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Vol.100 元気を貰った 2004.1.26(月) 記 

開会式を着物で出席(1.19) 19日、通常国会が開会した。その日総理の施政方針演説が行われ、それを受けて参院では22日・23日の両日、各党代表質問が行われた。

 全般に、質問・答弁共に低調である。中には学芸会以下ではないかと思わせるものまであり、「言論の府」がこれでは世界に伍してやっていけるはずはないと暗澹たる気持にさせられる。評論家然として具体策の提言がまるでなかったり(これでは評論家としても低レベルだろう)、自衛隊のイラク復興支援派遣を「戦争に行く。殺し殺される」と誤った感情論で言い切ったり(これをその通りだと思う人もきっと多いのだろう)……。それもこれもきっと日本の戦後教育の「賜物」だと改めて認識させられる。

 24日(土)夜、15年来の知己である病院長(かつ老健施設長)御夫妻主催の新年会で、日野原重明先生と初めてお目にかかる栄を得た。ご存じベストセラー「生き方上手」の著者である先生は、92歳の今も現役ドクターとして、執筆や講演に分刻みのスケジュールをこなしておられる。

農林水産省「消費者の部屋」を視察(1.21) この日も講演を済ませて見えられたのが8時半。私の隣席で少し召し上がった後、立ったまま15分ほど話をされたが、出席者への目配り、折に触れて笑いを誘うユーモアのセンス、そして何より深い教養・識見に裏付けられた内容……200名の聴衆が深い感動に包まれたものである。元気を貰った、私ばかりではなく、その場にいた多くの人が思ったはずである。

 また先生は、若い頃から作詞作曲の才も発揮され、この日も詩の朗読、かつ自らタクトも振るわれた。その姿が84歳の中曽根康弘元総理にだぶった。氏もまた、俳句・書画をよくされ、何より旧制高校で哲学をはじめとする幅広い教養を身につけておられる。現在でもヨーロッパのエリート層はそうした教養教育を受けているが、それこそが人間や社会に対する深い造詣を生むとの確信は変わらない。感性のない知性は真の知性たりえないのである。

農林水産省「消費者の部屋」を視察(1.21) 昨年末来の懸案だったが、ようやく先生が見つかり、またピアノを習いに行くことになった。先生につくのは20年ぶりだ。検事に任官後転勤生活となり諦めていたのだが、最近伴奏など頼まれる機会が出来、また将来(老後)のことも考えて決心するに至った。習うとなれば同じ弾くのでもやる気が俄然違ってくる。

 自ら元気でなければ人に元気は与えられない。自ら輝かずして人を輝せられはしない。趣味を充実させて仕事も頑張り、人のお役に立てる、充実した後半生にしたいと願っている。日野原先生のような素晴らしいモデルに出会えたことに、心から感謝する次第である。

 

Vol.99 台湾にて 2004.1.18(日) 記   

晩餐会で挨拶をされる李登輝前総統 13日から15日まで台湾に出張していた。「国際国会議員アジア太平洋安全保障会議」出席のためである。台湾の招待で参加した国は50国以上、国会議員数は150名に上る。日本側は平沼前経済産業大臣以下、衆参13名のメンバーだった。

 台湾では総統選挙が来る3月20日に実施される。再選を企図する陳総統は昨年来、新憲法制定を促進する旨表明し、11月には「総統選挙と同時に防衛性公民投票を実施する」旨、翌月にはそのテーマを「?@ 対台ミサイルの撤去、?A 武力行使放棄宣言を中国に要求する」と表明した。こうした一連の動きに対して、中国はもちろん、アメリカなども次々の反対の意を表明、日本の立場も同様である。だが、陳総統としては今更引くには引けないのだ。

 台湾海峡は北朝鮮と並ぶ、地域の火種である。実際問題として、2008年の北京オリンピック開催まで中国が武力行使をすることはないだろうし、まずはオリンピックを契機に中国が民主化された後、互いに平和的に解決するのが一番だと考えるが、要は台湾自身が自分たちの国をどうしていきたいか、なのだと思う。世論の「独立」支持は実は20%程度に過ぎないという。背景に中国本土には多額の投資をしているという経済的な事情もある。

歓迎式典における歓迎挨拶を述べる呂副総統 台湾は国会議員になって初めて訪れ(国交を断絶しているため、検事時代には行けなかった)、これで4度目になる。

 私自身として今回特筆すべきは、分科会(テーマ「日米同盟とアジア太平洋安全保障(イラク問題を含む)」)でキーノートスピーチをしたことである。と言えば聞こえがいいが、実は分科会に行ってみて初めて私の名札が最前列にあり、スピーカーになっていることを知らされた(でなければもちろんペーパーを出していたし、写真だって撮っていたのだ!)。これほどひやっとさせられた覚えはついぞがない。だがすぐに覚悟を決めた。いくら言訳をしても始まらない、喋らないわけにはいかないのだ。

 幸い藤井孝男衆院議員(昨秋の総裁候補の1人だった)がイラク問題における日本の立場全般について喋ってくれたので、私は国連問題に絞ることとした(参照 vol.59.60. 67 )。終わると拍手があり、質問も受け、後に出席議員から様々なコメントも貰ったし、ひとまずは胸をなで下ろした。

晩餐会で台湾の人たちと 後で同僚議員らと総統府に陳総統との面会に行った際、総統は、冒頭歓迎演説をするはずが欠席した理由について、郊外の裁判所に選挙法違反事件の証人としてよばれたためだと述べた。司法制度改革を進めている中、元首自ら司法を尊重している姿勢を国民に表すいい機会だった、元首でありながら護衛をつけずに一人で裁判所までの道を歩き、立ったまま2時間にわたって裁判官の質問を受けたのだ、と。しかし、これが日本であれば、被告人ではない証人の都合はもちろん考えるし、まして国益が絡めば期日変更は当然であり、司法尊重とは次元が違うのではないかと思われる。

 こういう次第で15日に開催された党青年局女性局大会に出席できなかった。16日午前の党大会には出席したが、午後すぐに公務が入っていてその後のレセプションには出席できず、多くの知己に挨拶できずに極めて残念だった。明日、通常国会の開会式がある。しばしの休みも今日で終わり、明日からまた150日間の「熱闘(!?)」が始まる。

 

Vol.98 自立 2004.1.9(金) 記   

港運関係6団体賀詞交歓会 年末年始、あちこちを訪ねる機会があった。頭では知っていたつもりだが、実際に訪れると、地方の寂れ方が尋常ではないことを改めて認識させられる。

 駅前のメインストリートには人影もなく、シャッターの閉まった店も多い。人はどこにいったのか。案内してくれた人の話では、街づくりに計画性がないのだという。人が集まる所を一つに集約しないといけないのに(とくに街の規模が小さくなるほどそうだ)、大きなスーパーや大病院などが郊外に散らばり、人を分散させているのだという。

自立した財政であること。魅力ある、人が住みたい、訪れたい街を作ること。そうした視点が地方の自立には不可欠であろう。ところが、地方交付税・補助金づけが禍いしたのか、一部のごく例外を除いて、どこもかしこも似たような風景となり、いわばミニ東京になってしまった。これでは観光を目玉にはできない。都会に出ていった若者は戻らない。江戸時代の「国」といえば「藩」、もちろん各自独立採算性をとり、産業を興し、それが現在の地場産業の基礎になったのである。地方も原点に立ち返って、その姿勢を見ならうべきなのだ。

人は(自然人であれ法人であれ、あるいは法人格を持たない組織であれ)自立することこそが基本の姿であろう。経済的自立かつ精神的自立。人に頼るのは楽だし、それも時には必要だろうが、きっちりと限度を弁え、常に自覚をしておく要がある。でなければそのうち自らを弱め、気づいたときにはすでに遅し、もはや自立できないほど力は弱まっている……こうした事例は、周りを見渡して枚挙に暇がない。自らへの自戒を込めて、新年の抱負は「自立」としよう。

 首相が元旦に靖国神社参拝。総裁選時の公約は「8月15日」、だが当選後の夏には8月13日に参拝し、その翌年はたしか4月だった。そして今回は元旦。国のために亡くなった人を慰霊するため首相が靖国神社に参拝するのは当然のことだが、これではいくらなんでも気紛れにすぎるように思われる。だからといって、あげつらって「中韓の反発は必至」と書き立てるマスコミの愚は何度言っても言い足りないのだが。

 

Vol.97 予算  2003.12.25(木) 記  
天皇誕生日宴会の議 於:皇居(12.23) 来年度予算政府案が昨日、閣議決定された。先週末はこのため休めなかった。
  一般会計  82兆1109億円(前年比0.4%増)
  歳入に占める国債は36兆5900億円(同増) なんと44.6%が借金なのである!!

  一般歳出(つまり、国債費や地方交付税を除いて)は 47兆6320億円
  うち厚生労働省予算は 20兆1901億円(前年比4.2%増!) 42.4%を占めるのだ!! 

 もちろんこの大部分が年金・医療・介護、障害者を含む雇用支援その他、社会保障関係費だ。公共事業費はじめ軒並み削減したにかかわらず、少子化で税収入は経る一方、にもかかわらず高齢化で社会保障費は伸びる、でますます借金を重ねている――恐ろしい構図がはっきりと浮かび上がっている。

要は簡単だ。家計であれば支出を切りつめる。外食はやめ、贅沢品は買わない。お父さんは酒を減らし、煙草もやめるだろう。お母さんの服などもってのほか……これが健全な姿である。基本的には国も同じ、収入の範囲でやっていくのが原則なのだ。

議員会館にて(12.23) 見回せば、天下り先用に作った不要な団体がごまんとある。肩書きと高給を与えるための仕組みである。多額の税金を注ぎ込んで不要な箱物を全国津々浦々に作り、それらが維持費という負の遺産をさらに重ねていく。こういうものを洗いざらい見直すのが真の構造改革のはずなのだ。だが、各省庁の縦割りは相変わらず。民間ではとうてい通らない大ざっぱな試算が堂々と行われ、各族議員の力も大いに手伝って、予算の分捕り合戦が行われる。永田町(あるいは霞ヶ関)にいて最も耐えがたいと思うことがこの作業である。

社会保障費は受給側には一種の権利だろうが、供給側には金の必要なサービスである。経済の基本として、金は第一次及び第二次産業、つまり物(知的財産も含む)を作り、作った物を売ることによって生み出される。その基本をおざなりにしては国は沈没する。錬金術のようなまやかしは存在しないのである。

 一方、入管・矯正職員をはじめとする治安関係職員の増員が計1500人近く認められたのは画期的なことであり、法務省関係議員の一人として喜んではいるが、翻って考えれば、それだけ治安が悪くなったということであり、憂慮すべき事態であるのは明らかだ。

 実は先週に予算のことを書きたかったのだが、週半ば突然に東京を離れる用が出来、つい安易な筆になった(年末年始・外遊を除けば、週1回の更新を心がけている)。反応はすぐにアクセス数の下落となって表れ、怖いものだと感心している。

 いろいろなことがあった2003年だった。その分異様に早く経過した感もある。だが、年を取ることは悪いことばかりではないなあと思うのだ。あれもしたい、これも出来ると思っていたのが、だんだんと、これは自分には向いていない、あれはしたいけれども才能がないなどと思うようになり、その諦めを苦もなく自然に受け止めている自分を感じるようになった。中曽根元総理がモットーとされる「結縁、尊縁、随縁(縁を結んだら、縁を尊び、縁に随う)」。私もこれからの人生は、これまでに得た様々な御縁を大切に、人のために生き、人に喜んでもらえることをしようと、なかなかに殊勝なことを思うのである。

Vol.96 国防の義務 2003.12.17(水) 記   

 小泉さんはなんと強運なのだろう――永田町では専らそう囁かれている。何と言ったってこの時期にフセイン大統領が見つかったのだ!! これでイラク攻撃の大義名分の一つ、「フセイン独裁政権の打倒」は何とか格好がつく。もとより「大量破壊兵器」はまだ見つからないままではあるのだが。

 いずれにしても非常に残念なことだが、自衛隊を海外に派遣する大義名分は未だに確固たるものではない。もともとアメリカがイラクを攻撃した大義名分が確固たるものではないのである。

 イラクがサウジアラビアに侵攻した湾岸戦争時、当時のブッシュ政権はフセイン政権を打倒しはしなかった。打倒を決意させたのは9.11である。イラクがテロリスト支援の温床になるという理由は、大量破壊兵器が見つからなかったことからも分かるように、未だに明確とはなっていない。第一、テロの撲滅を真に目指すのであれば国際協調こそが不可欠なのだ。だが、アメリカは一国単独行動主義の下、イラク攻撃に踏み切り、北朝鮮問題を抱える日本としては支持せざるをえなかったというのが本当の所だろうからである。

その元を辿れば、独力では自国を守れない戦後日本の姿がある。独立した個人が我が身を守れるのが当たり前のように、独立した国家は自国を自力で守れるのが普通なのである。国民としていわば当然の義務である「国防の義務」が日本国憲法には規定されていない。国防の義務の裏返しとして「国政に参画する権利」、つまり選挙権・被選挙権があるというのに、である。

――こんなことを週末、党務で出張した松山で、女性党員たちを前に喋った。みなしんとして聞いてくれた。今女性たちも国のことを真剣に考えている。きっと子どもたちも話せば真剣に考えてくれるはずだ。

Vol.95 タリオの法則  2003.12.9(火) 記  

フランス上下院仏日議連会長と(11.28) 自宅で珍しく大掃除をしながら、たまたま外国放送を流していたら(もちろん?通訳付きで、である)こんな言葉が耳に入ってきた。

「アメリカはアフガニスタン、サウジアラビア、イラクと、石油に関わる地域にずっと戦争を起こしてきた。アラファトがやることすべてを非難するのに、シャロンがパレスチナ住民をどれだけ殺戮しても何も言わない。今やアメリカは世界の帝王のごとく振る舞い、ビンラディンは我々イスラムを代表してアメリカと戦ってくれているのだ……」。なるほど、一瞬手が止まった。そうだろうとは思っていたが、やはりイスラム側から見ればアメリカ(及びその支援国)に正義などない。アメリカこそがテロリスト、もちろんその支援国も同罪なのだ。

 今朝各紙を捲っていて、あるコラムが目に留まった。

 日本軍に属して戦争体験があり、未だに褌を愛用しているという87歳の老父が、イラクへの自衛隊派遣に断固反対したという内容だ。「暴力に暴力をもってしては更なる暴力を生むだけだ。話し合いで解決しなければならない」と。復讐は更なる復讐を生み、止まるところを知らないが故に(ちなみに「目には目を、歯には歯を」(タリオの法則)は、それが故に復讐の範囲を「制限」したのである!)、近代法は個人の復讐を禁じた。それが国家レベルになればいとも簡単に許される……だろうか。

 考えてみれば、我々日本人こそが特殊なのではないか。アメリカにほぼ国中を空襲され(民間人への攻撃は国際法違反の、典型的な戦争犯罪である)、ロシアの参戦で敗戦必至なところに原子爆弾を見舞われ(これまた戦争犯罪だ。黄色人種であるが故の実験であったことはつとに知られていることである)、占領され……だが、すっかりきれいに「水に流し」、誰もがアメリカの価値観をいわば絶対的なものとして受け容れている。日本で効を奏した占領政策がイラクではうまくいかなかった……当然であろう。

 司法制度改革の一環として「裁判員制度」が導入されようとしている。

 一般人が職業裁判官と共に審理するこの制度は、ヨーロッパで採られている「参審制度」に極めて近いものである。対する陪審制は、イギリスに始まり、今やその8割がアメリカで実施されている。ここでの事実認定は陪審の専権だ。職業裁判官は陪審に教示する役目を担うだけ、故に1人である。

 裁判員推進派が志向しているのはアメリカ型陪審制である。でなければ、職業裁判官が2人でいいなどと主張できようはずはない。裁判員制度が採られる事件は法定合議事件(裁判官3人)のうちさらに重要な一定事件に絞られるのだから、被告人の権利保護が通常より下回っていいはずはないからだ。被告人は裁判員を拒否できないのだからこの理はなおさらだ。裁判員制度の問題点については別稿を設けて詳述したいと思いながら、未だ果たせないでいる。

 もともと一連の司法制度改革が目指しているのはアメリカ型司法である。見回せば、ひとり司法だけではない、日本の至る所がアメリカ型価値観に染まっている。日本は一体どこに進もうとしているのか。と言うと、日本に最近台頭しつつあると危惧されている「偏狭なナショナリズム」などときっと言われるのだろうが。

 

Vol.94 ショッキングなニュース 2003.12.1(月) 記  

 今週は予想をはるかに超えるショッキングなニュースで始まった。イラクで、日本人外交官2名、殺害される――!! 
 日本人は自国民の犠牲者が出たときにだけ大騒ぎする、と非難する向きもあるらしいが、自国民が一等大事なのはどの国も同じ、程度の差があるだけだ。衝撃が深いのは、日本がこの60年間、一切の戦争に巻き込まれずに平和を享受してきたことにもよるだろう。

 事態ここに至ってもなおイラクへの自衛隊派遣は敢行すべきか。永田町与党筋の『正論』は断固挙行、でなければ「日本はテロに屈したことになる」「世界の笑い者になる」……。残念なことだが、おそらくそうなのだろうと思う。あとは、時期と場所を選び、できるだけ安全な所に派遣するという選択肢が残されているのみだ。とはいえ……派遣される自衛隊の方々、ましてそれを見送る御家族の気持ちを思うと、胸が詰まって仕方がない。

 自衛隊に課せられた任務は「専守防衛」である。そう信じて就職したのに、9.11が起こって、海外派遣あり、となった。太平洋戦争時の兵士は「お国のために」と信じて、戦った。命をかけて守るものがあるとき、その死は殉死となる。誰のため何のために戦場に赴き、最悪命を捨てるのか……それが釈然としなければ犬死になりはしないか。政治は「大義」を明瞭にすべき責務がある。北朝鮮の暴発時に助けてくれるのは同盟国アメリカのみ、だから協力しておかないと……で済むはずはない。

 日本人は概して歴史に無知である。かく言う私も国会議員になって初めて自己の無知に愕然とし、慌てて勉強を始めた口である。平均よりは勉強もしたし読書もした私でそうなのだから、おそらくは教育そのものに欠陥があるのだろうと思う。

 ヨーロッパが世界の先進国となったのは、ルネサンスや産業革命以降のことである。その以前の先進国は中国であり、トルコなどイスラム社会だった。ましてアメリカなど、その歴史わずか200年の新興国である。加えてイスラム教は、その昔からのユダヤ教、続くキリスト教と同じ、唯一絶対神(天地創造主)を信奉する啓示宗教であり兄弟宗教だが、最も新しいだけに(7世紀)に自分たちの宗教こそが最も進んでいると信じているのである。イラクはじめ中東諸国がアメリカにどんな思いを抱いているか、想像するに難くはない。侵攻・占領行為そのものは同じでも、八百万の神のムラ社会、もともと温厚かつ寛容な国民相手とは事態がまるで異なるのである。

 中東の火種であるアラブ・イスラエル問題。これがなぜ発生したのか、おさらいしておきたい。

 まずはイギリスの二枚舌・三枚舌ありき。第一次世界大戦の長期化に伴い、人的・物的資源を動員する見返りとして、イギリスはアラブ独立王国の建設を約束(1915)、その一方で、その土地をフランスとの間で分割する旨を約束(1916)、加えてユダヤ人の協力を得るため、バルフォア宣言を発して、パレスチナにユダヤ人の建国を認めた(1917)。

 大戦後パレスチナに多くのユダヤ人が移住を始め、とくにナチスによる迫害が激しくなった1930年代にその数は頂点に達し、当地のアラブ人との間で土地取得を巡って激しい争いが起きるようになった。ついに第二次世界大戦後、イギリスは問題を国連に提訴、当時急速に中東に進出しつつあったアメリカがパレスチナをユダヤ国とアラブ国に分け、エルサレムは国際管轄下に置くという分割案を提示、可決された(1947)。ユダヤ人側はこれを受諾したがアラブ人側は拒否。翌年、イギリスの引上げに伴って、ユダヤ人はイスラエル共和国建国を宣言、認めないアラブ側の、エジプト、ヨルダン、イラク、レバノン、シリアの5か国は協同してイスラエルに戦いを挑んだが、アメリカから多額の武器援助を受けたイスラエルが勝利したのが第一次中東戦争である。

 以後中東地域は、石油利権を巡るアメリカや西欧諸国の思惑も手伝って、何度も中東戦争が繰り返され、以後も火種を抱え続け、テロが頻発していることは周知の通りである。日本は中東で手を汚していない唯一の先進国だからイメージも非常に良かったのに、アメリカ支援がそれを堕してしまった。痛恨の極みである。歴史への無知、故に一方からのみしか見れない悲劇が起こったというべきだろうか。

 

Vol.93 東宮御所へ参上 2003.11.23(日) 記   

認証式(於:官邸)11.20 20日(木)午後、雨模様の中、東宮御所に参上した。この9月末記帳で訪れたときは玄関だけだったから、中に入ったのは今回が初めてである。もとより、めったにあることではない。

 本来は谷畑副大臣が参上する予定だった。今日から7日間、ニューデリーで行われる第6回国際アビリンピック(障害者の技能五輪)に参加する選手団の挨拶である。だが、ちょうどその時間(3時〜)第二次小泉内閣発足に伴う副大臣認証式が執り行われることとなり、急遽私に役が回ってきたのだ。厚生労働省の副大臣、政務官は各2名、それぞれが厚生・労働の各担当だが、私は谷畑副大臣同様、労働担当なのである。

 普通の式典の場合にも詳細なレクが行われるが、加えて今回は、挨拶に巻物はダメ、そらでやらねばならないという。殿下の前でただでさえ緊張するのに、もし頭が真っ白になったらどうしよう……。

 到着し、秘書官らとは離されて局長らと小部屋で待つこと15分。式典が10分遅れること、欠席予定だった妃殿下が出席されることを知らされる。ようやく案内された「日月の間」は入口が狭く、奥行きが広い作りである。入口の右手側が部屋の正面で、上に壮麗な絵がかかっている。左側、部屋の後方にはすでに選手団が並んでいる。その前を中央に進んで正面を向く。両殿下のお成りを待つ静かな時間がずいぶん長く感じられた。

 やがて両殿下がにこやかに入ってこられ、殿下が私のちょうど前に立たれた。その左手、私の右前に立たれた雅子妃は、茶の千鳥格子のパンツスーツである。カジュアル目なのはご自分の住居だからであろう。まずは一礼、挨拶を述べる。緊張して声がうわずるが、雅子妃が熱心に聞いて時折頷いてくれることで、ずいぶん楽になった。滞りなく終わって、ひとまずほっとする。

 その後団長が進み出、両殿下を選手団の元に案内する。一人一人と丁寧に、にこやかに話される両殿下の後ろに立つ私の目の前に、手入れの行き届いた庭園が広がっている。

 全員との会話が終わると、両殿下は元の位置に戻られ、最後に選手団代表者が前に進み出、これまたそらで立派な挨拶をした。両殿下の退出を最敬礼して見送る際、ふと雅子妃のお声が聞こえ、顔を上げると、にこやかなお顔がすぐ目の前にあった。「……大会のご成功を祈っています。どうぞお元気で」。初めを聞き逃したらしいのがとても残念だった。

 戻って、今度は官邸に。ここではずいぶんと待たされた。認証を小泉首相から受け、記念撮影。メンバーで替わったのは総選挙で落選した2人のみ、その他はみな再任だから慣れたものだった。

 20日、福島において、年少少年(犯時15歳)に対する初めての判決が言い渡された。共犯は30代男性と年中少年。一人暮らしの女性への強盗強姦を周到に狙い、宅配業者を装って押し入り、包丁で脅し、裸体写真を撮って口止めを図り、何時間にもわたって計6回強姦、現金を奪ったばかりか親に電話をかけさせて振り込みを強要するなど、まさに鬼畜の犯行である。

 少年法を改正して年少少年にも逆送を可としたものの、実際はなかなか適用されず、これが最初の事例とあってメディアもずいぶん注目していた。弁護団は少年院送致(保護処分)相当として家裁移送を求めたが、裁判所は求刑の範囲内で「懲役3年6月以上6年以下」としたのである。ちなみに共犯の成人は懲役11年。少年の有期刑は「懲役5年以上10年以下」と軽いのだ。

 その前日、毎日新聞の記者が取材に来、本会議の合間に1時間応じた。よく勉強している若い記者だった。何にでも言えることだが、よく勉強している者ほど、間違っているといけないのでチェックをお願いしますと謙虚である。実際、珍しく(!)間違いなし。19日夕刊掲載。いわく「改正少年法は、刑事罰を問える年齢が刑法と少年法で異なるという二重基準を解消し、少年審判に検察官立ち会いを可能にすることで真相究明にも配慮したものだ。少年法が改正された以上、法にのっとって年少少年でも刑事裁判を受けるのはやむをえない。今回の事件は女性に一生消えない心の傷を負わせる悪質なもので当然の判決だ」。

 

Vol.92 社民党の衰退 2003.11.16(日) 記 

 総選挙からまだ1週間しか経っていないとは信じられないほどだ。

 総選挙前の18議席から6議席にまで減らした社民党は土井党首が辞任。まさに、ようやく、である。秘書給与疑惑で自らの秘書が逮捕された際辞任すべきだったと思う国民がほとんどだろうが、そもそもを考えてみるに、衆院議長(三権の長。もちろん党籍は離脱する)にまで上り詰めた者が再び野に下って党首になること自体が異例だったのだ。残念だが、引き際を誤り晩節を汚した典型例といっていいだろう。

 日本国憲法成立以来すでに60年近くが経ち、今や世界で最も古い憲法の一つとなってしまった。当然のことだが、時代に合わない条文も(かつまた足らない条文も)随所にある。そもそもがGHQがたった1週間で作り上げたもの、完全であるはずがない。また原文は英語だから、日本語として正確でもなければまして美しくもない。それを「不磨の大典」として押し頂くのは、一種の宗教といっていいだろう。憲法改正といえば、9条改正反対のみ。だが、憲法は103条ある。憲法学者だったというから、よけいに不思議である。

 平和は「戦争のない状態」、呪文で唱えてさえいればもたらされるものではなく、そのために安全保障なる国家戦略が必要であることを、そしてまた現代は各国が国際貢献を必要とされることを、国民の多くがすでに知っている。であるからこそ社民党は衰退したのである(議席を4に減らした保守新党は早速自民党に合流)。

 総選挙後の特別国会は19日に始まる。内閣の首班指名が行われるが、はてさて社民党議員は、新党首となった福島参院議員を首班指名するのだろうか、いささかの見物である。憲法上、首相の要件は「国会議員」でしかないが、民意の反映という意味から衆院議員が望ましいのはいうまでもない。

 昨日、思い立って、紅葉狩りに行ってきた。東京は広く、多摩峡谷などまだ美しい自然が残されていて、ほっとする。ただ残念ながら、紅葉の赤も銀杏の黄も色が冴えず、色が変わらないまま枯れているようなのまである。気温が順当に下がらないと美しい紅葉は望めないらしいが、その点今年は、冷夏後に気温が上がり、10月下旬にもまた気温が上がって、まことに異常だった(今日も夏のような暑さで、高橋尚子選手には気の毒だった)。全体に地球は温暖化し、日本も徐々に亜熱帯地方に入っているから、そのうち綺麗な紅葉も見られなくなるのかもしれない。

 それにしても、美しい自然を見ても、一句も一首も浮かばないのはどうしたことか。最近詩情が顕著になくなってしまったのは、永田町に適応しすぎたせいだろうかとも思う。メールばかりの昨今を反省し、せめて美しい絵葉書で、季節の便りを各所にしたためた。

 

Vol.91 総選挙 2003.11.10(金) 記   

秋の勲章伝達式 於:厚生労働省(11.7) 昨夜、総選挙開票の始まる少し前から私は党本部にいた。

 結果は、マニフェスト選挙、政権選択選挙――のかけ声通りになったと見ていいのだろう。与党勢力275(12減)対野党勢力192(17増)。自民党は237(10減)、小泉・安倍人気に乗りながらも苦戦だった。なにしろ比例では民主党が第一党、177と40議席も伸ばす一方、少数野党が見る影もなく惨敗した。共産党9(←20)、社民6(←18)、保守新党4(←9)。

 与党である保守新党に至っては党首が落選、参院にまだ3議席あって政党要件の5議席はクリアしているものの、発言力低下は避けられず、党の存亡自体も危うくなるだろう。その分公明党の発言力が俄然増すはずである(3増の34議席)
 
 ところで、98年スタートの小選挙区比例並立制。小選挙区で落選した候補がなぜだか復活してくる。なんだ、これは、と苦々しく思っている有権者は多いのではないか(今回、小選挙区で敗れた土井たか子社民党党首もそうだ)。もっとも、ごく小差で敗れた候補であれば、死に票を少なくするためと考えて、まだ納得できないことはない。惜敗率という指標であり、自民党の場合はよほどこれが高くなければ比例復活はない。

 ところが少数野党だと、小選挙区で次点どころか、最低ラインでも比例で復活してくるケースがままあるのだ。今回もよく見ていると、1万票台(本当ですよ!)まであった。10万票近くで落選する議員もいる中、一票の重みはと、突き詰めれば憲法問題にもなるのではないか。民意が反映されない選挙制度ではますます選挙離れが進み、政治不信が広がる。

 3年前の総選挙のときには12〜3か所の応援に行ったが、今回は厚労省公務があり、また体力もずいぶん落ちてきたので無理をせず、結局8か所に行っただけである。結果、4勝4敗。「勝」のうち2人は比例復活当選組である。であっても当選と落選は、天と地以上に違う。

 

 

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