法制度改革は突出して進行しているといわれる。弁護士会に言わせると「(既成の圧力団体である)弁護士会の力が弱いから」(?)。「司法制度改革」とは何か。

 まずは「法曹人口が足りない」。弁護士2万人、訴訟社会アメリカの100万人は行きすぎとしても、人口比にして4倍のフランス並みにはすべきだという。結果、ずっと年500人で推移していた司法試験合格者は徐々に増えて現在1000人、最終目標は3000人という。

 日本の法曹人口はたしかに少ない。ただ、税理士や弁理士、司法書士などの隣接法律専門職種を合わせると25万人ほどになる。片やアメリカの弁護士で法廷に立つのはわずかに1〜2割程度、その余は日本でいえば税理士や司法書士などの業務に携わっているから、単純な数だけを比較しては誤りの元となる。

 しかし翻って、本当に日本の法曹は足りないのだろうか。今とても困っている人がいて、でも弁護士が見つからず相談もできない、そんなことがあるだろうか。答えはノーだ。「法曹を増やせ」は市民サイドではなく企業の要望である。法曹が増えれば企業内弁護士として雇える、つまり安価に済む。法曹資格を取らせる入口段階ではなく、たくさんならせて後は淘汰……アメリカ型競争社会の発想なのである。実際アメリカでは弁護士資格を持ったタクシー運転手もいる。日本でも客の金に手をつけて懲戒になる事例が確実に増えている。


 つまり、数を増やす→質が落ちる。この必然の連鎖をどう担保するか。この観点から出てきたのが「アメリカ版ロースクール構想」である。これにもいろいろ問題点があるが、とにかく2004年開校が決まり、今あちこちで大忙しである。

 あと「裁判への市民参加」。一定の重大な刑事事件について一般市民を裁判員として参加させる方針が決まっている。

 裁判員は事実認定を任せられる陪審員(英米など)とは違い、裁判官と一緒に審理を行う参審員(仏独など多数)である。ただ、なぜ裁判員が必要なのか。誰のための制度なのか。参考人らの肯定意見はやはり「教育効果」やら「民主主義を根付かせる」といった上からの発想だ。

 だが、陪審制発祥の地イギリスでは陪審は市民の「権利」である。お上は市民の権利を侵害しかねない信用のできない存在だからである。その理は民衆が総決起して民主主義を勝ち取った西洋諸国にも同様である。これに対して、日本の「お上」は信用される存在であったために国民は民主主義を自ら勝ち取ってはいない。戦前施行された陪審法がうまく機能せず停止したように、こうした制度が日本に根付くのは今でも極めて難しいと私は考えている。

 大賛成なのは訴訟を迅速化させることだ。オウムの裁判など、誰もが腹を立てている。決して誤ってはいけないのは犯人性(真犯人は誰か)だけなのだ。その余の細かいことまでを同列に審理するのは精密司法の誤った適用でしかない(以上、拙著『日本の司法文化』)。

 昨日(7日)、法務委員会では人権擁護法案が審議入りした。メディア規制法として取り上げられているだけにマスコミも傍聴人も多い。来週火曜(12日)はその参考人招致、午前午後とも私が質問をする。あさって日曜(10日)は女性ブロック会議で島根に出張だ。

 

Vol.39 世界で最も古い憲法の1つが... 2002.11.4(月) 記   

北海道支部女性部研修会(10.31) 10月31日、今が紅葉真っ盛りの札幌に出張した。道連の松尾女性部長が「日本の国家観」について講演をしてほしいと、道全体から300人を越える女性を集めてくれたのだ。

 恥を披露するが、国会議員になるまでの私は極東軍事裁判(東京裁判)やA級戦犯なる名称は知っていても、その意味は知らなかった。関心も持たなかった。司法試験受験のために憲法はもちろん一通り勉強したが、それは逐条解説であり、個々の違憲訴訟の検討でしかなかった。ただ私がことさらに無知かつ非常識だったわけではなく、大方の人はきっと私と同じレベルだったのだろうと思う。

 古今東西の戦勝国がどこもそうであったように、GHQもまた日本が二度と戦争など起こさないよう徹底的に叩きつぶそうとしたのである。その1つが東京裁判である。

 そもそも国際紛争を処理するための戦争は国際法上認められていたのであり(ただし「国連憲章」はこれを排除している)、故に戦勝国が敗戦国を裁く裁判はありえなかったのに、事後法を作ってまでそれを敢行したのが東京裁判(かつニュールンベルク裁判)だったのである。

 1945年8月、米英仏ソは「ロンドン憲章」に合意し、国際法上これまで戦争犯罪とされていた「民間人や捕虜の虐待・殺害、略奪、軍事上不必要な都市破壊など」に加えて、「平和に対する罪(侵略戦争を共謀・遂行した罪)」及び「人道に対する罪(政治的または宗教的、人種的理由に基づく迫害行為」を初導入したのである。もちろん事後法は近代法が厳に禁止するものであり、それが故に東京裁判に関わったインドのパール判事など明確に反対の意を表明したのである。11人の判事全員が連合国側であり、敗戦国や中立国出身はゼロ、加えて国際法とは畑違いの素人がほとんどを占めるというお粗末な構成でもあった。

 これが復讐ないし見せしめの裁判であったことは、その日付をもってしても知られる。「平和に対する罪」(A級)により、28人が昭和21年4月29日(昭和天皇誕生日)に起訴され、うち判決前の死亡者などを除く25人全員に有罪の言渡しが行われ、東条英機など7人が同23年12月23日(今上天皇誕生日)、絞首刑となった。

 ちなみに「通例の戦争犯罪」(B級)では東京外の内地及び外地で5000人以上が裁かれ、約1000人が処刑された。ちなみにアメリカが日本の民間人を狙った東京大空襲・原爆投下は明らかなB級戦犯だが、勝者であるが故に不問とされたのである。

 憲法はGHQがわずか1週間で作ったものである。もともとが英文だから分かりにくいし、急いで作ったものだから不整合な部分も結構ある。憲法はその国の「国柄」を示すものなのに、日本の歴史や伝統文化への言及はいっさいなく、「天皇」を除けばどこの新興国家にもっていっても通じるものである。

 それを後生大事に60年近くもの間ただの一度の改正すらしていない。当然だが「知る権利」も「環境」への言及もなく、内容がもはや相当の時代遅れであるのはもちろん、実際に世界で最も古い憲法の1つとなってしまった。

 ちなみに少年法もまた、日本の法体系とはまるで異質なものをGHQが作ったのである。

 教育基本法のせいばかりではないだろうが、教育現場では、権利重視、公の軽視、縦関係の崩壊、そして国家観を欠いた教育がまかり通ってきた。国歌・国旗の尊重はどこの国でも最初に教えることなのに、である。

 その結果、日本は毅然とした態度をとれない国になってしまった、そう思うのは私だけではあるまい。最近いろいろな場面で日本がなめられている、そんな思いをすることが実に多い。

その夜は札幌に泊まり、翌11月2日は京都に出張した(近畿女性ブロック会議)。昨3日は3週間ぶりの休日で、掃除や片づけ、ツンドク本を読むことに費やした。

 

Vol.38 国の狭間で 2002.10.27(日) 記   

 この15日、拉致被害者5名が一時帰国した。そしてまもなく日朝国交正常化交渉がクアラルンプールで始まる。

 9月17日の劇的な日朝首脳会談から一ヶ月余。展開が早いのはいいが、以来マスコミの報道は拉致被害者のことばかり。何か事が起これば各社いっせい右に倣え、論調もほぼ変わらないのはいつものことだ。しかし、彼ら及びその家族らは静かに再会を喜び合いたいはず、一方で被害者が戻ってこない家族らはどれほど悲痛な思いをこらえているだろうか。

 一部被害者家族の「帰さない」宣言があり、新たに浮上した北朝鮮の深刻な核開発問題に煽られる形で、政府は5名をこのまま帰国させない方針を固めたようだ。
 
 だが肝心の当事者の気持ちはどうなのか。北朝鮮には子どもたちを残してきている。友人や同僚もいる。事の発端がどうあれ、すでに24年もの歳月が経過した彼らの生活基盤は北朝鮮にある。もし日本に永住したいとしても、いったんは帰国し身辺整理をしなければならないと、誰だって思うだろう。まして両親が日本人であること、拉致されたことも知らず、北朝鮮人だと思って育った子どもたちに事の真相を知らせるにはじっくり時間をかける必要がある。

 実際、被害者自身は帰りたがっているという。1人がいみじくも語ったとおり、彼らには彼らの24年間がある。帰りたがらないのはただ洗脳故だと思うのは、その底に日本の生活のほうがいいに決まっているとの思いこみがあるからではないか。だが、生活を、人生を、選ぶのはその人生に責任を持てる個人でしかない。国家や周りの人には責任はもてない、が故に決定する権限はない。

 国の狭間で翻弄された何の罪もない人生がこんな形でまたまた翻弄されるのを見るのはまことに痛ましい。

 以下は『韓国と韓国人』(平凡新書 1999年)の著者小針進氏(静岡県立大学助教授)の言である。氏とは2年前、日韓フォーラムで知り合って以来の親しいつき合いである。

 北から韓国に自らの意志で亡命してきた人でさえ、言葉が通じるのに、適応に非常に苦労している。適応できずに「Uターン亡命」だってある。そもそも中国残留孤児に一斉にマスメディアは同情したが、20年近く経った今、彼らは本当に苦労している。国民も、公的機関も非常に冷淡だ。

 以前論文に書いたが、北からの亡命者が韓国に来ると、以下のような状況になっており、適応に苦労している。これを拉致被害者の子供に置き換えると、似たようなことを日本社会で悩むことになると思う。「韓国」や「南」の部分を「日本」と置き換えて読んで下さい。
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<表>韓国社会での北朝鮮からの亡命者が持つ主な心情
  (1) 韓国での日常生活に対する基本的な知識が不足している。
  (2) 北朝鮮では考えられないほどの膨大な情報量に圧倒される。
  (3) 自身の社会的地位が北朝鮮にいた時と比べて低下にして不満がある。
  (4) 亡命者に対する南の人間の蔑視、差別待遇を感じる。
  (5) 南の人間が北の発音を聞き取れず、また北の人間は南の外来語がわからない。
  (6) カネの稼ぎ方、貯め方、使い方の感覚がわからない。
  (7) 北のように自身の所属集団の問題として考える思考が南にはないと考える。
  (8) 白か黒か二つに一つといった単純な思考方式がある。
  (9) 強い連帯意識による人間関係の北に比べ、南は利己主義的だと考える。
  (10)南の自由放任ぶりは非道徳的、退廃的であるとの拒否感がある。
  (11)親類がいない南では孤独感があり、北に残した家族に対する罪悪感がある。
  (12)亡命者同士の関係に用心深く、警戒心がある。
  (13)南の人間と馴染めいないと北の友人を強く懐かしむ。
  (14)南の女性の喫煙や自由奔放な姿に衝撃を受けるが、社会的地位は高いと感じる。
  (15)競争を避ける傾向がある。
  (16)年齢による待遇を期待する傾向がある。
  (17)闘争心が強い半面、従順な面がある。
  (18)衝動的な傾向が強く、自尊心の傷に敏感である。
  (19)統制は嫌うが、依存心が強い面がある。
  (20)結婚問題に悩む。特に北での既婚者は心理的葛藤が大きい。
  (21)韓国人の統一に対する無関心な態度に失望感を持つ。
  (22)職場での適応、勤労に対する意欲に問題が出る場合がある。
  (23)亡命したことに対する満足度に対する葛藤がある。
  (24)儒教的態度(礼儀にこだわる、権威主義的特徴、男尊女卑)が強い。
  (25)節約や節制の意識が低い南の社会風土に驚く。
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10月24日(木)は丸一日、山形(鶴岡、酒田等)へ衆院補選の選挙応援に行く。昨日26日(土)はこれまた山形(長井市)に講演に。昼夜2回のレディースセミナーに各45分教育問題について講演し、午前零時までに帰宅した。今夕から兵庫県加西市まで講演に(夜神戸泊)。

山形レディースセミナーで講演
山形レディースセミナー参加の皆さんと

 

Vol.37 補選応援週間  2002.10.23(水) 記  
 18日(金)臨時国会が始まった(〜12/13)。
 小泉総理の所信表明に対する各党代表の質問は、昨日と今日の2日にわたって行われた(衆院では一昨日・昨日)。

 19日(土)、富山に出張した。党富山県連女性部(のうち青年部)研修での講演の対象者は約100名。ちなみに最近の私のテーマはたいてい「日本の外交について」。昨年9/11テロに始まり、今年5月の瀋陽総領事館事件、そして先月以降の北朝鮮問題等々、今ほど誰もが「国際社会における日本」に関心を持った時期はなかったのではないか。

 ちなみに富山は、あの田中耕一さんの故郷である。その日がたまたまお里帰りの日でもあった。
「研究をさせてもらったありがたい」、「グリーン車に乗ったのは初めて」、研究がしたくて主任のままでいる……いい意味での昔ながらの日本人を見つけたようで、心からほっとさせられる。「自己主張せよ」が絶対なのは、国民それぞれが民族・言語・文化が違う「人種のるつぼ」アメリカだからこそだ。日本のような、そもそもがムラ社会の国では以心伝心こそが基本である。今あまたの改革の中で突出して進んでいる司法改革にはアメリカを見習いすぎた懸念がある(拙著『日本の司法文化』)。日本の失敗は、国の成り立ちがまるで違うアメリカを盲従したことにあるのだと私は思う。

 20日(日)、神奈川8区衆院補選の応援に出かけた。ぐっと冷え込む中、候補者と共に駅前に立ち、選挙民からの質問に答えるという趣向だ。私に与えられたテーマは「少年犯罪」、45分。
 候補者は自民党の新しい試み(公募→厳正な審査で2人に絞る→予備選)によって選ばれた若い男性だ。当然熱意があり、とてもしっかりしている。是非当選してほしい。
 だが報道によれば、無所属で立候補した候補者が大きくリードしているとのこと。2つの点で極めて残念だ。
 1つはマスコミで顔を売った者が断然有利になるということ。6.20付でも指摘したことだが、マスコミで重宝される人が正しいことを言っているとは限らない。まして立派な人である保証はない。残念ながら現下のマスコミの状況ではむしろその逆であることが多いのだ。

 他の1つは「無所属」の意味が本当に理解されているのかということだ。
 無所属で当選後政党に所属する例は珍しくはない。公認を受けたかったが(現職がいるといった理由で)叶わなかった場合であれば仕方がない。だが、既存の政党を批判して当選しながら、いったん当選が叶った後政党に入るのは、ただ当選のための便法であり、有権者への最大の裏切りである。

 以前そんな議員がいた。愛知万博不支持を表明して当選しながら、自民党に入ったタレント議員だ(昨年今度は比例で出て、落選)。たしかに「無所属では何もできない」。政党政治においては数こそが力なのである。

 タレントかつ無所属議員。といえば、今参院には比例区で当選しながら離党宣言をし、除名処分を受けてもなおかつ居座っている人がいる。公職選挙法の欠陥故だが、社民党が朝鮮労働党と友党であることを知らなかった等々、弁明すること自体が恥ずかしい。党の基本方針さえ知らずに公認されて議員になる――無知も考え違いも甚だしい。口を開けば「女は男に差別されている」、だがこういう女性の存在こそが女性の地位を下げているのである。

 昨夜は千葉参院補選の応援。津田沼駅前で野田聖子、橋本聖子、有村治子各女性議員とリレー演説を各2回した。多くの聴衆とも握手した。明日は山形だ。デジカメ持参を忘れたり、持参しても暗くて撮れなかったり、せっかく秋物が着られる季節になったのに、写真がなくて残念だ。

Vol.36 目から鱗のフランス出張 2002.10.15(火) 記   

ヴァラード上院仏日友好議連会長等と 一昨日夜フランスから帰国。深夜便のため乗ったとたんすぐに眠れ、お陰で時差ぼけなしで、今朝はいつも通り出勤、普通に仕事が出来て大助かりだ。

 機内で隣に座った長身のハンサム(フランス人。仏領ニューカレドニア在住)がしきりに話しかけてくれたが、外国語はドイツ語のみとか、簡単な話さえ通じない。「写真を見るか」に頷くと、携行したパソコン(私と同じソニーのバイオだ。もちろん「ようこそ」はフランス語で出る!)で見せてくれた。動画も多々あり。奥さんはベトナム人、9ヶ月の娘はチャイナ服を着ている。とても可愛い。その子が奥さんの前夫(白人)との間に出来た息子と一緒に遊んでいる。

ヴァラード上院仏日友好議連会長と 6−13日のフランス出張は我が参議院と長年友好関係にあるフランス上院議院の招待だった。連日朝から夜遅くまで日程が組まれ(何しろ昼食が2時間、夕食が2〜3時間もかかるのだ)、多くの議員との間で意見交換をした。議員たちはそれぞれ専門を持ちながらも共通の関心は「日本経済」。日本経済の悪化は世界経済に連動するからだ。不良債権を小泉内閣がどう処理するか、それは世界の問題なのだと改めて思わされる。

 視察もあった。リュクサンブール宮殿をそのまま使っている(!)上院はもちろんのこと、希望して破棄院(日本の最高裁に該当)と刑務所の視察をさせてもらった。

フリル�・�メ�ロ�シ�゙�ス刑務所にて、右が所長、左が案内してくれた方 パリの刑務所といえば、そこで7年間主任だった女医がその劣悪な実態を暴いてセンセーションを巻き起こしたサンテ刑務所(本の邦題は『パリ・サンテ刑務所』。読了済み)が知られているが、今回の視察は車で1時間の所にあるフリル・メロジス刑務所(最大級)だった。

 居室に女性の裸の写真までべたべたと張られているのにびっくり、だがそれ以上にびっくりしたのは、看守が受刑者を居室の外に出し私たちに中を見せてくれたことだった。そんなことを日本でしたら、人権侵害だとすぐに抗議が来るはずだ。

リュクサンブール宮殿 日仏友好議連会長の故郷、ボルドーからの帰途、TGV(フランスの新幹線)に乗ったが、まずは狭いのにがっかり。おまけに何のアナウンスもなしに出発が30分以上遅れ、フランス人乗客までぶつぶつ言う有様だ。遅れた原因は、2人いる車掌のうち1人が来なかったことで、その車掌は停車駅ではない駅で乗り込んできて制服に着替え、その後切符をチェックしに回っていたとのこと。それでもヨーロッパの鉄道の中ではいいほうで、民営化したイギリスはもうひどい状況だとのこと(フランスは国営)。

 帰り、空港で免税チェックのため並んだが、担当官の態度のひどいことといったら。すでに大使館にはいくつも苦情が来ているとのこと、一緒にいた参事官が抗議したら、「どれだけ日本人が並ぶと思っているのか」、お金を落としていると言うと「税金は落とされていない」(売上げそのものが貢献なのに!)とひどい返答だったとのこと。エールフランス職員の対応もひどくて、官僚主義を見る思いだった。

 フランスは日本の1.5倍の国土にほぼ半分の人口(6,000万人弱)。エアバスやコンコルドなど有名ではあるが、基本的には食糧自給率100%の農業国である。
 地方公共団体は日本の10倍以上、3万7000もある! 中には10人程度の村までもあるという。ただ議員や首長は無給が多いため、統廃合の話は出ないという。

 国会議員の数も多く、上院は321名。地方議会議員らによる間接選挙で選ばれるから、被選挙資格35歳以上を見るまでもなく、地方で実績を上げた者しか選ばれないシステムなのだ。その7割が県・市会議員や市長を兼任したままである(県は100あるが、知事は日本の戦前同様、そのほとんどが内務省の役人だという)。地域の利益誘導型政治はここでは普通にあると考えていいだろう。その他限られた紙面では無理だが、目から鱗、有意義な出張だったと思う。

 

Vol.35 人生を豊かにするもの3つ 2002.10.1(火) 記  

島根県女性部研修会(10.1) 週末の土曜日(9.28)、新幹線で新大阪まで行き、寝屋川市支部結成30周年記念大会に出席した。時局講演で外せない「日朝首脳会談」を含めて「日本の外交スタンスについて。

 最近俄然知識欲が高じて本をよく買うわりに(贈呈本もかなりある)まとまった時間がとれず、ツンドク本が10冊以上たまってしまった。本はツンドクしないのが身上だから一念発起、うち2冊を夜中までかかって読み切った。

 人生を豊かにするもの3つ――友人、旅行、読書。とくに読書。少しの時間があれば古今東西、どの階級にも身を置け、どんな考え方をも知ることができる。多角的な読書は、点を線に、線を面に、面を立体にしてくれる。

『ポーツマスの旗』(吉村昭著) 
 日露戦争後講和条約締結のためポーツマスを訪れた日本全権・小村寿太郎外相を描いた長編だ。150センチ弱の小柄ながら威風堂々とした小村を通して、明治維新後列強に呑まれず、対等に伍していこうとがむしゃらに歩んでいた当時の日本の姿がくっきりと浮かび上がってくる。

 正攻法の小村ら日本側に対し、外交に長けたロシア側(全権ウィッテ)、アメリカ大統領ローズベルトらの狡知さ。その駆け引きは息もつかせぬほどスリリングだ。日本にもかつてこれほど凄まじい真剣勝負の外交があったなど、儀典外交に埋没した感のある現在の外交官ははたして知っているのだろうか、そんなことをふと思わされる。

 ひとり外交官だけではない。桂首相や伊藤博文など、政治家もみな国を背負っていた。ローズベルトもまた心酔していた「武士道」が生きていた時代、償金ゼロの講和条約に激高し、暴動を起こした幾多の庶民にもまた、素直な愛国心が根付いていたのである。祖国に寄付してほしいと、20ドル金貨を手に長い道をはるばる歩いてきた貧しい日本人移民の姿に私は心を打たれた。

 白人絶対優位の時代(もっとも未だにその意識にはさほどの変化がないと思うが)、『黄色い小猿』が大国ロシアに完勝したことは、世界中を揺るがせた大事件であった。皮肉なことに、その奇跡故に日本は以後、列強にもアジア諸国にも警戒される存在となっていく。友好国アメリカもまもなく日本人移民の排斥を始め、やがて国際連盟に人種差別撤廃宣言を盛り込もうとした日本の提案は否決されるに至る。以後日本は悲劇的な太平洋戦争にと突き進んでいくのだが、日露戦争の勝利こそが実は日本の歴史の分岐点だったのかもしれない。
 
 ところでこの本を読んで初めて知ったことだが、当時アメリカとロシアは友好関係にあったのだ。米西戦争でロシアはアメリカを支援した由。米ロといえば冷戦時代以後のことしか知らなかった。無知とは恐ろしい。

『誇り高く優雅な国、日本』(E.G.カリージョ著 児嶋桂子訳)
 著者は、その世界の奇跡を起こした日本を取材のため訪れた当時のヨーロッパ屈指のジャーナリストである。かつ文学者でもあり、その筆致、かつまた日本の古典や歴史の造詣の深さには驚嘆させられる。
 命より名を重んずる「武士道」、日本人の礼儀正しさ、お辞儀と微笑み、自然への一体感、四季や花の美しさ、はては吉原の美学――黄色い人種への偏見を当然持ちながら、それでもなお日本人への敬愛の念がひたひたと伝わってくる。法律家としては日本人の公平無私が賞嘆されていることも嬉しい。

 1世紀前、彼をこれだけ驚嘆させた数々の美徳を日本人はいつの間にか忘れてしまったようだ。

今日、党本部にて島根県連女性部研修会で講演。やはり北朝鮮問題はじめ日本の抱える外交の諸課題について。みな熱心に聞いてくれ、大いに感動したとのこと。嬉しい。

※なお、2・3日両日は決算委員会、4日明石、5日宮城に各出張、6−13日フランス出張のため、次回は遅れる見込み

Vol.34 なめられっぱなしである 2002.9.27(金) 記  

決算委員会(9.26) 昨日の決算委員会で外務大臣に質問(30分)。その前に同僚議員が1時間日朝首脳会談について質問するとのこと、切り口を変え、私は「日本の外交スタンスについて」。

 一言で言って、日本の外交には哲学が欠如している(混迷の経済にも哲学が欠如しているし、結局日本という国自体が戦後哲学を持たないできた一つの現れなのだろうが)。

 毅然とせず、無理難題にも唯々諾々と応じてきた結果、なめられっぱなしである。ことに、いわゆる近隣諸国(=中国、韓国・北朝鮮)問題。国民を拉致され、主権を侵されても抗議するどころか、人道的支援は別問題だとコメ支援を続けてきたのはその一つの現れである。

 日韓においては1965年、日韓基本条約とともに「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する協定」が結ばれ、韓国側が請求権を放棄する代わりに日本側が経済協力をする旨の合意がなされている。日中も1972年、日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」により、中国は「中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄する」と宣言している。

 だが、その後も両国は、事あるごとに戦後補償や謝罪の要求を持ち出し、さらには近時とみに靖国神社参拝反対、歴史教科書の記述を直せと、「内政干渉」を繰り返している。要は日本政府がぴしゃりとはねつけさえすれば済む話なのだが、事なかれ主義というのか、つい安易にご機嫌を取り結んできた結果として、相手を図に乗らせてきたのだ。よくあるいじめっ子といじめられっ子の典型的な構図である。

神戸大の仲間達と(9.25) 韓国は日本領竹島を「独島」と名付けて占拠したが、日本はまともな抗議もしていない。今度は「日本海」を「東海」に変えろと国際機関に強く働きかけている。日本海は李氏朝鮮の鎖国時代から世界地図に載っている正式名称であって植民地云々とは関係がないのに、だ(しかも日本海は日本にとっては「西海」である)。この件は日本側が遅まきながら動いた結果、ようやく白紙撤回にまで持ち込んだが、なお予断は許されない。

 国民の内政への不満を逸らす最上の方法は何か。外に敵を作ることだ。そのための「戦略」として日本を攻撃していることは実は韓国の知識人は知っているのだが。

 最近「目から鱗」の知識を得た。中国がなぜここ数年反日をとみに強め、日本バッシングを繰り返すのか、不思議に思っていた解答である。

 毛沢東の有名な言葉は「政権は銃口から生まれる」、そして共産党の哲学は「闘争の哲学」だ。一党独裁で権力が一極に集中する結果、生じた国民の不満が向かう所はただ一つ、そのための「敵」を必要とするのが共産主義国家の宿命なのである。

 毛沢東は27年間にわたり、国内の反革命分子その他を粛清し、階級闘争を繰り返してきた。その結果文化も経済も駄目になり、継いだ?ケ小平は80年代、方向転換して国際協調路線と国民の融和路線をひいたが、その結果が天安門事件だった。共産党を相手に戦う学生たちを軍隊で弾圧、中国は国際的に厳しく非難され、孤立した。

 これを教訓に、次の江沢民はどうしたか。元通り「敵」を作ること、それが日本だったわけだ。
 96年に実施した中国青年10万人の意識調査の結果によると、「印象に残る日本人」は、1位東条英機、2位橋本龍太郎(当時の総理)、3位山本五十六、「日本から連想するものは何か」は、1位「南京大虐殺」、2位「中国に対する侵略戦争」、3位「武士道」……。日本についてどんな教育がなされいるのか、これだけをもっても知れる。

 彼らがインターネットに書き込む日本・日本人への罵詈雑言はとうてい読むに耐えないものである。そうした恐ろしいまでの反日国家に日本はこれまで3兆円ものODAを供与してきた。中国国民がその事実を知らないのは当然である。敵から援助を受けていることは決して知られてはならないのである。

 

Vol.33 日本の唯一持ちうる戦略  2002.9.18(水) 記   

全国女性(部)局長会議 歴史的な昨日――朝からそわそわしていたが、あまりにも残酷な結果となった。生存者5名、死亡者8名。誰がこんな結末を予想しただろう。

 北朝鮮は日本の主権を侵し、何の罪もない日本国民を拉致し続けた。その事実が判明しながら、国民の生命・安全を守るべき責務を負う政府は何ら手を打たなかったのだ。いやもちろん打とうとはしたのだが、政治は結果責任である。よく言われることだが、これが他の国であったら当然宣戦布告していたし、そんな「普通の国」だったら北朝鮮はこんな蛮行に及ばなかった。一言で言うと、日本はなめられているのだ。

 お人好しな日本人は、国民を拉致されながらも、飢餓に苦しむ北朝鮮の人民は可哀想だと、援助にも及んできた。ところが北朝鮮は4年前ミサイルまでぶちこみ、不審船は何度となく送り込んできた。日本の非ばかりあげつらい、自らの非は決して認めない。そんな「無法者国家」がこの度完全に路線変更した。68年の韓国大統領官邸射撃事件、83年のラングーン爆破事件など、数年後に非公式に謝罪したことはあっても、公に謝罪したのはこれが初めてである。

 なぜか。それだけ追いつめられたということである。

 瀋陽総領事館事件でも露わになったように経済難民は引きも切らない。2200万人と言われる国民の多くが飢餓状態にあり、国家はまさに崩壊の瀬戸際に立っているという。頼みの米国はブッシュ政権以後、北朝鮮をイラクと共に「悪の枢軸」と名指している。韓国の太陽政策も次の政権次第では覆る。日本に支援を仰がなければどうにもならない、まさにそういう崖っぷちに立ったがために、なりふり構っていられなくなったのだ。

 そうしてみると、日本が早くから米国や韓国を巻き込み、「太陽」ではなく「北風」路線で北朝鮮に臨んでいれば、あるいはもっと早くに路線を変更せざるをえなくなったのではないか。今更どう悔やんでも失われた人の命は返ってはこないが、これからの日本の外交を考えるためにも十分な検証は必要である。

 国交正常化交渉自体は日本の国益に沿うことである。北朝鮮の安定は地域の安定に資すからだ。そして、主権を侵害された日本政府自身もまた拉致の当事者として、堂々と被害賠償を求めていかねばならない。筋の通った毅然とした外交姿勢こそが戦争を放棄した日本の唯一持ちうる戦略なのである。

 5月28日付けで記した『国会学入門』の著者大山礼子さんからメールを頂いた。本の紹介のお礼とともに一点、私の記述の誤りへの指摘がなされていたので、早速該当部分を訂正しておいた。

 イギリスの閣僚は全員議員なのに、同じ議院内閣制を取りながら日本は過半数が議員で足りる。私はこれをアメリカの影響だとばかり考えていたのだが、そうではなく、イギリスから議院内閣制を取り入れたヨーロッパ大陸の影響だそうだ。閣僚と議員との兼職が禁止されている国さえ珍しくないという。近々改訂版が出るとのこと、改めて勉強しなければと思う。

 

Vol.32 竹中大臣相手に質問をしながら... 2002.9.12(木) 記 

決算委員会(9.12) 80年代のバブルがやがて崩壊、「失われた10年」を経て日本経済は依然低迷を続けている。株価も9000円代を割り込んだ。日米欧の同時株安で9月中間決算を前にどれだけの企業倒産が出るか、実に深刻な事態に陥っている。

 日本経済における根元的な問題はデフレが続いていることだ。7年近くも――実に異常な事態である。

 デフレはいいことだ――そう思っている人たちは大勢いる。恥ずかしながら私もその1人だった。少なくとも少し前まではその問題点を明確に認識していたとはいえない。物が安く買える。いいなあと。

 だが、事は決してそれほど単純な問題ではない。パソコンなど特定の品が技術革新によって安くなるのとは違い、デフレはすべての物の価値そのものが安くなるということだ。つまり、周り回れば給料も下がるのである。景気が悪くなるから失業も増える。不動産も株も安くなれば各企業資産は当然目減りしていく。銀行の自己資本比率は下がり、不良債権は増える一方、となればさらに貸し渋りが起こり、企業は倒産……「負の連鎖」が起こるのである。デフレと失業は紙一重の関係に立つ。失業率は5%以上と依然高く、リストラ等による自殺者も増え、若年失業者も増えている。

 現在の不況は消費不況なのである。個人資産は1400兆円あるが、みな金を使わず、預貯金に回す。なぜならば株や不動産を買っても上がらないからだ。職を得られないし、得たとしてもいつリストラに遭うか分からない。加えて、少子高齢化のこの時代、払い込んだ年金が本当に戻ってくるのかどうか信用もできない。つまり、将来が不安だからみな金を使わずためこんでしまう。

 デフレを解消するにはインフレターゲットが必要不可欠だと思う。日銀が例えば2%のインフレ目標を定める。皆にインフレ期待を抱かせれば消費行動、設備投資に走らるだろう、そういう政策である。

 国家戦略がない。哲学がない。経済しかり教育しかり。日本の50年後、100後の姿を見据えての戦略を練る機関がない。いつも目先のことばかり。国民が閉塞感を覚え、不安に駆られるのは当然である。
 思えば、なぜ日本は戦争に負けたのか。その総括がなされないまま今日に至り、未だに敗戦の傷から立ち直れないでいる。そして今、「第2の敗戦」だ。日本経済をここまで悪化させた「戦犯」は誰なのか、その総括もなされていない。70兆円もの国費を投入し、一体誰が責任を取ったのか。

 なあなあと水に流すのはムラ社会の日本にとっては良き伝統だろうが、国家としては駄目である。
 竹中大臣相手に質問をしながら、ますますそんなことを思う。

 

Vol.31 「何事をするにも遅すぎることはない」 2002.9.5(木) 記   

凌霜会(神戸大学同窓会)の先輩と(8.27) 9月に入っても残暑が厳しかったが、今日は少し落ち着いた。秋を感じたからかどうか、無性に自然が恋しい。山でも海でも、あるいは寺や神社でも。それと……恋愛小説がとても読みたい。ロマンを希求するときは心を失っているとき、つまり「忙」なのだと認識する。国会は閉会中だが、雑事その他目白押し。国会議員になって4年が経ち、暇を持て余しているようでも困るから、ありがたいことだと言わねばならない。

 先週から続いて9月1日(日)も「日本の外交」について講演した。兵庫県前川県議の後援会女性部約350人を対象にした研修会だ。場所は山代温泉。羽田から小松まで1時間(10年前、小松基地騒音差止め訴訟の国側代理人としてここによく通ったことを思い出す)、そこから車で30分。温泉だから畳と思っていたが、改築のその旅館には椅子席の大ホールがあった。みな熱心にメモを取りながら、頷きながら、聞いてくれる。講演も双方向だから、話す私も調子が出てうまく喋れのだとと思う。その後の懇親会に出席できなかったのがかえすがえすも残念である。

「何を話すか」(内容)に加えて、「どう話すか」(表現方法)。文章作成も同じだが、講演の場合は生身の「人」が直接の表現手段となるから、服装はもちろん、声や間の取り方、表情や身振り手振り、熱意などすべてが重要な要素となる。習うより慣れろ、回数を重ねる毎にだんだん進歩してきた、と自分でも思う。知っているはずのことがいざ話したり書いたりすることで知識の曖昧さを認識させられることも多く、自分自身にとっての大いなる勉強にもなる。

 というわけで最近、日本の近・現代史(加えて中国のも)をざっとおさらいした。一応は知っているつもりだったのに知らないことが多くてびっくり、恥ずかしくもなった。おそらくは知識が断片的で系統立ったものではなかった当然の結果なのにちがいない。聴衆の方々に間違ったことを伝えては申し訳が立たない。とくに数字などはきっちりメモしておくことにする。

 来週9月11日・12日、また決算委員会が行われる(どちらも6時間コース)。内閣・内閣府等対象の12日は、自民党内の質問希望者がなく、仕方がないので理事の私がまた質問することとする。ともあれ、質問ともなると本気で勉強するから、漠然と資料を読むのと違って身につくのだ。勉強しなければ。経済や外交関係の本をたくさん買い込んだが(法律関係の本は全然ない)、いかに読み、いかに自分の身にするか。願わくばもっとずっと前からこれだけ勉強熱心であったら我が人生も変わっていたのだろうと残念でもある。が、「何事をするにも遅すぎることはない」と自らを納得させる。
(ホームページを担当してもらっている山田秘書が今週一杯夏期休暇のため、この記述が載るのは9日以降になる。)

 

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