今月から来年度予算案審議が本格的にスタート、4・5日は参院で各党代表質問が行われた。喫緊の外交課題はもちろん、北朝鮮とイラク問題である。
イラク攻撃はアメリカの既定事実である。テキサスのオイルマネーをバックに大統領となったブッシュ大統領の真の目的は「石油」であるらしい。その一国単独行動主義(unilateralism)はますます度を深め、イスラム諸国は言うに及ばず、各国の嫌米感情は高まる一方だ。アメリカはフセイン政権打倒後、イラクに民主主義を導入し、親米国家を作ることを企図しているという。
その「成功例」がある。太平洋戦争後の日本である。二度と自分たちに刃向かってこないよう、軍事力を取り上げ、大和魂を取り上げる――。見事なシナリオにのっとって、日本は生まれ変わった。
『東京裁判』に続いて、『太平洋戦争』を読んだ。
著者児島襄(昭和2年生れ、2年前死去)は元記者である。綿密な調査に基づき、登場人物を生き生きと描く筆力は並のものではない。
アメリカのような大国と戦争をして勝てるわけないじゃないか……と思うだろうが、日本には勝算があったのだ。当時、日本海軍は世界一。軍隊の志気は高く、厳しく訓練され、その勇猛さは世界に鳴り響いていたのだ。
対する連合国はといえば、英国は独伊とのヨーロッパ戦線で手一杯でもあり、日本は、太平洋戦争開戦1941年12月から翌年5月までのわずか半年足らずの間に、西太平洋と東南アジア全域を支配下に治めえたのである。中でもオランダ領インドネシアでは5000万人の国民が日本に味方をし、一週間足らずで勝利したのである。
だが、以後の日本は行き当たりばったりの感がある。戦争が国際紛争を解決する手段として認められていたあの時代、戦争をした以上、勝たねばならぬ。それこそが至上命令であり、いかに自国に最大有利な時に和平交渉に持ち込むか。日本にはその戦略が欠けていた。
よく言われることだが、真珠湾奇襲に成功した際、ひとり艦船攻撃に留まらず、工廠や石油タンクなど施設を壊滅しておけば、アメリカは以後何年も立ち直れなかったのだ。以後随所でその種の失敗が見られる。沈没した艦船から暗号書が引き上げられ、日本軍の作戦が解読され続けたことも手伝って、どれほどの尊い命が無駄に失われたことか。
「たぶん下級兵士の中にかくも多数の熱心な日記記録者がいた軍隊は、歴史上、日本軍だけであろう」(『米海兵隊戦史』)。
兵士らは一糸乱れぬ規律の下、死を恐れず、自ら弾丸に向かっていく。それはおそらく、武士道はもちろん、日本が明治以降、天皇陛下の下で一つになり、そのために命を捧げることこそが名誉だと教えられていた故だろう。ガダルカナル島の死闘で自決した百武中将はこう言ったという。「日本人の流血を見た土地はいつかは必ず皇土になる。ガ島もそうだ。一度失っても、いつかはきっと皇土になることを確信する」と。そして最後にしみじみと述懐した。「戦いには負けたくないものだ」と。
彼らは「天皇陛下万歳! 靖国神社で会おう」と言って死に突進したのである。靖国神社に奉られている英霊(日本では死ねばみな英霊になる)は、対戦国がどう言おうと(もっともアメリカがとやかく言ったことは一度もなく、言うのはいつも中国と韓国・北朝鮮だけだが)我が国にとっては愛国者である。その人たちの尊い死の上に今の繁栄がある。英霊が今の日本を見たら、何のために自分たちは死んだのかと、悔し涙を流すに違いない。
私たちは何とまあ、歴史を知らずに育っていることだろう。
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