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Vol.110 相も変わらず  2004.5.19(水) 記 

派閥から頂いたお花と 昨日年金法案審議6時間コース、午後1-4時は総理出席の下、テレビで放映された。厚生労働大臣はもとより、副大臣両名、他一人の政務官は前の答弁席に座っていたが、私は参院厚生労働委員会の一員でもあり、委員席のほうに座る。しかし政府側でもあるため、残念ながら質問には立てないのである。

 国民はもう、議員が国民年金を払ったかどうか、だから辞めるか辞めないかといった議論にうんざりしているはずである。だが、野党の質問は、相も変わらずこの域を脱しない。かつまた、この法案に限ったことではないが、質問の仕方や着眼点が、実に低くて情けない。

 例えば、国民年金加入が任意であった時に(1986年以前)首相が未加入であった事実を捉えて、「年金制度は世代を越えた互助制度ですが、首相には互助の精神がなかったのですね」との質問。たしかに互助制度ではあるが、払わなかった者は払ってもらえず、それは自己責任なのである。そしてまた、この事実=互助精神がない、は論理の飛躍である。

 また、こちらは与党議員だが、中高生に年金をほとんど教えないのが一因だと(得意の?)教育問題に持っていったが、さすがに首相、その年代でいずれ自分が60歳になり年金を貰うことなど考えはしないだろう旨答えていた。その通りである。そんなことより前に、この年代に教えなければならないことは、山ほどある。

 程度の高い質問であれば答弁者も気合いを入れて臨むし、また聞くほうも決して退屈はしない。要はやはり、国会議員のレベルを上げること……しかないのだろうか。

 ここ数年、司法改革も絡んで、基本法の改正ラッシュである。借地借家法、民事再生法・会社更生法・破産法が新設、商法は頻繁なる大改正、民事訴訟法も全面改正、刑法・刑事訴訟法も一部改正され、民法もまた大幅な改正をみた。以後も様々な改正が続く。法律家も日々勉強しないと、いつ過誤訴訟を起こされるやしれない時代になっている。なので、弁護士会も随時研修を実施、研修会場は老若何女の受講者で溢れている。

 昨夜、委員会後6-8時、担保・執行法改正の講義(講師は裁判官)を受講したが、ほとんどは知っていることだった。何のことはない、参院法務委員会で質問をしたからである。その法律がこの4月1日付けで施行となり、故に今頃講義とあいなったのだ。ここ6年の大きな改正に、法案審議段階から携われたことは非常に幸いだった。

 もっとも法律を知っていることと実務はまた別だ。まもなく、新しい場で新しい経験ができることを、これまた幸いだと感じている。

 

Vol.109 法律違反  2004.5.10(月) 記   

細田先生と音楽振興議連で(3.23) 文字通りの連休明け、激動の国会が始まる。

 江角マキコの国民年金不払い問題に端を発した騒動の広がりは留まるところを知らず(ここまでになるとは誰が想像しただろう)、官房長官の突如辞任に至った。民主党代表の辞任も必至である。

 国会議員の不払い者が多かったのには驚かされたが(周りに誰も教えてくれる人がいなかったのだろうか)、故意は少ないだろうと思う。月13,300円。法律違反を承知でケチるほどの額でなし、私自身、すべてが給料天引きの世界からこちらに来た6年前、議員年金の上さらに国民年金まで払うとはつゆ考えもしなかった。だが幸い教えてくれる人がいて、本当かなと思いつつも払っていた。払わずに非難されるより余分に払うほうがずっとまし。なにせ検事出身、法律違反をしては、たとえ過失であっても大いに恥ずかしい。

 法律違反といえば、当初秘書がなかなか決まらなかったとき、党のベテラン秘書から「名義貸し」を勧められたものである。皆がやっていることだ、お母さんを秘書に登録して、と。まさか、実際に働かない人を。なにせ私は検事出身なのである。だが……もし私が法律家ではなく、かつまた選挙で多額の金を使って金に困っていたのだとしたら、どうだっただろうか。赤信号、みなで渡れば怖くない、のである。

 良きにつけ悪しきにつけ、永田町にあまり染まらないまま6年を過ごしてきた。ただ「幸い」ではあったと思う。いったんこの特権意識に染まってしまえば、一般社会に戻るのは至難の業である。大方の議員の、バッジを失う恐怖には筆舌に尽くしがたいものがあるという。

 それにしても、唾棄すべき、米兵によるイラク収容者虐待事件。被害者が収容されていた根拠まで含めての、真相の徹底解明が切に望まれる。その前提として、戦争の大義名分だった大量破壊兵器が未だに見つからない大問題がある。もともとイラクに石油なかりせば起きなかった戦争であることは明らかなのである。大統領選の行方も絡み、日本も今後を考え直す時期に入ったのではないか。

 

Vol.108 願いは不変 2004.4.26(月) 記   

桜を観る会/新宿御苑(4.17) 週1回の記載を心がけていたが、瞬く間に2週間が経っていた。このところ日が経つのが実に早い。

 本当に早いなあと思うのだが、永田町での勤務がこの夏、6年で満了する。

 6年前の今頃、私は東京地検公判部で部屋長をしていた。思いもかけずその翌月退官、7月に永田町に来たとき、6年はとてつもなく長く感じられた。実際2年経つ頃には体がそわそわし始め、異動の習性が染みついているのを思い知らされたものだ。それからさらに4年。あのまま検事をしていれば2〜3か所にいたのだろう。

 もちろん次回の出馬を各方面から強く勧められたし、自分もその気になっていた。立法はやり甲斐のある仕事だし、何より私は、この国がこれほどまでに誇りをなくした国家になってしまったことを初めて知り、強く憂慮し、何とかしなくてはいけないとの思いに駆られていた。

 断念したのは昨春である。その前に、参院比例区の選挙制度が順位拘束式から非拘束式、つまり個人の名前を書いてもらう、以前の全国区に近い形に舞い戻り、党員獲得のノルマもまた課せられるようになっていた。加えて、当時まさに地方統一選の時期、党女性局長として日々東奔西走していたら何度か倒れそうになった。人の選挙ですらそうなのだから自分の選挙などとうていやれないと考えるに至った。何であれ体が資本には違いないが、選挙ほどそれが妥当するものはない。

 多くの期待・要請を頂いたことに深く感謝している。応えられなかった非力を心からお詫び申し上げる。だが、ここで得た、愛するこの国を少しでも良くしていきたい、との願いは不変である。場所はもっとずっと小さくなるけれども、私に与えられる場でやはり少しでも人のお役に立てるような後半生でありたいと願っている。

 という次第で、私には議員年金はつかない。議員年金がつくのは議員歴10年以上だからである。
これまで市役所1年、最高裁司法修習生2年、検事15年、そして議員になってから国民年金を6年、継続して支払っているが(払っていない閣僚がいるなど、信じられない話である)、先般計算してもらったら、65歳以降月わずかに10万円強が支給されるだけである(もちろん60歳まで国民年金を支払い続けるという前提で、だ)。これをあと1期やりさえすれば、遙かに多額の議員年金が税金の上乗せで支給されるというのは、やはり不合理ではないか。議員は議員である間だけのものだし、第一、議員をしなければ食べていけないような人が議員をやるべきではないのである。

 お手盛りといえば、厚生労働省の不祥事が相次いでいる。
 広島労働局の不正経理事件、省諮問機関・中央社会保険医療協議会(中医協)を舞台にした贈収賄事件(10年もの間中医協委員として権勢を奮っていた健保連副会長は元社会保険庁長官、「天下り」である)、省発行の研修用冊子の発注を巡る贈収賄事件……と引きも切らない。私がかつていた法務省とは対極で、国家予算の半額を握り利権も極めて多岐に亘っている。もともとがお手盛りになりやすい体質のところにもって、全体の規律が歪んでいるのだろう。これを立て直すのは容易なことではない。

 

Vol.107 根元は教育 2003.4.11(日) 記  

尾道にて(4.27)  恐れていたテロが、民間人を狙うという形で突如起き、永田町に緊張が走った。

 幸い人質は解放されることとなり、自衛隊の撤退は必要ではなくなったが、テロの危険性は依然として続く。現地の自衛隊が狙われるか、テロリストが上陸して首都圏が狙われるか、あるいはイラク国内に限らず世界中のどこかで普通に歩いている日本人が拉致され、人実として使われるかもしれないのだ。そうした行為に対して卑劣で憤りを感じると非難するのは当然だし簡単だが、彼らには彼らなりの正義があって、彼らを生み出した深い土壌があって、事は容易ではない。

 さて今回、政府が早々と「自衛隊の撤退はしない」と宣言したのは当然の対応であった。30年近く前に起きた航空機ハイジャック・ダッカ事件。そのとき日本政府は「人の命は地球より重い」とばかり、超法規的事由によって、多額の身代金のみならず服役中の赤軍メンバーを解放した。その少し後、やはり航空機をハイジャックされたドイツは、犯人の要求には一切応じず、特殊部隊を送り込んで人質を奪回した。もちろん後者が国際的には普通の対応である。テロを拡散させ、同種事件の再発を誘発させてはいけないのだが、当時の国内世論はそれを許したのである(参照Vol.55)。

 だが時代は変わり、国民にも国家意識が芽生えてきた。国際貢献の意義も理解するようになった。まして今回の被害者は危険を承知で乗り込んでいったのである。常によってマスコミはまた過熱報道に走ったが、平衡感覚を持ち、国民を正しい方向に導く責務がマスコミにはあると思うのだ。

 日本の正論はどこにいけば聞けるのか。
 私が最近ことに憂慮しているのは、裁判の「暴走」である。昔から平衡感覚のない裁判官は少しはいたのだが、最近とみに増えているように感じられる。その中からあえて一つを挙げれば、靖国神社参拝違憲判決――。

 原告の請求自体は棄却したのだから(勝訴した国は控訴できず、裁判は確定する)、理由中の判断としてあえて違憲云々に言及する必要はまるでないし、また司法がそんなことにまで踏み込むのは越権である。危惧したとおり、野党は攻勢を強め、近隣諸国は調子に乗って非難を強めている。一裁判官が国をこれだけ攪乱させていい権限はどこにもない。

 司法関係者は国民によって選ばれているのではないから、与えられた権力は、具体的な事件を解決するために必要な範囲で抑制的に行使すべきであって、思い上がりは厳に慎まなければならない。こうした平衡感覚を、だが、養うところは決してロースクールでも、たぶんおそらくは大学教育でもない。そのずっと以前の家庭教育であり初等教育であり、全人格的な教養がそうした基本感覚を養っていくのである。
 人間としての躾がなされないまま小手先のノウハウに走る教育の、恐ろしい付けが回ってくるのはあるいはもっと先なのかもしれない。すべての問題の根元はやはり教育にある。

Vol.106 幸せは身近な所に 2004.3.29(月) 記   

 内閣府調査によると、「治安」の悪化を懸念している人が39.5%に上ったという。2002年12月の前回調査に比べて8.8%増加、この5年間でほぼ倍増だ。「景気」(45.5%)、「雇用・労働条件」(44.6%)に比べると依然低いが、この両者はいずれも前回時から減っているのである。

治安悪化はたしかに深刻である。景気悪化やモラル低下、かつまた外国人によって引き起こされる、身近な犯罪の増加に加え、テロが大いに危惧されるからだ。イラク攻撃を支持したスペインでは大がかりな列車テロが起き、民意は現政権にノーを突きつけた。日本でも参院選前のテロが囁かれている。

 政務官会議/官邸(3.23)先日、数ヶ月ぶりに政務官会議が開催され、官邸を訪れたが、玄関はテロ対策仕様に変わっていた。国会議事堂もいくつかの門を閉めるなど、警備は強化されているが、この程度のことで決死を覚悟のテロを止められるとは思えない。もともとテロの狙い目は、警備手薄、かつ大きな結果を惹起し、最大限の効果を生む所だから、最も危険なのは新幹線や都心地下鉄であろう。だからしばらく地下鉄はやめてタクシーで事務所まで通うと真顔で言う弁護士もいるが、みながみなそんなことはできないし、第一新幹線には乗らざるをえないことが多いのだ。もちろん空港並に新幹線の乗客すべてをチェックすれば安全度は増すのだろうが……。

このところ、いいニュースがとんとない。とくに、尖閣諸島の領有を巡る中国との軋轢。韓国との間には竹島の問題がある。今や至る所で、国家としての誇りが深刻に汚されているのに、なぜこの国は堂々と主張できないのか。誇りのない国家は決して尊敬されることはない。誇りを持たない人間が決して尊敬されないのと同様に。

 文明が高度化し、社会は確実に豊かになったが、人は決してその分幸せになったのではないと、つくづく思う。昭和30年代に子供時代を過ごせた幸せを、私は今更のように噛みしめる。バナナもチョコレートも貴重品で、幸せは身近な所にふんだんに存在した。今も本当の幸せとはきっとそんなものだろうと思う。世の中が平和で、家族が仲良く過ごせ、人々が温かい気持ちで助け合える社会。その実現にこそ政治は力を注ぐべきなのに、まるで違う方向に来てしまった。人は進歩したようでいてその実進歩などしてはいない。否、本質を忘れて枝葉に振り回され、むしろ愚かになったような気がしてならない。

音楽文化振興議連(3.23) 23日の音楽文化振興議員連盟でのピアノ演奏は、まずまずの出来だった。披露したのはショパンのノクターン20番(「戦場のピアニスト」の主題曲)とバッハのプレリュード1番。ラフマニノフの前奏曲「鐘」も練習していたのだが、俄の猛練習で腕の筋肉を痛めたうえ大勢の観衆を前にして極度に緊張したこともあって急遽とりやめた。だが、いずれどこかで披露する機会もあるだろう。

 桜が見頃だ。若い時にはなんとも思わなかったが、最近ではあと何回桜を見られるだろうと考えるようになった。いつかは最後の春が来る。慈しんで、愛おしく、花を愛でたいと切に願う。人として生きる最高の幸せの一つがここにある。

 

Vol.105 非力 2004.3.17(水) 記  

 1週間が経ち、当初の激しい怒りとショックが少しは治まった。先週11日(木)朝8時、法務部会での「夫婦例外的別姓法案(議員立法)」審議のことである。

 この別稿で縷々述べているように、女性が外で働くことが普通になり、加えて一人っ子や女だけのきょうだいも多い中、結婚しても旧姓のままでと願う夫婦が出るのは世の流れである。なにも夫婦すべてを別姓にしろ(韓国や中国のように)と言うでなし、私の周りの人は口を揃えて、なぜ反対するの? と不思議がる。本当にその通りだ。

 事は子どもを作る若い夫婦ばかりの問題ではない。高齢化を反映し、これからは中高年者の結婚が増加する。共に老後を歩むパートナーである。子供を作るわけではなし、各が背負ってきた長いキャリアを互いに大事にしたいと願って、許されないだろうか。殺人など刑事じゃなし、民事に「絶対」はない。法はその変遷に合わせて変わるべきであり、人が法律に合わせて生きねばならぬはずがない。だからこそ臓器移植が認められ、最近では性同一性障害者の戸籍変更まで認められたのではないか。

 とにかく審議とは名ばかり、「絶対に止める」の結論初めにありき。彼らは、我々の発言・説明など、はなから聞く気がないらしい。野次暴言、めちゃくちゃな発言、何でもあり……これが国の代表者による議論では、子どもの教育など出来はすまい。

 やれ、「祖先の祭祀の主宰」の意味が不明だ(相続に関し、民法897条に規定済みの文言である)、「その他の理由」があるから結局何でも認められる(まさか。そんなことは法律のイロハである)、「それで子どもが産めないというのだったら仕様がないじゃないか」(少子化対策が喫緊の課題である厚労族の発言である!)、「社民党の主張に自民党が乗ってどうする」(社民党は完全な選択的別姓かつ嫡出子・非嫡出子の平等を主張している)、「高市さんが出した通称法案でいいじゃないか」(そんな法案は出ていない。法案化が極めて困難なうえ、2つの姓を公に認めるのは法的安定性を非常に害するのだ)、等々。

 総選挙後で新人が多い、まもなく参院選がある、終わってからゆっくりやってくれ……だが、この議論は何年も続いている。その度に、臨時国会ではダメだから通常国会でやってくれ云々、先延ばしにされ続けられてきたのだ。だが現実に、自分たちの結婚が法律婚として認められ、晴れて子どもを嫡出子として産めることをひたすら待っているカップルは多い。政治は弱い者のためにある。それを論理の欠如した暴論で阻止して、何のための国民の代表者か。某女性議員など「いつまでも議論してりゃいいのよ」と言って出ていったそうである。

 漏れ聞くところによると、強い反対をしている政治団体が、先の総選挙で踏み絵を踏ませたのだという。なるほど、きわどく当選した議員が何人かいた(もちろん自身の主義信条で反対している議員もいるのだろうが)。あるいは次の参院選挙での支持がかかっているのか。彼らが「やったね」と勝ち誇っているであろう図を想像すると背筋が寒くなる。

 加えて、無知極まりない産経新聞の社説!! いわく、高市法案がいい。高市議員が落選したのを奇禍として法案を通そうとしている……馬鹿も休み休みにしてほしい。「社会の公器」がその立場を利用し国民に誤った情報を植え付けるなど(あるいは本当に無知なのか)とんでもないことである。

 いずれにしても政治は結果である。法案を通せなかった非力を私は冷静に受け止めてはいる。私たちに期待してくれた人たちが、責めるのではなく慰めるメールを送ってくれたことに、私は心から恐縮している。

 

Vol.104 哀しい現実 2004.3.8(月) 記  

 またまた秘書給与詐取容疑で、民主党の議員が逮捕された。容疑そのものは、またか、の感じだが、2年前一緒にパキスタンに行った仲間なので、ひとしお感慨がある。口はちょっと荒いが、とてもいい人だった。だが金策に苦労していたのだろう。

埼玉で講演(2.14) 印象に残っているのは、選挙区に出す葉書を500枚だかを大量に日本から持参していたことだ。誰もが海外に行くこの時代、欧米などから出したのでは誰も喜ばないが、珍しい国から出すと喜ばれるらしい。もちろん準備はすべて日本で終え、あとは投函するだけだ。バカバカしい、と思うだろう。だが、多くの議員が似たり寄ったりの「選挙区サービス」をやっている。葉書で済めばまだ安上がりだ。ネクタイその他土産を大量に買う議員を大勢見た。大変だなあ、私にはとても出来ないと、思う。そして、そんなことを喜ぶ選挙民がいる限り、いい政治家は生まれないとつくづく思うのだ。

 2月27日、衆院の青少年特別委員会に出席、政府側答弁に3度立った。

埼玉で講演(2.14) 案件は、最近とみに多発する残虐な児童虐待への対処である。非道な親は言わずもがな、学校なり児童相談所の無責任ぶり・連携のなさがマスコミを大いに賑わせたが、児童相談所そのものはすでにオーバーワークだという。児童虐待を含むドメスティックバイオレンスに対処するため、法律(警察)は家庭に立ち入らねばならなくなってしまった。今国会で児童虐待防止法(議員立法)が改正されるが、その主な点は以下のとおりである。

1.保護者以外の「同居人」による児童虐待行為を含める。
2.「児童虐待を受けたと思われる(現行は「受けた」)児童」の発見者の通告義務
3.児童相談所・都道府県知事は、必要に応じ適切に、警察署長に対し援助を求めなければならず、援助を求められた警察署長は必要と認めるときは速やかに所属の警察官に、必要な措置を講じさせるよう努めなければならないものとする。

 これだけ富める国で子供が虐待される……哀しい現実である。

 昨週末予算案が衆院を通過し、明日から参院予算委員会が始まる。来月から各委員会がスタート、6月18日の閉会まで大忙しになる。

 

Vol.103 日本が生き残る術 2004.2.25(水) 記   

パキスタンKamran Niaz大使等と(2.17) 23日(月)、新潟県燕市に行った。近隣の地方議員ら60名をメンバーとする勉強会の講師として、である。「国政に関する諸問題」がテーマとのこと、厚生労働大臣政務官でもあり、少子高齢化問題を中心に据えた。

 一般に「少子高齢化」と言うが、高齢化と少子化は本来、別の問題である。
 高齢化=長寿、である。今や男性78歳、女性85歳。長寿は幸福の証である。発展途上国では、栄養も衛生状態も、また医療も悪いがために乳幼児死亡率は極めて高く、無事成人しても内戦などで若くして死ぬ人が多い。ただ、いきすぎた医療が不要な長寿を招けば、その人も家族も不幸だし、医療費・介護費が嵩んで財政を圧迫する。

 少子化=人口減少、である。出生率が2を少し超えて初めて人口が保たれるが、日本では昭和40年代後半以降少子化がどんどん進み、今や1.33になった。ちなみにイタリア、ドイツは日本よりさらに低く(なぜだか三国同盟)、先進国ではアメリカやスウェーデンなどが2を少し上回るものの、軒並み低いのが現実である。スウェーデンは20年かけて出生率を戻したという。保育園の完備など社会保障を極めて充実させた結果である。

 片や、乳幼児死亡率が高い国は出生率が高い(日本もかつてそうだった)。社会保障もないので老後のために子供を確保しておかねばならない。つまり、こうした国であっても上層階級はあまり子供を産まないのだ。人件費が安いため、キャリアのある女性が結婚や出産をためらうこともない。

 本来、出産・育児とは、人間の本能であり、そうしたいが故にそうするものなのだと思う。いずれ労働力にとか保障になるとか考えては子どもが可哀想である。少子化を改善させるには、なぜ産まないのかを考えてみる必要がある。教育費がかかるなど経済的なことももちろんあるだろう。子どもをあえて持たない人に理由を尋ねると、別にしたいことがあるとか、大変だとか、先行きが暗いのに可哀想だ、などという答えが返ってくる。要するに、明るい希望のある社会を作ること、なのではないかと思うのだ。やはりその行き着くところは「教育」なのだと思う。

 江戸時代、日本の人口は4000万人だった。国土が広ければずっと住みやすいはずだ。人口減少も悪くないのではないか。ただ、ここに高齢化が絡み、この先最低50年ほどは高齢者の割合がずっと多くなる。つまり、年金や介護、労働力の問題が起きるのである。そこを移民なる手段で切り抜けようとする考え方があるが、反対である。ドイツなどの失敗例を見るまでもない。移民もまた人間である以上、インフラが必要である。そして彼らもいずれ年老いる。高齢者と女性を活用することで切り抜けていくべきだと考えるのである。

 燕市では講演前に(株)青芳製作所を見学させてもらった。
 社長のお話では、もともと普通の洋食器を製造していたが、プラザ合意以後輸出が壊滅状態となり、また愛娘が脳性麻痺になって障害者に優しい食器作りをと始められたとのこと。手に持って軽いスプーン、首をあまり曲げなくても最後まで飲めるコップ、皿を置いても動かないお盆等々、同社の製品はアイデアと、何より優しさに溢れていて、感動した。デザイン賞など多く受けておられる。是非、http://www.aoyoshi.co.jp/ を御覧いただきたいと思う。

 生産拠点が中国に移転、産業空洞化が言われるようになって久しい。同じ物を作っている限り負けるのは必定だが、日本にはどの国にも負けない手先の起用さと智恵がある。芸術性に担保された繊細さがある。それを物づくりに生かせないはずはない。日本が生き残る術はやはり物づくりである。それを強く考えさせられた。

 

Vol.102 日露戦争開戦100周年  2003.2.16(月) 記 

弥彦村建国記念講演(2.11) 先週は講演が3回。

 うち11日(建国記念日)は、新潟県弥彦神社で、であった。雪を覚悟していたが、「冬に1日あるかないか」の鮮やかな晴天で、日差しが眩しいほどだった。講演の前に神社に参拝、その前日、日露戦争開戦100周年で明治神宮に参拝したため、2日続けてとなった。

 その後、アメリカ人が日本の戦後史を描いた『敗北を抱きしめて』(ジョン・ダワー著)を読んだ。といっても上下2巻と大部なので、文字通りの斜め読みだが、これまでに読んだ類書と違って新鮮だったのは(戦争責任を当然に果たすべきなのに果たさなかった)天皇の姿を直裁に描いていることだった。

弥彦山山頂にて(2.11)読書家の友人に言わせると、ジョン・ダワーに限らずアメリカ人が書いたものは、日本では「タブー」とされる「天皇の戦争責任」に触れているゆえ面白いのだという。

戦前、天皇は「神」であった。民は皇国であるが故に不敗と信じ、「天皇陛下、万歳」と叫んで死んでいった。その天皇が戦後人間宣言をし、今度は「象徴」として君臨したことを(順応性の強い? 規律にあまり厳しくない?)日本人は受け容れたのだ……。あるいはこの「タブー」故に歴史の検証は未だうやむやのまま、そして将来もそうであり続けるのかもしれない。

東府中病院新年会で日野原先生と(1.24) 14日(土)はさいたま浦和でのタウンミーティング。こちらのテーマは「治安」である。安全神話が崩壊し、いつ誰が犯罪被害が遭わないとも限らない昨今、市民約500人が集まり、熱心に聞いてくれた。

治安の悪化というとよく外国人問題がとりあげられるが、それをおいても昨今、犯罪は増加している。社会の道徳律が乱れているからだ。治安の悪化は実は、教育の荒廃、経済の悪化、そしてコミュニティの崩壊と密接な関連がある。その視点からの問題提起である。

東府中病院新年会(1.24) 昨年11月の紅葉狩りの際には一首も出来なかった短歌が、年末頃から日に10首、20首と沸き出るようになり、我ながら驚いている。思うにこれはピアノをまた始めた副産物ではないか。感性プラス57577のリズム感。就寝前に(ワープロで)書き留めるのが習慣になりつつあり、結構嬉しい。

 

Vol.101 ウィルス襲撃を許してしまった  2004.2.6(金) 記   

  国会開会中故、年金法案等で厚生労働部会などに出席する日が続いている。その他雑事に追われ、夜は夜で連日行事が入るし、まとまって何かをじっくり考えることがついぞできないでいる。まして、選挙区があり、選挙を間近に控えた身になればなおさらだろう。日本の100年後はおろか10年後のことさえ見据えた政治が出来ない原因はおそらくはそんなところにあるのだと思う。

 先週末、ついうっかりと自宅パソコンへのウィルス襲撃を許してしまい、ひどい目に遭った。新米の強力ウィルスとのこと、駆除剤でも未だ完治せず、この日曜日、パソコンに詳しい友人に来てもらい、必要データのバックアップを取ってリカバリーしてもらうことになった。パソコンが使えなくなって今更のように、メールやインターネットなしでは生活できなくなっていることを思い知らされる。文明とはなんと不便なものか。とくに、ハイテクに慣れない高齢者にとっては住みにくい社会であるに違いない。

 昨今激増しているハイテク犯罪への対処ばかりか、強盗罪(懲役5年以上)より軽い強姦罪(同2年以上)の罰則が上げられるなど、1世紀前に作られた刑法もまもなくそのかなりの部分が見直されるはずである。

 過日(2003.11.20)東宮御所「日月の間」での写真を宮内庁から頂戴した。

第6回国際アビリンピック日本選手団皇太子(同妃両)殿下接見
第6回国際アビリンピック日本選手団皇太子(同妃両)殿下接見

 

 

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