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Vol.70  自民党で握りつぶしていいはずはない 2003.6.18(水) 記 

6.16決算委員会 昨朝8時半法務部会、夫婦別姓の件。
 まずは私が議員立法の内容を説明した。何をどう聞かれても答えられる準備はしているが、質問は皆無。代わりに、「なぜ国会閉会直前になって慌てて部会を開くのか」といった非難、あるいはまた「夫婦同姓は日本の2000年の文化伝統」(事実誤認も甚だしい!)「子どものことを考えていない」といった相変わらずの「ためにする反論」の数々。

 縷々主張した。「法律には、人を殺すなかれといった、古今東西いついかなる時代にあっての変わらない真理もあれば、家族のあり方のように時代の流れによって変わっていくものもある。女性の社会進出もどんどん進んできているし、一人っ子同士も増えてきている。氏制度も見直されて当然だ。よく考えてもらわないといけないのは法律婚として認められたいと考えるからこそ別氏を認めてほしい、つまり法律を遵守しようとしているのだ。困っている人たちがいれば救うのが政治の役目じゃないのか。民主党その他から法案も上がっている、自民党で握りつぶしていいはずはない。国会に出して審議しなければならない」と。

 呆れたことに、「家裁の許可というが、裁判所は信用できない(これでは三権分立そのものの否定だ!)。人を殺すなかれというが、正当防衛もある(一体何のことだ、これは?!)」云々。部会の意見集約は困難だから上のレベルに上げたいとする私たちの主張に対しては「部会でやってくれ」(つまり絶対に通さないということだ)の一点ばり。で今一度持ち越しとなった。

 まさに無理が通れば道理が引っ込む。論理も何もなし、ただの感情論だ。そしてこれが情けないことには「国民の代表者」の実態なのである。ここまで強硬に反対するのは、個人の信条というよりむしろ某圧力団体の意向を受けているとしか私には思えない。しかし、その団体もまた通称使用には賛成しているのである(つまり不便は承知なのだ)。彼らは別姓には反対、だから通称使用の法案を出すと言ったまま今に至るもなしのつぶてだ(出せるはずはないと考えている)。あまりにも無責任ではないか。

 終わって、賛成派の代表2人の訪問を受けた。1人はこの秋に子どもが産まれるという。「でもこんな国じゃ、もう産みたくなくなってきました」と、泣いていた。気持ちはとてもよく分かる。「そう言わずに。国のためじゃなくて、貴女自身のために産むんだって考えてよ」。そう言うと、少しだけ頷いてくれた。子どもを産むって素晴らしいことだ。残念ながら私には出来なかったことだから、よけいに。

 少子化の中、未婚のまま子どもを産んだ女性をさえ保護しようという流れの中で、正式に結婚して子どもを産もうとしているカップルを救わない現実は何ともバランス感覚を失している。しかし理屈の通らない世界なのだから、理屈で怒ってもどうにもならない。別の手を考えなくては。

 今回のことでは、たくさんメールやファックスを頂いた。中でも感激したのは力足らずの私にまで気を遣ってくれた方々の存在である。勝手に以下、引用させていただく。

「先生、私すごく悔しいです。先生がそんなにしてまで頑張ってくださったのにどうして、こんなことになるんでしょう。先生は、どうしてそんなにいやな思いをしなければならないのでしょう。悔しくて悔しくて、涙が止まりません。  今年こそ、夫と入籍できると思っていたのに、神道政治連盟がいる限り、永久に入籍できないのではないかと人生が真っ暗になります。
 佐々木先生、本当に今日はお疲れ様でした。ありがとうございました。まだまだ私は諦めません。少しずつ、地道に、議員の先生達にメールで心情を訴えつづけます。佐々木先生も、是非とも、よろしくお願いいたします。
 感情的な文章になってしまい、申し訳ありませんでした。」

 いいえ、ちっとも感情的なんかじゃありませんよ。感情的なのは貴女方ではありません。

 

Vol.69 盧武鉉大統領の演説 2003.6.9(月) 記   

 韓国の盧武鉉大統領が当選後初来日、今日国会で演説が行われた。韓国は中国と同じく、未だに靖国神社参拝、歴史教科書等々、過去に絡んで内政干渉をしてくる国だとして国会議員の間にも反感が根強く、空席が目立つおそれが囁かれていたが、まずまずの入りであった。

 演説はやはり、未来志向と言いながら、「本日、議員の皆様と各界の指導者の皆様に「勇気ある指導力」を示してくださるよう、丁重にお願いしたいと存じます。過去はあるがままに直視しなければなりません。率直な自己反省によって相手を理解し評価するよう国民を説得しなければなりません。真実を語ることこそ真の勇気だと考えております」等々、「終わりに議員の皆様に一つお願いの言葉がございます。60万人の在日韓国人は……。地方参政権が付与されれば、韓日関係の未来に非常に大きな役に立つことでしょう。」

 一方的に日本が悪い。それが彼らの大前提である。互いに歩み寄る姿勢なくして和解がありえないのと同様、これでは共通の歴史など作れるはずがない。中国も韓国も「反日」を国策として利用している節が多々あるが、せっかく北東アジアが一つにまとまらなければならない折に非常に残念なことである。

 麻生太郎政調会長が講演で「創氏改名は向こうが要求した」旨の発言をしたことがマスコミで取り上げられたことについて、先週6日の総務会で「思慮を欠く発言だ」との指摘があった。これに対して奥野代議士が「内務省の文書課に勤務していたが、事実はその通りだった」と、対して別の代議士が「そう要求せざるをえない雰囲気にさせたのだ」。山中代議士は「日本は台湾にも同じことをしたが非難されたことはない」。

 当時は欧米の列強が各地に競って進出し、次々と植民地にしていた帝国主義の時代であった。当時の世界地図を広げてみれば、独立国はアフリカではエチオピアだけ、アジアではタイと中国。ただし中国(清)は列強に進出され、あへん戦争で息も絶え絶えの状態だった。日本もまた植民地になるのは容易なことだったが、そうはならじと列強に追いつき追い越せをスローガンに富国強兵を押し進め、その後は大東亜共栄圏の理想を掲げ、アジアから欧米列強を駆逐すべく立ち上がったのである。いずれかの時点で道を踏み外したのは事実だとしても、過去の歴史すべてを否定するのは先祖に申し訳が立たないし、何よりも歴史(事実)を一方のみから見る誤りを犯していると言うべきである。

 産業革命下で原料の調達先と工業製品の購買先を求めていた欧米列強にとって、植民地はただ収奪と搾取の対象であり、製造技術を教えたり各種インフラを整備したり、ましてや国民に教育を施すような対象ではありえなかった。つまり、自国の一部・国民として処遇しようとした日本の台湾・朝鮮支配とはそもそもが次元が異なるのである。インドの人たちが英国人の姓名を欲しいといって許される状況にあったか、考えるまでもなく答えはノーである。

明日、夫婦別姓の件について、福田官房長官・麻生政調会長・山崎幹事長に申し入れに行く予定。

 

Vol.68 まずは一歩、それでも前進 2003.5.30(木) 記   

 諸外国に比べ、日本では精神病患者の入院率が高く、期間も長期化傾向にあるという。社会での受け入れ先さえあれば退院できる患者(社会的入院)の数は7万人以上とも言われている。で、思い出したことがある。20年ほど前視察した精神病院で知的障害者(成人)が入院していたことを。治療の対象ではないが、家族が引き受けたがらないから――理由を聞いて複雑な思いがしたものだ。

 福祉施設の代用として、刑務所もまた使われているのである。犯罪を繰り返すうちに親は死に、迎えてくれる家はない。手に職もなく高齢になっては働く先もない。出所したその足で腹一杯無銭飲食し、そして唯一の安住の住処「刑務所」に舞い戻ってくる……。高齢者社会を反映し、こうした受刑者は確実に増えているのである。

法務委員会(5.29) 法務委員会ではこのところ、触法精神障害者法案(正しくは「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律案」)の審議を延々と続けている。昨年の臨時国会で衆院が半ば強行採決、今国会で参院に送られてきた法案だ。たしかに問題なしとはしないのだが、だからとはいえ従来通りの措置入院でいいはずもない。暴力傾向のある患者は処遇が難しいからと現場が早めに退院させる(そしてアフターケアがなされない)、そのためまた再犯を犯す危険性がある実態を見過ごすことはできないからだ。まずは一歩、それでも前進なのだと思う。

 『戦争中毒』(ジョエル・アンドレアス著 合同出版)を読んだ。副題は「アメリカが軍国主義を抜け出せない本当の理由」。アメリカ内にもこうした意見を堂々と述べ戦争に反対する人たちも大勢いるのである。9.11のテロに端を発し、アフガニスタン、イラクと、アメリカの戦争を支援し、復興に加担する日本の本来あるべき姿を考え直すためにも是非とも読んでいただきたいと思う。軍事費を肥大化させて得をするのは一体誰なのか。1人でも多くの人が冷静に考えることが平和への道である。

 

Vol.67 「延長なし」との報道が流れ 2003.5.22(木) 記  
日本・EU議員会議(5.20)  第24回日本・EU議員会議が東京(参院委員会室)で開かれ、初めてメンバーに選ばれた私は冒頭、国連の役割の見直しについて率直な意見表明をした。(詳しくはこちら

 国連は連合国が戦後処理体制として作ったものであり、未だに敵国条項が残っている。日本は国連分担金の19.5%を拠出し、22%のアメリカに次いでいるのに、安保理においては拒否権を持つ常任理事国はおろか非常任理事国(2年ごと改選)ですらなく、意思決定の蚊帳の外に置かれている。日本人職員数も非常に少ない。加えてイラク攻撃の際の分裂に見られたようにもはや国連は機能せず、抜本的見直しが必要な段階になっている。是非EUの皆様方の協力をお願いしたい……。

 席上、相手方副団長から「まったく知らなかったことで驚愕した。何とかしていきたい」との発言がなされた。要するに、主張していないからみな知らないのだ。知ってもらうために日本はもっともっと訴えなければならない。謙譲の美徳は国際社会ではありえない。

 先週月曜(12日)にスタートした個人情報保護法特別委員会は連日開催、昨日昼過ぎ可決された。明日本会議で可決通過の見込みだ。本来であれば今日は法務委員会が開かれるはずだが(参院常任委員会の定例日は火・木)、今日はなし。審議中のいわゆる触法精神障害者法案が、共同所管である厚生労働省副大臣に絡む問題(関係団体からの政治献金がこの法案絡みだと野党が追及。連日報道もされている)で止まったためだ。で、今日は少し余裕ができ、机の上に積み上げた書類を少しずつ整理している。

トルコ大使と(5.15) 数年前まで法務委員会は暇な委員会だったそうだ。マスコミの注目を受けることもなかった。ところが一転、今や最も繁忙な委員会であり、マスコミの注視を受けることも多くなった。今通常国会にも10を数える法案が係属している。それなのに名古屋刑務所問題を野党が糾弾、未だに大臣の所信表明さえないままとりあえず触法精神障害者法案と司法改革関連法案(これはもともと内閣府所管であるため)を先に審議する予定だったのが、それさえ危うくなってきた……。

 6月18日までの会期末まで後わずか、それなのに延長なし……との報道が流れたせいだろう、夫婦別姓法案を早くお願いしたいとのメールが数多く届くようになった。この件については私も非常に気にしているものの、思ったようにはなかなか進まず、申し訳ない気持ちで一杯だ。

Vol.66 委員会で一杯 2003.5.15(木) 記   

法務委員会 5.13 今週はまさに委員会がびっしり。

 12日(月)決算委員会(対外務省・防衛庁、総務省、財務省)5時間。
 13日(火)法務委員会、参考人質疑午前午後各2時間(午後は質疑をした。写真)。その後個人情報保護法特別委員会(〜午後6時)
 14日(水)本会議後、個人情報保護法特別委員会(〜午後5時半)
  午後10時に就寝、今朝何とか持ち直していて、ほっとする。

 今日15日は法務委員会午前午後、その後また個人情報保護法特別委員会に出席する。この特別委員会は連日開かれ、法案の「上がり」は来週火曜(20日)の見込みらしい。

 明日16日(金)は本会議後、ソウルに出張する。党の司法アクセスポイントプロジェクトチームの一員として、韓国の当該組織を視察するのである。一泊して翌日午後、新関空にとんぼ返り。18日(日)、豊岡(兵庫県)での講演(少年問題)が入っているためだ。

 ともあれ、新型感染症予防のため空港でマスクをしなくては。

 とりあえず「誇りある国を取り戻そう」を起案し、推敲前に掲載している。「安全な国を取り戻そう」は起案中。気にはなっているのだが、目下仕事で手一杯である。

 

Vol.65 できるだけ普通の国に  2003.5.8(木) 記  

法務委員会(5.8) 飛び石連休ながら後半3連休あったのに、予定していたことの半分も出来ないままに終わってしまった。最後の6日は慌てて頑張り、最初からこうだったらよかったのにと後悔したが、はてさて振り返れば、これまでの人生ずっとこの繰り返しだったと思い起こす。最初から怠けずきちんとやっていれば……人生は大きく違っただろうが、そうはできないのが凡人たる所以で、などと自ら慰めたりする。

 悲惨な池田小学校事件が起きてから、来月でちょうど2年となる。それを契機に議論が深まった触法精神障害者処遇法案、正式名称「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律案」は昨年末衆院を通過、参院法務委員会での審議がようやくこの連休明けに始まった。

 昨日はそのトップバッターとして、法案の概括について1時間質問をした。その準備のために改めて法案を見ると、党プロジェクトチームの一員として立案に携わった私ですら一読しての理解は結構難しい。

 こうした人たちの処遇については従来、精神保健福祉法による措置入院があったが、この制度には欠陥があることがつとに指摘されていた。入院させた後の治療・退院は当該精神病院の判断に委ねられているため、ともすれば処遇の難しいこうした人たちを退院させたがる傾向もあり、ある意味での無責任状態となっていたのである。それを本法案で裁判所の司法判断にかからしめる責任ある仕組みを作ったのであり、社会を危険から守る観点ばかりではなく、本人の人権もまた確保される仕組みとなっている。
 今作成中の新しいホームページ中に詳しく書いたが、この国では個々の権利・自由に重きが置かれすぎ、公の利益があまりに軽視されているように思う。なかなかに難しいができるだけ普通の国にしていかなければと思うのである。

 個人情報保護法案審議のための特別委員会が設置され、その委員に指命された。これで所属する委員会は4つ。法務委員会では自民党唯一の法律家でもあり、もっぱら質疑は私に委ねられている。地方統一選を終えて一段落。連休も終わったことだし、今国会終了まで健康に気をつけながら一日一日を大事に過ごしたいと思う。

 

Vol.64 自然体のピーター・フランクルさん 2003.5.1(木) 記  

�ヒ�゚�ー�タ�ー�フ�ラ�ン�ク�ルさんと(4.30) 昨日、ピーター・フランクルさんと週刊「自由民主」の対談をした(於党本部)。

 テレビなどでも活躍されており、よく存じ上げている。ハンガリー生まれ、数学者。フランス亡命を皮切りに世界中を周り、11カ国語に堪能。大道芸人としても知られるが、学生の頃にお手玉を習ったのがきっかけだったという。対談のテーマは「才能を伸ばすには」。

 フランクルさんはこれが出来る、こんな努力をした、などと威張らない。かえって、音楽が出来ない、出来ないことがたくさんある、と言う。勤勉で努力家の父親、愛に溢れた母親に恵まれ、その後恩師らとの出会いにも恵まれて、やりたいことを懸命にやってきた結果……そんな感じなのだ。

 最近の子どもたちは身近にヒーローがいなくて可哀相ですねえ。後悔はいくつもありますが、それはすべてやらなかったことにあります。やってみて後悔したことは何もありません。失敗すればそれに学び、次に成功すればいいのですから。まったくもって同感である。知的好奇心のあるかぎり、人はいくつになっても新しいことを始められる、と思う。

 それにしてもフランクルさんの日本語の流ちょうなことといったら。孔子の言葉や日本の格言などが随所に出、ただ者ではないと思わされる。ちなみに中国語もハングル語も出来るという。拙著『日本司法文化』を一読後、対談に臨んでくれたなんて、世の中にはすごい人がいるものだ。年齢は変わらないのに、何倍(いや、何十倍か)もの人生を歩んでいて、それであくまで自然体だ。久々に感動した。

 終わって私の会館事務所でさらに話をした。フランクルさんもまた、日本の教育を憂えている。

 公立学校のレベルが落ち、富による教育格差が広がっていますね。何でも平等に……これじゃ出来る子が可哀相です、それに人間は敗北や失敗から学んでいくのですから。小学校から英語を学ばせるなんて。日本人が英語が出来ないのは当たり前です、必要がないのですから。必要さえあれば知的レベルが低くても必要な外国語は喋るのです(パキスタンに行ったとき同地の外交官も同じことを言っていた)。まったくもって同感だ。外交官にはかえって語学は必要ないですよ。英語圏の人と英語で交渉すればそれだけでハンディですから。母国語で交渉して、通訳を介せばいいのです。

 ロシア語が一番難しいですか。問うと「いいえ。日本語ですよ」。「私」や「あなた」にも幾通りの言い方がある。たしかに。漢字を覚えるのはやはり苦労したそうだ。

  このホームページを立ち上げてからすでに1年が経過した。見直しを気にかけながら果たせないでいたが、一念発起、統一地方選も終わったことだし、この連休を利用して新しく原稿を書いている。5年近く永田町にいて、まとまりつつある考えの一端を、5月中には披露できるようにしたいと思う。

 

Vol.63 勝手に悦にいっている 2003.4.25(金) 記 

園遊会(4.17) 今週はとても忙しかった。
 月曜:決算委員会(午後一杯)、火曜:法務委員会(午前午後)、水曜:金融問題及び経済活性化に関する特別委員会(略して「金融特」午後一杯)、木曜:法務委員会(午前午後)……。これに加えて、本会議、部会に選挙応援、等々。

 委員会ではただ座っているだけではなく(!)木曜午前には質問をした。裁判官・検察官等を法科大学院に派遣するための法律の参考人に対して、だ。日本版ロースクールの開校は来年に迫っているのである。

 参院自民党における私の質問回数はトップレベルに属しているはずだが、それでも野党議員に比べれば少ないだろうと思う。その理由はまず自民党の所属議員が多いこと。それなのに質問回数・持ち時間が野党に比べて少ないからだ。

 法務委員会(4.24)自民党は与党だから(政府提案にかかる)法案審議をまずは政務調査会(部会)で行う(これを「党の事前審査」という)。その後総務会を通って初めて法案は閣議了解され、国会に提出されてくるのである。つまり、野党が関与できるのはそれ以後のことになる。だから委員会で俄然ハッスルするのである。

 質問時間は議員の頭数で割り振るから断然自民党が長いはずだが、野党への配慮、かつ審議促進のため大幅に削るのが慣例となっている。結果、自民党30分(質問をしないことさえあり)、民主党 90分(以下、各党30〜20分) なんて例も決して珍しくはないのである。

問題は、質問の内容である。今週はとくに民主党若手らのひどさが目立った。周り中ブーイングコールだったが、本人らは勝手に悦にいっている。

 例えば、自分がかつて大学で教えていた話をだらだらと20分も喋りまくる(その間答弁者への質問は何もないのだ!)、あるいは自分がかつて医業に従事していた話をまったく比較にも参考にもならない金融特で喋りまくる……。

 まともな質問内容がないのであれば時間は不要である。そのために速記などどれだけの無駄なコストがかかるか。「法案の実体に関われないから欲求不満がたまっている。なにせ法案審議を遅らせるしかできないのだから」……という密かな声が聞こえてくる。野党に力がなくては与党もスポイルされる。日本にとっていいことは何もない。

 

Vol.62 統一地方選前半戦を終え 2003.4.16(水) 記 

 統一地方選前半戦(13日)が終わり、まずはほっと一息ついている。先週いっぱい国会は事実上の休戦状態、だが明けて14日(月)決算委員会、今日本会議と、久しぶりに同僚議員と顔を合わせた。

 13日投票だったのは知事・県議会議員(加えて政令指定都市の市長選・市議会選)である。応援に入った選挙結果は10勝4敗(他に無投票当選あり)。総決起大会など各種集会に出席しての挨拶・講演、街頭演説、企業周り……。応援の程度の差こそあれ、そうした候補の当選はとても嬉しいし、その反対に落選はとても残念だ。ぐらいだから、ご本人・家族、支援者に至ってはいかばりかと身にしみて実感する。まさに天国と地獄の差である。

 遡って4年前の地方統一選。思い起こしても都知事選以外の記憶があまりない。この4年間に人的つながりがあちこちに出来た。加えて党女性局長の肩書もある。当事者意識を持って改めて見れば、どの事務所にも多くの人が関わっている。これだけの人を集めるだけでも並外れたエネルギーがなければできないことだとつくづく思う。

 政治の信頼はますます揺らぎ、有権者の政党離れが進んでいる。全国的な晴天にもかかわらず(というのも変だが)投票率もおしなべて低かった。

 しかし、民主主義とは「人民の、人民による、人民のための政治」(リンカーン)なのである。適正な代表者を選ぶことは国民の権利であるとともに義務なのだ。その義務を自ら放棄しておいて、あれこれ文句だけ言うのはいかがなものか。だが、この「正論」を言うのも今永田町にいる故かもしれない。でなければ自分もまた棄権組でなかったと、言い切れる自信は、私にはない。それほどに政治不信は深刻な問題なのだと思う。

 

Vol.61 選挙戦も文字通り戦争 2003.4.10(木) 記   

 前回、イラク攻撃が長期化していると書いたばかりだ。

 だが……戦争開始から21日目の前日、米英軍は首都バグダッドのほぼ全域に部隊を展開、制圧したとの報が流れた。フセイン大統領・その後継者の行方は依然知れず、だがフセイン政権はこれで事実上崩壊、以後暫定政権の樹立など戦後復興の動きが加速するはずだ。アフガニスタン復興支援同様、ここでも日本の出番が登場する。

 アフガニスタン後では日本は復興会議を主催し、法外の金を拠出した。だが、肝心の復興はなかなか進まず、いつの間にか元の木阿弥状態だとも漏れ聞く。

 日本は約60年前、戦後の廃墟の中から立ち上がり、見事に復興を成し遂げた。世界史上の一つの奇跡を可能にしたのは日本人の民度の高さだったといえよう。教育熱心、勤勉、規律正しさ。復興のお手本に自ら成し遂げたとはいえ、文化・歴史の素地がまるで違うところでの復興支援は難事である。

 だが、たしかにアメリカが言うように、この地域を民主化(民主主義はその国によって在り方が違うにせよ)することによってのみ、際限のないテロや争いをなくせるのだという理念自体は決して誤りではないと思う。

4日、県議選(政令指定市議選)が告示された。当日は5時半起床、7時の新幹線に乗って愛知小牧まで。自民党推薦女性県議候補(前市議)の出発式に参列するためだ。同県では自民党女性県議はこの40年間1人もいない。各県とも自民党女性県議の数は1人ないしゼロと、圧倒的に少ないのである。

 その後京都に足を伸ばして女性市議の応援。折からの雨で京都は底冷えのする寒さになった。夕刻名古屋で途中下車、名古屋市議候補の女性を応援、そして午後11時帰宅。以後、あちこちの応援に出かける毎日だが(今日は親しい県議の応援に新潟まで)、応援だけでこれだけ疲弊するのに本人であれば心身共にきっとぼろぼろになるだろうと改めて思わされる。選挙戦は文字通り戦争である。


 

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