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Vol.90 奇妙な事件  2003.11.6(木) 記 

 いやはや、世の中、いろいろなことがあるものだ。

 10日程前のこと、突然、知らない男性から電話がかかってきた。「第一東京弁護士会の佐々木知子先生、ご本人ですか」。そうだ、と答えると「NPO……知ってますか」。
 と言われて、あっと思い出した。半年ほど前のこと、奇妙な電話があったのだ。その女性は同姓同名だと名乗り、NPO……に関わっていると言っていた。弁護士ではないが弁護士になるための勉強をしている、名前が同じなので御迷惑をおかけするといけないので、云々。内容がよく飲み込めず、以後すっかり忘れていた。

 その話を告げた。男性は言う。最近「弁護士 佐々木知子」と連絡が取れなくなり、弁護士会に問い合わせて私を教えてもらったと。無関係であることはすぐ了解してもらえたが、その事情次第では私も被害届を出さないといけないかもしれぬ。詳しいことを教えてほしいと言うと一転、「何とか連絡を取るようにしてみますから」と逃げ腰になった。気持ちの悪い話である。

 真相は2日後、明らかになった。なんと、くだんの女性から電話があり、謝罪をしたいと言う。すぐに会って話を聞いた。小柄な女性は30代、一流大学卒でもあるらしい。

 いわく、法律の勉強をしていたが、知人に勧められて多重債務者を救済しようとNPOを作り、相談料を受け取って、債権者との交渉に当たっていた。その過程で弁護士の肩書があったほうが便利なので、たまたま姓が同じだった私の名前を使わせてもらった。むろん私が現在議員であることも承知の上だ。持参してもらった数多の書類には「東京第一弁護士会(正しくは「第一東京弁護士会」)所属弁護士 ササキトモコ」とある。弁護士法違反に加え、私文書偽造・同行使にも当たるだろう。

 逃げ腰になった男性は無登録業者なのだという。でなくても出資法制限以上の金利を取っていては、出るべき所には出られない。みなそれぞれが臑に傷を持つわけだ。「被疑者」は事務所をすでに閉じたという。いくつか指示をしたが、後味の悪さは大いに残った。議員として少しは関わっていたが、ヤミ金融問題はこれほどまでに深刻だったのである。

 最近奇妙な事件がよく起こる。

 大阪での一家殺人・心中未遂の少年少女カップル。すでに18歳・16歳なのに、自分たちしか存在していないようだ。親や家族ですら虫けら同然、生身の人間とのコミュニケーションはないのに、片やネット上では大いに自らを訴えている。そのバランスの悪さはまさにバーチャルリアリティ(仮想現実)だ。生の人間同士が本音をぶつけ合い、その過程で互いに傷つき傷つけて、成長していく発達段階がないのだ。生はますます希薄となり、生きる力は衰える。

 いよいよ「マニフェスト選挙」戦も終盤となった。私の選挙応援も明夜がたぶん最後である。一般の関心が高いのは喜ばしい限り、とにかく選挙権を行使してもらうこと、何もかもがそれから始まる。

 

Vol.89 技能五輪全国大会閉会式 2003.10.30(木) 記   

技能五輪全国大会閉会式(10.30) 27日(月)、新潟で開催された第41回技能五輪全国大会閉会式に出席、挨拶をした(写真)。参加者は23歳以下の青年技能者だ。

 参加数974人はこれまでの最高である(観客は12万人を超えたという)。種目は34種、電子技術系、機械系、金属系、建設・建築系、それにサービス・ファッション系の多岐にわたる。都道府県毎に行われる地方大会で選抜された選手たちは、24日(金)の開会以降、観客の前で技を競い、厳しい審査を経る。そして、金・銀・銅、敢闘賞の各受賞者が決められるのだ。金賞受賞者は技能五輪国際大会に派遣され、国際的に技を競うことになる。

 一番若い金賞受賞者は、溶接部門の18歳。女子の受賞者数もこれまでの最高に上るという。34人の金賞受賞者一人一人に厚生労働大臣盾を授与し、「おめでとう。頑張ってください」と激励し、握手をした。誰もが輝き、いい顔をしている。今時の若者は……それは一部の若者にすぎないのだ、きっと。

 日本の原点はやはり「モノづくり」である。私が担当する労働分野における最大の課題は「若年失業者の増大」。職場の受け皿がなく、あるいは若者に勤労意欲・技能が欠ける。だが、若者からすれば、それはただ、彼らがたまたま置かれた環境故だったかもしれないのだ。いやいやの進学ではなく、中学を出てすぐ職人の道に入る、又は技能を修得しながら働く・あるいは学ぶという選択肢を与えられたか、否か。職業は人生の中心を占める。あたら若者が人生の目的を喪失し、モラトリアムでいるのは社会全体の損失だ。これからもっとそうしたことを考えていかねばならないと思う。

 その夜新潟市で泊まり、早朝起きて長岡に。ここは全国注目の選挙区である。自民党公認候補の出陣式にはマスコミが多数押し寄せ、会場は異様な熱気に包まれている。相手候補は田中真紀子元外相(それに白川勝彦元自治相)。この人が口ばかりで実行が伴わないのはみな知っているはずなのに、しかしそこは根強い「田中ブランド」、地元事情はまるで違うのだそうだ。

 公示日のその日、各ブロックの比例順位も発表された。厳しい選挙区調整によってやむなく比例に回ったのに、落選確実な最後位につけられた悲劇の候補も何人かいる。かける言葉もない。真に非情な世界だと思う。選挙は生きるか死ぬかの戦争なのだと改めて思わされる。

 

Vol.88 「若さ」とは 2003.10.22(水) 記   

札幌で講演の後、松尾・北海道連女性部長と道庁前で 厚生労働大臣政務官としての公務以外に選挙応援があり、忙しい毎日だ。

 世は道路公団総裁の解任問題のほか、中曽根、宮澤両元総理の引退問題もかしましい。
「比例区の73歳定年制」を決めてからすでに半年。ことに青年局は強くその例外なし適用を求め、9月施行の青年局主催(女性局後援)の総裁候補公開討論会では、その取り組み姿勢を各候補に問うた(この討論会の模様は、vol.83参照)。小泉首相の答えは「例外なく適用」、片や中曽根元総理の派閥を背負う亀井候補は、比例区転出の際、当時の執行部から「終身一位」を約束された特別な経緯があり例外である旨回答した。

 中曽根元総理は85歳を迎えた5月、マッカーサー元帥の言葉をもじって「老兵は死なず。消え去りもしない」と公言していた(新聞でも報道済み)。実際、情けないことには、匹敵できる人材は未だに皆無、御本人としては頼りない「若手」らに国を任せるわけにはいかないと、きっと思っておられるのだろう。もちろん引退されてもなお、その絶大な影響力は内外共に少しも衰えはしないと思われるのだが。

 周りには30代の、文字通り若手議員が大勢いる。だが、二世もそうでない人も、おしなべて、若くていいなあと思うことは、残念ながら、あまりない。「若さ」というのは「美しさ」や「賢さ」、あるいは様々な才能とは違い、誰もが失って初めてその掛け替えのなさに気づくほど、それ自体は誰にでも等しく与えられる、平凡な価値でしかない。

 翻って、ではなぜ、若さは素晴らしいのか。
「若さ」を燦然と輝かせる本質は、その秘める「可能性」である。どんな石でも磨けば光るのではない。基礎学力、勉強する姿勢、勤勉な生活態度、まっすぐな思想信条……そうした素地あらばこそ、若さは経験と努力によってどんどん成長し、秘めたものを開花させていく。だからこそ正しくゆるみのない教育によって、素地を作らねばならないのである。

ひとり年齢ではなく、資質こそが問題である。残念ながら現在数多いる有害・無益な人を淘汰し、有益な人を代表者にしなければ、国が滅びてしまうのだ。

 比例区は73歳までならいい、というのではないし、ましてや選挙区であれば80歳でも90歳でも本人が引退する気になるまで誰も出られないというのも、また不合理極まりないことである。小選挙区では選挙民に選択肢がない。中選挙区であれば図れた新陳代謝が小選挙区では図れないのである。

 優秀な若手官僚が自民党から出られないばかりに民主党から出る現状は、党としても国家としても大きな損失というべきだろう。野党にいる限り政策は実現できず、当初あったはずのやる気が削がれていくからだ。実際、参院でも(選挙制度は異なるが、選挙区の定数が限定されていて新人が出にくい事情は同じ)民主党に官僚出身の若手が数人いるが、評判はおしなべて悪い。我が党の官僚出身、中堅どころがこう評したものだ。「仕方ないんだよ。野党にいる限り、審議を遅らせたり、ねちねち嫌味を言って手こずらせる以外、活躍する場がないのだから。せっかく優秀でもどんどんああなってしまうんだよ」と。もちろん優秀であることと人間の出来とは本来別物ではあるのだが。

 

Vol.87 衆院解散、総選挙へ 2003.10.14(火) 記  

 噂通り(!)10日、衆院解散。午後1時。
 この折りなぜ議員は「万歳」と言うのか、議席を失うのに。と聞かれて、えっとなった。永田町の「万歳」や「頑張ろう」コールに慣れ、不思議にすら思わなかった……。

 総選挙は11月9日(公示10月28日)。国内外共に課題が山積しているが、ほとんどの衆院議員にとって当面の課題は「当選」のみ。その必死の姿に多くの国民はしらけているにちがいない。今や国民の60%以上が「支持政党なし」、いわゆる「無党派」である。当然のように投票率は低くなり、あるいはその時の「風」次第で結果が変わる。

 ここに面白い統計がある。無党派が急増し始めたのは平成5年(1993年)、10年前である。
 ちょうどバブル後である。この年、40年にわたる自民党政権が瓦解して細川政権が誕生、内閣支持率が驚異の70%を記録した。何かが変わると期待したのに結局何も変わらず、永田町は雨後の竹の子のごとく政党が乱立しては消え、また政治家のスキャンダルは引きも切らず、政治不信が頂点に達し、国民は政治に何も期待しなくなった。長らく景気低迷で国民の不安は増大しているのに国家は何も出来ない。その当然の結果として政治離れは進む。

 だが、10年前、には別の大きな意味がある。細川政権下において、これまでの中選挙区制度が小選挙区制度に替わったのである。

 英米の二大政党制を目指して始められた小選挙区制度では、政党公認は1名のみ。青年局がよく言うように、「現職が死ぬか引退かしない限り新人は出られない」「その場合でも子どもや娘婿など身内を出してしまい、出られない。是非公平に予備選をやってほしい」。実際、これほどまでに新陳代謝が進まず、世襲が跋扈する世界は他にありえない。もしあったとすれば、競争原理によって自然淘汰されてしまうからだ。

 中選挙区制では選挙民の選択肢がいくつかあった。だが今や、限りなくゼロに近い。政治に関心があっても、投票に行くのは国民の義務だと分かってはいても、メニューのない、不味いと分かっているレストランにはやはり行きたくはないだろう。小選挙区制度こそが諸悪の根元だとの認識を持つ人は、実は非常に多いのだ。

 二大政党制はそもそも国民が主体的に政治に参加し、政治の成果を検証し、そろそろ別の党に変えようとの意識を持つ土壌だからこそ可能なのである。片や「お上」意識の強い、政党ではなくあくまで人で選ぶ日本人にはとうてい馴染まない制度だと私はかねがね思っている。実際、フランス、ドイツ、イタリアでも政党は多い。フランスには共産党まであったし、イタリアは常に過半数を取れる政党がなく連立内閣のため政情不安である。

 とはいえ、現職議員はいったん手に入れたこの既得権を失おうとはしないだろう。小選挙区制度は選挙区が狭く、金が従来の半分ないし3分の1程度で済むという。

 最近、小選挙区制度は別の意味で注目されている。派閥間で競った中選挙区制度とは違い、党間の争いとなった小選挙区制度の下、派閥の意義が加速度的に失われてきたこともある。これから日本の政治はどうなっていくのか。ある意味、今度の総選挙はその試金石になるのではなかろうか。

Vol.86 慌ただしい1週間 2003.10.4(土) 記   

政務官室にて(10.3) まことに慌ただしい1週間だった。
 29日(月)、党本部にて全国女性部(局)長選対会議を主催。選挙はもちろん、間近に迫った総選挙である。選挙には(根が真面目で一所懸命にやる)女性の力こそが頼みとあって、総務局長(選挙責任者)ばかりか党3役も挨拶に来てくれる。ことに午後冒頭、話題の安倍新幹事長登場、とあってマスコミが押し寄せている。ついでに私の姿もテレビに映り、声まで流れていたと、かなりの人から聞かされた。

 30日(火)、午前・午後と参院本会議。開会式当日に行われた総理の所信表明に対する各党代表質問である。

 しょっぱなの民主党代表は精彩を欠いたが、続く自民党代表がまるで野党のような批判を展開、野党は野次を飛ばせず、与党も面食らって拍手もできず。しかしこれは、いくら言論の府とはいえ、政党政治の本旨からいって異常事態である。そもそも与党内に野党が存在する構図では、国民は政党を選べない。総裁選も、同じ党なのに候補者の主張がまるで違い、国民の政党離れ、政治離れが加速するはずだと思わされる。

 総理には国民の代表者からの質問を真摯に受けとめる姿勢があまり見られず、はぐらかしに終始した感あり、非常に低調な国会論戦となっている。

 政務官席は最前列、しかも私はその真ん中。中央列を通ってトイレに立つ勇気もなく、不便な席である。
 夕方、厚生労働省にて前任の森田次夫政務官から事務引継ぎの後、課長職以上職員の前で挨拶。

 10月1日(水)、気になっていた挨拶周りを敢行。自民党だけでも衆参合わせて約350人なので全部はとうてい回れない。で就任祝いを頂戴したか、厚労関係議員に限ったが、それでも約300人! 3つの会館を、最上階の7階から2階まで順次小走りに歩いて各挨拶をして、それでも合計2時間強。私が4人目という政務官付秘書官いわく「空前絶後の記録」、だろうと思う。日頃心して歩いている成果、ここにあり。

会館事務所にて(10.2) 皇居及び8宮家も訪問し、各侍従に案内されて記帳をした。
 この挨拶周りは、旧厚生省が日赤など、宮家との縁が深い故だという。東宮御所、三笠宮・寛仁親王・高円宮・秋篠宮各邸は港区元赤坂の同じ敷地内に、桂宮邸は千代田区三番町に、常陸宮邸は渋谷区東に、高松宮邸は港区高輪にある。ちょうど皇太子ご夫妻はお出かけの時、大勢の侍従たちが見送りをしていた。高円宮妃はちょうどお戻りの時、少しお話をさせていただいた。この宮は昨年、47歳の若さで突然逝かれ、葬儀にも参列させていただいた。

 記帳は「日付
      新任御挨拶
      官職名 氏名(1行に書く所と改行は自由の所がある」
 緊張はするうえ、正式の筆なので実に難事業だった。ずっと筆ペンしか使っていない。後で同僚政務官・副大臣が「あんな汚い字が終生残るのかと思うと、やりきれない」とこぼしていた。まことに同意。

 2日(木)、厚労省にて早速に決裁1件。衆院厚生労働委員会に初めて出席し、大臣以下に続いて挨拶をする。日頃、参院委員会は野次も飛ばず静かでつまらない(?)と聞いてはいたが、実際衆院委員会では野次が飛ぶのである。人数が参院の倍あることも影響しているのだろう。ちなみに私への野次は「ファッションモデルみたいやな」「素敵」……!?

 昨3日(金)、毎秋恒例のブロック別女性部会議出席のため宇都宮に。2年4ヶ月と在任が長く大方がの人が顔馴染みとあって、懇親会も大いに盛り上がる。帰宅は午後10時。

 今日は夕方六本木で会合出席が1件だけ。気候も良く体調も良く、これ幸いとたまった雑用をこなしている。明日は九州ブロック女性部大会出席のため長崎に(泊)。これまた親しい人が多くて楽しみだ。このように当分の間、前女性局長としての行事が続く。加えて、来る解散後総選挙までの間、大臣、両副大臣、他1人の政務官すべてが衆院議員のため、公式行事に出席する機会が増えるとのことだ(すでに2件)。

 

Vol.85 厚生労働政務官拝命 2003.9.29(月) 記  

政務官集合写真(9.25) 厚生労働政務官拝命――。25日(木)午後7時、官邸で小泉首相より辞令交付、記念撮影、その後初会合して官房副長官から様々な指示を受けた後、厚生労働省に初登庁。局長クラス以上の出迎えを受けた後、省議室に臨んだ。

 厚生労働の分野はまさに「揺りかごから墓場まで」、何でもありである。そして私は、といえば――この分野では限りなく素人に近いのだ。同省との関わりを思い起こすと、2年間の訟務検事時代、予防接種禍訴訟やスモン訴訟など(厚生省)、過労死認定訴訟など(労働省)に携わった経験があるほか、議員になってからは決算委員会で少子高齢化について質問し、また法務委員会で審議したいわゆる触法精神障害者処遇法案が同省との共同所管であったのがめぼしいくらいである。

 政務官就任に伴って、所属委員会も3年間所属した法務から厚生労働に代わることになる。
 
 前女性局長として、今日は全国女性部(局)長選対会議を主催する(午前11時〜午後3時)。来月一杯はすでに女性局長としてのスケジュールが結構入っていて、前局長として回ることになるはずだ。選対会議終了後、国会内の各事務所に就任の挨拶に回る予定だ。明夕、前政務官から事務引継を受け、以降関係諸団体への挨拶などが続く。どれも初めてのこと故、緊張もするが、貴重な経験であり、1つ1つ大事にこなしたいと思う。
 
 ホームページに裏カウンターを設置してから1年3ヶ月、少し前に2万件を超えた。ありがたいことである。最初の1万件は9ヶ月、次の1万件は半年だった。朝が弱い私だが、今朝は頑張って早く起きた。なかなか気持ちがいいものである。

Vol.84 内閣改造 2003.9.24(水) 記  

 この秋、永田町は目まぐるしい。
 20日(土)、雨中の総裁選。21日(日)党役員人事、22日(月)内閣改造……昨日の祭日を挟んで、今日副大臣と政務官人事の予定である。

 私は今回政務官に就任する予定だ。政務官は副大臣の下にある政府の役職である(かつてあった政務次官は副大臣に相当する)。5年前に初当選した参院同期のほとんどはすでに政務官を終え、残りは私を含めて3人しかいない。この就任と共に2年4ヶ月勤めた党女性局長はお役ご免になるはずである。

 総裁選は議員票357票と党員算定数(党員数に従って都道府県別に割り当て)計300票の合計657票。有効投票の過半数は329票だ。
 各候補の得票数は、小泉候補 399票(議員票194・党員算定205)
              藤井候補 65票 ( 同 50・ 同  15 )
              亀井候補 139票 ( 同 66・ 同  73 )
              高村候補 54票 ( 同 47・ 同  7 )
トルコ国会議事堂前で議員達と(9.8)下馬評は小泉圧勝(この種報道は投票行動に大きな影響を与えるから自粛してほしいものだ)。だが蓋を開けてみると、過半数を70票上回ったものの、議員票の獲得割合は54%と、意外に低かった(党員は68%)。反対に予想を断然上回ったのが高村候補である。派閥の長だがその構成員はわずかに16票、つまり30票も上積みがなされたのだ。60人弱の派閥構成員数を上待った亀井候補も善戦である。

 党のナンバー2には当選3回、49歳の安倍氏が就任。女性スキャンダル等で更迭の声が高かった山崎拓前幹事長は副総裁に格上げ(?)という、手品師さながらの離れ業を小泉氏はやってしまった。これに世間が目を奪われている間に、竹中氏・川口氏、党内で更迭要望の高かった2人はなんと留任だった!! 加えて、総裁選での賞罰人事が濃厚だと不満が渦巻いているようだが、まもなく実施される総選挙を前にしてはとりあえず沈黙というところなのだろう。

 役所のトップである大臣が適材適所でなければならないのは当然だが、今回の組閣を見ると首を傾げる人事が結構ある。大臣がお飾りであっていいはずはない。真の意味で改革を進めようとすれば、ポストに人を得なければならないはずである。

(9.6)
国会議事堂内(9.8)

 

 

国会議事堂内にて(9.9)
国会前にて(9.8)

 

 

ボスポラス海峡クルージング(9.10)
市場にて(9.10)

 

Vol.83 総裁候補公開討論会 2003.9.19(金) 記   

山東団長と噴水をバックに(9/1) 17日(水)、青年局主催・女性局後援で総裁候補公開討論会を実施した(党本部901号室)。各候補の持ち時間は各1時間。

 午前10時藤井候補、午前11時亀井候補、午後1時小泉候補、午前2時高村候補。定席を与えられた全国の青年局青年部・女性局役員に加えて、各候補の応援団議員たちが入れ替わり立ち替わり(反対陣営からも?)、加えてメディアが入って、狭い部屋には熱気がむんむん。私は青年局長と並ぶ立会人として、前列の定席にいた。
 
戦争記念館にて若い団員2人と(9/2) 驚くなかれ、こうした公開討論会は実は初めての試みなのである(公開討論会といえば記者質問が主体なのだ)。立上げが遅かった分、すでに各候補共スケジュールが入っていて一堂に会する形は取れなかった分各自1時間と余裕があり、所信表明5分の後、会場から挙手の形で質問を受けて応答、かなりつっこんだ政策論議が可能となった。

これを通して、各候補の考え方、頭脳、そして人柄が如実に表れ、もっと早くこうした場を設けてくれていたら投票行動も違ったものになったのにとの声が多々聞かれた。

国会議事堂入り口(9/2) この模様は一部始終各メディアに撮られているので、いずれ何かの形で報道されるかもしれない。事前準備に追われた我々としても報われた思いだ。

後援者を代表して最後挨拶で述べたように「これを嚆矢として以後一段と充実したものとし、党員ばかりか国民全体に、自由に政策を論議できる開かれた政党としてアピールできる公開討論会としていきたい」ものである。

 以後も各陣営それぞれに必死の戦いだ。派閥の締めつけが弱まっている現状を反映してか、あちこちから支持を依頼する声もかかる。戦争を放棄したこの国で唯一許されている合法的な戦争、それが選挙なのだろう。だからこそ男の本能としての(?)血が騒ぐ。

その総括としての総裁選は明日午後2時、場所は党本部8階ホールだ。メディアでごった返すのは必定、もちろん8階まで階段で上がるつもりである。

 とりあえず、オーストラリア(9/1〜4)での写真を少し載せておく。訪問地は首都キャンベラとシドニー。女性党員のための月刊誌「りぶる」の集いで、団員約20名を団長山東昭子参院議員と共に引率したのである。

下院議場(9/2)
上院議場(9/2)

 

 

Vol.82 半月の外遊を終え 2003.9.13(土) 記   

 昨日正午前、無事成田着。とたんじとっとする熱気にまとわりつかれた。イスタンブール(緯度は青森と同じ)も日中の気温は高いが乾燥しているし、朝晩はぐんと下がって過ごしやすいのだ。

 振り返ればあっという間だった。31日夜成田を発って以後、キャンベラ(1泊)→シドニー(2泊)、4日バンコク経由で5日朝イスタンブール着(1泊)→カッパドキア(1泊)→アンカラ(3泊)→イスタンブール(1泊)、機内泊計3泊の、12泊13日。移動もさることながら、ほぼ連日朝から夜まで行事がびっしりの強行日程だったが、ずっと元気でおられたのは人後に落ちない食いしん坊のお陰であるのは間違いない。

 世界3大料理は中華料理とフランス料理……あと1つはトルコ料理だそうな(私見ではもちろん日本料理である)。その共通項は「王朝」だという。たしかにヨーロッパとアジア、2大陸にまたがるイスタンブール(旧コンスタンチノープル)は、ローマ帝国、ビザンチン帝国、そしてオスマントルコ帝国の首都であった。

 トルコでは夕食は8〜9時に始まり、たっぷり2時間以上をかける(生活を楽しむことこそが人生であるラテン系の国では大方そうであろう。イスラムとはいえトルコ人は地中海沿岸のラテン気質である)。これがオリーブ油かつボリュームたっぷり、デザートは限りなく甘いときているから、胃腸が丈夫でなければかなりしんどいはずである。ただチーズやヨーグルトなどの乳製品は絶品、かつ果物、野菜は日本ではすでに過去になった自然の甘味が一杯で感動ものだった。

 今回たまたま歴史の浅いオーストラリアと古いトルコが重なったが、共通項をいくつか見つけた。首都(キャンベラ、アンカラ)が経済の中心都市とは別に存在すること。移民や国際結婚による人種の融合が当たり前に行われていること。国としてのアイデンティティが絞りきれないこと。

 オーストラリアは地理的にアジアの一員だといい、貿易も日本との関係が一番深いのだが(最もよく習われる外国語は日本語だし、小泉首相の名前は誰もが知っているという)、未だにイギリス連邦に所属し、元首はエリザベス女王である。どの戦争にも必ず派兵するのは国としての存在を忘れられたくないからであるという。

 トルコは地理的にもアジアの西端に位置し(東端の日本への憧憬は非常に強く、大の親日国家である)、イスラムであるが故にその心もまたアジアないし中東に所属するのは明らかなのだが、EUに加わりたくて躍起になっている。だが、ヨーロッパにはキリスト教という分母があり、ケマル・アタチュルク以降の政教分離をいかに押し進めたとして、受け容れてもらえるかどうか。今回会った49才の精力的な首相(与党公正発展党の党首)の手腕が問われるところである。

 この間日本は総裁選、花盛り。その様子はトルコのホテルに入っているNHK衛星放送で逐一知ることができた。総裁選に絡んではアンカラで熟睡中の午前3時過ぎ(日本では午前9時過ぎ)、電話で叩き起こされるハプニングあり。ちょっとした「事件」だったが、未だ渦中のことだし、関係者のプライバシーもあって残念ながら記せない。

 喧噪とした東京にいるとなお一層、ボツポラス海峡の潮風が恋しく思えてくる。悠久の歴史にしばし浸っていると、なぜ日々こうもあくせくと些末なことにかかずらっているのだろうと反省することしきりである。外遊中の写真はいずれ整理して掲載するつもりである。


 

Vol.81 是非一読を!2003.8.29(金) 記  

  早いものでまもなく8月も終わり。今年も早や3分の2が終わるのかと信じがたい思いだ。

 永田町で誰かに会う度に、どこか行かれましたか、と聞かれる。それだけ夏の外遊は当然のことになっているのだろう。かといえ私自身はこれまでの5年間、そんな恩恵に預かったことはまったくないのだが。
 恩恵らしいものに預かったのは今年が初めてである。8月下旬フィリピン(党務)の話があり、まだ行ったことがないため行きたかったのだが、その間すでに講演が3日も入っていて無理だった。まもなく31日夜、オーストラリアに発つ(党務)。23年前の私的な旅行以来2度目である。そしてなんと現地からバンコク経由でトルコに入ることになっている(議連。ちなみに自費である)。トルコは初めて。最も行きたい国の筆頭であり、そのために議連に入ったくらいだからこれを外すわけにはいかなかった。帰国は来月12日。オーストラリアはいま冬だ。トルコはもちろん暑く、時差もある。飛行時間も長い。体調を壊さないか心配だが、案ずるより産むが易し……。
 
 というわけで昨夜一念発起、気になっていた「日本の刑事司法 Q&A」を一気呵成に仕上げた。死刑廃止に反対の件でロスアンジェルズタイムズ紙記者に取材された際に質問を受けたことがいくつか入っているが、その以前にも折に触れて尋ねられた質問をまとめたものだ。もちろんまだ推敲の要ありだが、是非一読願いたい。

 

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