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Vol.60 日本には日本の立場があり... 2003.4.1(火) 記 

決算委員会(3.31) イラク攻撃が長期化している。なんとなくこうなりそうな予感はあった。思い起こせばベトナム戦争。近代兵器を持つアメリカがゲリラに手こずり、結局勝利は果たせなかった。

 アメリカはフセイン独裁政権を倒し、民主主義を樹立し、その民を救い、そして新しいアラブ秩序を打ち立てようとしている。その背後にちらつく巨大な石油利権はおくとしても、アメリカの正義(価値観)は決して絶対的なものではない。グローバリズムはアメリカニズムと同義である。イスラムにはイスラムの正義(価値観)がある。ちょうど日本には日本のそれがあるように。

 イスラムはユダヤ教、キリスト教と同じく唯一絶対神(アラーは「神」の意)を信じる啓示宗教である。そのうちでは最も新しく7世紀、預言者モハンマド(マホメット)によってもたらされた。世界史をひもとけば、世界の文明国は中国であり、またオスマントルコに代表されるイスラム世界であって、対するヨーロッパは、ルネサンスが起こるまでは遅れた暗黒の地であった。ましてアメリカは建国わずかに2世紀余、たとえどれほど物質的には豊かではあったとしても誇り高いイスラムの人々からすれば野蛮な非文明国にすぎないのである。
 
 もっとも日本政府の選択肢としては、日米同盟重視、つまりアメリカを支持する以外に方法がなかったのもまた現実である。なぜならば北朝鮮、つまり北東アジアの安全保障問題が厳然と存在し、その折頼りにできるのはアメリカだけだからである。その点、NATO(北大西洋条約機構)によって守られているフランスやドイツとはまったく立場が異なっている。

 極めて情けないことだが、日本は独力で国を守れない。そのためにアメリカについていかざるをえないのである。某野党のように何が起きても「話し合いで解決を」などと寝ぼけたことは論外としても、どれほど国連憲章違反の戦争だ(自衛戦争と国連安保理決議による戦争以外は認めていない)と言ってみても、現実の政治としては空しく響いてしまう。であればせめてイギリスのブレア首相のように国民に説明責任を果たせ、というのはもっともだが、先般北朝鮮に乗り込み先鞭をつけようとした小泉首相としては本音は語りにくいはずである。

 先月は12回も出張が入り(うち4回は泊まり)、体がもつか心配だったが大丈夫だった。ふと気がつくとすでに桜は満開だ。この短い時期ほど日本に生まれ育った幸せを感じる時はない。

 

Vol.59 憤り、哀しみ……また、愚かにも戦争 2003.3.20(木) 記   

 今日午前10時(日本時間)、アメリカの最後通告48時間の猶予が切れた。その後、イラク攻撃が始まった。

憤り、哀しみ……また、愚かにも戦争なのだ。人類はなぜこうも過去から学ばず、愚を繰り返すのだろう。総力戦によって数多の戦争被害者を作り出した「戦争の20世紀」を経て、国際連合を作り上げたというのに。

 日本は唯一の被爆国である。武力行使を禁じた憲法9条もある(そのため日本の外交の切札はODAなのである)。イスラエルとアラブの対立を生むのに手を貸してきた欧米諸国とは違い、日本は宗教的・文化的・歴史的すべてにわたって中立の立場にある。無色なのである。だからこそ日本に対してはどの国も良いイメージを抱いてきたのである。

 だが……日本政府は、その希有な立場を自ら捨て去り、国連主義も捨て去って、日米同盟のみを選んだのである。日本も色に染まり、アルカイダを初めとするテロのターゲットにもなる。同盟=無盲目に従うべし、ではもちろんない。それは各国がそれぞれの「国益」にのっとって判断すべきことなのだ。だが、悲しいかな、日本にはそれができない。「北朝鮮有事に助けてくれるのはアメリカしかない。だから」……。

 およそ自国を自分たちで守れない国は独立国ではない。我が身を守れない人間が独立した人間とは見なされないように。

 国民とは国防の意識を持つ者を言う。国防の義務は国政に参与する権利(参政権)に伴うのである。だが、平和ボケのこの国でそんなことを考える者はほぼ皆無であろう。平和は「当然」続くもの。万が一何か起こったら誰か(アメリカ?)が何とかしてくれる……。この国家意識のなさが「国益」のない外交(これは「外交」ではない)を招致している根元なのである。

16日(日)新潟、18日(火)大阪、19日(広島)……と出張が続いた。講演で私はそんなことを喋っている。

 今日は一日法務委員会、名古屋刑務所事件についての質疑が続く。元法務省の一員だった私としてもこれは徹底的に追及しなければならない忌まわしい事件である。

 

Vol.58 京都府連の学生に感動 2003.3.12(水) 記   

 週末8日(土)は京都に出張した。駅頭に始まり、四条河原町等々、全4カ所で街頭演説、2時から総決起大会に出席。あいにく雨が降ったり止んだりの悪天候、盆地特有の底冷えのする寒さで震えたが、幸い風邪は引かずに済んだようだ。

 京都府連の青年部には全国でも珍しい学生部がある。京都はそもそも学生の街である。京都大学その他の現役学生が私たちと共に街頭で演説をする。若者が政治に無関心であってはいけない。積極的に参加しようと呼びかけるのだ。それぞれ事前に一生懸命練習をしたというのに、中にはあがって何が何だか分からなくなったのもいる。緊張している?と尋ねると「200%緊張してます」と答えながらも結構うまく喋ったのもいる。それぞれがきびきびと真剣で、自分の若かりし頃を少し思い出したりして、いたく感動させられた。

 今時の若い者は……まさか。それを言うなら今時の大人たちは、と言わねばならない。古今東西、若い血を取り込まない組織は滅びてきたのである。

 10日(月)は史上初、決算委員会がテレビ中継された。

 何でもありの予算委員会とは違い「決算」なのだから、実際の数字を出すなどやり方を熟考しただけあって、質問に立った我が自民党の2人は野党さながらの良質な質問をしてくれた。だが残念ながら、その後に立った民主党議員はペーパーのまさに棒読み、中身も予算委員会と変わりない一般的なものに終始し、がっかりしてチャンネルを変えた視聴者も多かったのではないかと思われる。

 その委員会中の午後、突如花粉症を発症した。少し前から目の調子が悪く、コンタクトをやめて眼鏡にしていたのだが、どうやら花粉症の故だったようだ。幸い軽症なので生活に差し障りはないが、重症者は大変だと実感させられた。人間、経験しなければ分からないことが実に多いものである。

 

Vol.57 最高の誕生日 2003.3.6(木) 記  
キューバ・カストロ議長と(3.2)  この2日は人生で最高の誕生日だった。なんとカストロに会い、食事をすることができたのだ!

 2年前IPU(国会議員世界会議)でキューバに出張したとき、その演説を2度聞く機会があった。カストロの長演説は有名だ。6〜7時間はざら。だが、その堂々とした風格、張りのある声、魅力的な抑揚、凛とした身振り手振りは、聴衆を決して飽きさせない。

 その伝説のカストロが目の前にいる。真のリーダーのみが持つオーラがその場の空気を変えている。
「短く話します」そう切り出して、彼は周囲の笑いを誘う。次から次に日本への賞賛が出てくる。

「日本は子どもの頃から特別の憧れでした。いいおもちゃはすべて日本製でした」
「日本は不屈の精神によって戦後の廃墟から立ち上がり、世界第2の経済大国になった」
「日本は技術力が極めて高く、そのほとんどすべての製品が世界最高の品質です」
 そして、
「子どもの頃、人生は無限大にあるような気がした。今それらはすべて背中にいってしまった。唯一救われることは、日に日に幸福感が高まっていることだ」と。

日・キューバ議連懇談会(3.2) 思わずその言葉をメモした。言葉が輝きを放っている。

 歳月を経るにつれ、生きていること自体が愛おしくなってくる。日々の当たり前のことが感謝の対象となってくる。伝説のチェゲバラと共にキューバ革命を成し遂げたカストロは当時まだ32歳の若者だった。以後44年が過ぎ去った。

今月は出張がすでに10回入っている(うち泊まりが3回)。1日の富山(講演)は航空管制塔の故障で飛行機が大幅遅れ、3日の札幌(講演)は悪天候のため帰りの便が遅れた。あとは8日京都(選挙応援)、16日新潟(講演)……と新幹線ばかりだから大丈夫だろうが。

日・キューバ議連懇談会()3.2 ところで、ホームページを見た方から時々メールを頂く。励ましや情報提供など嬉しいことも多く、そういう場合はできるだけ返信を書いている。が中には、絶対に返事を出す気にはならないメールもある。

 例えば、一方的な、失礼極まりない質問の類だ。「メールで恐縮ですが」も「お忙しいのに申し訳ないのですが」もなく、法律相談したり、司法試験の勉強方法を聞いたり、その他いろいろ。しかしなぜ見も知らない他人にそんな厚かましい振る舞いができるのだろうか。そんなことができるのだったら、自分で調べることは何も要らず、また弁護士はじめすべての相談業務は成り立たなくなるだろう。

 ネットは、人が当然持つはずの親疎の感覚や常識を奪うのだろうか。俗に迷惑メールというが、便利で助かるメールを嫌だなと思うのはこんなときである。

Vol.56 決算委員会もテレビ放映されることに 2003.2.28(金) 記   

 俗に(?)「決算の参議院」、で今年から決算委員会の審議を格段に充実させることが決まった。

 これまで決算審議は遅れに遅れる傾向にあった。国会中は予算や各法案の審議に追われ(すでに終わった)決算にまで手が回らなかったからである。だがこれでは意味がない。でこの通常国会中に平成13年度決算の審議を完了し、それを来年度予算作成に活かせるようにすることが決まったのである。「夜なべをして」でも、だ。加えて、総理以下全閣僚出席の全般質疑のテレビ放映も決まった。3月10日(予定)。残念ながら私は決算委員会の理事ではあるものの、その折の質問者には当たっていない。

 ただ質問作成には関与した。何しろ初めてのことなので、いわゆる総力戦で事にあたったのだ。私はODAチームの一員。ODAといえば、昨年3月の予算委員会(テレビ放映)で対中国ODA供与の問題を取り上げ、全国からものすごい反響をよんだ。

 そもそもODAは日本の「国益」に則って行われるべきものである。国民の税金だから適正に「顔の見える援助」を行い、その評価も適正に行わねばならない。が実態は、対中国は一例にすぎず、問題が山積しているのだ。ばかりか特殊法人問題その他、税金の使われ方には多くの問題があり、それを国会はきちんと監視すべき役割を担っているのである。
 
まもなく誕生日が来る。2月が短いので、本当に早い。しかも今年はなんと年女!  でもまあ健康で、ありがたいことである。幸い体重も体型もこの20年来ほとんど変わらない。よく飲みかつ食べ、かつ「歩く」以外何もしていないというのに、だ。

 これはおそらくは良い姿勢と正しい歩き方によるのだろうと思う。背中をまっすぐに伸ばせば内蔵に良い。正しく歩けば変なところに肉はつかない。腰から歩く。そしていつも上から吊られているような気持ちで歩く。これが秘訣だ。簡単な健康方法なので、どなたにもお勧めしたい。

Vol.55 「普通の国」になるために 2003.2.21(金) 記  

凌霜会での講演(2.18) 戦争に勝った国は相手国を徹底的に打ちのめす。二度と自分たちに刃向かってこないように。それは、「カルタゴの平和」の例を見るまでもなく、古今東西の真理なのだ。

 アメリカはそれ故、日本を占領する政策として、日本の精神(大和魂や武士道に代表される)を徹底的に解体することを狙ったはずである。事後法を設けてまで戦犯を裁いた東京裁判しかり、日本の国柄のまったく見えない日本国憲法・教育基本法の制定しかり、その他ウォーギルトインフォメーションプログラムにより、日本国民が戦争を起こしたことに深く贖罪意識を覚えるよう仕組んだのである。それが功を奏し、おしなべて従順かつ教育レベルの高い日本人は変容した。これは世界史上希に見る占領政策の成功例であろう。

 しかしながら他面、アメリカによって戦後、民主主義、自由といった良い概念がもたらされたという評価もある。軍人が幅を利かせ言論も抑圧され、食糧まで事欠く日々の生活から、何事も自由、かつ豊かな生活が享受できる国になったのである。

凌霜会での講演(2.18) この国における最大の問題は、実はその点にこそあるのではないかと最近思うようになった。つまり、努力もなしに「他から与えられた」民主主義。他の国のように「血と汗で民衆が勝ち取ったもの」であれば、それを維持するために常に自ら戦わねばならない覚悟があるが、日本には、ない。

 我が国ほど個人の自由・権利が行き過ぎ、「公」が軽視される国はない。

 土地収用は進まない。赤軍に航空機を乗っ取られるや、法治国家にあるまじき「超法規的事由」によって、受刑者を解放してしまう(ダッカ事件)。世界初の生物化学兵器使用によるテロ事件を起こした集団をさえ解散させられなかった。犯罪捜査のための通信傍受でさえ「盗聴法反対」の嵐が起こる。生活に困ってもいないのにEnjokosaiと称して、少女たちがいとも簡単に売春をする……。例を挙げれば、切りがない。

 日本が「普通の国」になるために、何をすべきか。それを考えなければならないと思うのだ。

参院比例区の公認要件として、党員獲得ノルマが復活した。1万人以上! 一人年4000円(家族党員はその半額)、これからが大変である。

 

Vol.54 容易に選挙には出られない現実 2003.2.14(金) 記  

 一週間がすぐに経つ。ここ当分「絵」になる会合があまりなく、またたまにあったらデジカメの調子が悪かったりして、写真がなくて残念だ。

 昨日夕刻、党女性局長として、某女性誌の取材を受けた。「統一地方選を前にし、女性の地方議員を増やすために自民党は何をやっているか」と。

?@ 各候補者に党女性国会議員の写真入り「祈必勝」を送っている。
?A 選挙応援に党女性国会議員が積極的に参加している。
?B 年1回、2日間にわたる全国女性地方議員(候補者も含む)に政策研究会を実施し ている。テーマは参加者の希望により、昨年だと環境、男女共同参画社会、社会保障、 等々。政官その他の一流どころの講義の後、活発な質疑応答を行うこの研究会は至っ て好評で、逆差別との評もあるほどだ。

 とはいえ、いずれもその女性が選挙に出ると決めた後の話であって、その事前段階の方策ではない。

 女性議員を増やすために、フランスや北欧などいわゆるクォータ制を採用している国は結構ある。だが、日本には合わないと私は思う。理由は日本に陪審制が根付かないと考えるのに似ている。つまり、国民が自らそれを欲しているわけではなく、国民の声になっていないからである。

 政治家(他の職業でもそうだが)になるかどうかはあくまでその個人の適性・やる気といった資質の問題であり、ここに性は無関係である。それよりももっと重要なことは、資質があっても容易に選挙には出られない、その現実のほうである。

 自民党内は世襲議員が花盛り、小選挙区になってますますその傾向は強まる一方だ。現職が死ぬか引退し、その子ども・未亡人といった親族が出ない、そういう条件が揃わなければ公認は受けられず、となると事実上出られはしない。党の青年部が常々主張している予備選が必要とされる所以である。加えて、普通の職業人は選挙に出るためにおいそれと会社を辞められない。選挙のための休職制度が必要とされる所以である。

 政治が一部の人のものになっている現実が閉塞感をより強め、多くの無関心層を作り出しているのである。

 それにしても……政治家になりたいだろうか。そうだと言えば、あの人変わっているわねと思われるのが世間の相場ではなかろうか。5年前、検事を辞めて国会議員になることを相談したとき、10人中9人までが反対したものだ。そんな汚い職業に就くべきではないと。  尊敬される職業に政治家が決して挙がらない。女性議員の割合といった表面的な問題を遙かに超えて、それはずっと根の深い問題なのである。

 

Vol.53 「天皇陛下万歳! 靖国神社で会おう」 2003.2.7(金) 記   

 今月から来年度予算案審議が本格的にスタート、4・5日は参院で各党代表質問が行われた。喫緊の外交課題はもちろん、北朝鮮とイラク問題である。

 イラク攻撃はアメリカの既定事実である。テキサスのオイルマネーをバックに大統領となったブッシュ大統領の真の目的は「石油」であるらしい。その一国単独行動主義(unilateralism)はますます度を深め、イスラム諸国は言うに及ばず、各国の嫌米感情は高まる一方だ。アメリカはフセイン政権打倒後、イラクに民主主義を導入し、親米国家を作ることを企図しているという。

 その「成功例」がある。太平洋戦争後の日本である。二度と自分たちに刃向かってこないよう、軍事力を取り上げ、大和魂を取り上げる――。見事なシナリオにのっとって、日本は生まれ変わった。
 
 『東京裁判』に続いて、『太平洋戦争』を読んだ。
 著者児島襄(昭和2年生れ、2年前死去)は元記者である。綿密な調査に基づき、登場人物を生き生きと描く筆力は並のものではない。

 アメリカのような大国と戦争をして勝てるわけないじゃないか……と思うだろうが、日本には勝算があったのだ。当時、日本海軍は世界一。軍隊の志気は高く、厳しく訓練され、その勇猛さは世界に鳴り響いていたのだ。

 対する連合国はといえば、英国は独伊とのヨーロッパ戦線で手一杯でもあり、日本は、太平洋戦争開戦1941年12月から翌年5月までのわずか半年足らずの間に、西太平洋と東南アジア全域を支配下に治めえたのである。中でもオランダ領インドネシアでは5000万人の国民が日本に味方をし、一週間足らずで勝利したのである。

 だが、以後の日本は行き当たりばったりの感がある。戦争が国際紛争を解決する手段として認められていたあの時代、戦争をした以上、勝たねばならぬ。それこそが至上命令であり、いかに自国に最大有利な時に和平交渉に持ち込むか。日本にはその戦略が欠けていた。

 よく言われることだが、真珠湾奇襲に成功した際、ひとり艦船攻撃に留まらず、工廠や石油タンクなど施設を壊滅しておけば、アメリカは以後何年も立ち直れなかったのだ。以後随所でその種の失敗が見られる。沈没した艦船から暗号書が引き上げられ、日本軍の作戦が解読され続けたことも手伝って、どれほどの尊い命が無駄に失われたことか。

「たぶん下級兵士の中にかくも多数の熱心な日記記録者がいた軍隊は、歴史上、日本軍だけであろう」(『米海兵隊戦史』)。

 兵士らは一糸乱れぬ規律の下、死を恐れず、自ら弾丸に向かっていく。それはおそらく、武士道はもちろん、日本が明治以降、天皇陛下の下で一つになり、そのために命を捧げることこそが名誉だと教えられていた故だろう。ガダルカナル島の死闘で自決した百武中将はこう言ったという。「日本人の流血を見た土地はいつかは必ず皇土になる。ガ島もそうだ。一度失っても、いつかはきっと皇土になることを確信する」と。そして最後にしみじみと述懐した。「戦いには負けたくないものだ」と。

 彼らは「天皇陛下万歳! 靖国神社で会おう」と言って死に突進したのである。靖国神社に奉られている英霊(日本では死ねばみな英霊になる)は、対戦国がどう言おうと(もっともアメリカがとやかく言ったことは一度もなく、言うのはいつも中国と韓国・北朝鮮だけだが)我が国にとっては愛国者である。その人たちの尊い死の上に今の繁栄がある。英霊が今の日本を見たら、何のために自分たちは死んだのかと、悔し涙を流すに違いない。

 私たちは何とまあ、歴史を知らずに育っていることだろう。

Vol.52 夫婦別姓法案をどうやって本国会に上げるか 2003.1.30(金) 記 

各種団体との新年懇談会にていつもお世話になっている方々と(1.29) 懸案の一つ、夫婦別姓法案をどうやって本国会に上げるか、で頭を捻っている。

 この件については、ご案内のとおり、今発売中の『婦人公論』に対談が載っている。早速読んだと、男性の友人がメールをくれた。エリート官僚の彼は進歩派(?)だとずっと思っていた。だが、のっけから「男にとっては厄介なことがまた増えたという感じ」とある。「自民党のおじさん方が関心を抱かないのは当然だ」と。

 だが、夫婦別姓問題は言うまでもなく女性だけの問題ではない。例えば、結婚したい相手の女性が一人っ子で名前を変えられないと言う場合、「婿養子」にはまだまだ抵抗があるはずだ。すでに社会人だと名前が変われば非常に不便でもある。別姓を認めることは、だから男性にとってもまた生きやすい社会を作ることなのである。

 とまれ、その人自身が同姓論者であって何ら差し障りはないのである。要は、別姓でなければ困るという別の人の生き方を認めるかどうか、という寛容性の問題なのである。個々の選択肢を広げ、より生きやすい世の中にすることは、これからの時代にとって不可欠である。それによって少子化も幾分は救われるはずだ。この法案は、仕事を続ける上、あるいは一人っ子同士などの事情があって名前を変えたくないというカップルのためにその便宜を図ろうというものだ。名前だけのためにやむなく事実婚にしている、非嫡出子にはできないので子どもも産めないというのは決してわがままなどではない。むしろ法を尊重していればこそである。

各種団体との新年懇親会にていつもお世話になっている方々と(1.29) 日本人であることに誇りを持つ私としてはできるだけ言いたくはないのだが、「みなお手々つないで」、「出る釘は打たれる」のはムラ社会の一つの現れなのだろうと思う。だが、家族や社会は時代とともに変わっていく。それとともに法律も変わらねばならないのだ。今ある法律がこうだから人もそれに合わせて生きなければならないというのでは本末転倒だ。他人にどれほど寛容であれるか、それは国際化時代の一つの大きなテーマでもある。

 先週末、不覚にも捻挫をした。4年前に初めて体験し、大変さが骨身に染みて分かっているため、今回は最初から安静を心がけている。夜もよほどのもの以外はすべてキャンセルした。酒や入浴は血行がよくなるし、避けたほうがいいのである。スタイリスト(!)の私としては、格好悪くて嫌だけれど、外出するときもサポーターを外さない。

 怪我でも病気でも、なってみて初めて常がいかに幸せであったか、健康のありがたみが身に染みる。幸い悪いのは足だけ、目は大丈夫なので、寝っ転がったまま本を読んでいる。児島襄著『東京裁判』(上)(下)読了。西洋史関連の本を3冊、その他。人生万事塞翁が馬、こういう暮らしもまたなかなかのものである。

 

Vol.51 『被告人』を観劇して 2003.1.23(木) 記   

通常国会開会日(1.20) 今週、第156回通常国会が開会した(〜6.18)。

 いつもは開会式の後すぐに首相が所信演説するのだが、今回はなし。昨年積み残した補正予算案をまず審議するため、塩川財務大臣の演説のみだった。今月一杯がその審議、2月から通常の予算審議に入り、3月内成立。各委員会での法案審議はそれ以後になる。私が所属する法務委員会には新旧10件の法案が係っており、質問を専ら担当する私の出番は俄然多くなる。

 おまけに今年は統一地方選挙(と衆参補選)が施行される年でもある。加えて、私がこれまた所属する決算委員会は、参院改革とも絡んで、第一回の全般的質疑をテレビ放映するという。決算の迅速化の至上命令下、通常国会中に毎週決算委員会を開く運びとなり、なかなかに大変である。
 
 ジェフリー・アーチャーの脚本による『被告人』を観劇した。  被告人は著名な心臓外科医。その妻は以前から心臓を病み、ある日不審な死を遂げる。遺体はその遺言に従い火葬に付されるが、その後、被告人が愛人の看護婦を使って別の薬局から塩化カリウムを入手し、殺害した疑いが強まる。妻の死により被告人には多額の保険が下りてもいる……。

 さすが希代のストーリーテラーによる脚本だ。5人の証人、そして被告人(英米法ではも被告人もまた宣誓しなければならない)に対する検察官・弁護人の息もつかせぬ尋問。陪審員は観客自身だ。最初に配られた無罪・有罪の札を上げ、それをカウントした結果が判決となる。つまり、脚本の最後は2種類あるというわけだ。

 たしかに被告人には多大の疑惑がある。だが、証拠によって有罪、すなわち「合理的な疑いを超えて」被告人がやったと確信できる事例ではとうていなかった。第一、彼のいついかなる「行為」によって「死亡」に至ったかの因果関係自体が立証できていないのである(死因は単に「心不全」)。つまり、日本では起訴状を書けない。ということは逮捕すらできない。加えて、彼にはその日時、別の患者を診て死亡診断書を書いたというアリバイすらあるのだ(そのアリバイが違うという立証もなされていない)。

 当然、みな「無罪」の札を上げるだろうと思っていた。ところが、過半数が「有罪」! で被告人は無実の罪で終身刑となった。怖い。実際、真犯人は別にいたのである(この人が真犯人だというヒントは劇中に登場している)。だが、結論のみで理由の付されない陪審の評決に控訴という手段はないのである!

 証言を注意深く聞き、論理的な判断に達するにはかなりの知的レベルが必要である。集中力を欠いていると証言は過ぎ去ってしまう。日本でも裁判員制度が導入される。どういう方向に行くのか、予断は許されない。

 

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